古稀を過ぎた主夫の独り言日記

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アフリカの想い出

アフリカに愛をこめて 3

2012-07-03 23:24:46 | エッセイ
マラウィで学んだこと
 2年間、ここで暮らして私が学んだことは色々ある。なんといっても倹約ということ。日本人の考えている倹約とは一味違っている。いかに使わないかを考える倹約ではない。いかにして利用するかを考えること、それが倹約だ。あき缶一つ、あきびん一本無駄にできない。がらくたとさえ思えるものや、錆びた釘にいたるまで商品価値がある。生徒は鉛筆をもう持てないほどにちびても決して捨てないし、紙は大切にしまっておいて、裏や余白を計算用紙に使うのだ。裏を返せばそれだけ貧困ということだが。
 私もできる限り彼らに近い生活をしようと心掛けたのだが知らぬまにぜいたくになってしまう。食べ物に関しては最も顕著にあらわれると思う。私が隊に加わってから心掛けていることは、余分なものは食べないこと。出されたもので手を付けたものは全て食べること。ところで帰国後、ある食堂で驚いたことがある。特定の食堂だけではないと思うが、なんとまあ残飯の多いことか。箸をつけただけで捨てられたものを見て私は怒りをおぼえ、涙が出た。あまりの裕福さに私たちは感謝することを忘れている。
 私はアフリカで自然の中に過ごした。生まれて初めて収穫の喜びも知った。彼らは素直に自然と共に生き、自然に感謝している。時には自然に泣かされることはあっても。電化製品にかこまれた生活よりも、自然につつまれて生きる方がどれほど幸福か知れない。その自然がある限り、私はアフリカを愛し続けるだろう。そして彼らが私を愛してくれたように、私も彼らを愛するに違いない。
 私がミトゥンドゥを去る日、それは私がアフリカを去るということ。友達が、生徒が、育んだ友情を確かめに会いに来た。私が育てたバラの花がなぜか寂しく見えた。皆に別れを告げて車に乗り込んだとき、思わず涙が溢れた。目に見えない何ものかが、私に戻れ、戻れと言っているようでつらかった。生徒一人ひとりの顔がくっきりと想い出せた。生活の場面場面が脳裏を去った。きっとまた、戻ってくることがある。私は確信を持って予感している私を感じた。

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