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昨年末のことです。車のラジオで、あるコラムニストが話していたので気にとめた。杵築高校出身1961年生まれというから、我々より4つ程若い彼である。名前を出しても差し支えないだろう。二宮圭一さんという。山香町の出身で美術系に進んで現在は大分美術研究所を開設し、美術を志す方々を指南しているようだ。私は全く面識ありませんが、山香町の方はあーあ彼のことか、とご存知の方もいらっしるかも知れません。
この方は、大分の若向き雑誌CONKA(コンカ=来るか?来んか?みたいな意味かな?)にコラムを連載している。ラジオの司会者からこんな紹介があった。『いい人ぶらない。悪い人ぶらない。ウケ狙いもせず、さりとておかしい。こんな彼のあり方に僕は正直嫉妬する』とある方が評していたとのこと。
その彼のコラムをこの度本にまとめた『二宮雑感』(㈲ネキスト発行1000円)この本の紹介である。仕事の帰りに明林堂に立ち寄り早速買い求めて読んだところ、彼のこれまでの遍歴や経験談、世の事象への所感などを述べている。育った環境や世代が近いこともあり、うん!そうだ!と共鳴する部分も多い。切り口も軽過ぎず、重過ぎず、スラスラとページが進む。
前置きが長すぎた、やっと本題に辿りついた。彼と共通項であるわが杵築高校の当時の校長である高橋寿満先生のことが書かれてあった。覚えているひとは覚えているが、何となくの人は何となくだろう。彼の記述を紹介する・・・
退屈な時代を退屈とも感じなかった鈍感な僕の高校時代を思い返すと、当時の杵築高校の校長であった高橋先生の顔が浮かぶ。姿は太くて大きく、その心も見かけのような貫禄があり、肝がすわって同時に繊細さを持った方だった。行事や月曜日の朝の全校朝礼での校長の話を楽しみにしていたのは僕だけではなかった。
例えば、漫画のベルサイユのばら全巻を校長が読んだらしく、作者の池田理代子がその物語を完成させるために、どれほどの資料を集め、本を読んだかということを例に出して、『与えられたものを楽しむことは簡単だが、それを提供する側にどれほどの裏付けや知識や経験が必要か』を説いた。
工夫することが重要だという話ではプロ野球のある外野手は打球を捕らえる確実性を上げるため打球の方向と落下点をいち早く知るべく帽子のつばを利用して成功した話や、また、あるとき『世の中のきまりというものは自分たちで作るものだ』という話では、先生が若い頃に就任し当時の新設校であった佐伯豊南高校で校則を生徒たちとの話し合いですべて作ったという思い出にからめて、『君たち全員が責任をもって討議した結果であればどのような校則であろうと受け入れる用意がある。』と啖呵をきった。そのほか、戦時中の若者の話や演劇人山田吾一氏との交流など。
卒業式での話、『将来誰もが挫折することがある。都会に出た者はビルの谷間の空を見上げた時、自分の小ささや能力の限界を思い知ることがあるだろう。その時には若かった高校時代の自分、この場所を思い出せ』というものであった。僕が三年生になる時、高橋校長は高校を離れた。入れ替わりに来た校長は、まず、卒業生の受験結果の話をしたことだけを覚えているが、あとは話も顔も名前も思い出せない・・・・と二宮雑感には記述されていた。
私も、この校長の話は印象深いし、黒ぶちめがねででかい人、言葉に重厚さのある人、西郷隆盛(会ったことはないが)たぶんそんなイメージをもっている。部活には時々顔をだしていた。柔道部・剣道部員は校長先生が道場に見えると一段と気合をいれ、掛け声もバージョンアップした。声をかけられるわけではない。腕組みをし稽古する生徒たちを真剣な眼差しでじっと見つめている。それを意識してかこちらは全身を振り絞り稽古に打ち込む。こんな記憶が高橋校長に対する記憶である。
先日の同窓会で5組の中島先生から当時の高橋校長から背中を押されて新任地に赴くことができた、当時の高橋校長は心の支えであり立派な方であったという話をしてくれた。
教育者はいつの時代も受難のようだが、生徒や学生にこれから先の時代に自力で生き抜く力を養うことに全力を傾注することが教育者の役目であると思います。伝授すべきことはいろんな知識や経験から得たものも必要であろうが、先を見通す力、腹を据える心掛けや覚悟の大事さも大いに伝授する必要があると思います。今更ながら先生にならなくて良かったというか、自分では到底なれなかったと思います。今の先生方、頑張ってください!
