遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
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2021.3月東京ハイカイ録 その2

2021-03-29 17:18:12 | 展覧会
さて今月二度目の東京ハイカイ録。
今回は3/26金曜日にお出かけでござる。
この日はもともと休暇を取っていたのだけど、そこへありがたくもTakさんから東京藝大美術館のブロガー内覧会のお誘いが来ましてね、お受けしました。
というわけで青天白日の下、東京へ向かう。
新幹線が静岡過ぎたとき、運転手さんが富士山が見えますと案内が入る。
ああ、綺麗ね。均整の取れた富士山をぱちり。

そういえば先週の帰りの新幹線はN700Sという最新号で、座席全部にコンセントがついていた。椅子はまだ固いけど、色々新しくなっていてこれからはこのタイプが主流になるのならよいなと思ったよ。

東京駅につきまして、小川町経由で東府中へ。笹塚乗り換えがいちばん気楽。新宿乗り換えは凄いニガテなの。
調布まで準特急、それから普通に乗っていくと菜の花畑も見えて綺麗だった。
府中。自衛隊のところの桜もキレイし、公園は桜並木だけでなく黄色い花も綺麗。
いいなあ。


府中市美術館、恒例の春の江戸絵画祭。今年は与謝蕪村。上方のわたしには親しい絵師・俳人だけど関東では数年前の「若冲・蕪村」展くらいしか大掛かりなのないから、期待は大きいのではないかな。
感想の詳細はまた後日。なるべく早くしたい。たぶん蕪村はわりに早く書けそう。
ミニ屏風拵えました。

時間の都合で常設を見ずにそのまま駅へ向かう。初めて中華の食堂「スンガリー」に入る。
丁度一時過ぎたところなので逆に空いていた。最近はこの辺りもだいぶお店が増えてきたね。
具が多いおかずでした。わたしはご飯少ない目たのんだら10円割引に。
また次も行こう。

乗り継いで今度は九段下経由で竹橋へ。
2時半からの予約に従い、東近美「あやしい絵」展へ入る。
今回かなりの作品の撮影が可能なのにも「ををを」になったね。
作品のチョイスもいいが、先行して刊行されている長谷川Q蔵さんの「あやしい美人画」本とラインナップがやはり等しいところがある。あたりまえだわな。
弥生美術館からもたくさんの作品が来ていたし、上方の画家たちの作品が多いのや青木繁コーナーがあるのもよかった。
清方「妖魚」「刺青の女」、甲斐庄楠音「畜生塚」、青木繁「大穴牟遅命」が同じ会場にある、と言うだけでもドキドキするよ。

少しばかり北の丸公園を散歩。乾門にもちょっと立ち寄ったり。

桜、椿、サツキが咲いているのがよろしい。
もう閉鎖された工芸館…旧近衛師団司令部庁舎を眺め、それから戻る。

竹橋から日本橋経由で上野の9出口、パンダ橋を過ぎて藝大美術館へ向かったが意外に時間がかかったな。
わたしの足がイマイチなのも理由の一つか。
近年少しずつ人気が高まりつつある渡辺省亭の展覧会。
わたしもまだ美術ブロガーとして認識されているようで、ありがたく参りました。

虹さんにお会いしたけれどマスク越しでお話がままならぬのも淋しいものです。
しかもわたしのつけ方が悪いのかイヤホンガイドが全然挟めない。おかしいなと思ったら、マスクに擦れてたのか、耳の後ろが怪我してるじゃないの。…あっ某薬の後遺症でのあちこち出血の一端かも。

思えば省亭の作品を最初に知ったのは迎賓館の七宝焼きの花鳥画装飾からか、奈良そごうでみた展覧会からか。どちらにしろ80年代末から90年代初頭の話だよなあ。
近年は加島美術さんが力を入れて推しておられるが、やはり綺麗なものを見ると心が浮き立つよ。
機嫌よく拝見いたしまして、Takさんにも久しぶりにご挨拶したり、あべまつさんにも再会できたり。
だけどタイムアップ。皆様さらばー。


上野駅で崎陽軒のシウマイ弁当購入してから大丸寄ったり色々する間に新幹線の時間。
…めちゃくちゃぴったりやったな、我ながらこのタイムテーブル。
あとはもう機嫌よく乗って帰るしかないけど、けっこう混んできてて、状況としてはどうなんやと思いつつもまあ22時過ぎには帰宅できました。
多忙を口実には出来ないけど、なんとか全部感想を早い目に挙げたいと思う遊行でした。

「前田利為 春雨に真珠をみた人」

2021-03-28 23:18:40 | 展覧会
例によって「既に終わった展覧会だが」で始まる感想である。
目黒区美術館で「前田利為 春雨に真珠をみた人」展を見に行った。
3/21までで3/20に行ったのだからこれはもうどうしようもない。
名前からわかるように「前田利為」という人は加賀の前田の殿様の裔である。
本人は幼少の頃に分家から本家に養子として迎えられ、長じて陸軍に入った人である。


加賀百万石の前田家は文化への深い理解と愛情があった。
政治的な意図もあったろうが、泰平の時代にそれはいよよ深度を増したようで、たとえば町民も宝生流を嗜み「謡が天から降ってくる」といわれもした。
そのご本家の養子となった利為氏は文化的な前田家の中興の祖ともいえる前田綱紀を尊敬し、自身も二人目の綱紀公にならんとしたようだ。
実際明治末には下村観山に公の肖像画を描かせもした。
利為氏自身展覧会にも足しげく通い、外国でも好みに合う作家に作品を発注もする。
折々の記念には画家たちに画題を与え、作品を作らせる。
気に入らなければ自分の意図を明確にし、文句も付ける。

