古稀を過ぎた主夫の独り言日記

主夫の独り言
やれるまでは小学生とサッカー
合唱は再開しました
アフリカの想い出

ゆめ、あとがき

2019-11-24 08:06:58 | エッセイ
まえがきのあとに、また『まえがき』があった
じつは『序章』とするつもりで間違えた
そんなことはどうでも良い

私は夢から覚めて6畳間に一人寝ている
薄明かりがあるが、まだよく見えると言うほどでは無い
部屋には照明の明かりをつけない限り光っている物は無い
最近はどんな家電でも小さな明かりが点いている
これが私には邪魔者である
何も無いことがとても良い
何も無いところで考えるのは本当に自由だ
私の頭がぽつんと置かれている
その中でいろいろな絵が描かれ
いろいろな話が創作される
創造に実態は邪魔者だ
空間だけがあるのが良い
そんなものはあるはずもないのだが
作家たちが物や本がごちゃごちゃに置かれた部屋で創作活動をしていた
そんな場所が良く描かれるがごちゃごちゃも良いのかもしれない
一つ一つが認識されないと言うことは、何も無いのと同じ
そうだ、『夢』を五連の書き物にしよう
最初は前書きで・・・・
全体を頭の中でまとめ上げてから起き出した
6時過ぎ、パソコンのスイッチを入れた
あっ、これだと思った
パソコンが創作の種をかき消しているのかもしれない
と言って、以前のような大学ノートに戻るのも・・・
実は大学ノートにタイトルをつけて5冊が同時進行中でもある
しかし、時間がとれない
私は何をしたいのだ

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ゆめ、その2

2019-11-24 07:37:58 | エッセイ
一時間ほど目覚めた後で、もう寝られないのかな
と思いながら次の夢を見た

また出だしは思い出せない
私が田舎の家のような、それでいて派手な照明の所に居た
家の作りは母の実家の農家特有で
広い畳敷きの部屋が二部屋続き、前は広い土間になっている
人はたくさん居るのだがそれをあまり感じない

私は奥の部屋から土間に降りようとするのだが靴が無い
仕方ないので途中で土間に飛び降りた
その先には人が座敷を椅子にして座っていたからだ
靴を探しながら入り口の方に向かっていく
そんな私を見ても誰も声すらかけない
私自身の実態も有るのか無いのか

座敷を椅子にして座って列を作っていた最後尾には女の子が座っていた
その子に声かけをしている人が居る
「本当に登録していたの?」
「弟はもうパスワードが分かって行っちゃったの」
「パスワードが分からないの?」
「・・・」
小さい女の子がパソコン相手にパスワードを入力してはNGを食らっている

パスワード社会の皮肉
現実の話、私もよくパスワードを忘れる
当然だ
と言って、姿形で認証するのも問題だ
個人情報のなかで姿形まで登録されてしまったらと考えるとぞっとする
網膜だ、指紋だと案は有るが特別なセンサーが必要だ
私は声紋登録が良いと思うのだが
マイクはほとんど有るし
言葉を指定して話してもらえばしゃべり方の特徴もつかめる

夢の中ではそんなことは考えても居なかったのだが
目覚めてからいろいろ考えた


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ゆめ、その1

2019-11-24 07:00:33 | エッセイ
私がそれまで何をしていたのだろうか
突然ステージのような物を見ている
私の視線は観客席の上の方から
けれども私の姿は無い

最初、私の従姉妹が数人出てきて歌を歌った
歌とは言ってもラップのようなもの
内容はと聞き耳を立てると
どうやら名前を羅列しているようだ
しかも女性の名前だけを

60年以上前、九ちゃんの歌がある
上を向いて歩こうのB面
『あの娘の名前は何てんかな』

あの娘の名前は何てんかな~
うしろす~がた~の~素敵な子
手当たり次第で名前を呼べば
まぐれ当たりでかわいい返事
にっこり~ぼ~くに~振り向いて~
あなたとならばどこまでも
って、言う~かどうか判っから無いけど呼んでみな
はなこさん、みどりさん、み~ささん、のぶこさん
ふみちゃん、みっちゃん、まりちゃん、あいちゃん
あれ、ふりむかないや

