遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

振り返る 1996年に何を見たか (主に展覧会) その2

2020-04-30 01:43:18 | 展覧会
続き。画像は全てサムネイル。
19960706 谷中安規 奈良そごう その1で記したdo!で見たばかりの所へ大量に見ることが出来、本も買えた嬉しさよ。

19960706 ふろしき 思文閣美術館  絵ハガキをたくさん購入。個人コレクター万歳。
19960713 タイの遺跡と民家 コニカギャラリー  例の木の根元に仏顔のを見てヒーッ
19960713 漆 INAX 大阪
19960727 藍の器・祥瑞・呉須 湯木美術館  これがまたよくて絵はがき大量購入。
19960727 常設 東洋陶磁美術館  わからないことを質問したところとても丁寧に熱心に答えてくれはりました。
19960727 桃山・江戸の美-傾きの美 出光美術館大阪  桃山らしい傾いたものが多かった。風俗画も。
19960728 まちかど 平野町ぐるみ博  色々と出歩きました。楽しかった。
19960802 ドールハウス フジタTOY  再訪。素晴らしいものを見た。
19960802 明治の浮世絵師 DO!FAMILY美術館  芳虎、芳幾、芳年が並ぶ。
19960802 浮世絵の月の風情 太田記念浮世絵美術館  「月百姿」など。

19960802 昭和の日本画・2 山種美術館  より近代的な作品が。

19960802 近代版画に見る東京 江戸東京博物館  素晴らしく佳かった。本も買えてよかった。もともとここのショップで新版画の絵ハガキのよいのを総ザラエで購入して新版画の良さを知ったのだが、本当に良かった。

19960803 企業のアートコレクション 大倉集古館  小出の「六月の郊外風景」初見。あまりに惹かれすぎて二時間もこの絵の前を行ったり来たり留まったり。絵ハガキも購入したが現物の圧倒的な魅力には及ばない。不安のについて色々と考える。

19960803 日本画の美 大倉集古館  青邨などいろいろ。
19960803 日本の伝統芸能 東京STギャラリー  これまた素晴らしい。本も買う。非常に面白かった。
実はこの後三之丸の「小栗」を見に行こうとしたが道に迷い断念。
19960804 戦後の付録 弥生美術館  りぼんやなかよしなどのふろくがたくさん並んでいた。
19960804 夢二大正ロマンのグラフィックデザイン 弥生美術館  「婦人グラフ」がたくさん並ぶ。
この日は浅草から三囲神社から言問団子、東向島百花園、𦾔玉ノ井散策から根津へ。
19960804 福田繁雄 日本橋三越  あまり面白くなかった。グラフィックなものをもっと期待していた。
19960813 貝の博覧会 大丸心斎橋  世界中の貝がずらーっ綺麗だった。
この頃の大丸心斎橋は夏になると子供向けの展覧会や博覧会をよく開いていた。
19960825 役者絵の情報発信 池田文庫
19960831 未来都市の考古学 東京都現代美術館  大変素晴らしかった。今もよく思い出す。

何かあるとやはりこの内容を思い出す。
19960831 近代都市と芸術 東京都現代美術館  
19960831 常設 東京都現代美術館

振り返る 1996年に何を見たか (主に展覧会) その1

2020-04-30 01:42:49 | 展覧会
書けてない感想をあげるとかすればいいんだが、とりあえずツイッターで刺激を受けて、古い昔を思い出した。
1996年、当時既にめちゃくちゃに予定を詰め込んで、体力のあるのを幸いにあちらこちらへ出かけた。
この頃はノートに感想やチラシや雑誌の切り抜きをぺたぺた貼っていて、いま読み返しても大体の様子が思い出される。
そのまま出してもいいんだが、わたしが自分の為に書いたものなので、他者に丸ごと見せるわけにはいかない様相を呈している。
それでペタペタ貼ったのをピックアップしてちょこっとだけ書いてゆこう。
誰得な内容だが、こういうのも始めると面倒だが妙に楽しい。
それで画像はみんなサムネイルにするので見たい人は拡大してみてください。

19960106 日本映画のポスター 京都文化博物館  「薄桜記」ポスターが素敵だった。雷蔵さん…
19960114 マグナム・シネマ・フォト 近鉄アート館  キャパを始め当時の名カメラマンたちがシネマを手掛けていたそうだ。わたしは特にジョン・ヒューストン監督「白鯨」に非常に惹かれた。元々あの映画のファンだが、とてもよかった。

19960120 梅原龍三郎 奈良そごう 
19960120 國芳 大丸心斎橋 
19960209 リカちゃんとバービー フジタTOY
19960209 版画 太田記念浮世絵美術館
19960209 浮世絵 DO!FAMILY美術館
19960210 オルセー美術館 東京都美術館
19960210 華宵・未公開挿し絵 弥生美術館  「南蛮小僧」初見。もうときめいてときめいて…
19960210 常設 深川江戸資料館
19960210 女性に寄する展覧会・女性を捉えた美人画・小物 弥生美術館
19960211 線の芸 鏑木清方 目黒雅叙園  非常に良かった。やっと見れた作品も多い。
19960211 八島太郎 いわさきちひろ美術館  「からす太郎」の人、いいパンフ貰った。
19960211 ちひろの赤ちゃん いわさきちひろ美術館  3か月、6か月、9か月の赤ん坊の描き分け…
19960211 伊万里焼と色鍋島 栗田美術館  明治座の隣。今もあったらよかったのになあ。有田焼の名品ばかり。
19960308 春の人形 宝鏡寺  この時偶然同じ猫リュックの幼児を見かけ抱っこする。
19960308 陽明文庫-近衛家の雛 茶道資料館 
19960308 黄金のシカン文明 京都文化博物館  仮面がもう凄くてね。
19960308 衣装人形 京都文化博物館  パラソル持った大正はいからさん人形とか。
19960310 女流作家 池田文庫
19960316 ゴッホと印象派 奈良県立美術館
19960316 琳派 奈良そごう 
19960316 ナント市立美術館 京都市美術館
19960321 高山辰雄 大丸心斎橋  鳩とバラの絵や新作が多かった。
19960406 ブラックジャック 手塚記念館
19960406 北京-故宮 大阪市立美術館  西太后の髪飾りのあまりな豪華さにクラクラ。「大唐長安」のあれと通じるものがある。
19960420 殷周の青銅器 出光美術館大阪  饕餮文が大好き。
19960427 天野喜孝 プランタンナンバ
19960428 シカン文明黄金の仮面 京都文化博物館  再訪。
19960428 須田剋太 思文閣美術館 

