ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

広島に続いて長崎平和祈念式典に思う

2014-08-09 14:20:42 | 日記
今日8月9日10時35分からのラジオで台風11号の心配があり平和公園での式典が危ぶまれたが、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の放送を聞いた。

平和公園会場に集まった遺族や各国代表の見守る中、献花などすんでから、11:02チャペルの鐘の音とともに1分間の黙とうをした。

長崎市長の平和宣言、69年前の今日米軍によって一発の原爆が投下され、逃げ惑う人々、かろうじて生き残った人々は癒やされることのない深い傷跡で苦しみました。しかし、69年間核兵器不使用が続いたのは、広島、長崎の犠牲があったからこそで、集団的自衛権は非戦争の平和の原点が揺らぎ、いかに非人道な兵器であるか、核兵器廃絶を各国の対話で実現してほしい。ノーモア長崎、ノーモアWARと結んだ。

75才城台美弥子被爆者代表の平和への誓いでは6歳の時空襲解除で逃げ込んだ防空壕から出て2.4km離れた家へ帰宅、一瞬何が起こったか分からなかったが遊ぼうと呼びに来た友は被ばくして40歳で亡くなった。私の被ばく三世ひ孫も突然亡くなった。愚かな戦争を絶対してはいけない、力に対して力で応戦するやり方は戦争への最短の道、集団的自衛権の行使は絶対あってはならないと誓いのことばで言い切った。

続いて安倍総理、広島と同じで途中少しつまずいたが、核兵器廃絶を昨年国連で述べたと・・・。そして、後世へ伝える最良の方法は映像で語り部の被ばく実体験を残すべきと思う。式典で核兵器廃絶や戦争への道を歩んではいけないと訴える力のあるものはやはり遺族代表の誓いであった。


三浦豪太豪快な母を語る

2014-08-09 08:17:38 | 日記
祖父敬三、父雄一郎は以前80才でエベレスト挑戦を載せているが、その奥さんである母を二男豪太が今朝6時台ラジオ体操終わって、サタディーエッセイーで語った。1969年神奈川生まれの豪太は医学博士で老人科学研究員、166cmの小柄でリレハンメル・長野オリンピックモーグル選手、またソチオリンピックでは独特な解説で話題をまいた45歳。

13年前父雄一郎が69才でエベレスト登頂に成功凱旋しての帰宅途中車の中で、あなたたちも大変だったけど留守番の私も大変だったと話し始めた。母が大学生の私の部屋を掃除していると、ベットの下から青年果敢な雑誌を見つけ、遭難した息子の仏壇に雑誌をお供えすることが悲しいと言ったという。

豪快な母は霊感も強く、ある温泉場の慰霊碑を見た夜、夢で一人で歩いていると後ろから背中を叩かれたので振り向くと髪の長い女性が立っていた。と母に報告すると、母は髪が長く、浴衣を着た女性が私の前をずーと立っていたと話した。

そして、免許書き換えている私をそのままにして自分だけお祓いを済ませたという母のエピソートで、三浦家の男性の活躍は大変報道されるが、その裏方の女性が隠れているので大変興味あるものとして聞いた。