過酷職場自慢の読み物…でもなく青春小説でもない…

2015年05月08日 | 日記
学歴も経験も関係なく、すべての評価はどれだけ家を売ったかだけ。都心で「ペンシルハウス」と呼ばれる狭小邸宅を売る松尾の職場は、きついノルマとプレッシャー、過酷な歩合給、挨拶がわりの暴力が日常の世界だった…

新庄耕の『狭小邸宅』である。

カバーのあらすじには、松尾の葛藤する姿が共感を呼んだ話題の「青春小説」とある。

青春というからには、ほろ苦かったり、さわやかだったりするのだろうが、文庫版の解説を城繁幸氏が書いており、「青春」という言葉からは程遠いように感じた。

城繁幸氏は10年ほど前『若者はなぜ3年で辞めるのか~年功序列が奪う日本の未来』という本を書きベストセラーになっている。

若者に対し理解あるかんじだったが、10年経って老いたらそうでもなくなったみたいだ。

若者をはじめ、様々な人を蔑んでいるようだ。

どんな内面の葛藤があったか知らないが、ひねたじいさんになっている。

この不快感は同類なればこそかもしれない。

「売った人間が偉い」「売ってなんぼの世界」

不動産に限らず売上至上主義の職場であれば聞かれる言葉である。

どんなやり方であろうが、数字をあげたもん勝ちという倫理もへちまもない下品さに閉口するが、同時にその下品さに魅力も感じる。

下品な人間は上品ぶりたがるものだが、売ってなんぼの不動産屋のエースたちも同様で、それが愛嬌である。

後味は決してよくなく、青春小説と言われても、釈然としませんが、城氏の不愉快な解説と相まっていい感じかも…
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キャリアって、あのキャリアウーマンのキャリアのことか?

2015年05月08日 | 日記
 「わたし、大人になったらキャリアウーマンになる!!」

鼻筋の通った美人の友人・きよみちゃんがこう宣言したのは中一のときだった。今から30年以上前のことである…

なんとなく、バリバリ働くカッコイイ女性ということは想像できたが、具体的な職業までは思いつかなかった。

働く女性といえば、仕事は何をやっても長続きしない母や、農業や畜産業に従事する近所のお母さんたち、八百屋や文房具店のおばちゃん、農協や近くの食料品店や書店で働く友達のお母さんぐらいしか知らない私にとって、きよみちゃんの言葉はただただまぶしかった。

さすがに今「キャリアウーマン」という言葉自体はなくなったが(死語っていうのか?)「キャリア」はしつこく労働行政にへばりついている。

キャリアってなんじゃろ?

キャリア形成だのキャリアアップだのといった助成金の書類をコマゴマホソボソ書いていると、気が滅入って、ついでになんか可笑しい気分になって、冒頭のきよみちゃんの言葉を思い出した。

さっそく辞書で調べてみると、

1 経歴・履歴・生涯 2 (一生の仕事とするような訓練・技術を要する)職業、とある。

助成金の名称となっている「キャリア」はどうやら、2番の意味らしい。

なんかなぁ。ケチをつけたいだけの気分なんだけど、キャリアってつけりゃ何でもオッケーになってないか?

ウィキペディアを見ると、キャリアウーマンはなんと「女性長期賃金労働者」となているではないか!!

相当いい加減な、独断と偏見だらけのことが書いてあるから気を付けろ!と、ちゃんと最初に書いてあるからいいんだけど…

でもおもしろい!

「一生の仕事とするような訓練・技術が必要な職業」をキャリアというのなら、別におかしくはない日本語訳である。にもかかわらず、キャリア=なんかいいかんじ、長期賃金労働=なんか貧乏くさい、あるいはダサいと感じるのはどうしたことだろうか。

しかしだぞ、助成金の名称にはなっているものの、実際「キャリア」なんて言葉を口に出して言ってる人いるんだろうか?

採用する人もされる人も「キャリア」なんて使っていないはずだ!(決めつけ)

キャリアアップを目指して英会話学校行ってます。

絶対ない!

「キャリア」へのささやかな報復。
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