誰からも必要とされないなどということがあるだろうか

2015年05月27日 | 日記
世の中で一番さびしいことは、する仕事のないことです、と言ったのは福沢諭吉だが、この言葉の真意はなんなのだろう。

する仕事がないとは、与えられた仕事がないということなのか。それとも喜びとなるような仕事がないということなのか。あるいは、仕事に喜びを見出すことができないということなのか…それとも…

私がこの言葉の意味を考えるようになったのは、老人ホームに勤務していたころだった。

特別養護老人ホームに入所している高齢者は要介護状態の人たちばかりだった。80代90代の人ばかりなので当然現役ではない。

ホームの中では「介護される人」「他人の手を借りなければ生活できない人」である。

そして「する仕事のない」人たちだった。

彼らは福沢諭吉が言うところの「世の中で一番さびしい」人たちなのか。

そうかもしれない。

そして、それは誰からも必要とされていない、と高齢者自身が思っていたからだと思う。

そして周りの人間もそのように思っていたからだと思う。

実際には、要介護状態の高齢者がいなければ介護という仕事もないわけなので、介護職にとってはなくてはならない存在であるはずだ。

だが、介護職員にその自覚は全くといっていいほどないように思う。

たまに、ショートステイで「手がかからない」「おとなしい」おばあさんが来ると、ラクだね~というはなしになるが、そんな人ばかりなら介護職も介護施設もいらない。

人手不足と施設不足(特養)ばかりがやいのやいの言われているが、高齢者が激減したり、急に元気になってしまったらどうするつもりなんだろう?

する仕事がないとうのは、誰からも必要とされていないと思ってしまうことで、これほどさびしくやりきれないことはない。

与えられた仕事がないなら自分でみつければよいだけである。

この世の中にやるべき仕事がないなどということは断じてない。

たとえどんな状態にあったとしてもだ。

私は介護職時代「認知症」と言われる人たちにずいぶん仕事を手伝ってもらった。
ぼけ老人にどんな仕事ができるのかって?そういう人は、ぜひ突撃で介護施設を訪問してみてください。入所者に手伝ってもらわないと「回らない」のが介護施設です。猫の手よかじいさんばあさんの手のほうがいいにきまってるじゃないですか。
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