【いま執筆している本の原稿から一部抜粋】
弁護士の情熱が世界を変える!
裁判には判例があります。では、その判例はだれが変えるんでしょうか? 裁判官? 当事者? 違います。
判例を変えるのは、弁護士です。
当事者がいくら「判例がおかしい! 理不尽で時代にそぐわない、判例を変えるべきだ!」と考えても、法律の知識も資格もなければ、判例は変わりません。
また、裁判官も、当事者や弁護士の言ったことに応対すれば足りるので(これを「弁論主義」と言います。弁論されたことだけについて判断するのが裁判官です)、自ら判例を変える立場にはありません。
弁護士だけが、クライアントの当事者の立場に立って、クライアントとともに泣き、憤り、判例を変えるべきだと信念を持ち(warm heart)、一方で精緻で緻密な理論構成をして(cool head)、判例を変えるべきだと情熱的で説得的な書面を書き、法廷でそう熱く弁論するのです。
その弁護士の情熱が裁判官の心の琴線に触れたとき、裁判官が初めて「おおそうか、この判例は改めなければいけないんだな」と思って、それで判例が変わるのです。
この「弁護士の情熱が判例を変えた」代表例が、尊属殺人違憲判決です。
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昔、刑法に、通常の殺人罪のほかに、尊属殺人罪がありました。親を殺したら、通常の殺人罪より重い刑が科されるのです。
ところが、悲惨な事件が起こりました。
1968年、栃木県のある父親が、近親相姦して自分の娘を犯し続け、その娘に5人も子供を産ませた(!)のです(うち2名は死亡)。鬼畜の所業です。
その娘さんは、その悪夢から15年後、別の男性と恋に落ち、父親の軛から逃れようとしました。しかし、それに逆上した父親がまた娘を辱め、ついに娘は父親を絞め殺してしまいました。尊属殺人です。
重い法定刑から、娘さんは、3名のいたいけな子どもを残して、懲役に行かねばなりませんでした。執行猶予は付けられず、塀の向こうに行くのです。3名の遺児は天涯孤独になってしまいます。
この境遇に憤ったのが、大貫弁護士父子です。親子2代かけて、手弁当で、「尊属殺人罪は、法の下の平等を定める憲法に違反する!」と闘いました。判例も、法律も、変えようとしたのです。
最高裁は、大貫父子の主張を全面的に容れて、尊属殺人罪を違憲だとし、娘さんを執行猶予にしました。3人の子どもの生活は守られたのです。後に、尊属殺人罪は刑法から削られました。
これが、「弁護士の情熱が判例を変えた」代表例です。判例どころか、法律も変えたのです。法律を変えたということは、世の中の常識が変わったということです。世界を変えたのです。
私は、この大貫父子の燃えたぎる情熱を、「弁護士の鑑」として尊敬しています。