また、多くの美術品を購入するだけでなくそれを死蔵しようとはしなかった。
かれは「前田育徳会」を創設し、「公益に広く人々に見せよう」と考えたようだ。
これについては今回の展覧会のために作成された第18代当主・前田利祐氏のインタビュー動画にその言葉がある。
熊本の細川家もそうだが、由緒ある家柄で経済的にもゆとりのある御家はそうした働きをする。特に欧州の貴族にはその考えがきちんと身についている。
青池保子さんの「エロイカより愛をこめて」でもイギリスの伯爵は作中でこう述べている。
「芸術家を保護するのは貴族の義務です」
その言葉通り、利為氏も多くの芸術家を支援した。
今回その一端をこの美術館で見ることが叶い、とても嬉しい。

ジャン=バティスト=アルマン・ギョーマン 湖水1894  

一目見て日本人の好みそうな風景画だと思った。わたしはこの画家を知らないが、色彩感覚は児島善三郎に似ていると感じた。いい感じの秋の風景である。
この画家は印象派の一人で50歳になった1891年に宝くじに当たり、以後は画家一本で生きたそうだ。
後で調べると一度だけこの画家の絵を見て感想を挙げている。
エルミタージュ美術館所蔵の『セーヌ川』である。
「艀というのか、ガタロ船と言うのか。映画『アタラント号』を思い出した。ジャン・ヴィゴの映画はこの絵から70年後の風景だった」と記している。
大エルミタージュ展の感想

ラファエル・コラン 庭の隅 1895  三人の美人が庭の芝生の上でくつろいでいる。
布の質感が伝わってくる。春らしい薄物の…コランは良いなあ。三美人がくつろいでいるこの情景がとても優雅なのだよ。
素敵だ。「美」であることの尊さを思う。


ジャン=レオン=ジェローム アラビア人に馬  この絵はたいへん気に入って購入されたそう。倒れた馬に優しく寄り添うアラビア男性。利為氏が軍人だということも関係あるかもしれない。よく走ってくれる馬への愛情と哀惜と。
画家はオリエンタリズムな作品に良いのが多いヒトだが、ヨーロッパだけでなくこうして東アジアにもそのファンはいるのだった。

川の絵が二点ばかり並ぶがどちらも静かでいい。家の中に飾るのにふさわしいし。
額縁も花をモチーフにしてなかかな綺麗。

ピーテル=フランシス=ピーテルス 月光  ドイツロマン派風なオランダ人画家の絵。夜の海。二隻の船の間に月光。
この額縁はアールヌーヴォー風な花と茎の装飾が施されていた。

下村観山 楠公奉勅下山之図 1910  これは注文発注した絵だが人物より笠置の山の中にいる人々を上からのぞく、という構図が気に入らなかったそうだ。
絵としてはいい絵だが、理由を知って納得。
この絵は利為氏の子供の二歳の誕生記念にたのんだ作品なので、これはやはりミスだと思う。応需ならばやっぱり楠公と家来たちをばばーんと描く方が利為氏も喜んだろうし、子供もかっこいいなと思ったかもしれない。

巻物がある。
牛田雞村 鎌倉の一日 1917  本画と小下絵と。どちらも人のいない百年前の鎌倉風景である。そこに一日の時間の推移も織り込まれる。
横山大観「生々流転」のように時間がゆく。
…あっ「生々流転」より先に作られた絵だな、これ。あれは1923年。関東大震災の日にお披露目…
ところで今だと「生々流転」は水の呼吸の型としての方がよく知られてるよね。義勇さん。

吉田登穀 孔雀図屏風 1918  二曲一隻でカプぽい孔雀がいい位置に落ち着いている図。
円山派や狩野派の御大層な孔雀ではなく、むしろアールヌーヴォー風な風情もある孔雀。

エドモン・アマン=ジャン 婦女弾琴図 1922  この画家を知ったのは大原美術館からだから、やはりその時代のパリでいい感じの婦人図だと日本のバイヤーなり画家なりは思ったのだろうね。わたしも実際にかれの描くややぽっちゃり美人さんたち、好き。
チェロとバイオリンと。しかも実際には演奏しているわけでもないのがいい。
ある種のけだるさ、これが魅力。

グザヴィエ・ブリカール 少女海水浴図 1924以前  なかなかの美少女が海水浴用のふんわり帽子をかぶっている。背景はエメラルド色の海。ヒスイ色をもっと明るくしたあの色。
この色を見ると海老原喜之助のやはり海と縁のある女の絵を思い出す。洲之内コレクションの魚入りのざるを乗せた女の絵ね。

動物彫刻三体をみる。
フランソワ・ポンポンの白熊、バンがいる。どちらも1930年で受注発注。
ポンポンと言えば白熊。可愛いなあ。バンは鳥の鷭ね。鏡花の小説「鷭狩」のあの鷭。シンプルな造形で大きめの足。キョトンとして可愛い。

ジャンヌ・ピファール ヒョウ 黒豹。ロデムのような精悍さはない。

ルノワール アネモネ  横長画面に明るくアネモネが咲きこぼれる。

この絵の購入のエピソードが面白い。
利為氏のために現地で画家や画商とじかに交渉する役目を負った岡見富雄という画家の献身がいい。
かれは大原美術館の児島虎次郎のような役目を担っていたのだな。
その岡見富雄の油彩画もある。
利為氏は彼を使者として働かせるだけでなく、画家の本文も支援した。
前田家の遺族の為に画家も作品を拵え続けたそう。

ここから日本画

栖鳳 南支風色 1926  中国のとある町の情景を切り取る。あの個性的な形の橋を子豚ちゃんたちが走る。酒飲むのもいれば働く人もいて、和やかな日常の1シーン。
これはやはりいいなあ。


前田家という名家を養子として継いだ利為氏は生まれながらの跡取りの人たち以上に「前田家」の価値について深く考えていたと思う。
近代住友家の中興の祖たる春翠・住友友純は徳大寺家から養子に入るや熱心に実業と文化の庇護者として活躍した。
どちらも本当に立派な方々である。

