弱い人間は率直になれない。
弱い人間は誠実になれない。
ってなことをラ・ロシュフコーが言っていた。
と、2月にブログに書いていた。こちら
本当にそう思う。
私はコンプライアンスの専門家。不祥事研究の第一人者を自認している。
いろんな不祥事を分析している。組織論や、コミュニケーションや、心理学や、組織風土や、文化論に至るまで、多様な見地から。
それで思う。
勇気ってすごく大事。
たとえば。
クライアントの社員が不正を犯した。犯罪を犯した。
聞くと、その社員には人間性に問題があった。
まあどんな人間にも完璧な人間はいない。不祥事が発生してみると、犯人探しが始まり、結果論的に、「あぁ、アイツにはああいう問題があった、人間性に難があった」ってなる。
その「人間性」ってなんだ。
この不祥事の文脈では、「誠実である」ってこと。嘘をつかない。ごまかさない。それが誠実さ。
だから、人間性に問題がある、ってのは、「不誠実である」ってことと同義。
じゃあどうして人間は不誠実になるのか。
いろいろ理由があろうが、「勇気がない」から、ってのが大きな理由の一つ。
自分の非を認める勇気がない。
自分のミスを認める勇気がない。
至らぬ自分を率直に認める勇気がない。
だから人は嘘をつく。ごまかす。
ウソをついたことがない人はいない。80億人いて、1人もいないはず。
マザーテレサとかその辺の聖人たちも、少なくとも若かりし頃は、絶対に、ウソをついたことがあるはずだ。私だってある。
人間は完璧ではない。だれでも嘘をつく。
そんな「嘘をついたことのある自分」を思い出してみてください。
きっと、「勇気がなかったから」というのが、理由の一つに挙がりませんか?
勇気がないから、ウソを付く。
それは不誠実。
それは人間性に難あり。
それが犯罪を導く。
だから、不祥事防止には、勇気を出す、ってことは、大事なこと。
だから多くの企業はSpeak up(不正に対して声を上げる)ってのを掲げている。
端的に言う。
嘘つきは泥棒の始まり。
巷間言われるこの俚諺が、真理をついていることを、噛み締めている。
細かいウソをつかない。
小さなミスを認める勇気を持つ。
あったりまえですが、そのへんの、勇気、率直さ、誠実さっていうのが、人間性とか、はたまた不祥事防止一般でも、とても大事だなぁと思う。