「新版オグリ」の四代目市川猿之助フルバージョンをみた。
わたしは本来なら3/22にかなり良い席で観劇するはずだったが、コロナのせいで何もかもワヤになった。
それで松竹が期間限定で無観客上演したのを配信してくれたのをみているわけだ。
「オグリ」について個人的なことを少々記す。
1983年の三代目市川猿之助「当世流小栗判官」を見たのが最初である。
小栗判官と照手姫の物語は旧い大阪の家の子なので、なんとはなしに知っていた。
また手元にある日本各地の伝説集に小栗満重父子の話があり、その話がこの「当世流」の元ネタだと知った。
しかしながら説経節「をぐり」は1985年に授業で学ぶことになり、「当世流」と全く話が異なることを知った。
授業のテキストは三弥井書店から刊行された福田晃の著作と、折口信夫「馬の家の計画と小栗判官」などである。
ここで数種の小栗判官の物語を知った。
更に子どもの頃に特撮ドラマで見ていた「変身忍者嵐」のマンガ版を読んだところ、作者石森章太郎は敵方に小栗判官と照手姫を配していた。
また西谷祥子「HEY、坊や」では毒殺される飼い犬の名前が照手姫とあり、そうした知り方をしてもいた。
1990年、近藤ようこさんが白泉社より描きおろし「説経 小栗判官」を刊行された。
これは説経節「をぐり」を忠実に再現したもので、たいへんよい作品であった。
1991年、ついに三代目市川猿之助がスーパー歌舞伎「オグリ」を演じた。
梅原猛の脚本で、この初演を楽しみに新橋演舞場に行ったが、非常に素晴らしい作品で、翌日にも急遽見に行ったほどだった。
その当時の装束は毛利臣男で、非常に華麗でファッションショーの趣もあった。
南座での上演の際、チケットセゾンで購入した時、そこに「オグリ」の舞台写真がペタペタと貼っていたのを拝み倒して、上演終了後に譲り受けた。
今もそれは大事に保存している。
鏡を多用した演出は当時としては斬新で、群衆の人形振りなども素晴らしく、何度見ても飽きなかった。
歌舞伎役者のみならず、金田龍之介、内田朝雄もよい演技を見せてくれた。
98年に再演の際はその二人が既に鬼籍の人となり、同じ味わいを楽しむことは出来なくなった。
そして再演はかなりの改変があり、冒頭の深泥池の場がなくなり、最初の妻との別離も失われた。
あれは非常に残念だった。黒地に薔薇の大きな縫い取りにビーズを多用した美麗な装束…
あの見事な装束がいつまでも目に残っている。
なお、そのときの配役などは
wikiに出ている。
さて今回の新版では鬼鹿毛の場で、懐かしいものを見た。
支度が出来るまでの間に小栗党の人々が旗を使って踊るのだ。
このように大きな旗を使う演出は「ヤマトタケル」の焼津の場、「リュウオー」の京劇との共演を思い出させてくれた。
この新版ではかなり物語が変わっている。
まず見た目だけでいうと、装束は先のとは全く異なり、極端な派手さはない。
特に武士たちは言えば地味になった。
照手姫の衣裳もとんでもなく派手と言うこともない。
姫を川に流す役目を負った鬼王兄弟の衣裳がロックになったのが面白くもある。
横内謙介脚本はやはりいかにも横内的な展開を見せる。
三代目の下で共に戦い続けた面々は今回の芝居でもよい演技を見せてくれる。
音楽もいい。
照手が親の決めた縁談を蹴り、自分の意思を通すシーンでの音楽がたいへんいい。
非常にアグレッシブなのである。
照手姫がアグレッシブになるのは姫の身分を逃れて、常陸小萩として生きるようになってからだったが、この新版はかなり早いタイミングで自我をはっきりと持たせている。
現代ではやはりそうでなくては観客も納得できないかもしれない。
歓びのダンスシーンのあと、いきなり射殺されるオグリ。
