大和文華館の夏は「旅の美術」展で彩られていた。
今回は日本と明代の作品が少し。
日本人は旅を好む民族だと言っていいと思う。
ゲルマン民族のような「民族大移動」と言ったものではなく、物見遊山も含めての旅である。
江戸時代の以降の双六を見ても東海道を往復したり、講を組んでどこそこへ出かけたり。
平安時代には既に紀行文学も生まれていた。
奈良時代には旅の歌も詠まれている。
好きで行く旅、行かざるを得ない旅、様々な形はあれど、一つ所にとどまらず出かけることを「旅」というならば、なんと多くの旅があったことだろうか。
そしてその旅をモチーフにした作品も多く生まれ、随分と好まれた。
今、コロナ禍により移動の制限がある。しかしそれでも人は旅をしたいと思うものなのだ。
引きこもる人も少なくはないが、かれらはかれらで自分の心の中で「ここではないどこか」を思っているかもしれない。
わたしも出かけたい。旅に行きたい。
叶わぬならば旅番組を見よう。そして遠隔地をモチーフにしたものを眺めよう…
・物語の旅
思えばトールキン「指輪物語」から生まれた「ホビットの冒険」の副題は「行きて帰りし物語」であった。
行ったきりではなく帰ることもまた大事なのだ。
そして本家の「指輪」の第一部のタイトルは「旅の仲間」であり、最後は「王の帰還」。
明妃出塞図巻 明代 王昭君の悲しい物語を巻物にした連作。匈奴の国へ王妃として贈られることになった王昭君の悲しみと、このような美女を贈られたことで匈奴の王とその兵たちは中国に対し、感謝の念を懐く。むろん王昭君はとても大切にされた。
匈奴の旗は虎が立ち上がって威嚇する姿。右足を上げて立つ絵である。その旗を幾本も立てながら馬やラクダで国へと去る。
王昭君は丁寧な設えのほこりよけの天蓋のついた囲いの中に納められ、故国から見知らぬ異国へと連れられてゆく。新しく彼女に仕えるらしき侍女たちはいずれもニコニコ。
ごくあっさりした淡彩とはっきりした線描で綴られる物語絵。
文姫帰漢図巻 明代 こちらは誘拐されて匈奴の国へ連れてゆかれ、そこで家庭を持った蔡文姫が十数年後に人質交換の対象となって、夫と二人の子供を残して故国へ帰る話。
彼女も匈奴ではたいへん大事にされた。今回は全18拍(シーン)の内1拍から5拍まで。
・実家から連れ出される・豹の毛皮の敷物に座しての旅・王の妻として宴席へ・夜空を見て嘆く・王による慰めの宴
こちらは派手ではないが彩色豊か。
砂漠を往くような描写を見ると、中央アジアから天竺へ向かった三蔵法師とその一行の「西遊記」を思う。なんと豊かな創作だろう。あの物語もまた「旅」を描いているのだ。
シルクロードを往くとは旅そのものなのだということを思う。
さて輝ける天平時代の後には、鎖国したがゆえに国風文化が華やかに開いた平安時代がある。あくまでも都すなわち京を中心にした時代である。
太宰府、土佐、陸奥などに赴任する人々はその先で豊かな郷土文化を知ることになるが、それでもあくまでも京にいてなんぼなのである。
そして京から少し離れた須磨明石でさえも流謫の地なのだ。
源氏物語も伊勢物語も主人公は旅をする。
楽しい遊山ではなく、政治的な立場がまずくなってのことである。
流謫地でも楽しく遊んで和歌も詠むが、あくまでも京都第一主義。
その地で綺麗な女人とねんごろになっても都へ帰ることばかり考える。
でもやっぱりその地その地で楽しいことをしているので、それが詩歌になり絵にもなる。
土佐光吉の源氏絵、伝・宗達の伊勢絵。綺麗なものです。
女をおんぶする昔男くんなぞは、その後女を取り戻されてくやしまぎれにトンでも話を付け加えるが、これは彼のいつものパターンでもある。