当時の思文閣美術館素晴らしかったなあ。この日はママと一緒に行きました。哲学の道の八重桜見て歩いて若王子行ったり。
19960503 大唐長安の女性たち 兵庫県立歴史博物館  唐美人の衣裳の再現などがありこれが素晴らしかった。
残念なのは常設の敦盛人形が無くなっていたこと。あれ以来再会していない…
19960504 創画会 奈良そごう
19960511 大津祭 大津歴史博物館  神功皇后の人形があまりに美青年風でときめいた。登竜門、猩々など素晴らしかった。
19960511 鶴沢派 京大文学部博物館  鶴沢派初見。鶴の絵が多かった。
19960516 常設 NHK放送博物館  愛宕山、いいなあ。ラジオドラマ「笛吹童子」を聴いたり。虎の門界隈はこの当時はまだ古い民家も残っていた。
19960516 MOMA-NY近代美術館 上野の森美術館  三年ぶりのMOMA展。
19960525 印象派から現代へ 北海道立近代美術館  社内旅行で単独行動。これは巡回ものだった。
19960525 三岸好太郎 三岸好太郎記念館
19960526 常設 札幌芸術の森 団体行動。しかし特別展は「ハンガリー応用建築」展の巡回。95年の京都で見た最高に素晴らしい展示。もう一度見たかったなあ。現代彫刻を見て歩いた。
19960526 常設 小樽美術館 
19960526 常設 小樽文学館 色々と感銘を受ける。伊藤整「若き詩人の肖像」を思い出したり、小樽の坂、小樽商工に思いを馳せたり。
19960526 常設 石原裕次郎記念館
実はこれを見ましょうと総務にねじ込んだのだが、みんな大喜びしたのでよかったよ。
19960607 常設 NHK放送博物館
19960607 花咲ける日本絵画・近世から近代へ 大倉集古館
ほかに大観「みみずく」に惹かれたり。忠太の建物最高だな。
19960607 日本画・明治から現代へ 松岡美術館  当時は御成門にあったので歩いて行った。
19960607 鰭崎英朋 弥生美術館  「風流線」ありましたわ。最高。
19960607 夢二その生涯と芸術・明治大正昭和を駆け抜けた男 弥生美術館  
19960607 浮世絵師の肖像 太田記念浮世絵美術館
19960607 谷中安規と創作版画 DO!FAMILY美術館  ここで谷中を知ったのだ。素晴らしい。
19960607 ドールハウス フジタTOY  英国の囚人が一人でこつこつ拵えたドールハウスの大邸宅が圧巻。16室もあった。部屋にかけられたラファエル前派の絵などもよかったなあ。
19960608 文明開化・東京橋巡り テレパーク  NTTと郵政の資料もたくさんあった。
19960608 日本映画 早稲田大学演劇博物館
19960608 新収納品と岸田劉生 東京近代美術館  劉生の麗子4コママンガが面白かったわ。
19960608 日本画・明治から大正1 山種美術館
19960614 中原淳一と葦原邦子 ナビオ阪急  チラシが素晴らしすぎてクラクラ。葦原邦子の男役のハンサムなこと…
19960615 安田靫彦 茨木市立川端康成文学館  「桃」「日蝕」などが来ていた。川端の生家の模型がよかった。18分かかる道のりを12分で歩いたなあ。
19960615 サーカスがやってきた 兵庫県立近代美術館 
これがあまりに良すぎて曲馬団関係の資料にのめりこむきっかけになった。古賀春江「サーカスの景」も見れたし…

長くなりすぎるので前半終了。

初めて行った海外旅行を思い出す ニュージーランドツアー1996

2020-04-27 00:55:50 | 旅行
書類整理していたら懐かしいものが出てきた。
阪急交通社トラピックスのニュージーランドツアー。

写真資料が見つからなくて記憶だけで綴ってみようと思う。

エア・ニュージーで向かうのだが、CAの制服がマオリ風なところも採りいれていて感じよかった。
そして人に聞いていたのだがエア・ニュージーの機内食は美味しいそうで、ワクワクしながら待っていた。
メニューカードは今も手元にある。今から思えば博物学的な植物の絵だな。バンクスの絵なのか?

