前回の続きです。
東京タワーに登ることはパスして、今回私が最も行きたかったお山、ゴール愛宕山に向かいます。
愛宕山へは整然としたビルが立ち並ぶオフィス街を歩きます。
その途中に2本ののっぽビルに挟まれるように閑静なお寺「青松寺」があります。
都会のど真ん中、オフィス街にこんな堂々とした山門を構えるお寺があるのですね。
曹洞宗の禅寺で、座禅会も開かれているとのこと。
愛宕通りの喧騒をよそに境内は静まりかえっていました。
いよいよ愛宕山!このお寺のすぐ隣にあります。
愛宕山は山手線内にある天然の山としては最も高く、標高26m。
この愛宕山で有名なのはこの階段!そう!愛宕神社の出世の石段です。
傾斜40度86段。段数はさほどではありませんが、傾斜はかなり急です。
登ったかって?いえいえ私は当然のこと、夫Aさんももう出世には関係ありませんから、
お隣の緩やかな女坂を上がりました。
下から見上げるとそれほど急には見えません。でも、上から見下ろすと背筋が寒くなりますよ。
高松藩士、曲垣平九郎がこの急階段を馬で駆け上がり、
将軍家光に梅の花を献上、称賛されたという話は有名です。
ちなみに右隣の階段が女坂。こうして比較してみると男坂の急傾斜が分かります。
愛宕神社は江戸時代に徳川家康公の命によって、防火の神様として祀られたそうです。
しかし皮肉なことに、江戸の大火、関東大震災、そして東京大空襲と三度も焼けています。
防火の神様も神社を護ってはくれなかったのですね(汗。
ここを訪れるのが愛宕山に上がりたい大きな一つの目的でした。
NHK 放送博物館!(残念ながら館内は一部を除いてほぼ撮影禁止)。
偶々ですが翌日(16日)、「ブラタモリ」でこの放送博物館が登場。
丁度見学してきたばかりであっただけにその内容に興味津々。しっかり復習できました。
全て実際に見学したものですが、以下の画像は昨日の「プラタモリ」の画面を撮ったものです。
日本でラジオ放送が始まったのは1925年(大正14年)だそうで、その当時の鉱石ラジオ。
夫Aさんはこれを見て、小学生の頃、鉱石ラジオを作ったな~と感慨深げ。
当時男児にはとても興味のあるしろものだったようです。
ラジオ番組も初めのうちは娯楽が中心でしたが、
2・26事件をきっかけに、ラジオ放送が報道の役割を持つようになりました。
1936年の2・26事件の折のラジオから流れる「兵に告ぐ」の実録もここで聴くことができます。
とま~こんな風にラジオ、テレビの歴史の数々を知ることができ、実に面白かったです。
歴代の大河ドラマ、連続テレビ小説、「ジェスチャー」や「私の秘密」!ちょっぴり興奮しましたよ。
子供の頃のお茶の間風景ですね。我が家もこんな感じだったような。
テレビでは「ジェスチャー」が映っていました。小川アナウンサー、懐かしいですね~。
一見の価値ある博物館だと思います。入館料は無料。
東京のど真中を歩き、まだまだ自然の残る緑の多い都心に改めて感動した1日でした。