技術の進歩は生活を便利にはするが、人間自身を成長させるわけではない

2015年05月15日 | 日記
人工知能が人類の知能を超える日が2045年に到来する。

アメリカの未来学者:レイ・カーツワイル氏が予測したそうです。

部分的にははるか前から超えてますが、従来はロボットには無理と言われていた人間ならではの能力も超えてしまうということでしょうか…

人間が人間を超えるロボットを作る…なんか神の領域に踏み込んでるかんじがしますが…

以前gaccoのオンライン講座で、茂木健一郎さんの「創造性と脳」という講義を受けました。毎回レポートを書いて受講者どうしで採点し合うのですが、ある方から、人工知能について根本的に間違えている、理解していない、として厳し~い点をつけられました。

人間の能力を補うものと思ってたんですが、違うんですね!!

人工知能の技術は医療など多くの分野で活用可能で、熾烈な開発競争が予想される。だからこそ、その技術を使う人間の側の倫理が問われる。書くエネルギーと人間の関係と同じである。

技術の進歩は、生活を「便利」にはするが、人間自身を「成長」させるわけではない。
昨日の朝刊にあった人工知能に関する記事の一部です。

オンライン講座「創造性と脳」では、多くの受講者のレポートを読みましたが、人工知能についての捉え方・考え方には大きく分けて2つありました。

ひとつは、人工知能に取って代わられるなんて恐ろしい、ぞっとするというもの。

もうひとつは、どれだけ人工知能が優れているといっても、人間にしかできないことがある、とうもの。

人間にしかできないことの例として、「今自分は消音でサッカーの試合を見ながら楽器の練習をしている。そこへ子どもがやってきたので、にっこり笑って手をふり、声をかけた。こんなことが人工知能にできるか」という自分の日常的な行為をあげていました。

でも私は思うのです。人間として当たり前にできていること、やっていることですが、それができない人、できないことが多いのではないでしょうか。ロボットではないのに、人間なのに、ロボットのように、無感情に人間を切り捨てていることがないでしょうか。

人間には感情があり、細やかなことができる。ロボットには無理。そう言い切れるでしょうか。人間として与えられた能力は当然のものとは思えません。

ついつい感情的になり、ちょっと厳しいコメントを書いてしまい反省していたら、別の方から自分も厳しく評価されていたわけです。

おあいこでした。
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