毒殺ではなく射殺なのにはびっくりした。尤もこれは後に分かるが毒矢なのだった。
横山は自己の過ちをこの場で認めている。
これは初めての解釈ではある。
「他人の子を殺して自分の子を活かすわけにはゆかぬ」という倫理観は共通するものの、新版では既にここで「わしは愚かであった」と言わしめるのだ。
この早い段階でのその述懐があることで、最後に父子再会の和解が進むのは確かだろう。
とはいえ、舞台では父子再会はない。あくまでも原典での話である。
次幕、もろこし浦の婆さんをけしかける近所の婆さんがどことなく志村けんなのが泣ける。実際「大丈夫だぁ」と言いながら退場する。志村けん、合掌。
ここでやっと気づくが、照手姫も婆さんもドット柄の装束なのだった。
もろこしが浦の爺さん婆さんの別れは基本的に変わらないかと思ったが、ここで婆さんの述懐が入ることで二人のどうしようもない感情の乖離が露わにされる。
爺さんは無常感を表にしたのだ。
さて地獄である。
役人の動きが蝙蝠ぽいなと思ったら、冠にバットマークが入っていた。この群舞は楽しい。別に日舞でなくていいわけだから。
それにしてもこの地獄の獄卒共の白の装束、特撮の悪の結社のヒトタチのユニフォームぽいな。
照明が巧い。黒と白と赤の差異がいい。
そして銀色の地獄の者たち。閻魔の風体が旧ソ連アニメーションの妖魔ぽいのも面白い。
ここでの問答はかなり違う。
装束だけでなく、根底から違う。
浄玻璃の鏡で彼らの「悪行」を再現されるわけだが、音声だけでというのもいい。
そしてオグリの家来たちがそれぞれ閻魔に物言うわけである。
おお、やはり「ロマンの病」でた。
ここでまさかの大暴れの小栗党。
「地獄も極楽も信じておらぬわー」か。
猿之助さん、オジサンにそっくりなので、それでこれとはちょっとびっくりした。
そう、わたしにはやはり昔の「オグリ」が活きているのだ。
ああ、こう来るか。地獄で人間関係が露呈する。
地獄破りの様子がかっこいい。梯子を使っての外連味たっぷりの芝居が楽しい。
無観客での上演なので、花道を通っても誰もいない…
せつない。
六方で去ってゆく小栗党。閻魔夫婦の話し合いがいい。
「われらも時代に向き合い」てか。
「地獄もまた何かを生み出したい」
おおー壊れた地獄を新たに創りだそうとする閻魔と、その宣言をする夫を「結婚して以来いちばんかっこいい」とほめる妻。
幕がうねるうねる、赤い炎が燃え上がるようで巧いな。
そしてあくまでも白銀の者たちの闘争。
おーすごいすごいすごい、いい動き。連続バク轉。
本水も出た。
やはりこの場はかっこいいな。見た目の派手さが楽しい。
水撒くなよー凄いな。
ばーんっと極まったね。
「思うようにいってまいれ!」と閻魔大王のお墨付きをもらった小栗党。
暗い中、謡らしきものが聴こえる。
これが黄泉返りの道なのか。
いや、旅の僧らしき者が現れる。
青墓の小栗判官の墓へ行こうという。横山修理とのいきさつを語る。遊行上人である。
雷鳴が響き、閻魔大王の出現がある。
魂、鬼火らしきものが飛び交う中、能で使われる囲いが現れ、そこに餓鬼阿弥と化した小栗判官の登場。
なかなかカラフルな取り合わせの布を身に着けている。
「絶望の罰」。遊行上人に欲するのは水を一杯と言う小栗判官。
上人との対話。希望について。しかしそれは気休めに過ぎないという。もしそうであってもよいと思う。
極楽往生を説いてはいても実は懐疑的な上人。
この辺りは完全に新解釈。新版。
「まだ何か大切なことに気づけてはいないか」それを探す旅を続けていると語る遊行上人。
例の「一引き 引けば百僧供養 二引き 引けば千僧供養 極楽往生疑いなし 亡霊供養間違いなし」の札を持つ。