という歌です
これとは違うが名前を連呼するのは同じです
最初は従姉妹たち、続いて娘たち
近くのどこそこに何ちゃん、何ちゃんがいるよ
そんな歌詞が続くにつれて、私の視線はついにステージに
すると派手な化粧をした人がそれに続けて歌います
私の耳には娘の声で「何々ちゃんのお母さん!!」
「ありがとうございます」と挨拶
それで夢は覚めました

マッチメーカーおばさんが居なくなった現代
こんな形で近所の年頃の子を紹介するのだろうか
いや、息子に嫁さんを紹介しようとしてくれたのかな
30過ぎても結婚しない、結婚できない人が増えているからなぁ
何かしないといけないのかな


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ゆめ、まえがき

2019-11-24 06:51:13 | エッセイ
多分、夢なんてたくさん見ているのだろうが
二つの夢が印象的だった
夢の出だしはいつも分からない
子供の頃の夢はまず白馬が舞い降りてきて
それに乗って夢の世界に旅立つのだが
今は突然夢がやってくる
昨日の夢もそうだった

この二つの出演者は最初は身近な人が多かった
二番目は知らない人だけだった
ただ、共通していたのは二つとも現代社会を表していることだった
最初の夢を忘れてはならじと一度は覚醒した
その時はまだ暗かったが目が闇になれたのか障子を確認できた
二度目の夢で目覚めたときは既に朝日の兆しがあった
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ゆめ、まえがき

2019-11-24 06:36:34 | エッセイ
微熱とはいえ熱が残っているので
一階、六畳の和室で一人寝た
この部屋は照明を取替え手元スイッチが使える
布団に入り電気を消すと見事に暗い
この暗さを楽しむために目を閉じた
秋の虫もいない今は静かだ
メロディークラクションを鳴らし
排気音を馬鹿のようにふかしたり、弱めたりするバイク乗りも通らない
この静かさも楽しもうと音に集中した

すると不思議なことにいろいろな音が聞こえている
母が言っていた耳鳴りとはこれだろうか
電子音のようなジーンとかシュンシュンとかが鳴り響いている
それ以外にも体の中の音
腹の虫が鳴く、歯を噛みしめても音がする
布団の衣擦れの音

風の無い雪国で、雪に埋もれた家の中でなら
音の無い事を実感できるだろうか
それとも無響室で寝るしか無いのだろうか
それでも中から出る音は消すことは出来ないなぁ
音の仕切りはどこなのだろう
そんなことを考えながら眠りについた
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会社は変わってしまった、世の中も

2013-02-01 19:06:15 | エッセイ
私は退職してからちょうど1年半
世の中から少し距離が開いてしまった気がする
世の中は、自民党がまた返り咲いた
しかも、二度目の阿部政権になった
アベノミクスとして、日本経済の再建をするという
しかし、

私が思うに、10年以上前から日本の経済は変わってしまった
何か、
それは、会社の考え方が資本家寄りに代わってしまったことだ

それまでの会社は、2番目に社員の大切さを訴えた
ところが、
10年ほど前から私の勤めていた会社も含め
出資者を大切にするべきとの、アメリカ的な経営を模索しだした
これが、日本の慢性的な間違いだ
会社は出資者のためにあるのではない
嘗ての栄光が、このままで、戻ることは決してない
アベノミクスは
虚構

出資者は、その会社が伸びる可能性があるからこそ出資している
それが基本だ
そして、その伸び代から還元されるのだ
それで十分なのだし、出資できるような余裕のある人はそうした確実な見返りで充分なのだ
働く社員に最大限の還元をし
ほんの少しの比率、ではあるけれども、多くの金額を出資者が受け取る

ところが、今のアメリカ的出資者は経営の中心に入り込み
出資者にこそ、最大限の還元をすべきだと主張する
そして、ゆとりのある資本家が甘い液をたっぷり吸うことになる
富める者は更に富み、貧するものはさらに貧する世の中になってしまっているのだ
この流れは今のままでは決して変わらない
変わらないことは、政治家にとっては嬉しいことだ
言っておこう、政治家は貧する者の側に立つことは決してない
もし、あるとしたら日本共産党くらいだ
経営者も貧するものに味方することはない
何故なら、
政治家も、実は資本家であり、出資者であるから

出資者が、会社も・政治も・世の中も牛耳ってしまっている
我々、庶民が出る幕はないのだ
このことを、若者はなぜ知ろうとしないのだ
窮する若者
窮する老人
この責任の半分は若者にある
そして、半分は老人にあるのだ

