ブログ仙岩

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「いきたひ~家族で看取る」長谷川裕子監督のトーク

2015-08-20 05:40:50 | エッセイ
甲子園仙台育英対東海大相模の決勝雨が心配の20日今朝、映画「いきたひ~家族で看取る」の制作過程や目的などのトークを聞いた。

以前、口からたべられなくなったらどうしますか、「平穏死」のすすめ石飛幸三特別養護老人ホーム芦花ホーム医師を乗せた。食べられなくなった超高齢者に「胃ろう」と多量の栄養点滴投与は肺炎を誘発し苦痛を与えるだけである。・・・

食べられなくなってから最後の数日間の様子を見ていると、のどの渇きや空腹を訴える方に出合ったことがありません。自分の体を整理しているかのように、氷が溶けて水になっていくのと同じで、体が死になじんでいく過程だと思います・・・我々は医療に依存し過ぎたあまり、自然の摂理を忘れているのではないでしょうかと書いている。

私も、足に触れながら父を病院で亡くし、母は救急車の中で手を握りながら看取った経験があります。今でも、両親が自宅の天井を見ながらの終焉であったらと後悔しています。

裕子さんも、がんで亡くした夫を退院後みんなで見るために撮影しておいたものを4人の子どもに相談して映画にしたと。しかし、「おくりびと」で反響を呼んだが、鳥取の柴田さんが「看取り」の職業に着いており、お話を聞くことができてから、伏せたい、触りたくない人生の最後を明るく伝えたいと思い映画にしたという。

沢山の看取りの事例から、編集に苦労したが、同じ鳥取県に人形を作っている方を知り、これをモチーフにして明るく、「生死」の題名を生まれ故郷の秋田の母に書いてもらい、「いきたひ」とカナをつけた。いきは生、たひはタとヒから漢字の死となることと説明していた。また、父の魂が子供たちの丹田に収まり、より父との絆が深まったと。

素晴らしい人生の最後をドキュメンタリーのクライマックスと表現し、「ありがとう」でつなぐ命のバトンとしてのムービーである。避けて通れない人生の終焉を伏せることでなく、明るく表現したものであった。