エコノミーのごはんメニューはこちら。

往復、どちらがどちらかは今は思い出せない。
当時の日記帳を取り出せばわかるのだが、今回のブログの「決まり」は「記憶だけで」なので、あえて調べない。
とはいえ夕食と朝食が往路にあるので白い花の絵の着いた方が往路だな。
メニューを書写する。
前菜・各種寿司…覚えてないなあ
メインはどちらも好みなのでどっち選んだかわからんなあ。でも"Beef please"と言うたような気もするし
デザートの葛衣てなんだ?飲んだのはティー一択。
…まあ美味しかったように思う。

基本的に殆ど寝ない人なので機内でも寝ていない。意識が飛んでることはあるが。
朝食。まあ、間違いなくきちんと食べてるな。

到着後バスに乗ってクライストチャーチの市内観光。
大聖堂もモナ・ヴェイルも素晴らしかったのだけど現地ガイドの人がもう日本語を忘れかけてる感じで、モナ・ヴェイルを「昔の金持ちの家」と説明したのがちょっと面白かった。情緒が足りないぞと言う感じ。
追憶の橋についての記憶はない。

昼食はどこかのホールのような所で四季折々の果物と何故かうどんとパン類などがあり、柿と温州みかんがたいへん美味しかった。
うどんは出汁が利いてないがしかしうどん好きなわたしはスルー出来なかった。
実はこの後、全ての昼食が同じように柿、ミカン、スイカと季節の違うのが一緒に出て、出汁のきいていないうどんがつくのだった。
そしてフルーツはどれもこれもたいへん美味しかった。

クォリティホテルに宿泊。この時、わたしはバスタブの水をあふれさせてしまい、申し訳ないことになる。

翌朝はテカポ湖へ。この頃視力が低下しつつあったのだが、延々と続く緑の農地に点在する羊らを見るうちに、視力が回復していった。こんなのは北海道とここ以外にはない。
ずーっと遠くにのんぴりと羊や牛がいる。
聞いた話によると、一番ミートとして高価なのはNZではトリで、羊と牛が安いのだった。
畜産と言うのはなかなか難しい。

善き羊飼いの教会。少年像が可愛い。
この時ちょっとしたトラブルがあり、同行者に対して嫌な感じを持った。
長いツアーでこういう風に厭な感じを持つのはあまりよくないが、後にこれが元で関係を絶った。
価値観の相違と言うか、いやなものは嫌だとしか言いようがない。

マウント・クック国立公園。かっこよかったな。
クィーンズタウンでもクォリティホテル。ここでは警戒して入浴した。

三日目。ミラーレイクへ。そこからミルフォードサウンドへ行ったが、非常に綺麗だった。氷河が氷になっているそうで、これが青くて透明で綺麗。

クィーンズタウンからクライストチャーチへ戻る。バスは11時間かかる。のんびりと外を見ていたのでまじで視力がよくなった。
途中に例の善き羊飼いの教会を望む。
その時、ツアーの細かいことをノートに記していたが、同行者にそのノートをいきなり奪われ、バス内で他の客たちに回覧されたのには参った。悪いことは書いてないから良いが、こういうことを相手の同意なしにするところが非常に厭になった。

さて今度は飛行機に乗ってロトルアへ。地熱が高いからか間欠泉がびゅんびゅんっ
羊の毛刈りショーもなかなか楽しかった。犬がよく働くのです。

マオリの人々のショーを見ながらの食事なんだが、これが順番に取りに行くというシステムで、最後の席の方にいたので非常におなかがすいた。だから貝蒸し料理などを取りすぎてしまい、味付けが合わないので難儀した。
このシステムはよくないな。
料理自体はハンギディナーと言う。ショーに出演の女性にマオリ風の挨拶を教わる。

翌朝ホテルの給仕の人々が昨夜のショーの人だと気づく。
ところでわたしはオールブラックスのファンで、このあとユニフォームを買ったり、マオリの人が使っていたブーメランなどを購入した。

ワイトモへ。ここはツチボタルを見ることが出来る鍾乳洞がある。完全に暗闇。カメラは無論ダメ。個人の所有らしい。
ツチボタルかなり大きい。シーンとしながらみるが、とても大きな螢火に感銘を受けた。

オークランドでは駅などへゆく。いい建物が多い。クライストチャーチはガーデニング、こちらはいい建物が多くてよかった。
それにしても清潔な都市でそれにも感心したが、向こうでへたる若い奴らが公共の場で小汚いことをしていてそれが日本の青少年だと思うと、逮捕されたらよいのにと思ったり。道を汚すなばかども。

そうそう、道路交通法が日本と同じだった。そしてやたらと日本車が走っていた。
信号機もいい感じ。

手紙を書いてたので郵便局で切手を買う。その残り。


オークランドから飛行機に乗る。
おカネも使い切っておこうとこまごまと買っていたら、同行者が「関空で借りた一万円分返す」と言い出した。
実は関空で換金する時に同行者から借金を申し込まれ、困ったなと思いながらもお金を貸したのだが、それを今この時に返すというので受け取ったら、全部NZ弗。
もう、本当にこれで嫌になった。
帰国後空港で別れて以来、二度と会っていない。向こうからは連絡を取ろうとしてきたが、全て無視した。
まあ幸いというか、なんとか使い切って小銭だけになったが、やはり許し難く、こういう神経の者とはつきあってはいかんと思った。

トラベルにトラブルはつきもの、そもそもトラベルの語源はトラブルだということを前提にして、やはり気の合わない人・価値観の合わない人との旅行は難しいなと痛感したことを最後に記す。

色々と思い出したが、まあやはりNZはよかった。
いつか写真が見つかればまた追加しゆこう。

配信された「新版オグリ」をみた

2020-04-19 22:49:49 | 映画・演劇
「新版オグリ」の四代目市川猿之助フルバージョンをみた。
わたしは本来なら3/22にかなり良い席で観劇するはずだったが、コロナのせいで何もかもワヤになった。
それで松竹が期間限定で無観客上演したのを配信してくれたのをみているわけだ。