老人は、考えることが:面倒になって来てしまっている
だから、今まで通りの政党を支持する
その、隠れた仮面を知らずに、老人は支持しているのだ

私は知っている
老人の言葉を
「自由民主党が今の世の中を良くしてくれた」
「だから、自民党を支持する」
この形の支持が多いのは驚きだ

私も、自民党の支持者であった
池田勇人首相の「貧乏人は麦を食え」
この言葉は、私の胸を打った
この言葉の裏には「世の中を変えるのは君たちだ」
という、強いメッセージがあった
そして、日本という国が伸びる要素が無限大にあった

昭和30年代、40年代と日本は伸び続ける
その時の夢を老人は懐かしく思い、まだそれが続くと勘違いしている
しかし、
残念ながらこの時代は日本には二度と戻らない

若者の間違いはどこにあるだろうか
それは、政治に参加しないことだ
よく聞く言葉、「俺たちに、何ができるというのだ」
「俺たちは年金なんかもらえないんだから、支払いたくない」
「どうせ、同じだから投票する意味はない」

言おう
若者がやらない限り、何も変わらない
昭和という時代も
明治維新という時代も
世の中を変えてきたのは、若者だ

若者の奮起を願う

資本家になる前に、若者として振舞おう
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キリマンジェロ登頂(アフリカ)

2012-07-13 21:46:57 | エッセイ
派遣されて最初の夏休みにタンザニアに行きました
1979年のことですので記憶が消えつつあります

ダルエスサラームで友人の家に泊まり、
翌日、ダルエスサラームからバスでモシへ
モシで1泊し、早朝、バスで登山口へ

案内人がいないと登れないと分かり、案内人を物色
一人で登ると、ずいぶん高価なものになるな・・・
その時、私と同様に案内人を探している一人の男
目があって、すぐさま合意したのはスイス人
二人で案内人を見定め、案内人のアドバイスで食品購入
水や食品は全て案内人が運ぶ

巨大なシダ植物に驚きながら
初日に3777mのハット(山小屋)まで歩く
晩方到着し、案内人は食事の支度開始
本日の山小屋の住人はオランダ人5名とドイツ人3名、我々スイス人と日本人
そして、案内人の3人が今回同じ日程でキリマンジェロに登る

3日目、雪の降る中、アタックハットに到着し、食事を取り早めの就寝
ピークまでは残り数百メートル
夜中、決められた時間に起きてきたのはスイス人と私だけ
オランダ人もドイツ人も高山病で動けない
結局3人でピークを目指し、登山開始

ピークまであと数百歩のところで、私の足も動かない
案内人とスイス人に励まされながら、一歩一歩歩いては止まり、止まっては歩む
何とか日の出前にピークに到達、太陽を見たらようやく力が湧きだす
そこから眺める氷河も感動

下るときは、ガラ場を一気に転げるように走り下山
全行程4泊5日
登山口でピーク登頂のサーティフィケートを受け取り、皆とさよなら

帰りのバスの中、一番後ろの席で私は一人眠りこけた
下車した時には愛用のカメラが見当たらない
スイス人と一緒にピークで撮った写真は、残念ながら無い
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パニッシュメント(アフリカ)

2012-07-11 17:07:55 | エッセイ
ミトゥンドゥセカンダリスクール
ボーディングスクールの生徒は、総じて真面目
しかし、お調子者はどこにでもいる
女子寮と男子寮は、建物こそ違え同じ敷地内
9時半消灯で、10時就寝だが
夜這いに行く輩もいた

私が夜勤当番の時、自習時間が終わったあと
何やらざわざわしている
懐中電灯を消して、男子寮へ
黒い影が二つ、女子寮に近づく
後ろから近づき、懐中電灯を点灯する
「フレッドリーバンダとトミーか?」
二人は声を出さず逃げ出す、私は慌てない
男子寮の入口で、しばらく待っても帰ってこない

寮内に入って点検すればすぐ分かること
「フレッドリーとトミーは居るか」
「はい」と返事はあるが、これも想定済み
「返事したものはここに来なさい」
誰も来ない
「分かった、寮長、二人に明朝7時に職員室に来るように伝えなさい」

