8月30日午前8時40分サイレンの音と共に、いわき市津波避難訓練が始まり身支度して300米離れた指定場所如来寺の境内に集まった。早朝3時半土砂降りの雨で心配したが、ぱらぱら降りの中何とか参加できた。
集まった顔ぶれは高齢者、主婦、子どもたちで若者は少なかったが、仕事ある人や高齢者で具合の悪い人は不参加のようであった。
避難訓練だから、避難することに意義がある、3・11の時は四倉高校体育館に避難、掲示板の名簿欄に記入したが、翌日12日原発事故で内郷高坂小体育館に夕方近く名簿に移動の記録もせず急いで避難、後で、親戚のものが四倉高校体育館に来ても居ないので、捜すのに大変苦労したと言われた。
この教訓から、避難訓練には名簿作成、移動の有無をはっきりせねばと痛感している。
実際3・11地震直後は駐車場に集まった人たちはしゃがみ込んで、何をすべきかわからずただ茫然とした状況であった。津波が来るなどと予想も出来なかった雰囲気であった。みんなを急き立てて裏山に一番乗りで避難したがブレーカーも下げずまして防寒服など身につけない人が多かった。岩手のばーちゃんのてんでこに逃げるの言葉が生きるためには、日頃の対話で伝えることが大切である。
集まった顔ぶれは高齢者、主婦、子どもたちで若者は少なかったが、仕事ある人や高齢者で具合の悪い人は不参加のようであった。
避難訓練だから、避難することに意義がある、3・11の時は四倉高校体育館に避難、掲示板の名簿欄に記入したが、翌日12日原発事故で内郷高坂小体育館に夕方近く名簿に移動の記録もせず急いで避難、後で、親戚のものが四倉高校体育館に来ても居ないので、捜すのに大変苦労したと言われた。
この教訓から、避難訓練には名簿作成、移動の有無をはっきりせねばと痛感している。
実際3・11地震直後は駐車場に集まった人たちはしゃがみ込んで、何をすべきかわからずただ茫然とした状況であった。津波が来るなどと予想も出来なかった雰囲気であった。みんなを急き立てて裏山に一番乗りで避難したがブレーカーも下げずまして防寒服など身につけない人が多かった。岩手のばーちゃんのてんでこに逃げるの言葉が生きるためには、日頃の対話で伝えることが大切である。