さて前田家は武家の家柄であるため様々な武勲やそうした逸話を伝える家系であった。
先祖の勲しを絵に、と考えるのは洋の東西を問わず考えるもので、欧州では特にお抱えの画家たちに肖像画と共に先祖の功績を描かせてきた。
利為氏も無論その例に漏れない。

これらは前田家のご先祖の事件を描いたもの。
川邊御楯 末森赴援画巻 1903  
邨田丹陵 高徳公赴末森城之救援図 1927
邨田は歴史画の上手。金毘羅さんの富士の間に富士山を描いたり、二条城での大政奉還図を描いてもいる
そして外国人のお客さんが来たとき、利為氏は木下杢太郎にその事績の通訳を頼んだが、彼は興味がなくて簡素な説明しかしていない。その顛末を自作「宝物拝観」に加工して発表している。

堂本印象 春遊図 1927  長女の生誕祝の為の絵。さすがに印象は心得ていて、春の野を遊ぶ貴婦人とおかっぱの幼女とを絵巻の人物のような描線と淡彩で表現している。

利為氏は同時代の先鋭的な作品は嫌いで、やはり美しいもの・愛らしいものを愛する人であった。
それだけにこうした祝絵はその方向性に向いたものでなくてはならない、とわたしも思う。

永井幾麻 葛葉物語 1940  「恋しくば訪ね来てみよ 信太なる和泉の森の うらみ葛の葉」のあの信太妻の話である。
哀しい物語は多くの人が描きもし、語りも継いだ。
ここでは葛の葉狐が正体を現し、千年の森たる信太の森へ帰って来たところのよう。多くの狐たちがいる。
図録には別なシーンが出ていて、この狐たちはいない。一期一会になるかもしれないが、この絵を見ることが出来て良かった。

他にも西村五雲の春の海、山元春挙の富士裾野などがあるが、総じて温厚な作品が揃っている。

面白いものがあった。
下村観山 臨幸絵巻 1931  これは本郷の洋館に行幸・臨幸の様子を描いたもので四巻ある。

麟、鳳、亀、龍と分かれているが、それぞれの様子がよく描けていて、とても面白い。
・お客様を迎え入れるために立ち働く男性たち。階段の綺麗な形がいい。ロビーで何をどう飾り付けるか会話まできこえてきそう。
・やがて来場される貴顕。
・お能を観る人々。加賀の前田家だからたぶん宝生流。
・伝世のお宝を眺める人々

ところで今回この辺りのことをもっと知りたいと調べたところ、こちらのサイトにかなり興味深い記事があった。
東京大学コレクションX その中の「加賀殿再訪」と言うタイトルで本郷の邸宅設計から行幸あたりまでの詳しい資料と、当時の本郷の前田家の航空写真などがある。
そこに記された行幸でのおもてなしについてサイトから引用する。
「明治四三年七月八日、明治天皇は午前十一時十二分から午後五時五七分まで前田侯爵家本郷邸に滞在した。
 邸の中で天皇が目にしたものは、この日のために利為が描かせた日本画(川端玉章「花鳥の図」、荒木寛畝「松林山水の図」、竹内栖鳳「瀑布の図」、山元春挙「保津川の図」)、能楽と狂言(桜間伴馬「俊寛」、野口政吉「熊坂」、梅若六郎「土蜘」、山本東次郎「二九十八」、野村万造「鞠座頭」)、前田家伝来の宝物(西洋館二階の各室および和館奥小座敷に文書や太刀などが陳列され帝室博物館総長股野琢が説明役を務めた)、薩摩琵琶の演奏(西幸吉による「小楠公」「金剛石」)などであった。
 和館の一室には、画家の荒木寛畝、竹内栖鳳、福井江亭が詰めており、天皇が画題を与え、それに応じてそれぞれが「竹鶏図」、「月兎図」、「犬図」を描くという席画の趣向もあった。そして、仕上がったそれらを天皇は気に入り、先の寛畝、栖鳳の作品と合わせて持ち帰った。」


なるほどなあ。これは元は展示図録だったようだが、もう今はなさそうである。それでweb公開されているのかもしれない。
東京大学総合研究博物館、ありがとうございます。

東京帝国大学との話し合いにより本郷の地を東大に売却し、駒場に移動し、生活上の変化を前田家に齎したのは利為氏であったが、これにより経済的な変化も取り入れることが出来たそうで、やはりこれは前田家がよい養子を後継者にしたからこそであり、利為氏の英断だと思えた。

現代では愛すべき文学館となった駒場の大邸宅の図が並んでいた。作者は久保田金僊。米僊の息子である。

かれは京都から東京へ出て日清日露に従軍してその様子を描きもした。日露の図は兵庫歴博にあるようだ。
そして1940前後で利為氏に随行していくつかの絵巻を拵えている。
加越紀行絵巻、能登紀行絵巻、鎌倉別邸風景なども描いている。
わたしはかれの描いたものではこれまでに「細見良氏画伝」を細見美術館で見ている。
そして建築好きな者にとってはこの金僊の駒場御本邸画帖はとても見ごたえのあるものだった。

また設計図面が展示されているのもたいへんよかった。
青焼きのものでタイポが可愛い。

利為氏は最初の夫人と後妻となった夫人と自分とをそれぞれ外国人画家によって肖像画を作らせている。
興味深いことに自分はフェルディナン・ウンベールという画家に、最初の渼子夫人、後妻・菊子夫人はマルセル・バッシェの手に任せている。
やがて利為氏はボルネオでの行軍図を最期に戦死する。2602年つまり1942年のことである。
清水登之が丸眼鏡姿の利為氏の肖像を残している。