そこへ二人が帰ってくる
「トイレに行っていたのか」
「・・・はい・・」
言い訳を先に言われて、動揺している
「明日7時に職員室」
「・・はい・・・」
校長に報告して、私は自宅に戻る

翌朝、二人はうなだれて私のところに
罰(パニッシュメント)は便所堀り、一番厳しい罰だ
校長から「今日中に、二人であそこに掘りなさい」
こうして新しいトイレが、学校寮の敷地指定場所に誕生した
トイレのサイズは30×200×200(cm)
これが向い合せ、二つの便所になる
木の枝や草を利用して、囲いを作る女子用の罰もある

私の赴任中に、10カ所ほど作られたと記憶する
利用できなくなると、しばらく利用を中止し、土で埋める
これも罰になる
埋める便所より、新しく出来るトイレの方が多い
だから、寮のトイレが不足することはなかった

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印象を聞くと(アフリカ)

2012-07-08 19:05:50 | エッセイ
私が、アフリカに住んでいた、と知ると
多くの人が、「アフリカはどんなところ?」と質問をしました
質問した人のほとんどが、アフリカに対し偏見や誤った印象を持っていました
30年以上経った今も、あまり変わりがないのかなと思います
そんな時私は、アフリカの印象を「とても素敵なところ」、と話すのです

印象のすべてが誤りではありません
例えば野生動物は、映像でも紹介されているので、印象にそれほどの違いはありません
しかし、その他の印象は全く対照的でした
特に異なるところは
暑い、汚い、臭いという思い込み

暑いですって、
ナイロビは一年中、夏の軽井沢
夏だけ楽しめる軽井沢に比べ、なんと格安なことか
私の住んでいたミトゥンドゥも、とても暮らしやすい気候です
ここ静岡は日本の中でも特に暮らしやすい気候ですが、ミトゥンドゥの方が上

汚いですって、
街の中は清掃係が毎日働いているのでゴミは少ない
先日紹介したリロンゲでは、30年前、清掃係の給与が週14円でした
だから、多くの清掃係がいます
彼らが一番下級の公務員でした
田舎では、なんでも再利用・再使用
だから、田舎でもゴミは出ない
一番多いゴミは、サトウキビの茎
これも最後は燃されて、熱になります
汚れようがありません

臭いですって、
人々は水浴びが好きで、可能なら一日に何回でも水浴びをします
だから、肌がとてもきれい
香水で臭いをごまかす必要は、ありません

もちろん、日本もそうですが、例外はあります
アフリカ人は本当にきれい好きです
30年後の今も、同じでしょうか
早く、確認に、行きたいな~
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スコール(アフリカ)

2012-07-06 16:25:34 | エッセイ
私が住んでいたミトゥンドゥはアフリカ大地溝帯の西側に位置します
赤道よりも南です
標高は1200m、サバンナ気候帯に属します
有名なセレンゲティやマサイマラと同じです

とはいっても、ここは人が住んでいる村なので草原ばかりではありません
バナナ畑やメイズ畑(トウモロコシ)などもあります
煉瓦や土の家も建っています
アカシアの木も生えていますが、なぜかユーカリの木がたくさん植えられています
ユーカリの木は成長が早いので植えたようです
しかし、ユーカリは根が浅いので大変危険です
根こそぎ倒れることがあるのです

話がそれました
雨期になるとスコールが来ます
スコールが来るのを知るのは簡単です
一つは雷
但し、雷を聞いてからでは遅いのです
ずぶぬれになります
雨期には空と風を一日に何度も見るのです

雨雲が遙か遠くから近づいてきます
雨雲の下は煙っているので、雨が降っているのがはっきりわかります
この雨雲が我が家の上空を通るかどうかは大切です
洗濯物を取り込むかどうか決めなくてはいけませんから
雲を見れば何時、どれくらい雨が降るのかもわかります

雨は滝のようですから、しばらくは家に閉じこもりましょう
生徒などは、パンツ一枚になって滝の下に踊り出る者もいます
石鹸も手にしています
でも、雷が鳴ると急いで宿舎に飛び込みます
おどける様に、はしゃぎながら

道路は川になり、緑が萌え出ます
一番好きな季節です
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ニャオ(アフリカ)

2012-07-05 09:47:59 | エッセイ
ニャオ、何だろう
生徒に訊いたり、先生に尋ねたりしてもなかなか応えない
生徒は恐ろしいから訊かないでくれとばかり、両手を前に伸ばしていやいやをする
ニヤニヤする奴もいる

そんなある日、ニャオが出るらしいとの情報を友人の先生から伝えられ、一緒に行くことになった
お化け??