「オグリ」について個人的なことを少々記す。

1983年の三代目市川猿之助「当世流小栗判官」を見たのが最初である。
小栗判官と照手姫の物語は旧い大阪の家の子なので、なんとはなしに知っていた。
また手元にある日本各地の伝説集に小栗満重父子の話があり、その話がこの「当世流」の元ネタだと知った。
しかしながら説経節「をぐり」は1985年に授業で学ぶことになり、「当世流」と全く話が異なることを知った。
授業のテキストは三弥井書店から刊行された福田晃の著作と、折口信夫「馬の家の計画と小栗判官」などである。
ここで数種の小栗判官の物語を知った。
更に子どもの頃に特撮ドラマで見ていた「変身忍者嵐」のマンガ版を読んだところ、作者石森章太郎は敵方に小栗判官と照手姫を配していた。
また西谷祥子「HEY、坊や」では毒殺される飼い犬の名前が照手姫とあり、そうした知り方をしてもいた。

1990年、近藤ようこさんが白泉社より描きおろし「説経 小栗判官」を刊行された。
これは説経節「をぐり」を忠実に再現したもので、たいへんよい作品であった。

1991年、ついに三代目市川猿之助がスーパー歌舞伎「オグリ」を演じた。
梅原猛の脚本で、この初演を楽しみに新橋演舞場に行ったが、非常に素晴らしい作品で、翌日にも急遽見に行ったほどだった。
その当時の装束は毛利臣男で、非常に華麗でファッションショーの趣もあった。
南座での上演の際、チケットセゾンで購入した時、そこに「オグリ」の舞台写真がペタペタと貼っていたのを拝み倒して、上演終了後に譲り受けた。
今もそれは大事に保存している。

鏡を多用した演出は当時としては斬新で、群衆の人形振りなども素晴らしく、何度見ても飽きなかった。
歌舞伎役者のみならず、金田龍之介、内田朝雄もよい演技を見せてくれた。

98年に再演の際はその二人が既に鬼籍の人となり、同じ味わいを楽しむことは出来なくなった。
そして再演はかなりの改変があり、冒頭の深泥池の場がなくなり、最初の妻との別離も失われた。
あれは非常に残念だった。黒地に薔薇の大きな縫い取りにビーズを多用した美麗な装束…
あの見事な装束がいつまでも目に残っている。

なお、そのときの配役などはwikiに出ている。

さて今回の新版では鬼鹿毛の場で、懐かしいものを見た。
支度が出来るまでの間に小栗党の人々が旗を使って踊るのだ。
このように大きな旗を使う演出は「ヤマトタケル」の焼津の場、「リュウオー」の京劇との共演を思い出させてくれた。

この新版ではかなり物語が変わっている。
まず見た目だけでいうと、装束は先のとは全く異なり、極端な派手さはない。
特に武士たちは言えば地味になった。
照手姫の衣裳もとんでもなく派手と言うこともない。
姫を川に流す役目を負った鬼王兄弟の衣裳がロックになったのが面白くもある。

横内謙介脚本はやはりいかにも横内的な展開を見せる。
三代目の下で共に戦い続けた面々は今回の芝居でもよい演技を見せてくれる。
音楽もいい。
照手が親の決めた縁談を蹴り、自分の意思を通すシーンでの音楽がたいへんいい。
非常にアグレッシブなのである。
照手姫がアグレッシブになるのは姫の身分を逃れて、常陸小萩として生きるようになってからだったが、この新版はかなり早いタイミングで自我をはっきりと持たせている。
現代ではやはりそうでなくては観客も納得できないかもしれない。

歓びのダンスシーンのあと、いきなり射殺されるオグリ。
毒殺ではなく射殺なのにはびっくりした。尤もこれは後に分かるが毒矢なのだった。
横山は自己の過ちをこの場で認めている。
これは初めての解釈ではある。
「他人の子を殺して自分の子を活かすわけにはゆかぬ」という倫理観は共通するものの、新版では既にここで「わしは愚かであった」と言わしめるのだ。
この早い段階でのその述懐があることで、最後に父子再会の和解が進むのは確かだろう。
とはいえ、舞台では父子再会はない。あくまでも原典での話である。

次幕、もろこし浦の婆さんをけしかける近所の婆さんがどことなく志村けんなのが泣ける。実際「大丈夫だぁ」と言いながら退場する。志村けん、合掌。
ここでやっと気づくが、照手姫も婆さんもドット柄の装束なのだった。
もろこしが浦の爺さん婆さんの別れは基本的に変わらないかと思ったが、ここで婆さんの述懐が入ることで二人のどうしようもない感情の乖離が露わにされる。
爺さんは無常感を表にしたのだ。

さて地獄である。
役人の動きが蝙蝠ぽいなと思ったら、冠にバットマークが入っていた。この群舞は楽しい。別に日舞でなくていいわけだから。
それにしてもこの地獄の獄卒共の白の装束、特撮の悪の結社のヒトタチのユニフォームぽいな。

照明が巧い。黒と白と赤の差異がいい。
そして銀色の地獄の者たち。閻魔の風体が旧ソ連アニメーションの妖魔ぽいのも面白い。
ここでの問答はかなり違う。
装束だけでなく、根底から違う。
浄玻璃の鏡で彼らの「悪行」を再現されるわけだが、音声だけでというのもいい。
そしてオグリの家来たちがそれぞれ閻魔に物言うわけである。
おお、やはり「ロマンの病」でた。
ここでまさかの大暴れの小栗党。
「地獄も極楽も信じておらぬわー」か。
猿之助さん、オジサンにそっくりなので、それでこれとはちょっとびっくりした。
そう、わたしにはやはり昔の「オグリ」が活きているのだ。
ああ、こう来るか。地獄で人間関係が露呈する。
地獄破りの様子がかっこいい。梯子を使っての外連味たっぷりの芝居が楽しい。
無観客での上演なので、花道を通っても誰もいない…
せつない。
六方で去ってゆく小栗党。閻魔夫婦の話し合いがいい。
「われらも時代に向き合い」てか。
「地獄もまた何かを生み出したい」
おおー壊れた地獄を新たに創りだそうとする閻魔と、その宣言をする夫を「結婚して以来いちばんかっこいい」とほめる妻。
幕がうねるうねる、赤い炎が燃え上がるようで巧いな。
そしてあくまでも白銀の者たちの闘争。
おーすごいすごいすごい、いい動き。連続バク轉。
本水も出た。
やはりこの場はかっこいいな。見た目の派手さが楽しい。
水撒くなよー凄いな。
ばーんっと極まったね。
「思うようにいってまいれ!」と閻魔大王のお墨付きをもらった小栗党。