展示は絵画ばかりではなく実際に使用されたガラス製品などもあった。

カッティングの綺麗なグラスや瓶が多く、センスの良さを感じさせる。
ワイングラスで面白いのが赤ワイン用のが透明、白ワイン用のが赤グラス。どちらも赤く見えるように設えられている。
それから蓋付カラフェがエリザベスカラーをつけ、胸元にカッティング刺繍の入ったドレスを着た貴婦人の人形のようにみえた。

たいへん興味深く、好ましい展覧会だった。
しかも図録は1200円と言うありがたさ。
良いものを見せて貰えて本当に良かった。
 


2021.3月の東京ハイカイ録 その1

2021-03-23 16:15:06 | 旅行
三月もいつの間にか彼岸に入り、春本番になってきた。
大体むかしから春を呼ぶのは
お水取り
比良八荒
センバツ
この三つが関西に春を呼ぶ。

しかし実は関西より関東の方が春は早く来る。
そこでわたしも日帰りで春を探しに東京へ出た。

久しぶりに品川で乗り換えて目黒へ。権之助坂を降りる。目黒川に差し掛かると、早くも桜が咲き始めているではないか。
ちょっとだけぱちぱち。

公園に入るとクサイチゴなる白い花もあればダンデライオンも地に広がり、ちょっと早すぎるツツジのつぼみもあった。そして大柄な椿さんが咲いてたり散ってたり。

目黒区美術館で前田育徳会のお宝を拝見して楽しい気分になり、お得な図録も購入して、ありがたやと再び公園に出たのは2時間後でした。
こちらの感想はまた後日。

橋を少し行ったところのバス停に来た時、丁度バスが来たので乗る。この坂を上るには膝の具合がよくないので丁度いいんだよ。
それから近くのてんやに入り、桜エビのかき揚げ天丼を食べたね。
鰆やタケノコも食べたかったが、まあいいさ。

今度は原宿へ。工事後の原宿にはこれが初めていつも地下鉄ばかりだったから久しぶり。
人波の仕分けにはこれがいいのだろうけど、それでもあの駅舎は残念ではある。
真向いがディズニーショップじゃなくなってるのも今回知った。
あの千疋屋の過度の三角のところのかばん屋さんもなくなって、次に入るところがないまま…

先月に続き太田浮世絵記念美術館へ。笠松紫浪展の後期展示。今回は図録も購入。
近年こうして川瀬巴水を皮切りに、吉田博、笠松紫浪らの再評価がなされて本当に嬉しい。
前期後期まとめて感想をあげたい。

今回ここで大転換があった。
すっかり忘れていたのだが、国立演芸場や国立劇場の情報文化センターだったかな、あの正式名覚えられない、あそこで見世物展なんよ。飛んでいこう。
半蔵門の6出口はエスカレーターで楽々。
ここが開発されて本当に良かった。横浜の元町・中華街駅の6出口と同じくらい助かる。
おや、銭湯バンデューシュだったかな、休業中か。ジョガーの人に人気のお風呂屋さん。
日本全国のお風呂屋さんを制覇する!の友人が国立劇場の芝居がハネた後に必ず浸かってたなあ。

先に演芸場で明治の見世物・雑技・奇術などのチラシをみる。やはり面白い。今回図録が出ている。2700円。川添裕さんの監修本。みんぱくの「大見世物」展の図録もあるし、幻燈絵がないのでちょっと一旦保留。
わたしが見世物、活人形に熱狂したのはINAXでの細工見世物展とここで見たものたちからなのよな。他にも京都造形大の見世物小屋の展覧会、兵庫県立近代美での「サーカスがやってきた」あとは山脇学園での展示も懐かしい。
そしてセンターに入ると、奥の映像コーナーからまさかの「どんどん節」が流れてきた。
飛んで行ったよ。

駕籠で行くのはお軽じゃないか わたしゃ売られてゆくわいな
ととさんご無事でまたかかささんも ともに達者で折々は便り来たり…

日本の大道芸、として昭和末の録画。
わたしもこれを知ったのはその頃で沢村藤十郎がジョッキーの邦楽番組で録音したのだった。そうそう「蘭蝶」もここから。「明烏」はジュサブローと「生きてゐる小平次」から。
他に七味売りの口上もあって、日本の話芸の面白さを堪能。

ぱちぱちと浮世絵を撮影。これもまとめていずれ。
気分も明るくなって、劇場の前庭へ向かうと、思った通り桜が綺麗。
神代曙という種類の桜や椿もあって華やかでとてもよかった。
本当に往けて良かったわ。

再び半蔵門に戻り今度は日本橋へ。出たらすぐのところで用事終えられてこれも助かる。
そこから地上へ出て歩き出すと、さくら通りもけっこうよく咲いていた。
エドグラン前のスパンアートギャラリーへ向かう。
三原順原画展。
そのエレベーターでご一緒した女性に話しかけるわたくし。
そう、ネットでは自分から話しかけるのは殆どない内気なわたくしですけど、リアルでは全然知らない人といきなり話し出したり、道を聞かれて案内したりとか、すごくよくある人なの。
そしたらその方が柴咲さんだったのでご挨拶を。そして初めてごだまさん、立野さんにも紹介していただいた。
いやもうほんと、ネットで内気で無口でも、リアルではしゃべるシャベル喋る…コロナは怖いのでいい加減にしろ、遊行。
今回も新発見の作品がいくつもあった。それにこの日は三原順命日。初日のこの日に来られた方々のキモチは一つ。
やっぱりちょっと泣く。

タイムアップで皆さんとお別れし、東京駅へ。
なんかもうやっぱりこっち来るのは楽しいわ。
早く前のようになってほしい。
「ああ、早く昔になればいい」
ほんと、その通り。
次の東京ハイカイは26日。四月はわからないのでとりあえずここまで。