夕暮れ前の野原、突然出るから気を付けろという
その日見たニャオはキリンだった
正確に言えば、キリンの姿をした化け物だ
2~30m先の森から草原に現れた
逃げろ、と言われてその場を走り逃げた
いわゆる巫覡(シャーマン)で、治病や託宣をするらしいが詳しいことは話さない

動物の姿を借りて行うのがこの土地の習いなのだろう
ニャオに捕まったら二度とこの世に居られない
だから、気をつけろ

2年間で、はっきり見たのはこの時だけだった
キリンの大きさは4m以上あった
聞くところによれば、大きな象や
ライオン、カバと大型の動物がどうやら多いようだ
はっきりとは語らないが

儀式を見ることは遂にできなかったが・・・
誰が、何を目的にしてこんな大がかりなことをするのだろう
集団でやっているようではない

翌日、生徒に「ニャオを見た」と言ったら
口の前に人差し指を出して、首を横に振った
ニャオのことを話すのはタブー!!??
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ブンダ山登頂(アフリカ)

2012-07-04 09:37:50 | エッセイ
理数科教師二年目のある日、私は生徒たちに提案をした。
「ブンダ山に登らないか?!」

ブンダ山とはミトゥンドゥセカンダリスクールからほど近い所にある岩山だ。
標高1300m余、とはいっても学校が標高1200mだから、せいぜい100mほどの高さの山だ。
日曜日、呼びかけに集まったのは男子生徒だけ10名ほど。
楽しみで山に登るという感覚は、当時のアフリカにほとんどなかった。
だから、集まった生徒達は先進的感覚を持っていたといってよい。

ブンダ山は、その後首都になる『リロングェ』に出かける時、右手に望む山だ。
どうしてこんな山があるのか、地質学者が興味を持ちそうな岩山なのだ。
多分一つの岩だけでできている、世界中でも大きいほうの山ではないだろうか。
かねてより一度上りたいと思っていた。
私たちは1時間ほど、茶色い砂道の国道を歩き、ブンダ山の正面に来た。
私は、この形がとても気に入っている。
ここからは植林された林や竹藪が続いていた。
ヒヒの群れが私たちを訝しがり、時々吼えた。

そんなことも気にせず、私は生徒たちとバカ話をしながら、ハイキング気分で山肌に取り付いた。
登り始めは何のことのないハイキングで、歌う者、叫ぶ者、いろいろだ。
踊る者もいた。
だんだん山肌は急になる。
いよいよ四ッ足で登ることになったが、それでもみんな陽気だった。
ところが、最後の5mほどになった時、一歩も動けなくなってしまった。
私は全員に休憩の指示を出した。

座って休むことさえできない。
中には岩肌に四つん這いでへばりついている生徒もいた。
少し私は焦っていた。
ここまではそれぞれが自由に登ってきたが、ここからはルート設定をしないと危険だ。
先頭にいた私は全員に、「ここからは私の道を登るように」と指示を出した。
まさにロッククライミングだが、私も素人だ。

指導者として、私は責任を持って、皆を安全に導かなくてはならない。
試み、失敗し、別ルートを探す。
最後の5mを1時間かけて登り切り、山頂に立った私たちは大興奮だった。
私は皆に日本式の万歳を教えて、一列に並び、不慣れな万歳三唱をした。
頂上は意外と広々としており、彼らは広場をアフリカ人のリズムで跳び回った。
「昼飯だぞ~」私は用意した握り飯を一人一人に渡した。
不思議な食べ物を彼らは騒ぎながら食べた。
腹が充分満たされることはなかったが、大いなる満足感を味わっていた。
恐怖後の解放感。
そして、かすかなる満腹感。

私は皆が騒ぎ跳び回り、踊っている間に帰りのルートを探していた。
西側のルートはずいぶん遠回りになるが、なだらかで安全だ。
学校に到着した時、既に生徒たちの晩飯の準備が始まっていた。
学生たちはアフリカンリズムで宿舎に食器を取りに向かった。

私は、一人草原に座り、地平線の向こうに沈みゆく太陽をずっと眺めていた。
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アフリカ、まだ帰ってないな

