最後の将軍、徳川慶喜は、腰抜け将軍的に罵られた。鳥羽伏見の戦いで、部下を置いて、大阪から江戸に船で逃げたから。
戦火を避ける的な積極的な意義はあったのだろ思うけど、でも一切、弁解をしない。一生。
それを、元部下の渋沢栄一がえらい感動した。感動したので、25年をかけて、渋沢は『徳川慶喜公伝』を刊行した。
その一節が、たしかSunday世界日報に書いてあったので、取り急ぎ転写。
公がかくの如きお心で彼のごとき態度に出て、ご一身を犠牲になされる苦衷は、人に語るべきことではない、かえって他人より逆賊と言われ、怯懦と罵られても、じっとお耐えなされて、終生弁解をもなされぬというは、実に偉大なるご人格ではあるまいかと、尊敬の念慮は弥増し切なるのであった
私も、言い訳をせぬ人格を身に着けたい。