花のある茶道具展をふりかえる

2021-03-17 23:58:57 | 展覧会
既に終了したが、逸翁美術館「花のある茶道具」展は本当に最初から最後まで花のある展覧会だった。
わたしは近さゆえの怠惰に負けて最終日に行くという、いつものことをやらかした。

展示される茶道具のうち、最初のいくつかは逸翁が開催した茶会にちなんだ茶道具やお軸などだった。
これはいい経験になる。実際に茶の湯をせずとも楽しめもする。
「見るだけ」ではあるがそこに妄想が加われば、わたしたちも古人の茶会に参加しているも同然なのだ。
茶道具を見る楽しみというのは、つまりはそういうことだと言ってもいいだろう。


昭和20年四月の茶会から。
今府中市美術館で恒例の春の江戸絵画祭りとして蕪村の展覧会が開催されているが、ここからもいくつか出ているようだ。
それでもホームを守る蕪村もいて、今回は「桃林騎馬図画賛」がある。
月下、桃の香る道を往く騎馬の人と従者と。
これには元ネタと言うか本歌があるようで、大方の意味は足元の春泥の半分は散った桃の花だというものだった。
春泥と言うとわたしなどは今東光「春泥尼抄」の尼僧春泥さんが思い浮かぶところだが、ここでいう「春泥」はむろん法名ではなく雪解け・霜解けの後のぬかるみの状況である。
それをこんな雅な呼び方をするのだから、ほんに日本語というものは美麗なりよ。
どうでもいいが、「ぬかるみ」というと昭和の大阪の子供は「ぬかるみの女」「ぬかるみの世界」を思い出すのでした。

元らしい釉薬の濃い目の青磁の瓶がある。牡丹文を貼り付けているがその茎がなかなか綺麗なのである。茎に目がゆく構成なのはアールヌーヴォーによくあることだが、こちらは元のもの。時代も国も超えてこんなことがある。

桜雪吹蒔絵茶器 三砂良哉 昭和  逸翁は古いものばかりを大事にしたわけではなく、今出来のものも愛した。懐石に洋食やパンケーキを供したのもやっぱり逸翁の新しもの好きな面が出ているからなのだ。
表千家十二世惺斎好みというこの雪吹型(薄茶器の形の一)に桜吹雪、金銀入り乱れての美。小さな花弁が一枚一枚様子が違うのも楽しい。


伊羅保片身替茶碗 遠州銘「山桜」 あー中を見て片身替りなのを実感するものの、全くの別な器を継いだようにしか見えないのが凄い。
触ってもいないが掌にざりざり感が伝わってくるようだ。

秋草図風炉先屏風 江戸  武蔵野ではないが芒が穂乱れる中、桔梗などの姿が背後に見える。赤い木枠には黄色のハートや〇などの透かしが入る。これは素敵だなあ。

黄瀬戸耳付花入 桃山  黄土色に近いような肌。形もいい。

桐文蒔絵螺鈿雪吹 伝・山本春正 江戸  桐だけを螺鈿で。17世紀中葉の蒔絵師の仕事。
以前他のも見ている。
わたしは蒔絵や螺鈿は奈良時代のと江戸中盤以降のが好きで、桃山の高台寺蒔絵やキリシタン関連の文物を飾る蒔絵は少しニガテだ。

乾山の可愛い茶碗が来た。
菊絵茶碗 白菊は白泥、葉は銹絵。派手さはないがいいなあ。
銹絵四君子文角違鉢 見込みの梅が特に可愛い喃。

ところで小林一三は山梨県の人で生後しばらくして生母を亡くしている。
若い頃の苦労話・悲しい話は昔の雅俗山荘での展覧会でみたが、せつない。
亡母追善の茶会もしている。
そこでは岡田為恭の蓮図が飾られている。
急須型の銀製七宝花文湯沸も可愛く、インドネシアで見つけた竹筒もいい。
道八の青磁鎬文火入のその鎬文の細さが素敵だ。

近年はサントリーで道八の大きい回顧展もあって、いいやきものが世に出て多くの人に愛でられた。
わたしが最初に道八を知ったのは1990年の金子國義の展覧会以降で、かれが愛したやきものの一つに道八のものがあり、そこから作品を探すようになったのだ。
こういうのは何だろう、感化というのか、好きなものネットワークと言うのか…
鏡花から清方、雪岱、里見弴、有島生馬、とゆくのと同じだ。

さていよいよ
「花のある茶道具」である。
これまでのは前哨戦。

梅と桜。
どちらも美麗。
梅と桜は「花の兄」「花の王」と称されるがどちらも等しく美しく、比べるものではない。
これで思い出すのが岡本綺堂の青蛙堂鬼談の「清水の井」に現れる「梅殿」「桜殿」と呼ばれる美しい二人の話、それから鏡花「風流線」で画家がモデルに思っていた人がたよれなくて困った時に、モデルになった別の美女を評するのにも梅と桜の違い云々と言っていた。

三藐院近衛信尹の梅花帰雁図の斜めに小野通女の和歌懐紙があった。
個人的にこういう配置がとても嬉しい。
元々信尹ファンなのだが、近年大和和紀さんが小野のお通をヒロインとした作品「イシュタルの娘」の作中で、二人をとても魅力的に描いてくれたのが嬉しくてならない。
ますます好きになったなあ。
絵は梅花の上を往く雁の群れ。ワイルド・ギース。
雁は単数ならグースだが複数になるとギース。そしてワイルド・ギースは野生の雁という意味のほかに傭兵の意味を持つそうな。