暗い中、謡らしきものが聴こえる。
これが黄泉返りの道なのか。
いや、旅の僧らしき者が現れる。
青墓の小栗判官の墓へ行こうという。横山修理とのいきさつを語る。遊行上人である。
雷鳴が響き、閻魔大王の出現がある。
魂、鬼火らしきものが飛び交う中、能で使われる囲いが現れ、そこに餓鬼阿弥と化した小栗判官の登場。
なかなかカラフルな取り合わせの布を身に着けている。
「絶望の罰」。遊行上人に欲するのは水を一杯と言う小栗判官。
上人との対話。希望について。しかしそれは気休めに過ぎないという。もしそうであってもよいと思う。
極楽往生を説いてはいても実は懐疑的な上人。
この辺りは完全に新解釈。新版。
「まだ何か大切なことに気づけてはいないか」それを探す旅を続けていると語る遊行上人。
例の「一引き 引けば百僧供養 二引き 引けば千僧供養 極楽往生疑いなし 亡霊供養間違いなし」の札を持つ。
いつの間にか周囲には室町時代の民衆が集まる。
あの文句を歌に載せて歌うのはここでも続く。
前作でもここは感動的なシーンだった。感動、というよりときめくシーンだったというのが正しい。

五枚の鏡が並び、そこから遊女たちが次々に現れる。
江戸時代の花魁もどきのような装束である
働き者で正直者の常陸小萩は遊女たちの人気者である。
女将さんも随分と華やかである。

小萩を見世に出さない理由をもつよろづ屋の人々。
女将さんの方がいい人やがな。要するに働き者であることが小萩への好意を持つことにさせているのだ。
小萩の独白。死んでしまった小栗判官への愛を語るその背後から出現する餓鬼阿弥。
この時点では二人は全く互いを誰かわかっていない。

熊野への旅での安全を気遣う閻魔大王。
そして小萩こと照手姫による旅が始まる。
しっとりした音楽が流れる。
関ヶ原の手前で難渋する小萩。一人で土車を引くのは重い。
すっかり謙虚となった餓鬼阿弥こと小栗判官。
ここで初めて対話がある。
土車に乗る餓鬼阿弥に対し、嬉しそうに小栗との恋の話をする小萩。
この猿之助の声が伯父の三世猿之助にあまりにそっくりなので驚いた。
ここでの小萩の髪型は満州族の両把頭のような形だな。
「藤原の正清さま」に衝撃を受けて発作を起こす餓鬼阿弥。
オグリの述懐。小栗判官だと名乗れぬつらさ。
「会いたかった」と身震いするが、ここではもう人の心がわかるようになっているので、嘆くしかない。
そこへ悪人登場。連れ去られかける小萩と暴行を受ける餓鬼阿弥。。
だが、武器を装着した者が登場。
わははははは いきなり「打ち方よーし」てなんやねん!
三河万歳の登場にびっくりだ。
ただし着物に「王」の字模様があることから、閻魔大王の手のものだろう。
旅は続く。
背後でシルエットの群舞。

三日月の下、最後の夜である。
あくまでも優しい小萩。ここでの「かまいません」の台詞や考えは初演の「オグリ」と同じか。
再演の時は多少の絶望を持っていた。
この小萩はあくまでも明るい。薔薇の群れる柄の着物の小萩。

感涙にむせぶ餓鬼阿弥。
「あの世で夫にあったら『よう生きた』と抱いてもらいたい」と言う小萩に「地獄かもしれませんよ」というが、小萩はあくまでも明るく「地獄へも追いかけます」と答える。
黙っーーて話を聞く餓鬼阿弥。
熊野へ何としてもたどり着いてくださいと約束をねだる小萩。
指切りをする。
これは全ての「オグリ」に共通。
ただ、この餓鬼阿弥は指を差し出しかけてためらうが、小萩が自ら指をからめると、泣きながら一瞬手をかけかけて、また俯く。
小萩が相模の故郷の薔薇の花弁をわたす。
そしてここで「誕生日」の歌が流れる。
この「誕生日」の歌は歌詞は共通するが、曲が違っている。
誕生日には赤いまんま炊いて…明日はこの子の誕生日…
慈愛の微笑を浮かべる小萩に抱きしめられて幼子のように取りすがる餓鬼阿弥。

花道を行く二人組は例の札を持っている。
もう小萩は退場したのである。
彼女の願いをうけて「餓鬼阿弥はん」と呼びかけてまあちょっとは引いてゆく二人。
ここではもう餓鬼阿弥は笠をかぶっている。
気さくな浪花の二人組である。

道成寺へ到着する餓鬼阿弥。「道成寺」の幟だけでなく「DOJOUJI」もある。
道成寺の門から現れた僧兵らと群衆が餓鬼阿弥を打ちのめす。
そこへ登場するのがもろこしが浦の爺さんである。
熊野まで連れて行きますと言う。
そこで二人の旅が始まる。
星の夜道を行く二人。
小栗判官であったころの傲慢さを懺悔する餓鬼阿弥。
「一期は夢よただ狂え」と語り、人の世の親切さと無残さとを身をもって知ったことを話すが、既に死を待つばかりとも嘆く。
爺さんもまた自分の人生を語る。