正直な話、こいつらまとめて殴りつけてやったら楽しいだろうな、とわたしなぞは思うことがある。
魅力的な絵や工芸があるばかりに好きでもないこいつらの恋バナを読むので、たまに虚無るが、ああこれが無常観かと悟る。
扇面貼交手筥 尾形光琳筆 モノクロだが、この笈を背負って歩くのが箱の蓋絵。
八つ橋図、住吉明神と白楽天、枯れ芦に雪図などが見える。
武蔵野・隅田川図乱箱 尾形乾山筆 兄とはまた違ういい絵を描く乾山。ネコ手のような波を描く。それが隅田川。
幕末の岡田為恭の八つ橋図がある。ごくシンプルな構成だからこその良さ。描表装は墨で小さく花しょうぶの群れを描く。そして絵の方は群青色横縞と霞の中に、殆どピクニックな一行。松の下の草の上でランチ。各自が小さな台をそなえて、そこに飲み物セット。童子が柄杓でお酌。三人きこしめている。
曽我物語図屏風 元禄頃のかと勝手に思っているが、眼鼻のはっきりくっきりしたキャラがごろごろいる富士の裾野の巻狩図である。曽我兄弟もいれば朝比奈も新田もいる。
ロン毛の美少年たちもぞろぞろ。「金平浄瑠璃」の挿絵にも似たキャラ達。
善財童子絵巻断簡 鎌倉時代 52番目。唐服風なものをまとう弥勒。善財童子の旅もいよいよ終わりに近づく。
ところでわたしは華厳経の善財童子の旅を知る前に、高橋睦郎の「善の遍歴」から善財童子を知ったのだ。めくるめくような展開の、奇人怪人の登場するゲイ小説で、九州から一人上京した善財少年は山手線をぐるり一周し、最後の手前で悲惨な目に遭う。そこからやっと脱出し、かれは大日如来ことマハーヴァイローチャナと共にこの穢土をさらば…
遊行上人縁起絵断簡 鎌倉時代 柳の前でドカドカ踊念仏してるのを見る三人の女たち。
結局のところ、遊行上人の踊念仏に熱狂したのは男女比どうだったんだろう…
さてここまではわりと大和文華館でおなじみの作品群でございましたね。
次からあまり見ないのが続くのでした。
西遊記表紙絵 富岡鉄斎 七冊の本の表紙絵を描く。それぞれのキャラの立ち姿など。
これを見ると藤城清治さんが邱永漢「西遊記」の表紙絵や挿絵担当したのを思い出す。
明治16年の作。1八戒風な悟空の立ち姿 2楼 3梅と雲 4滝に落ちる猿(悟空か) 5月下の藤 6朱と緑の寿老人と茶色の鹿 7火鉢に数珠青い浄瓶
「西遊記」は唐からシルクロード経由で天竺へ向かうのだけど、ほんと、大好き。
わたしが最初に知った「西遊記」は東映動画の長編アニメーションで手塚がキャラ設定したもの。
それとは別にとんでもギャグアニメ「悟空の大冒険」。歌がまたよかったなー。
次に子供向けのを読んで、それから君島久子さんの翻訳のを読み、堺正章主演ドラマ「西遊記」であの当時の子供の多くが「うおおお」になったのよ。
夏目雅子さんの三蔵法師があまりに綺麗で…それ以来イメージがある程度決まったのではないかと思う。
本来「西遊記」とはちょっとズレがあるけど、ED曲のゴダイゴ「ガンダーラ」も名曲だったし、憧れが募ったところへ今度はNHKが満を持して「シルクロード」を放送したのよね。
そしてその直後に教科書掲載の「幻の錦」龍村平蔵と大谷探検隊の話を読んでめちゃくちゃ感動したのだよ。
これはもう今日のわたしの基底の一つ。今思い出しても胸が熱くなる。
その数年後には諸星大二郎が「西遊妖猿伝」を開始したし。そして中島敦の「悟浄出世」なども読み、近年には平岩弓枝もいかにも平岩的なキャラの「西遊記」を出した
まあやはり「西遊記」は面白いのですよ。
2.名所の絵画
洛中洛外図の昔から、江戸時代の名所図会、浮世絵師の各地名所図、大正から昭和の新版画で表現した旅の風景。
なにもかもが素晴らしい。
