勝海舟の『氷川清話』は私のバイブルみたいな本。
今の世に知られようとするのは尻の穴の小さいやつだ、大人物は300年の後に知られればいい、という「知己を千載に俟つ」呼吸を教わったのも、『氷川清話』から。
もう『氷川清話』を読んだことない人とは会話をしたくない、と思うくらい、私はこの本に心酔している。勝海舟に心酔している。
大田区の勝海舟記念館にも寄付したくらいだ。
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その「知己を千載に俟つ」工夫の一つとして、
大胆に、無用意に、打ちかかる
というのがある。
小利口に、「これをやったら、こうなって、ああなって、家族が心配して、、」などと考えると、何ものも成し遂げることはできない。
兵は拙速を尊ぶではないけれど、四の五の言っている間に、機会を失うことがある。失った機会は永遠に戻ってこない。勝利の女神には前髪しかない。
日頃から、きちんと準備している。自分を磨いている。その平生の「呼吸」が、
大胆に、無用意に、打ちかかる
ことにつながる。
臆病にならずに勇気を持つ、ってことは、一面、
大胆に、無用意に、打ちかかる
ってことです。
勝海舟は禅も修めた。剣も修めた。
禅の工夫ってのは、いざというときに
大胆に、無用意に、打ちかかる
ためのものなのでしょう。
私が批判の多い宗教案件を引き受けたのも、それなりに熟慮の上ですが、大胆に、無用意に、打ちかかった部分はある。
勝海舟の判断基準に従ったにすぎない。
斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ
踏み込みゆけばあとは極楽