原典ではこの爺さんは婆さんと別れた時点で物語から退場するが、この芝居では必然的な存在として、こうして重要な役として登場する。
親切の権化である爺さんはついに山の中で悪人たちに切り殺されるのである。
そご蝙蝠登場。悪人たちは退場。
這い寄り合う二人だが、爺さんは絶命する。
「わたしを助けようとして」と嘆き、この世の無残さを思い知らされる餓鬼阿弥。
頭を抱えて嘆くところへ小萩の幻が浮かぶ。
「熊野へ」と言う小萩の言葉が蘇り、なんとしても熊野へ行かねばならぬと改めて最後の力をふりしぼる。

厳しい巌を攀じ登る餓鬼阿弥だが、ずるずると滑落する。
だが、「エイサラエイ」の掛け声と共になんとか攀じ登ってゆく。
なんとか登り切ったが、「あの輝かしいわたし」ではないこと、これ以上の屈辱に耐えきれないことを独白する餓鬼阿弥。
背後に人形のように浮かぶ、旅の手伝いをしてくれた人々。
「大王様ーっ」と呼びかける。この命を以て多くの人の幸せを、と絶叫する。
「生きる力を与えたまえ」と強く望む餓鬼阿弥は海へ飛び込む。
輝きの飛沫が飛び散る。
「小栗よ、小栗よ」と優し声がし、そこに金色に輝く薬師如来が。
薬師如来に抱かれる餓鬼阿弥。
病は癒されるだろう、と語る。
閻魔大王と妻とが小栗に与えられた試練について語るが、そこに「かの哲学者・梅原猛も」とオマージュを捧げる。
閻魔大王の呼びかけで復活する小栗判官。
すっかり元の通りである。
歓喜の祈り。
背後の薬師如来から褒められる閻魔大王。
閻魔大王の妻は照手姫のもとへ小栗を運ぶよう言う。
神馬にのる。宙吊り。閻魔の使いの者と共に行く。
ああ、ここに観客がいればさぞや歓声が。
一本角の地獄のものが手綱をとり、小栗は遠見しながら行く。

よろづ屋で「サァソレハ」の皆皆さん。
帰ってきた小萩が国司さまを迎えるのに全員でお掃除をといい、全員でお掃除の舞。
こういうレビューは楽しい。
そういえば国司が来ると知って、初演「オグリ」では「大変なことになった」と女将さんが男性の地声でいい、笑わせるシーンがあった。

国司登場。身なりも立派な小栗判官である。
白塗りの猿之助さんがあまりに伯父さんそっくりなのに感嘆する。
小萩が呼び出される。
「久方ぶりであったなあ」と言われてもわからない。
「誰かに似ているであろう」ではっとなるが、信じられない。
「生きて帰って参ったぞぉ」でようやく小栗判官…?となる。
まだ二人には距離がある。
しかしついに認識し、泣き叫ぶ。
いやここでこの泣き叫ぶ、というのはやはりとても現代的だな。
再会の喜びの中、しみじみと語る小栗。全く傲慢さはなくなっている。
小萩の正体を聞かされ驚く一同。
「世話になった」と手をついて礼を言う小栗判官。
そしてあの薔薇の花弁を渡す。
国司実は小栗判官、小栗判官実は餓鬼阿弥。
この見顕しはわりとサラッとやったな。
指切りをしあう二人。絶叫する照手姫。
「ほめてやる」というのがちょっと笑えるな。

最後の最後に登場する遊行上人。
小栗判官の復活と新たなる人生を言祝ぐだけでなく、小栗党の面々の復活をもみせる。
位置について「この歓びをわかちあいましょう」と歓喜の舞を踊ろうと遊行上人の提案が。

閻魔大王の副官の蝙蝠マークのひとがいない観客たちに踊りを勧める。
歓喜の舞が始まる。

赤い光から青い照明へ。群舞。歌はなし。
衣裳に電飾つけた遊女たち。
電子花弁の舞う中での明るい群舞。
出演者全員の舞。薔薇を咥えたのもいるよ。薬師如来も閻魔大王も舞う。
曲のスピードが増したところで実際の花弁が舞い散り出す。そしてグランフィナーレ。
アンコールで手を振る全員。
わたしも画面に手を振った。

映像だけでも見ることが出来て本当に良かった。
4/19までの配信。

六世中村歌右衛門展をかえりみる

2020-04-18 00:58:48 | 展覧会
中村歌右衛門は現在六世まで続いている。
本来ならば七世になるべき福助が体調不良のため、襲名できないままだ。
この大名跡は上方と江戸で大活躍し「兼ネル役者」の称号を得た三世以降、まことに素晴らしい役者が継いでは守り、更に大きくしてきた。
特に五世歌右衛門の逸話は非常に面白く、戸板康二「ぜいたく列伝」、川尻清潭「名優芸談」、お手伝いさんの目から見た歌右衛門屋敷の千駄ヶ谷御殿での日々を描いた本もあるが、豪華絢爛で豪勢でとても面白い。
その大邸宅で育ったのが六世歌右衛門である。
昭和を代表する偉大なる歌舞伎役者。
わたしは晩年の姿しか目の当たりに出来ず、あとは映像や写真資料のみで偲ぶのみだったが、それでもまことに素晴らしいことはよくわかった。
その不世出の名優・六世歌右衛門没して20年近くたち、縁の地・世田谷で大きな回顧展が開催された。

