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聚楽第 -発掘された本丸石垣-②

2012-10-21 23:54:43 | 歴史
 平成24年秋、京都府警の宿舎建設工事に伴って実施された発掘調査で、聚楽第の本丸南側の堀と石垣の一部が検出されました。聚楽第の本丸については、過去に行われた発掘調査で本丸東側の堀の肩(本丸との段差)が確認されていましたが、石垣を検出したのは今回が初めてです。10月7日、京都府埋蔵文化財調査研究センターによる現地説明会が開催されました。
 その時の解説と、配布された「現地説明会資料」をもとに、今回の発掘調査の成果で見えてきた聚楽第の構造を以下にまとめてみました。

1.はじめて本丸の堀の石垣を検出した。
石垣の工法は16世紀末の特徴を備えている。(石材は主に花崗岩)

2.堀の石垣を積み上げた背後に盛土を築いてある。
盛土は、南北幅5メートルで土と石を盛って固く叩き締めてある。
盛土の郭内側にも石垣を築き、石塁として本丸を囲んでいたと考えられる。
さらにその上には、土塀が建てられていたことが想定できる。

3.石垣と盛土の背後にある整地層の北側に2メートルの高低差があった。
本丸内部に壇が造成されていたと考えられる。

4.本丸南堀北端の正確な位置が判明した。(従来の復原案よりも南に位置する)




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現地説明会が行われたトレンチ です。
画面左端の日陰の中に石垣があり、その右の人物が立っている辺りが盛土、さらに右側の平坦面(整地層)を経て、地山がせり上がっている所が本丸内の壇と考えられる高低差です。





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初めて確認された本丸石垣です。8個の石が二~三段に積まれた状態で検出されています。
画面手前の水が溜まっている部分は、江戸時代に掘られた井戸の跡。石垣を破壊して掘り抜いています。
なお、この井戸跡を挟んで石垣の石があと3個検出されているそうですが、トレンチの死角になって撮影できませんでした。


聚楽第 -発掘された本丸石垣-①

2012-10-14 23:12:38 | 歴史
 聚楽第(じゅらくだい/じゅらくてい)は、天正14年(1586)、豊臣秀吉が関白の政庁兼邸宅として、京都に築いた城郭構えの屋敷です。
 聚楽第・・・何とも難解に感じる名前ですが、「聚」という字には「あつめる」という意味があります。また、「第」という字は音読すれば「テイ」ですが、「亭」や「邸」と同じく「やしき」を意味します。つまり、聚楽第を直訳(?)すれば「楽しみを集める屋敷」ということになります。
 さて、「楽しみを集める」とは、何を示すのでしょうか?

 そのヒントは、天正16年(1588)4月、秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎えた時の様子を、秀吉自ら命じて記録させた『聚楽第行幸記』の中に記されています。同書には「爰(ここ)において行幸有べしとて聚楽と号して里第をかまへ」(意訳 : ここに天皇を迎える目的で、聚楽と名づけた屋敷を構えた)とあり、「聚楽」という名称には、天皇を迎えたいという秀吉の強い意志が籠められていることが分かります。
 さらに、「誠に長生不老の楽を聚むるものか」という記述があり、さり気なく命名の由来の核心に触れています。・・・しかし、この「長生不老」はどうやら秀吉の造語らしく、どのように解釈するかが難しいところです。(似たような語呂でも、「不老長寿」とは違うでしょう。それでは天皇行幸と意味がつながらなくなってしまいます)

 思うに、秀吉は聚楽第に後陽成天皇を迎えて行幸の盛儀を行い、戦乱の中で断絶しかけていた舞楽も再興しました。また、この時期に臣下に加わった大名たちの謁見も多くが聚楽第を舞台とし、その際に行われた豪華な饗宴、あるいは侘び数寄の茶会、能や舞といった芸事、さらには室内を飾る狩野永徳の筆による障壁画などは、いずれも当時の最高水準の文化によるもので、秀吉はこれらを融和の材料として天下統一を仕上げてゆきました。
 至高の文化を結集して、天下泰平を推し進める。「楽しみを集める」の意味するところは、この辺にあるのではないでしょうか。

 天正19年(1591)、秀吉は関白職とともに聚楽第も甥の秀次に譲ります。しかし、やがて秀吉に実子・秀頼が誕生したことで秀吉・秀次の対立は深刻化してゆき、文禄3年(1594)秀吉は秀次を高野山に追放し切腹させました。そして文禄4年(1595)、秀吉はまるで秀次の痕跡を地上から抹消するかのように聚楽第を破却し尽くしてしまいました。

 現在、聚楽第の跡地はすっかり市街地となっていて、うっかりすると素通りしてしまうほどです。でも少し注意して歩くと、聚楽第や大名屋敷の跡を示す石碑を見つけたり、「山里町」「高台院町」といった町名に聚楽第の名残を感じることもできます。


 <※山里町は茶室を設けた山里曲輪に、高台院町は秀吉の妻おね(高台院)に由来すると言われています>


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