乾山の白梅図もある。まっすぐ伸びた枝に〇ぽちゃの白梅。可愛い。

梅蒔絵棗 了々斎銘「三千世界香」  銀が酸化したのと赤銅のようなのとで白梅紅梅。

千段巻松梅蒔絵棗 刀の茎を収めるあれと同じような形態。ぐるぐる…

向梅蒔絵平棗 野村得庵好 越田尾山 昭和  これはもう個人の趣味を目の当たりにするわけで、蓋部分にばーんっっと大きく梅。こういうのもいいものだ。

こぼれ梅花蒔絵棗 彫銘「羊」 原羊遊斎  金銀の梅花が散らばる可愛い棗。
やはり羊遊斎の作風が好きだな。


梅鉢文蒔絵大丸香合 チカチカして綺麗なのは銀の酸化による変化のおかげ。
銀のままでいるのもよいが黒ずむのもまた美。
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色交趾額梅香合 永樂保全  蓋部分は茶色系のエナメルでそこに梅に鶯らしい。形までは見分けがつかないがとても綺麗な発色。
周囲は緑の地に白菊、縁周りは紫。交趾の良さに七宝のような煌めきがプラスされていた。
とても可愛い。

梅花文香合 三対のうち 河井寛次郎  これは後で椿、水仙の香合が出てきた。
いずれもいつもの作品に比べて小さいだけに文様もぎゅっと凝縮されていて、愛らしさも濃厚。チラシには梅が出ていた。可愛いなあ。


これは以前は草花絵香合とも言っていた。絵は山岡山泉
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16代永樂即全による乾山写しの槍梅茶碗もある。金、赤、白の梅がいい。
モノクロチラシだが可愛さは伝わると思う。

梅は全般に可愛く、桜は綺麗という分かれ方をしているかもしれない。
そんな認識がある。

桜梅蒔絵香合 江戸  花芯のその蕊の違いで見分ける。花の形も違う。
ここにはないが桃も参加するとまた楽しかろう。

道八の色絵桜花文茶碗、雲錦文のよいのが出ていた。
どちらも桜が咲きこぼれる。
特に前者は色絵とは言い条、白地に薄いピンクの桜で、これも掌で愛でたいもの。

茶箱があった。白木に彩画。千家十職の駒沢利斎の拵えたもので絵は中島来章。幕末から明治初期の円山派の絵師による絵付けというのも良いものだ。
セットの萩焼に土筆が描かれてるのが愛らしいし、こういうのはほんとうにセンスだなあ。

桜蒔絵嵯峨棗写茶器 近藤道恵 加賀のお抱えのひとの作



蕪村、景文、芦雪の菊の絵が並ぶ。菊もそれぞれの個性が出ている。
様々な菊があることで、菊人形を思い出す。
菊人形を思い出すと犬神家が…やめよう。

芭蕉の菊の句の扇子もある。
み所のあれや 野分の後の菊
台風の後でもがんばって立っている菊。

吹上菊香合 永樂保全  ああ、ここにもあったか。置上で拵えた、蓋全体が白菊の香合。胡粉で盛り上がる可愛い喃。
これは好きなんだが、最初に観たのはたぶん茶道資料館でだと思うが…いや、やはりここか。
七年前にも見ているな。当時の感想
花・はな・HANA

基本的にコレクション展の良さと言うのは「再会」だと思っている。
七年ぶりに会えた作品が今回の展示にたくさんある。
そして再会の喜びと共に新たな恋も生まれる。

色絵乾山写菊花文茶碗 15代永樂保全 明治―昭和  近代の作品の優品 光琳菊の群れ

個人的にはこういうのがいいな。いい感じ。


こっちもいい。


椿の可愛いのも色々出ていたが中でもよかったのは青貝で椿をこしらえたもの。明の香合。
欲しいなあ。

道八の紫陽花文鉢もある。これはもう今でもすぐ使いたくなる鉢。内外に紫陽花。

錦手蘭文鉢 初代須田菁華 明治―昭和  アールヌーヴォーの影響を受けたと思う蘭の描き方。縁と見込みに咲いている。

黒織部菫文茶碗 桃山  黒織部だから白地部分に慎ましく鉄絵で菫が咲いている。

桔梗絵鉢 永樂妙全・松村梅叟画 明治―昭和  濃い灰というより茶に近い、阪急のマルーンカラーより少し薄い色。梅ねずみ色というか工業でいえば26番の色。そこに白い桔梗。綺麗。

今回もいいものをいっぱい見せてもらってよかった。
次回の展覧会は早い目に行って早めに挙げたいと思います。


分離派建築会100年展を振り返る

2021-03-04 23:01:38 | 展覧会
京都国立近代美術館で分離派展が開催された。
正式な名称は「分離派建築会100年 建築は芸術か?」




分離派と言えば真っ先に思い出すのが山田守なのだが、無論彼一人ではない。
今回は始まりから発展的解消、その後を網羅した素晴らしい展覧会だった。
ここに来る前は汐留で開催され、随分と好評だったが、コロナ禍のために東京へ出るのをやめて京都で待っていた。
だから比較は一切できない。わたしはわたしの見た京都国立近代美術館での分離派展の感想を好き勝手に記すのみだ。

金曜に出向くと、空いていた。
コロナのせいか曜日のせいかはわからない。ただ、おかげで存分に楽しめた。
そして平日の特典で山田守のお孫さんのY田Y子さんのマンガももらえた。
実録エピソード。面白いことにこの冊子の構造は現行の日本のマンガの大半の形とは逆に、昔々の「リリカ」や「BUZZER BEATER」と同じ左から右へ向かう作品なのだった。

こっちは裏表紙。こっちからめくるとばかり…

三階につくと、最初に現在も残る分離派関係の建造物のパネル展示があり、分離派メンバーの紹介もされている。
そして彼らの宣言文の朗読などが流れている。
ここは撮影可能なので現在の様子を捉えたプロの方の写真を写す。