いつの間にか周囲には室町時代の民衆が集まる。
あの文句を歌に載せて歌うのはここでも続く。
前作でもここは感動的なシーンだった。感動、というよりときめくシーンだったというのが正しい。
五枚の鏡が並び、そこから遊女たちが次々に現れる。
江戸時代の花魁もどきのような装束である
働き者で正直者の常陸小萩は遊女たちの人気者である。
女将さんも随分と華やかである。
小萩を見世に出さない理由をもつよろづ屋の人々。
女将さんの方がいい人やがな。要するに働き者であることが小萩への好意を持つことにさせているのだ。
小萩の独白。死んでしまった小栗判官への愛を語るその背後から出現する餓鬼阿弥。
この時点では二人は全く互いを誰かわかっていない。
熊野への旅での安全を気遣う閻魔大王。
そして小萩こと照手姫による旅が始まる。
しっとりした音楽が流れる。
関ヶ原の手前で難渋する小萩。一人で土車を引くのは重い。
すっかり謙虚となった餓鬼阿弥こと小栗判官。
ここで初めて対話がある。
土車に乗る餓鬼阿弥に対し、嬉しそうに小栗との恋の話をする小萩。
この猿之助の声が伯父の三世猿之助にあまりにそっくりなので驚いた。
ここでの小萩の髪型は満州族の両把頭のような形だな。
「藤原の正清さま」に衝撃を受けて発作を起こす餓鬼阿弥。
オグリの述懐。小栗判官だと名乗れぬつらさ。
「会いたかった」と身震いするが、ここではもう人の心がわかるようになっているので、嘆くしかない。
そこへ悪人登場。連れ去られかける小萩と暴行を受ける餓鬼阿弥。。
だが、武器を装着した者が登場。
わははははは いきなり「打ち方よーし」てなんやねん!
三河万歳の登場にびっくりだ。
ただし着物に「王」の字模様があることから、閻魔大王の手のものだろう。
旅は続く。
背後でシルエットの群舞。
三日月の下、最後の夜である。
あくまでも優しい小萩。ここでの「かまいません」の台詞や考えは初演の「オグリ」と同じか。
再演の時は多少の絶望を持っていた。
この小萩はあくまでも明るい。薔薇の群れる柄の着物の小萩。
感涙にむせぶ餓鬼阿弥。
「あの世で夫にあったら『よう生きた』と抱いてもらいたい」と言う小萩に「地獄かもしれませんよ」というが、小萩はあくまでも明るく「地獄へも追いかけます」と答える。
黙っーーて話を聞く餓鬼阿弥。
熊野へ何としてもたどり着いてくださいと約束をねだる小萩。
指切りをする。
これは全ての「オグリ」に共通。
ただ、この餓鬼阿弥は指を差し出しかけてためらうが、小萩が自ら指をからめると、泣きながら一瞬手をかけかけて、また俯く。
小萩が相模の故郷の薔薇の花弁をわたす。
そしてここで「誕生日」の歌が流れる。
この「誕生日」の歌は歌詞は共通するが、曲が違っている。
誕生日には赤いまんま炊いて…明日はこの子の誕生日…
慈愛の微笑を浮かべる小萩に抱きしめられて幼子のように取りすがる餓鬼阿弥。
花道を行く二人組は例の札を持っている。
もう小萩は退場したのである。
彼女の願いをうけて「餓鬼阿弥はん」と呼びかけてまあちょっとは引いてゆく二人。
ここではもう餓鬼阿弥は笠をかぶっている。
気さくな浪花の二人組である。
道成寺へ到着する餓鬼阿弥。「道成寺」の幟だけでなく「DOJOUJI」もある。
道成寺の門から現れた僧兵らと群衆が餓鬼阿弥を打ちのめす。
そこへ登場するのがもろこしが浦の爺さんである。
熊野まで連れて行きますと言う。
そこで二人の旅が始まる。
星の夜道を行く二人。
小栗判官であったころの傲慢さを懺悔する餓鬼阿弥。
「一期は夢よただ狂え」と語り、人の世の親切さと無残さとを身をもって知ったことを話すが、既に死を待つばかりとも嘆く。
爺さんもまた自分の人生を語る。