世田谷文学館で六世中村歌右衛門展が営まれ、それを見に行ったのは三月末の桜の満開の時だった。
文学館周囲の桜は非常に美しく、風で花びらが舞うと白拍子花子を演じる六世歌右衛門の看板が煌めいて見えた。
まさにこれこそ
「春風や まことに六世歌右衛門」
この句にふさわしい風情があった。

これは六世歌右衛門を襲名したとき久保田万太郎が詠んだ句だが、ほんにその通りで、久保田の数多い名句の中でも特に春風駘蕩な味わいがある。
少し久保田の俳句に移るが、彼の中でも屈指の名句といえば(大いに偏愛が出るが)
「湯豆腐や いのちのはてのうすあかり」
「竹馬や いろはにほへと ちりぢりに」
「鎌倉の春 豊島屋の鳩サブレ」
これらと並んで
「春風や まことに六世歌右衛門」
もまた素晴らしい。

さて、歌右衛門といえば早稲田大学の演劇博物館に寄贈したものが色々あり、展示されていたのを見たが、美麗な歌舞伎装束が並んでいた。
歌右衛門が大活躍していた時代、日本画家、文学者もまた絢爛な顔触れがそろっていた。
歌右衛門と最も関係が深い文学者といえば三島由紀夫であり、ドナルド・キーンであるが、今回の展覧会でも三島の資料が出ている。
「氷結した火事」と歌右衛門を評したのは三島だった。
少し長くなるがその文を引用する。
「今度の歌右衛門の特徴というべきは、あの迸るような冷たい情熱であろう。芝翫の舞台をみていると、冷静な知力や計算の持つ冷たさではなくて、情熱それ自身の持つ冷たさが横溢している。道成寺のごとき蛇身の鱗のつめたさがありありと感じられ、氷結した火事をみるような壮観である。芝翫の動くところ、どこにも冷たい焔がもえあがり、その焔は氷のように手を灼くだろうと思わせる。」(「新歌右衛門のこと」昭和26年)

ところでわたしは前掲の「春風や」の句を春風駘蕩と記したが、歌右衛門の芸はそれとはむしろ真逆のもので、誰も真似の出来ない高みにあると言うだけでなく、その峻厳さに慄くことが多かった。
むろんわたし程度のものでは本当には歌右衛門のその「至芸」のなんたるかを論ずることは不可能ではある。
だが、全く見ないままでこのような感想をあげているわけではないことも事実ではある。
生兵法は怪我の元、とは言うが敢えてその生兵法で歌右衛門について、この展覧会の事柄ともども記したいと思う。



子どもの頃の写真があるが、例の生まれつき股関節脱臼していて手術したという頃のもの。
誰の聞き書きかわすれたが、読んだところによると、非常に我慢強くリハビリにも耐えたそうだ。

千駄ヶ谷御殿の映像があった。
これは嬉しい。いつか見たいと思っていた。「ぜいたく列伝」で読んで以来とても憧れていた大邸宅である。。
なおこの邸宅については戸板康二研究家の藤田加奈子さんがこの記事内で詳しく記されている。
こちら


やがて若手役者として働き始めてからの写真資料などが現れる。
中でも何十枚もの写真を一堂に集めた壁面展示は良かった。
基本的に時代物それも大時代の身分の高い婦人が似合う方ではあるが、意外な役もしていたことを知る。
一番びっくりしたのは「梅暦」の仇吉。そのブロマイドを見て思わず「なんでやねん」とツッコミを入れずにいられなかった。
よりによって何故。いやしかし、こうした世話物の色っぽい芸者というのもまた…
(ああ驚いた)

そういえばかなり晩年になってからだが「伊勢音頭」で万野をしている。
その良さときたらもう、ほんまに絶品。
ただのイケズな中年婦人なのではなく、色気水気もまだあり、商売に熱心で、太客には笑顔も見せる。あてのないような福岡貢にはそりゃああいう態度にもなるわな。
…ということを物凄く納得させてくれたのであった。
品の良い人がああいうお役をなさるとこういう味がにじむというのがよくわかった。
あの時はお紺が梅幸、お鹿が田之助だったと思う。
団扇を使う手と言い、その表情と言い、こういうのを見せてもらえたことは後々まで響き、今もすぐにその姿が浮かんでくる。

芸の巧さ・役の掴みがニンの違いを力技でねじ伏せて、違和感から始まってもしまいに素晴らしいとなる道筋が歌右衛門にはある。
なのでニンに合わないように見えても最後にはその役をやりおおせるのだ。
これは現代ではほかに今の吉右衛門もそうだ。彼もニンが違っても芸で見せてしまう。
ただし、歌右衛門の芸は誰にも真似できない。

融和しない。
融和しない代わりに周囲がついてゆかざるを得なくなる。
同じお役をしても菊五郎劇団で育った梅幸さんは周囲に合わせる。
二人の玉手御前の違いを思えば納得できると思う。

歌右衛門の玉手は何をするかわからないところがあり、それが非常によかった。
梅幸さんの玉手は事情を知らぬものが見ても「本当は何かあるのでは、何か秘密があるのでは」と思わせるような優しさがあった。
歌右衛門の玉手を見ていると、継子への許されぬ愛に激情を見せる女ではなく、それを超えてしまって何をしでかすかわからない恐怖をよく感じた。
これはあくまでもわたしの勝手な感想だが、「わたしが、わたしが、わたしが」というのが物凄い圧になってこちらに来るのである。
わたしは玉手御前はそうした自己愛に熱狂する女、という見方をしているが、これはかつて見た歌右衛門の玉手から感じたことが脳に刻まれている可能性が高い。
もっとはっきり言ってしまうなら、あの「しんしんたる夜の道」で庵室につき、「かかさん開けて」と佇む玉手の姿を見て、「可哀想」と感じるより「うーわ、イカレタのがキター」と思うのが歌右衛門の玉手なのだ。
梅幸さんのは「可哀想」が先に立つ。
玉手の扮装も歌右衛門と梅幸さんとでは違う。
片袖と頭巾と。
そこがまたいい。

