ブログ仙岩

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津波犠牲の娘の親(私の姉)の新盆

2015-08-07 09:22:54 | エッセイ
大石邦子さんの新盆を先日載せましたが、今日は5/15に亡くなった私の姉も新盆で、大学時代は物心の支援、そして交通事故で入院している時3日も看病してもらった姉には言い尽くせないほど話したいがもうこの世にいない。

姉の娘(私の姪)が津波の犠牲になり届けた手紙の一部分を書きます。

色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

このいろは歌は平安中期の成立で、七五調の四句からなる今様歌であり、涅槃経の諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽の四句が元になっています。創られたもの凡てはかなく 生じては滅することを本性とする。生滅するものがなくなり 静まっていることが安らかである。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわり表す。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

これは平家物語の冒頭を飾る句であり、人生の栄枯盛衰は世の常であることから、よく人の世の空しさや死を嘆くときに使われます。とくに、諸行無常の諸行は森羅万象即ち宇宙に存在する一切のものであり、無常はなくなることです。「もろもろの創られたものはすべてなくなる」ということです。

人は自分で生きているとするから喜び、悲しみそして哀れみ、生かされていると思えば諸行無常でも当然と思えるから一切安らかになります。