第二下田端架道橋。東北線(47)は沖縄琉球です。第二下は「にか」の二科展。
(ア)文展は12回。帝展は15回。大正12年は開催なし。昭和10年の16回は開催なし。
(イ)昭和11年春は改組帝展の第一回目。昭和11年秋の新文展の第一回目。途中、紀元2600年奉祝展が入ります。
(ウ)新文展は6回。昭和19年は戦時特別展を開催。昭和20年開催なし。
(エ)日展になりました。今の人間像は「改組」されています。当初の文展は「明治」「命じ」。自分に対する命じの文です。大正12年の開催なしは胎生の体性。関東大震災が大正12年9月1日。赤ちゃんの胎生の杭です。
流産も死産も不幸です。九州竜の穢土(江戸)はけがれ地。子宮内のたくさんの精子(生死)を写しています。
水子供養も地蔵も立てました。その後は?。もっと良い子。もっと優れた子を望んで掛けあわせ。それは邪(よこしま)の悪意です。
二科展の二科は「とが」の科。罪科は二つあります。それは金縛りと獣を生む性交なのよ。
昭和14年、第3回新文展。昭和15年、紀元2600年奉祝展。昭和16年、第4回新文展。03金星の腦幹。04月の腦下垂体。「きげん」の起源を透したのは機嫌の始めです。
2600=盲腸京都26+00の麗々。契り千切ってきた盲腸のうるわしさがここに入っています。