南都八景図帖 吉田元陳のと狩野栄信のが並ぶ。去年の「梅と桜の美術」以来の再会。
奈良の名所はわりと近くにまとまっている。
京奈良名所図扇面冊子 江戸前期 60点の内34点が出ていた。金地に綺麗に名所図会。
都名所図会 1786版 石山寺、高尾、三井寺、野々宮のまつり、東寺、吉野、奈良大仏(大仏殿がない)、六角堂、舟が寄る竹生島、何故か富士山が右端に見えるどこか。
大和名所図会1791、河内名所図会1801、東海道名所図会1797…みんなこの時期に熱が高まったのだろうなあ。いい感じの本ばかり。
3.絵師と旅
多くの絵師が旅に出た。出ないままどこかを描く絵師もいたが、やはり旅に出ると気分も大いに変わる。
美人画で高名な鏑木清方は少年時代に脚気になった。江戸から東京になって30年ばかり経ってもやはり江戸の人々は白米を食べすぎて脚気を患い、旅に出て治した。
17歳の清方は「牡丹灯籠」で名高い圓朝師匠に誘われて栃木への旅に出た。
その旅については「こしかたの記」に詳しい。
後年挿絵の仕事が忙しすぎて神経を病み、電車に乗れなくなった清方だが、若い頃にはこのように旅にも出たのだ。
圓朝は少年にやさしく、清方はよい思い出を長く残した。
因みに清方の旅は、昭和五年にハイヤーを駆って数日をかけて京都へ出て、日本ローマ日本画展に向かう画家仲間を見送るというものがある。
電車に乗れずともハイヤーを何台か連ねれば東京から関西へ行ける、と言う見本である。
清方の傍らには夫人がついたが、二人の令嬢はそんな辛気臭いツアーは嫌だと、関西出身で鏑木家の信頼が非常に高い弟子・寺島紫明の案内で一足先に列車で関西入り。
この辺りは「続こしかたの記」にある。
殿様蛙行列図屏風 渡辺南岳 リアルな人体に顔だけトノサマガエルの大名行列。ちゃんと身分も分けられている。この屏風はなかなか楽しくて好きだ。
神奈川風景図 谷文晁 1802 手前に小さく房総半島もある。これをみて思い出すのは浦賀の果てまで行ってから船に乗って金谷まで出たこと。30分ちょいの船旅で鋸山の町へ出かけたのだ。東京湾フェリーで往復。楽しかった。2010年の話。
名所図を見ると、時代を越えて個人的記憶・感慨と絡まり合うのでとても楽しい。
暑中芙蓉峰図 森徹山・鄭嘉訓賛 鄭氏は中国名、琉球の官僚で書家の古波蔵爾方。
親方(うぇーかた)は称号で高い身分であることがわかる。
「琉球の風」で知った。その前に「ウンタマギルー」でも親方と呼ばれる人がいたので、旧時代での称号のこととは思いもしなかった。
こういうこともいちいち学ばないとわからないことだ。
富嶽図 宋紫石 1776 ああ、あの悲しいような大きい目をした虎の絵の人か。
チラシに。使われている。
豆州 田子浦 そして年月日
江の島図 小田野直武 こちらもそう。思えば富士山にしろ江ノ島にしろ、お江戸の人には旅なのだよなあ。むろん大和文華館の奈良からはとんでもなく長旅。
司馬江漢のあやしい絵もある。
海浜漁夫図 3.5頭身くらいの人々がいる。
七里ヶ浜図 波の静かな風景。
生命体が停まってる感じがするのよな。
攀嶽全景図 鉄斎 1889 大きいなあ。富士山図。大きいわ。
富士講の人だけでなく一般の人が富士を上るようになったのはいつからかな。
いや富士講も一般人か。
東遊雑記 古川古松軒 1789成立 写本 主に羽黒山ツアーを記している。
とはいえそれは「奥の細道」のような情緒のあるものではなく、比較検討してたり色々とリアリスティックな内容。
近藤重蔵がこの本を持って蝦夷地へ出かけたそう。他方松浦武四郎は彼の描いた内容を批判してもいる。
