遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

思い出の笠置館

2022-06-06 12:46:24 | 近代建築
昭和の北摂の小学生は林間学校に笠置へ向かうところが多かった。
そんなに遠くはないが、離れている山間部なのがよいのだろうか。
後醍醐天皇の行在所などもあり、摩崖仏の跡もある。
山紫水明の笠置。
わたしは昭和50年代の小学生なので笠置へ林間学校に行った。
つい先日ツイートしたが、昭和50年代の小学生は、がきデカ、嗚呼花の応援団、八つ墓村の真似をはじめ、破れ傘刀舟や中村梅之助の遠山の金さんの真似もやらねばならなかった。
つまりそんな子供らがわいわいがやがやと地元から遠く離れた笠置について、そこから数キロ先の柳生の里まで歩くのだから、色々トラブルも多かった。

今も忘れないが、歩くのが嫌だと言ったWくんが先生にしばかれて*昭和の子供は体罰当然 、泣き泣き歩いているうち、柳生ならぬ柳の木に登って落下し、肩を脱臼してしまった。
刀で割ったという石に挟まれたアホな子供もいた。滝に飛び込もうとしたのもいる。

まあ色々あって、ようよう戻った笠置館ではなんだかスレッカラシな感じのちょっとカッコいい婆さんがいて、我々を見てニヤニヤ笑っていた。
この婆さんはなかなか印象深く、十年後に再訪したときも元気でいてくれて嬉しかった。

やたらめったら広い旅館だが古くて暗いのがまた怪談にぴったりなところで、わたしはそこで実際クラスメイトに怪談を話した。
大体役回りとして、わたしは怪談係なのだ。
何の話をしたのか今となっては思い出せないが、実はこの頃から存外レパートリーは広かった。

最後の日は前を流れる笠置川で水遊びをし、例の婆さんの指示でみんな並んで婆さんの切ったスイカを食べた。
正直な話、味など覚えてはいないが、今に至るまで「笠置で食べたスイカは美味しかった」という設定がアタマに刻まれている。

それから十年経ち、大学か社会に出たか今となってはあいまいだが、初めて自分で笠置を訪ねた。
友人二人は笠置は初めてだという。一人は堺市、一人は橋本市の住民で、三人で笠置館に泊まると、案外ごはんも美味しかった。
婆さんに尋ねると、今はもう林間学校の生徒を預からなくなったという。
「さみしいですか」
「うるさいのがこなくていいよ。さみしいのは慣れた」

それで昼間に笠置の街を歩いていると、堺市の友人がコンタクトの水がないと言い、薬局に行ったらなんとコンタクトの水そのものがこの町では知られていないことが分かった。
びっくりしたなあ。大学のクラスメートに笠置からの通いがいたが、そんなこと一言も言わなかった。

その日は笠置山に上ったが、噂の案内猫・かさやんの二代目がいた。
チョコレート色の毛並みの猫で、めんどくさそうに歩きながらも笠置寺の方へわれわれを導いてくれる。
磨崖仏の痕や後醍醐天皇の行在所などをみて蟻のとわたりをくぐったり。
山の上から笠置へ来る関西本線の電車を見下ろしたのもいい思い出だ。
そして下山する時じゃんけんゲームの「パイナップル」をしながら下りて行ったのも懐かしい。
声ばかりで姿も見えないまま、わたしたちはゲームを続けたのだ。

さてそれから更に十年ばかり後に今度はまた別な友人二人をつれて笠置に来ると、なにやら「わかさぎ温泉」なるものが出来ていた。
オープンしたてらしく、綺麗な施設で、小川珈琲が入っている。
わたしは三条小橋の小川珈琲には一度入ったが、珈琲が合わずそれから再訪していない。
基本的に保守的なところがあるので、あまり店を開拓しない。
わたしはイノダコーヒーが最高だと思うので小川珈琲を諦めても苦しくはなかったのだ。
だがここは相楽郡である。洛中ではない。
小川珈琲にその時以来久しぶりに入った。
そして同行の二人も実は前回の三条小橋の小川珈琲に一緒に入ったメンバーだった。

おいしいではないですか。
シロップにメイプルが使われているのを措いても、この珈琲は美味しかった。
結局そこで水の良さが作用していることに気づいた。そうかそうか。

この時にこちらの撮影をしたのである。
客はわたしたちの他はなし。あの婆さんも残念ながらもういなかった。
会いたかったがなあ…

近所に住まうおばさんが食事を作る係と言うことで、朝食は八時にしてくれと言われた。
旅館の風呂も沸してはいるが、わかさぎ温泉に入ったならもういいかと言う話になり、見るだけにとどめた。
なにしろ誰もいない。
二階に上がるにはちょっと静かすぎて怖くなった。
そこでまたわたしは得意の怪談を…←やめろ。

笠置館正面玄関


二階への階段


笠置館のサイド


駐車場


笠置山から見る笠置館


山と川に囲まれている。


川にかかる橋


そして今年初めころ、笠置館が完全に廃墟になったことを知った。
最後の見学もあったようだが参加できなかった。
あとはもう自分のささやかな記憶だけである。
わかさぎ温泉も休業中。
笠置はやっぱり遠い地になってしまった。