二宮雑感を読んで懐かしくもあり嬉しくもありました。
この本には他にもいろいろと感心するところが沢山ありましたよ。さすが‘あーちすと’ですね。一度彼に会ってみたいと思いました。
今回はこの辺で。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/pen.gif)
この方は、大分の若向き雑誌CONKA(コンカ=来るか?来んか?みたいな意味かな?)にコラムを連載している。ラジオの司会者からこんな紹介があった。『いい人ぶらない。悪い人ぶらない。ウケ狙いもせず、さりとておかしい。こんな彼のあり方に僕は正直嫉妬する』とある方が評していたとのこと。
その彼のコラムをこの度本にまとめた『二宮雑感』(㈲ネキスト発行1000円)この本の紹介である。仕事の帰りに明林堂に立ち寄り早速買い求めて読んだところ、彼のこれまでの遍歴や経験談、世の事象への所感などを述べている。育った環境や世代が近いこともあり、うん!そうだ!と共鳴する部分も多い。切り口も軽過ぎず、重過ぎず、スラスラとページが進む。
前置きが長すぎた、やっと本題に辿りついた。彼と共通項であるわが杵築高校の当時の校長である高橋寿満先生のことが書かれてあった。覚えているひとは覚えているが、何となくの人は何となくだろう。彼の記述を紹介する・・・
退屈な時代を退屈とも感じなかった鈍感な僕の高校時代を思い返すと、当時の杵築高校の校長であった高橋先生の顔が浮かぶ。姿は太くて大きく、その心も見かけのような貫禄があり、肝がすわって同時に繊細さを持った方だった。行事や月曜日の朝の全校朝礼での校長の話を楽しみにしていたのは僕だけではなかった。
例えば、漫画のベルサイユのばら全巻を校長が読んだらしく、作者の池田理代子がその物語を完成させるために、どれほどの資料を集め、本を読んだかということを例に出して、『与えられたものを楽しむことは簡単だが、それを提供する側にどれほどの裏付けや知識や経験が必要か』を説いた。
工夫することが重要だという話ではプロ野球のある外野手は打球を捕らえる確実性を上げるため打球の方向と落下点をいち早く知るべく帽子のつばを利用して成功した話や、また、あるとき『世の中のきまりというものは自分たちで作るものだ』という話では、先生が若い頃に就任し当時の新設校であった佐伯豊南高校で校則を生徒たちとの話し合いですべて作ったという思い出にからめて、『君たち全員が責任をもって討議した結果であればどのような校則であろうと受け入れる用意がある。』と啖呵をきった。そのほか、戦時中の若者の話や演劇人山田吾一氏との交流など。
卒業式での話、『将来誰もが挫折することがある。都会に出た者はビルの谷間の空を見上げた時、自分の小ささや能力の限界を思い知ることがあるだろう。その時には若かった高校時代の自分、この場所を思い出せ』というものであった。僕が三年生になる時、高橋校長は高校を離れた。入れ替わりに来た校長は、まず、卒業生の受験結果の話をしたことだけを覚えているが、あとは話も顔も名前も思い出せない・・・・と二宮雑感には記述されていた。
私も、この校長の話は印象深いし、黒ぶちめがねででかい人、言葉に重厚さのある人、西郷隆盛(会ったことはないが)たぶんそんなイメージをもっている。部活には時々顔をだしていた。柔道部・剣道部員は校長先生が道場に見えると一段と気合をいれ、掛け声もバージョンアップした。声をかけられるわけではない。腕組みをし稽古する生徒たちを真剣な眼差しでじっと見つめている。それを意識してかこちらは全身を振り絞り稽古に打ち込む。こんな記憶が高橋校長に対する記憶である。
先日の同窓会で5組の中島先生から当時の高橋校長から背中を押されて新任地に赴くことができた、当時の高橋校長は心の支えであり立派な方であったという話をしてくれた。
教育者はいつの時代も受難のようだが、生徒や学生にこれから先の時代に自力で生き抜く力を養うことに全力を傾注することが教育者の役目であると思います。伝授すべきことはいろんな知識や経験から得たものも必要であろうが、先を見通す力、腹を据える心掛けや覚悟の大事さも大いに伝授する必要があると思います。今更ながら先生にならなくて良かったというか、自分では到底なれなかったと思います。今の先生方、頑張ってください!
二宮雑感を読んで懐かしくもあり嬉しくもありました。
この本には他にもいろいろと感心するところが沢山ありましたよ。さすが‘あーちすと’ですね。一度彼に会ってみたいと思いました。
今回はこの辺で。
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当時の高橋校長先生のお話、記憶にありません。そんな素晴らしい先生と向き合う事無く三年間過ごしてきたかと思うと残念です!私の高校時代 心に残っている先生は安部先生(1年の時の担任)と化学の仲田先生です。内容を書くと長くなるのでやめますが 笑顔でやる気が出たのを覚えています。体育の時間は一番に着替えて運動場に! そして化学の元素記号のテストは100点!安部先生とはずっとお会いしていませんが.仲田先生も寒いのでご自愛ください
今、主人の会社の経理をやりながら くもん の子供たちとふれ合っています。マニュアル的にならないように子供の目線で笑顔で取り組む様に努めています。 いかにやる気を起こさせるか
うちの父ちゃんもこの先生に心酔していたと思います。この先生が亡くなられたときにかなり落ち込んでいたように思います。
あと先生といえば、生物の佐伯先生を思い出します。今でこそ言える話ですが、夏の山キャンプではビールを飲ませてくれていたやさしいながら、結構やる先生でした。
番外編で、香下先生(こんな字だったかなぁ)って覚えていますか?生徒におもちゃにされていた非常勤の先生でしたが、いまごろ何をされているのでしょうか?
おしまい
ブログおいちゃんへ
前回のブログで書き込み人募集に応募したのですが、メールを受け付けてもらえんかったです。メール制限をしていませんか?
aomei-0163@docomo.ne.jp ・・・・でした。
ところで、東京方面(関東方面?)のみなさんは、近々関東支部を旗揚げされるという極秘情報が伝わっています。 是非 どなたか設立時のご様子など お知らせください。