わたしは昔の三世梅玉の玉手のブロマイドをみたとき「水の底にいる女」だと思い、ぞわぞわした。
ただしその玉手は座敷に座る姿で「かかさん開けて」ではない。
この三世梅玉の玉手と歌右衛門の玉手が好きすぎて苦しい。

話がそれるが途中から「梅幸さん」と記しているが、これはただ単に「梅幸さん」だからで、歌右衛門へのリスペクトが低いというわけではない。
「松園さん」「松篁さん」「又造さん」と書くのと同じ。
漫画家の方なら「近藤ようこさん」「有間しのぶさん」「雁須磨子さん」と書く一方で「諸星大二郎」と書くのと同じ。どういう違いかは発音と字の長さによる、というのが本当のところなので、これ以上は自分でもよくわからない。

展示で素晴らしいと思ったのは「道成寺」の白拍子花子の動きの連続写真を並べているところ。
これは言えばコマ割りの楽しさで、一つ一つ目に追うのがとても楽しい。
映像で見ているものがこうして分解されることで、改めてその連続性の美しさを思い知らされるわけである。
全き美の結晶がここにある。

ただ、この演目は海外公演ではさして好評ではない。
着せ替えショーのように見なされているらしい。レヴューとして楽しまれないのは残念だ。
海外で多くの人が歌右衛門の名演に感じ入ったというのは「隅田川」だった。
わが子を探し求めて狂気に陥り、果てはその塚にたどり着く憐れな母親。
普遍的な悲しみを演じる歌右衛門の演技に多くの人が感銘を受けている。

海外といえばこれは紹介されていなかったが、歌右衛門はアフリカも大好きだそうだ。
動物大好きな歌右衛門はケニアで大喜びしたという。
またラスベガスでは大胆なギャンブラーとなったそうで、これは展示にも出ていた。

個人的なことを少し書くと、わたしは1990年代までは非常にたくさん芝居を観た。
それが今世紀に入ってから観劇も映画鑑賞も激減し、「演劇界」も読まなくなってしまった。
なのでわたしの知識は20世紀までのものが大半なのだということを、今更ながら挙げておく。
つまりその当時までの役者論や芸談がベースとなっている。

歌右衛門はとてもぬいぐるみが好きで、特にくまちゃんのぬいぐるみが好きだったそうで、あふれる様子が紹介されているのがとても微笑ましい。随分前のTVのインタヴューでもそれが出ていたのでなんとなく覚えている。
他にも可愛がっていたわんこのエピソードも覚えているが、それは紹介されていない。
その時の映像で最も衝撃を受けたのは、歌右衛門のお辞儀の美しさだった。指先まで完璧な美そのものだった。
あまりに綺麗な形・様子にわたしも真似てみたいと思ったが、到底不可能な話だった。
あれは何十年もの真摯な身体への訓練と意思の力による芸だったのだ。
もう随分昔になるが今も脳裏に焼き付いている。

パネル展示で歌右衛門のモダンな邸宅が出ていた。
とてもかっこいい。これが世田谷の邸宅なのだ。
歌右衛門のカッコいいところが出ている。

多くの文学者・画家との交流についての展示もいい。
歌右衛門とドナルド・キーンといえば思い出すのが2013年に早稲田大の演劇博物館の歌右衛門記念室でのドナルド・キーン展。
キーンさんは「まるでこの世の人ではないようでした」と「うるわしき戦後日本」で歌右衛門の美について言及している。

円地文子の「女形一代」も出ていた。わたしの偏愛の書である。歌右衛門がモデルの小説で、若い頃の出奔のこともあからさまに描かれている。作中で功成り名遂げた後のかれが昔のその相手と再会するシーンがいい。やさしさがにじんでいて、何度読んでも飽きない。

高名な日本画家たちの手描きの装束なども多い。そしてかれ自身の絵の才能も高く、それらが出ていたのも嬉しい。
展示はされていないが、橋本明治が描いた歌右衛門の絵はわたしも好きな一枚で、あの美しい物腰と静かで強靭な意志力が絵の中に再現されていた。
楽屋の様子も出ている。祇園守の紋がよいなあ。


展示が終わりに近づくにつれ、円地文子の前掲の小説での主人公の終焉を描いた情景が蘇ってくる。
よい終わり方だった。
そしてわたしは歌右衛門の最後の舞台を思い出す。
島田正吾を後白河法皇に迎えての「建礼門院」の出家後の姿である。
あれは前半を雀右衛門が演じ、尼僧になってからの「大原御幸」をほぼ二人芝居で演じた。
元々はTVドラマ「十時半睡」での島田のよさに惹かれた歌右衛門側からの招聘だったという。
実際、あのドラマでの島田正吾の十時半睡の良さは将に絶品だった。
演技者としての歌右衛門が島田と共演したいという気持ちがとてもわかるように思う。

わたしも歌舞伎座でその芝居を見たが、瞋恚と怨毒が消え、生きながら解脱してゆく建礼門院徳子の魂の在り方を目の当たりにし、静かな感動を覚えた。
「おお」と言いながら白い顔をやや上空に挙げたときのあの表情。
魂の浄化をそこにみた。
同じく顔をあげ嫣然とわらう八ッ橋とは全く違う笑顔だった。

最後の最後までときめく展覧会だった。
佳いものを見せてもらった。
好き勝手なことを書き連ねたが、本当に行けてよかった。

あの日みた桜をあげておく。

この桜に出迎えられて六世中村歌右衛門展を見たのである。