ブログ仙岩

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最後の言葉・・・エッセイスト大石邦子

2015-08-26 08:51:48 | エッセイ
昨夕届いた福島民報月刊誌ハイッ!みんぽう9月号に、会津生まれで下半身不随車いす生活の大石邦子さんの「風のあとさき」最後の言葉が載っていた。

先日も、大石さんお妹と兄の新盆を載せたが、今年の暑い夏にアメリカから3枚のDVDが届いた。

去る5月25日、私が小さな手術を受け入院中スペイン語のメールが届き、迷惑メールと思ったが削除を思い止まったのは何故かわからない。退院後友人に訳してもらうと、DVDを送りたいので住所を知りたいとあり、敬愛するメキシコのハイメ・ラレス神父の知人と分かり返信した。

若い時日本に留学した神父さんは上智大学でスペイン語を教え、その後伊藤忠商事に入社、莫大な交際費に疑問を3年後に退社、帰国して神学大学で学び1983年再来日したときに、私が出会った。

以来20年、東京、会津、大津、京都で司祭生活、メキシコ大神学教授、修道院院長を歴、2002年日本を離れたとき、荷物はボストンバック1つ。清貧、貞潔、従順を全うし尽くした誠実な神父さんだった。

弱い人、貧しい人に寄り添い、ブラジルの貧しい地区、ファベラで学校建設、識字教育、メキシコ帰国後家族を守る戦いから命を守った。が、1月神父さんは手遅れのガンと分かり、狼狽える私に「全ては神様のみ旨だから」

病気の進行は早く、最後の国際電話「今、ぼくの頭は冴えている。でもこれからは、どうなるか分からない。だから、感謝を伝えておきたい。長い間、ほんとににありがとう」震えが止まらなかった。・・・味噌汁が大好きな神父さんは5月22日、67才の生涯を閉じ、DVDには神父さんの葬儀の様子が収められれていた。