現物をきちんと読んだこともないので、わたしにはわからない。
なお弘前大学図書館は写本の一つで綺麗な挿絵入りのを所蔵してデジタル公開している。
京畿遊歴画冊 吉野山を中心にしたツアー 江戸後期、誰かがこうした絵を描いてくれたのが残っているのです。こういうの、本当に大事。
書き込みをみる。
翰墨随身帖 田能村竹田 今回はカニたちと奇岩の二点。2018年のこの展覧会以来かな。
生命の彩 ―花と生きものの美術ー
最後に讃岐の源内焼、緑釉日本地図文角鉢 方位盤まで描き込みされてましたわ。そういうちょっと科学的な感じが「源内」焼ぽくて楽しいよ。
8/22まで
今回は日本と明代の作品が少し。
日本人は旅を好む民族だと言っていいと思う。
ゲルマン民族のような「民族大移動」と言ったものではなく、物見遊山も含めての旅である。
江戸時代の以降の双六を見ても東海道を往復したり、講を組んでどこそこへ出かけたり。
平安時代には既に紀行文学も生まれていた。
奈良時代には旅の歌も詠まれている。
好きで行く旅、行かざるを得ない旅、様々な形はあれど、一つ所にとどまらず出かけることを「旅」というならば、なんと多くの旅があったことだろうか。
そしてその旅をモチーフにした作品も多く生まれ、随分と好まれた。
今、コロナ禍により移動の制限がある。しかしそれでも人は旅をしたいと思うものなのだ。
引きこもる人も少なくはないが、かれらはかれらで自分の心の中で「ここではないどこか」を思っているかもしれない。
わたしも出かけたい。旅に行きたい。
叶わぬならば旅番組を見よう。そして遠隔地をモチーフにしたものを眺めよう…
・物語の旅
思えばトールキン「指輪物語」から生まれた「ホビットの冒険」の副題は「行きて帰りし物語」であった。
行ったきりではなく帰ることもまた大事なのだ。
そして本家の「指輪」の第一部のタイトルは「旅の仲間」であり、最後は「王の帰還」。
明妃出塞図巻 明代 王昭君の悲しい物語を巻物にした連作。匈奴の国へ王妃として贈られることになった王昭君の悲しみと、このような美女を贈られたことで匈奴の王とその兵たちは中国に対し、感謝の念を懐く。むろん王昭君はとても大切にされた。
匈奴の旗は虎が立ち上がって威嚇する姿。右足を上げて立つ絵である。その旗を幾本も立てながら馬やラクダで国へと去る。
王昭君は丁寧な設えのほこりよけの天蓋のついた囲いの中に納められ、故国から見知らぬ異国へと連れられてゆく。新しく彼女に仕えるらしき侍女たちはいずれもニコニコ。
ごくあっさりした淡彩とはっきりした線描で綴られる物語絵。
文姫帰漢図巻 明代 こちらは誘拐されて匈奴の国へ連れてゆかれ、そこで家庭を持った蔡文姫が十数年後に人質交換の対象となって、夫と二人の子供を残して故国へ帰る話。
彼女も匈奴ではたいへん大事にされた。今回は全18拍(シーン)の内1拍から5拍まで。
・実家から連れ出される・豹の毛皮の敷物に座しての旅・王の妻として宴席へ・夜空を見て嘆く・王による慰めの宴
こちらは派手ではないが彩色豊か。
砂漠を往くような描写を見ると、中央アジアから天竺へ向かった三蔵法師とその一行の「西遊記」を思う。なんと豊かな創作だろう。あの物語もまた「旅」を描いているのだ。
シルクロードを往くとは旅そのものなのだということを思う。
さて輝ける天平時代の後には、鎖国したがゆえに国風文化が華やかに開いた平安時代がある。あくまでも都すなわち京を中心にした時代である。
太宰府、土佐、陸奥などに赴任する人々はその先で豊かな郷土文化を知ることになるが、それでもあくまでも京にいてなんぼなのである。
そして京から少し離れた須磨明石でさえも流謫の地なのだ。