分離派メンバー


若林勇人さんと言う方の撮影された写真群である。












何か物言いだけな千住の電話局、可愛い。



これのみ別な広告資料から。

展覧会の狙いについてサイトにはこうある。
「大正時代、日本の建築界に鮮烈なインパクトをもって現れた新星たちがいました。日本で最初の建築運動とされる分離派建築会です。大正9(1920)年、東京帝国大学建築学科の卒業をひかえた同期、石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守によって結成され、その後、大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象が加わり、昭和3(1928)年まで作品展と出版活動を展開しました。
 2020年で結成から100年。本展は、図面、模型、写真、映像、さらには関連する美術作品によって、変革の時代を鮮やかに駆け抜けた彼らの軌跡を振り返ります。分離派建築会が希求した建築の芸術とは何か。日本近代建築の歩みのなかで果たした彼らの役割を、新たな光のもとに明らかにしていきます。」



分離派とはまた全然違うところで辰野金吾の拵えた建物を集めた絵画が出ていた。
後藤慶二 辰野博士作物集図 1916(大正5)年 油彩/画布  辰野家に伝わる洋画である。
個人的なことを言えば、この絵を見ると今は亡き美術ブログ界の長老・とらさんを思い出す。
とらさんはご自分のブログでこの作品を取り上げておられた。
わたしも当時その絵の出た展覧会について記している。こちら。
東京駅 100年の記憶 /東京駅開業とその時代

さて朗読をじっくり聞く。
これがもう何と言うか不思議な感覚が生まれてくる。
どなたの朗読かまでは知らないが、白い空間にひびくその声が妙にこちらの神経の根源を揺さぶり、不安な気持ちにさせる。
意図的なものなのか、わたしが勝手にそう感じているのかは別として、長く聞いていると危ないと思い、逃れる。しかし声は追ってくる。声に追われながらも意味を掴めない距離にまで行くと、展示が始まっていた。


だがその前に映像に向かう。
昭和の記録。豊多摩監獄が取り壊される前の最後の全編記録。
監修:藤森照信、東京大学生産技術研究所 | 協力:中野刑務所、後藤一雄、豊多摩(中野)刑務所を社会運動史的に記録する会
|音楽:山口保幸 | 制作:萩原朔美、中野照子、新谷祐一、原田 親、河合伸弥 
THE DOCUMENTS IN THE TOYOTAMA PRISON 撮影:1983(昭和58)年
おお、藤森先生がお若い。1983年か。この年に確か京都で建物調べたりなんだかんだして、それが本になったねえ。今もよくあの本を読み返します。

なんかすごいものを見てるよ、これは。
一つの建物の記録でもあり、その建物が何の目的で作られたもので、どういった人が利用したか、そのことを踏まえてこの映像を見ると、漫然と見てはいられない。
凄いな、としか言いようがない。
そして全景や大まかな外観だけでなく細部にわたっての撮影。素晴らしい。
見るうちに何やら圧倒されてくる。
えらいものを見ているなあ…
ただ残念ながらわたしの時間配分が不足しているので、30分ばかり見たところで去る。

ふと気づけばカケラの展示があった。
旧豊多摩監獄の煉瓦片 採集:1983(昭和58)年、一木努 レンガ 一木努氏
あっとなった。これはあの一木さんのコレクション。すばらしい。
これを見て今度は藤森先生の本にあった旧豊多摩監獄についてのことが蘇ってくる。
監獄も場所柄で色々あって面白い。

どうでもいいことだが、わたしが最初に監獄に関心を持ったのは間違いなく立原正秋の小説からだった。「冬の旅」「恋人たち」「はましぎ」に現れる少年刑務所の建物へのときめきは今も胸に残る。
そこは「聖堂」だと立原は記していた。


分離派メンバーの紹介、映像に続いて今度は広い空間をパネル割りでそれぞれの章を構成している、その始まりへ向かう。

分離派のなんというか面白味と言うものは全体だけでなく細部にもあると思う。
とはいえその前時代の装飾の美とはまた異なる味わいで、やはりモダンはモダンなのだ。

大きく区分割りされた空間にそれぞれの作品や資料が展示されている。
その中でも卒業制作の図面が非常に興味深く、妙な魅力のあるものが少なくなかった。
それは作品そのものが面白いのか、対象物として面白いのか、両方なのかはよくわからない。
そしていずれも未構築の建造物であることもまた魅力となっているようにも思う。

1920年の作品群である。
・石本喜久治 卒業設計 納骨堂(涙凝れり―ある一族の納骨堂)
・堀口捨己 卒業設計 精神的な文明を来らしめんために集る人人の中心建築への試案
・瀧澤眞弓 卒業設計 山岳倶楽部
・矢田茂 卒業設計 職工長屋 詳細図
・山田守 卒業設計 国際労働協会 大会場
・森田慶一 卒業設計 屠場

いずれも見入ってしまった。
特に納骨堂と屠場が沁みた。たぶん、自分の日常から遠いものだけになお強く惹かれたのだと思う。
どちらも勝手に物語性を付与しながら眺めた。
行きつ戻りつしながら何度も眺めた。
そして他の作品も合わせて自分の脳内で立ち上げてみた。立版古のようなものだったが、それをすることで実感がわく。

ある一族のためだけの納骨堂と言うものは乱歩「白髪鬼」を思い起こさせる。
イタリアの貴族のようでもあるし、また財閥系の墓所をも思い出させた。
過剰ではない程度の装飾もあり、また廊下の長さもよかった。
死者を悼む気持ちと落ち着いて動くこととが同時に出来るような空間だと思えたからだ。

職工長屋は団地のような構造だと思う。
この半世紀前、明治初期の志村喬の育った生野銀山の社宅は平屋の長屋だった。
加古川のニッケの社宅はもう少し後だがやはり長屋、町家風。
これら先行する「職工社宅」と、長崎の軍艦島にあった鉱山で働く者たちの洋風団地との間の時期のものだと思う。
間取りがけっこう窮屈だが合理的ではある。
大阪西本町のマンモス団地とはまた違う面白さがある。

