川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

『佐藤一斎 ー克己の克己の思想』 栗原剛

2024年10月08日 | 古典・漢籍
今まで読んだ佐藤一斎・言志四録に関する本の中で、もっともレベルが高い。

佐藤一斎もかなりスピリチュアルでした。スウェーデンボルグを彷彿とさせる。

佐藤一斎が内、西郷隆盛が大(外)、というまとめはなるほどと思いました。




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一忍もって百勇を支ふべく 一静もって百動を制すべし

2024年10月08日 | 言葉
一忍もって百勇を支ふべく 
一静もって百動を制すべし

蒼龍窟

蒼龍窟というのは、長岡藩家老・河井継之助の雅号。

本物の掛け軸はこちら → 河井継之助と宮原節庵の書

ーーーーーー

一つの忍耐が、大きな勇気を支え、
一つの静寂が、驚天動地の偉業をもたらす。

カエルは飛ぶ前にしゃがむということだろうか。
平生の心掛けがマグマを産むということだろうか。
本当の偉人は普段は淑女のように平生を装っているということだろうか。

日頃紳士的に振る舞うからこそ、いざという時に力が発揮できるということだろうか。
日々の自制心が、これという時の勇猛心を生むということだろうか。

その意味するところは、この言葉に出会って30年、まだ腹落ちしてない。
でも、なんだか「奥深い」言葉だ、ってことは分かる。カッコいい言葉だということは分かる。

30年前、司法試験受験時代の友人T君に私がこの言葉を伝えたら、その友人もこの言葉を勉強机の脇の壁に大書していた。
そのT君も今や名検事。

言葉と付き合うってのは、こういうことなのかもしれない。

その真意を探り続ける。
腹落ちするまで考え続ける。
その精神と格闘する。

古典の価値というものを私は信じている。




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感性と勇気

2024年10月08日 | 経営・インテグリティ・エンゲージメント
小川さゆりの外国特派員の会見から2年が経過しました。

彼女の

「私が正しいと思ってくださるなら、どうかこの団体を解散させてください」

は、令和の妄言として歴史に残るでしょう。

あなたの家のあれこれと、家庭連合の解散は論理的に結びつきません。

こういう言葉に違和感を感じる。その違和感を表明する。

日本の会社の不祥事は、ほぼみんな、この違和感を感じる「感性」とそれを表明する「勇気」のなさから起こっています。

戦前の日本が負ける戦争を起こしたのも、この「感性」と「勇気」のなさ。

私が広めているインテグリティってのは、この「感性」と「勇気」を磨きましょう、ってことです。




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愚行権

2024年10月08日 | 宗教
愚行権。
グコウケン。

愚かなことを行う権利。

人に迷惑をかけない限り、公序良俗に反しない限り、治安を害しない限り、人は愚かなことをしていい。
愚かなことをする権利がある。
愚かなことをする自由がある。

一夫多妻だって、愚行権の一種。

西洋的、近代的価値観からすれば、ひどい、男尊女卑。

でも、世界の何分の1かのイスラム教徒は、これを「真理」として信じている。許容している。

これも、識者に言わせると「愚行権」の一種。

ーーーーーー

家庭連合がこの2年、えらい批判された。

合同結婚式なんて、、、とか。

普通に考えると、教会が選んだ配偶者と一緒に結婚式、ってのはドン引き。

でも、家庭連合さんには失礼ですが、これも「愚行権」の一種。

合同結婚式で誰が迷惑を被った? 合同結婚式に参加した9割かそれ以上は、とってもこのイベントを楽しく、嬉しく、誇りに思っている。

価値観を同じくして、見知らぬ、異文化の、国籍も母国語も異なる人と、人生の修行に出る。草の根の「世界平和」の修行の旅に出る。

 ※ 日本では、3割くらいの人が外国人と結婚。残り7割は日本人と結婚します

自分には理解できなくても、それが治安を害さない限り、尊重する。

それが自由主義社会。それが民主主義社会。

この「愚行権」を論じるのは、私の知る限り、仲正昌樹教授くらい。森本あんりさんも「寛容」の文脈で語っている。




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何を師とするか

2024年10月08日 | 古典・漢籍
佐藤一斎『言志四録』は幕末志士のバイブル。




誰を師とするか、で3段活用がある。

太上は天を師とし、
その次は人を師とし、
その次は経を師とす。

「経」は経典。書物。
書物ではなく、人ではなく、天を師匠とするのが、一番いい。

論語とか儒教とか古典には、このように「天」が頻発する。
むしろ、論語・儒教は「天」の哲学とも言える。

人を相手にせず、天を相手にする。

以下も言志四録。


およそ事をなすには、すべからく天に仕えるの心あるを要すべし。
人に示すの念あるを要せず。

これはまさに中島敦『李陵』の世界。

「天に仕える」蘇武が陽の目を見て、
「人に示す」李陵が不遇に終わった。



無宗教が徹底してきたような令和日本。
「天」なんて口にするのは憚られるような、世俗的価値観が跋扈している。

天というのは自分の良心。
スティーブ・ジョブズが言った、

have the courage to follow your heart and intuition. 
心と直感に従う勇気。

心と直感に従う勇気が、天の命じるところだったりする。




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