源氏物語も伊勢物語も主人公は旅をする。
楽しい遊山ではなく、政治的な立場がまずくなってのことである。
流謫地でも楽しく遊んで和歌も詠むが、あくまでも京都第一主義。
その地で綺麗な女人とねんごろになっても都へ帰ることばかり考える。
でもやっぱりその地その地で楽しいことをしているので、それが詩歌になり絵にもなる。
土佐光吉の源氏絵、伝・宗達の伊勢絵。綺麗なものです。
女をおんぶする昔男くんなぞは、その後女を取り戻されてくやしまぎれにトンでも話を付け加えるが、これは彼のいつものパターンでもある。
正直な話、こいつらまとめて殴りつけてやったら楽しいだろうな、とわたしなぞは思うことがある。
魅力的な絵や工芸があるばかりに好きでもないこいつらの恋バナを読むので、たまに虚無るが、ああこれが無常観かと悟る。
扇面貼交手筥 尾形光琳筆 モノクロだが、この笈を背負って歩くのが箱の蓋絵。
八つ橋図、住吉明神と白楽天、枯れ芦に雪図などが見える。
武蔵野・隅田川図乱箱 尾形乾山筆 兄とはまた違ういい絵を描く乾山。ネコ手のような波を描く。それが隅田川。
幕末の岡田為恭の八つ橋図がある。ごくシンプルな構成だからこその良さ。描表装は墨で小さく花しょうぶの群れを描く。そして絵の方は群青色横縞と霞の中に、殆どピクニックな一行。松の下の草の上でランチ。各自が小さな台をそなえて、そこに飲み物セット。童子が柄杓でお酌。三人きこしめている。
曽我物語図屏風 元禄頃のかと勝手に思っているが、眼鼻のはっきりくっきりしたキャラがごろごろいる富士の裾野の巻狩図である。曽我兄弟もいれば朝比奈も新田もいる。
ロン毛の美少年たちもぞろぞろ。「金平浄瑠璃」の挿絵にも似たキャラ達。
善財童子絵巻断簡 鎌倉時代 52番目。唐服風なものをまとう弥勒。善財童子の旅もいよいよ終わりに近づく。
ところでわたしは華厳経の善財童子の旅を知る前に、高橋睦郎の「善の遍歴」から善財童子を知ったのだ。めくるめくような展開の、奇人怪人の登場するゲイ小説で、九州から一人上京した善財少年は山手線をぐるり一周し、最後の手前で悲惨な目に遭う。そこからやっと脱出し、かれは大日如来ことマハーヴァイローチャナと共にこの穢土をさらば…
遊行上人縁起絵断簡 鎌倉時代 柳の前でドカドカ踊念仏してるのを見る三人の女たち。
結局のところ、遊行上人の踊念仏に熱狂したのは男女比どうだったんだろう…
さてここまではわりと大和文華館でおなじみの作品群でございましたね。
次からあまり見ないのが続くのでした。
西遊記表紙絵 富岡鉄斎 七冊の本の表紙絵を描く。それぞれのキャラの立ち姿など。
これを見ると藤城清治さんが邱永漢「西遊記」の表紙絵や挿絵担当したのを思い出す。
明治16年の作。1八戒風な悟空の立ち姿 2楼 3梅と雲 4滝に落ちる猿(悟空か) 5月下の藤 6朱と緑の寿老人と茶色の鹿 7火鉢に数珠青い浄瓶
「西遊記」は唐からシルクロード経由で天竺へ向かうのだけど、ほんと、大好き。
わたしが最初に知った「西遊記」は東映動画の長編アニメーションで手塚がキャラ設定したもの。
それとは別にとんでもギャグアニメ「悟空の大冒険」。歌がまたよかったなー。
次に子供向けのを読んで、それから君島久子さんの翻訳のを読み、堺正章主演ドラマ「西遊記」であの当時の子供の多くが「うおおお」になったのよ。
夏目雅子さんの三蔵法師があまりに綺麗で…それ以来イメージがある程度決まったのではないかと思う。
本来「西遊記」とはちょっとズレがあるけど、ED曲のゴダイゴ「ガンダーラ」も名曲だったし、憧れが募ったところへ今度はNHKが満を持して「シルクロード」を放送したのよね。