国際労働協会というものは結局用途としてはなんなのか私には今一つよくわからないのだが、とても可愛いドーム屋根と塔があるだけでも好きだ。


屠場。これは作業場、待合室、業者たちの打ち合わせ室などがある合理的な見取り図で、感傷的な処は一つもないといえばないのだが、しかしそれ故に見ているわたしの脳裏には様々な幻像が浮かんでくるのだ。
農業学校を卒業した荒川弘の青春マンガ「銀の匙」、実録ものの「百姓貴族」などでも描写されるそれを思い起こす。豚や牛に苦しみを与えることなくする始まり、解体などが描かれており、百年前と現在とは違うのだろうと、そう思いたいと思いながらこの屠場を見ていた。
神経の問題なのだろうがある種の悪臭が感じられたが、それすらも完全に幻想の産物なのだ。

堀口捨巳 斎場 試案 どこまでも死がまといつくが、作成した連中はとても若かった。
そのことを少し思う。

瀧澤眞弓の山岳倶楽部はとても可愛かった。

これはどこかで見たような感じがあり、やはり俱楽部という性質や場所柄の関係で可愛いのかもしれないと思った。
後日調べたところ、青島の総督府建物に影響を受けたとある。なにやら納得がいった。

ところで今回の展示から初めて知ったのだが、「分離派博物館」というサイトがあり、これがとてもありがたい内容なのだ。2001年から運営されておられる。
こちら
じっくりとアーカイブを楽しませていただきたいと思う。

パーテーションで分かれた別コーナーへ向かう時、なんとなく次元をジャンプするような妙に高揚するものを感じた。
そのパーテーションの外側には関連する写真資料を拡大化したものが貼られている。
これらを見るのも楽しかった。

膨大な展示リストにメモ書きしつつ、先を読むことなく歩く。
たとえばとある空間に入ると、彫刻が並んでいたりする。
ロダン、マイヨール、バルラッハ、アーチペンコなどである。
バルラッハは数年前にここで見ている。2006年か。もう随分前だったのか。

この展覧会のタイトルを今一度思い出す。
「分離派建築会100年 建築は芸術か?」
実用性の高い芸術、用の美、究極の芸術の箱。
わたしはそのように思っている。

模型の中で一番のお気に入り。

滑り台の家というかムーミン・バレーにありそうなおうち。

展示では映像も多く使われているが、外遊先の写真を集めたスライドショーも2本あり、こちらもとても面白かった。
その当時のヨーロッパの風景や人々の姿、流行などがよくわかる。大切な記録資料でもある。

平和記念東京博覧会 1922 分離派建築会のデビューの場
その図がとても可愛くて好きだ。

パビリオンの建造に携わるメンバーたち。

ところで1コーナー関東大震災で、映像を見たのは多分初めてだった。意外なことである。
みておけてよかった。

都市文化から離れて農村へ向かう。
田園をテーマにした建物。

モダンな田園生活。1926

佐藤春夫「田園の憂鬱」は1919年刊行だった。
作品の冒頭にこれから住まう家の描写がある。
初読の頃は中学生だったので建物にあまり興味を持たなかったが、今再読するとこの建物もなかなかに面白いのだった。

都市での公共的な建造物を手掛けるようになるメンバー。

東京朝日新聞社 これは内部なのか。

ちなみに2020年に開催された竹中工務店400年の歴史の展覧会で大阪朝日新聞社の写真が出ていた。
こちらも同時代か。

現存する旧西陣電話局と聖橋


以下、かつてわたしが撮影した写真と別な展覧会の感想の内容を転載する。
1921 西陣電話局 岩元禄 「ガイスト・シュピーレン=精神の遊戯」を標榜した岩元の傑作。今見てもかっこいい。樂美術館へ行くときにいつもその前を通る。これについてはかつて記事に挙げているので、そちらへどうぞ。イメージ (11)いよいよ山田守の登場である。・1925 東京中央電信局 かつてのそれは表現主義的な様相を呈していたようで、その時代を感じさせる。たいへん面白い。残っていたらさぞ・・・・1929 千住電話局 今でも元気な建物。わたしも以前に見学に行った。スクラッチタイル貼りの楕円形の素敵な建物。イメージ (12)

元に戻る。

かれらは家具などもこしらえてあり、それを見るのも面白い。
大体建築家の拵える家具は建物と関係性が深いのでそれをみるのもとても楽しい。
改めて「用の美」を思う。

最終章へきた。

ああ大阪四ツ橋にあった電気科学館…
手塚治虫の作品の他にも今江祥智「兄貴」にもこの建物が重要な会話の場として登場する。
戦時中、兄弟は兄貴の所蔵する膨大なクラシックレコードを疎開させることについて話し合うのだ。
わたしはここで初めてプラネタリウムを見て感動した。
そして最後の日々を撮影したが何故かそのフィルムが行方不明なのだ。
この建物自体は1994年頃までは確かにあった。一時大阪の図書館が閉鎖中にここが代替として使われていたのだ。
そのときわたしは「覇王別姫」の小説版を読んでいるので記憶は確実だ。

とても面白い展覧会だった。
自分の遅筆でこうした振り返りになったが、多くの人がいかれたようでよかった。
最後に。

冒頭の若林さんの撮られた聖橋写真である。
何も知らないうちからこの橋が好きだった。
深見じゅん「むぅぶ」では、聖橋の手すりに祈ったことで不思議な生命体「むぅぶ」と出会う女性が描かれている。
この橋には確かにそんな魅力もある。
コロナが収まればまた聖橋にも行きたい。
楽友会館にも。
分離派の聖地巡礼をするのだ。
その日がとても楽しみなのだった。