ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

お母さん僕を生んでくれてありがとう

2012-11-30 11:16:45 | 日記
プロ野球ドラフト会議で西武に第5位で指名された直後、福島光南高校佐藤勇投手が記者会見で放った言葉だ。

日頃思っていても口に出すのが苦手な日本人、ましてや見知らぬ人に囲まれて言うのはたやすくないことである。18才でこんな素直な好青年がいたのかと。県大会では181cmの長身から最速143キロの速球で三振の山を築いた剛腕の青年は母親思いだ。

イタリアサッカーリーグ「セリエA」で活躍する長友佑都選手にも、高校時代「僕は母親がいてくれるだけでよかった」とメールしていた逸話が残っているとか。

こんな親思いの青年が暮らす福島に遅かりし福島復興本社がJヴィレッジに設置すると東電が発表した。3号機建屋1階にロボットを入れて線量測定したところ、記憶が定かでないが2時間で死亡する4,700mSV/hという。こんな危険な状況にある原子炉が存在していること事態、ここには30年は生活できないことは明らかだ。東電は身近で感じて即対応してもらいたい。

中間貯蔵施設の現地調査受け入れ

2012-11-29 11:30:23 | 日記
即原発ゼロを全面に押し出した日本未来の党が20年後、30年後にゼロにする党との対比して出発した。

そんな選挙戦に隠れそうな原発事故対応は未来ではなく現実に今除染の遅れで困惑しているとき、双葉、大熊、楢葉に除染で出た汚染土壌搬入する施設を作るための現地調査を福島県は受け入れた。
双葉町長は同意していないという中で、やむを得ないが線量の低い他の地区というわけにはいかない。汚染物の搬入に便利は交通網、線量や地質、地下水などの調査がまっている。

魚介類ではアイナメの高濃度検出、どこへ搬入すればいいのか、上水道の汚染土壌など各地に山と積まれている現実をどう見ているのかと歯がゆい気がしてならない。いわき沖のメアル、カレイ、タイは190,813.3,1994ベクレルのセシウムが検出されたと150点の中で17種基準値をこえたと27日県は発表した。

いわき市旧山田村コメ基準値超えから地名を考える

2012-11-28 09:24:12 | 日記
福島県は27日今年度産米のこがねもちの玄米一袋30キロから基準値超える130ベクレルのセシウムを検出した。市は同地区のコメの出荷自粛を要請した。

しかし、いわき市四倉に住んでいて、旧山田村がどこかわからない。
いろんな著書に、消えゆく地名で語られておりいつも同感していた。昭和平成の大合併で古い地名がなくなる。歴史が消える。本当に情けない。そして聞いたこともない新しい地名がテレビに出る。
特に、今度の震災で南三陸町とか大川小学校が石巻市立というからわからない、市津川とか河北町とつけたしていればわかるが何の説明もない。先日のいわき市で線量が高いから田植えができない田んぼにバイオ燃料のイネ科の草刈り取っていた。が、いわきで線量の高いところは、川前の荻、志田名地区、久之浜の大久、末続あたりと想像するだけでどこかは分からない。言いたくないがNHKは大合併の地名だけで、視聴者はどこで生産された米や魚、野菜など食品の生産地が知りたいのに・・・。

スーパーでの買い物で、生産地名や生産者の顔が見える野菜など目にするとすぐ手が伸びる。


紅白歌合戦の出場歌手の発表など

2012-11-27 10:07:28 | 日記
O 今年の大晦日第63回NHK紅白歌合戦出場歌手が26日発表した。

紅白組の初出場組も6組ずつで、白組に三輪明宏さんなどでどんな選曲なのか興味があり、赤組はAKB48の姉妹SKB48などでプリプリも・・・。
白組は49回出場の北島三郎をはじめ、森進一、五木ひろし、細川たかしのベテランから、郷ひろみ、SMAPなど、しかし、赤組は和田アキ子や石川さゆりのベテランに坂本冬美ぐらいで少ない。派手な衣装で人気の美川憲一が消えたかと思うと今年は小林幸子までも落選に。

O また、同日には年末ジャンボ宝くじが発売、「大黒様の宝くじ」として知られるいわき平の宝くじセンターには山形から駆けつけ、1500枚、45万円も一人で買う姿がテレビに映し出されていた。10枚ぐらいの6億円の運試しとして夢を買うのもまた楽し。

港千尋著平凡社新書「芸術回帰論」を読んで

2012-11-26 13:47:29 | 日記
副題には「イメージは世界をつなぐ」そして帯には「人類よ創る手(アート)へ帰れ」とついている。

第一部として前半からわかることは、3・11を機に浮かび上がった現代文明の根底に、理系と文系の間に決定的な文化の乖離がある。即ち、自然科学の暴走を容認してきた社会は、原発事故に伴う放射能被ばくという二度目の被災を生み出し、人間のコミュニケーションの不可能性が存在していた。

これをつなぐ第三の手共通言語となる芸術を創造してくことであろと。生産と消費と分化していたことが、デジタルの情報化時代になって、例えば、カメラ、感光紙、現像薬などと写真という分化が今、アマチィアが撮影プリントする生産消費者を生んでしまった。プロの生産と消費の間に分化がなくなり、第三の手に移行した。