原典ではこの爺さんは婆さんと別れた時点で物語から退場するが、この芝居では必然的な存在として、こうして重要な役として登場する。
親切の権化である爺さんはついに山の中で悪人たちに切り殺されるのである。
そご蝙蝠登場。悪人たちは退場。
這い寄り合う二人だが、爺さんは絶命する。
「わたしを助けようとして」と嘆き、この世の無残さを思い知らされる餓鬼阿弥。
頭を抱えて嘆くところへ小萩の幻が浮かぶ。
「熊野へ」と言う小萩の言葉が蘇り、なんとしても熊野へ行かねばならぬと改めて最後の力をふりしぼる。
厳しい巌を攀じ登る餓鬼阿弥だが、ずるずると滑落する。
だが、「エイサラエイ」の掛け声と共になんとか攀じ登ってゆく。
なんとか登り切ったが、「あの輝かしいわたし」ではないこと、これ以上の屈辱に耐えきれないことを独白する餓鬼阿弥。
背後に人形のように浮かぶ、旅の手伝いをしてくれた人々。
「大王様ーっ」と呼びかける。この命を以て多くの人の幸せを、と絶叫する。
「生きる力を与えたまえ」と強く望む餓鬼阿弥は海へ飛び込む。
輝きの飛沫が飛び散る。
「小栗よ、小栗よ」と優し声がし、そこに金色に輝く薬師如来が。
薬師如来に抱かれる餓鬼阿弥。
病は癒されるだろう、と語る。
閻魔大王と妻とが小栗に与えられた試練について語るが、そこに「かの哲学者・梅原猛も」とオマージュを捧げる。
閻魔大王の呼びかけで復活する小栗判官。
すっかり元の通りである。
歓喜の祈り。
背後の薬師如来から褒められる閻魔大王。
閻魔大王の妻は照手姫のもとへ小栗を運ぶよう言う。
神馬にのる。宙吊り。閻魔の使いの者と共に行く。
ああ、ここに観客がいればさぞや歓声が。
一本角の地獄のものが手綱をとり、小栗は遠見しながら行く。
よろづ屋で「サァソレハ」の皆皆さん。
帰ってきた小萩が国司さまを迎えるのに全員でお掃除をといい、全員でお掃除の舞。
こういうレビューは楽しい。
そういえば国司が来ると知って、初演「オグリ」では「大変なことになった」と女将さんが男性の地声でいい、笑わせるシーンがあった。
国司登場。身なりも立派な小栗判官である。
白塗りの猿之助さんがあまりに伯父さんそっくりなのに感嘆する。
小萩が呼び出される。
「久方ぶりであったなあ」と言われてもわからない。
「誰かに似ているであろう」ではっとなるが、信じられない。
「生きて帰って参ったぞぉ」でようやく小栗判官…?となる。
まだ二人には距離がある。
しかしついに認識し、泣き叫ぶ。
いやここでこの泣き叫ぶ、というのはやはりとても現代的だな。
再会の喜びの中、しみじみと語る小栗。全く傲慢さはなくなっている。
小萩の正体を聞かされ驚く一同。
「世話になった」と手をついて礼を言う小栗判官。
そしてあの薔薇の花弁を渡す。
国司実は小栗判官、小栗判官実は餓鬼阿弥。
この見顕しはわりとサラッとやったな。
指切りをしあう二人。絶叫する照手姫。
「ほめてやる」というのがちょっと笑えるな。
最後の最後に登場する遊行上人。
小栗判官の復活と新たなる人生を言祝ぐだけでなく、小栗党の面々の復活をもみせる。
位置について「この歓びをわかちあいましょう」と歓喜の舞を踊ろうと遊行上人の提案が。
閻魔大王の副官の蝙蝠マークのひとがいない観客たちに踊りを勧める。
歓喜の舞が始まる。
赤い光から青い照明へ。群舞。歌はなし。
衣裳に電飾つけた遊女たち。
電子花弁の舞う中での明るい群舞。
出演者全員の舞。薔薇を咥えたのもいるよ。薬師如来も閻魔大王も舞う。
曲のスピードが増したところで実際の花弁が舞い散り出す。そしてグランフィナーレ。
アンコールで手を振る全員。
わたしも画面に手を振った。
映像だけでも見ることが出来て本当に良かった。
4/19までの配信。