2012-07-03 23:47:04 | エッセイ
アフリカの大地に立った者は、必ずアフリカに帰る
そうしたものだと思っていたし、今でもアフリカは私にとってあこがれの土地だ

まとまりのないへたくそな文章だけれど
熱い気持ちを思い出した
また、アフリカに行きたいな

燦然と輝く天の川はまだあるのだろうか
南十字星
360度の大パノラマ
ハイエナの遠吠え
癒されたカメレオンやハリネズミ
メイズ畑はどうなっただろう
落花生畑はどうだろう
何本も植えたバラはパキスタン人のチョードリーさんに頂いたものだった
アメリカ人の先生、エジェは今でも元気かな
アブラハム チンサムバは数学が得意だった
みんな立派になったんだろうな
校長はまだ存命だろうか
チブクを飲んだあの居酒屋
回し飲みをしたものだ
地べたに座り込んで
暗い灯の下
眼だけが輝いていた

ミトゥンドゥボーディングスクール
生徒たちは皆真面目で
10時の消灯まで教室の暗い灯の下で学習していた
私は毎日それに付き合っていたな
その後、宿舎に戻ると大騒ぎ
宿直の晩は、懐中電灯を手に叱って歩いた
家に戻ると、翌日の授業のための原稿作り
英語が苦手だから、時間もかかった
想い出せば、きりがない

ディリビーノカヤイーヌ
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アフリカに愛をこめて 3

2012-07-03 23:24:46 | エッセイ
マラウィで学んだこと
 2年間、ここで暮らして私が学んだことは色々ある。なんといっても倹約ということ。日本人の考えている倹約とは一味違っている。いかに使わないかを考える倹約ではない。いかにして利用するかを考えること、それが倹約だ。あき缶一つ、あきびん一本無駄にできない。がらくたとさえ思えるものや、錆びた釘にいたるまで商品価値がある。生徒は鉛筆をもう持てないほどにちびても決して捨てないし、紙は大切にしまっておいて、裏や余白を計算用紙に使うのだ。裏を返せばそれだけ貧困ということだが。
 私もできる限り彼らに近い生活をしようと心掛けたのだが知らぬまにぜいたくになってしまう。食べ物に関しては最も顕著にあらわれると思う。私が隊に加わってから心掛けていることは、余分なものは食べないこと。出されたもので手を付けたものは全て食べること。ところで帰国後、ある食堂で驚いたことがある。特定の食堂だけではないと思うが、なんとまあ残飯の多いことか。箸をつけただけで捨てられたものを見て私は怒りをおぼえ、涙が出た。あまりの裕福さに私たちは感謝することを忘れている。
 私はアフリカで自然の中に過ごした。生まれて初めて収穫の喜びも知った。彼らは素直に自然と共に生き、自然に感謝している。時には自然に泣かされることはあっても。電化製品にかこまれた生活よりも、自然につつまれて生きる方がどれほど幸福か知れない。その自然がある限り、私はアフリカを愛し続けるだろう。そして彼らが私を愛してくれたように、私も彼らを愛するに違いない。
 私がミトゥンドゥを去る日、それは私がアフリカを去るということ。友達が、生徒が、育んだ友情を確かめに会いに来た。私が育てたバラの花がなぜか寂しく見えた。皆に別れを告げて車に乗り込んだとき、思わず涙が溢れた。目に見えない何ものかが、私に戻れ、戻れと言っているようでつらかった。生徒一人ひとりの顔がくっきりと想い出せた。生活の場面場面が脳裏を去った。きっとまた、戻ってくることがある。私は確信を持って予感している私を感じた。
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アフリカに愛をこめて 2

2012-07-03 23:18:00 | エッセイ
ミトゥンドゥの学校
 学校は6クラス、生徒数300余人。日本流に考えれば中学3年生から高校3年生までの4年制だ。ところが年齢はまちまちで、15歳の少年から25歳を過ぎた、一見おじちゃん風の生徒までいる。私が感心したのは、彼らが年齢を問わずお互いに信頼し尊敬しあっていることだ。先生は生徒に対して絶対の存在である。それだからといって教師が楽ということはない。彼らはすでに大人である。彼ら自身で教師を判断する。本当に良いものを良いという眼を、彼らはどこで、どのようにして学習しているのだろう。
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