そしてその直後に教科書掲載の「幻の錦」龍村平蔵と大谷探検隊の話を読んでめちゃくちゃ感動したのだよ。
これはもう今日のわたしの基底の一つ。今思い出しても胸が熱くなる。
その数年後には諸星大二郎が「西遊妖猿伝」を開始したし。そして中島敦の「悟浄出世」なども読み、近年には平岩弓枝もいかにも平岩的なキャラの「西遊記」を出した
まあやはり「西遊記」は面白いのですよ。
2.名所の絵画
洛中洛外図の昔から、江戸時代の名所図会、浮世絵師の各地名所図、大正から昭和の新版画で表現した旅の風景。
なにもかもが素晴らしい。
南都八景図帖 吉田元陳のと狩野栄信のが並ぶ。去年の「梅と桜の美術」以来の再会。
奈良の名所はわりと近くにまとまっている。
京奈良名所図扇面冊子 江戸前期 60点の内34点が出ていた。金地に綺麗に名所図会。
都名所図会 1786版 石山寺、高尾、三井寺、野々宮のまつり、東寺、吉野、奈良大仏(大仏殿がない)、六角堂、舟が寄る竹生島、何故か富士山が右端に見えるどこか。
大和名所図会1791、河内名所図会1801、東海道名所図会1797…みんなこの時期に熱が高まったのだろうなあ。いい感じの本ばかり。
3.絵師と旅
多くの絵師が旅に出た。出ないままどこかを描く絵師もいたが、やはり旅に出ると気分も大いに変わる。
美人画で高名な鏑木清方は少年時代に脚気になった。江戸から東京になって30年ばかり経ってもやはり江戸の人々は白米を食べすぎて脚気を患い、旅に出て治した。
17歳の清方は「牡丹灯籠」で名高い圓朝師匠に誘われて栃木への旅に出た。
その旅については「こしかたの記」に詳しい。
後年挿絵の仕事が忙しすぎて神経を病み、電車に乗れなくなった清方だが、若い頃にはこのように旅にも出たのだ。
圓朝は少年にやさしく、清方はよい思い出を長く残した。
因みに清方の旅は、昭和五年にハイヤーを駆って数日をかけて京都へ出て、日本ローマ日本画展に向かう画家仲間を見送るというものがある。
電車に乗れずともハイヤーを何台か連ねれば東京から関西へ行ける、と言う見本である。
清方の傍らには夫人がついたが、二人の令嬢はそんな辛気臭いツアーは嫌だと、関西出身で鏑木家の信頼が非常に高い弟子・寺島紫明の案内で一足先に列車で関西入り。
この辺りは「続こしかたの記」にある。
殿様蛙行列図屏風 渡辺南岳 リアルな人体に顔だけトノサマガエルの大名行列。ちゃんと身分も分けられている。この屏風はなかなか楽しくて好きだ。
神奈川風景図 谷文晁 1802 手前に小さく房総半島もある。これをみて思い出すのは浦賀の果てまで行ってから船に乗って金谷まで出たこと。30分ちょいの船旅で鋸山の町へ出かけたのだ。東京湾フェリーで往復。楽しかった。2010年の話。
名所図を見ると、時代を越えて個人的記憶・感慨と絡まり合うのでとても楽しい。
暑中芙蓉峰図 森徹山・鄭嘉訓賛 鄭氏は中国名、琉球の官僚で書家の古波蔵爾方。
親方(うぇーかた)は称号で高い身分であることがわかる。
「琉球の風」で知った。その前に「ウンタマギルー」でも親方と呼ばれる人がいたので、旧時代での称号のこととは思いもしなかった。
こういうこともいちいち学ばないとわからないことだ。
富嶽図 宋紫石 1776 ああ、あの悲しいような大きい目をした虎の絵の人か。
チラシに。使われている。
豆州 田子浦 そして年月日
江の島図 小田野直武 こちらもそう。思えば富士山にしろ江ノ島にしろ、お江戸の人には旅なのだよなあ。むろん大和文華館の奈良からはとんでもなく長旅。
司馬江漢のあやしい絵もある。
海浜漁夫図 3.5頭身くらいの人々がいる。
七里ヶ浜図 波の静かな風景。
生命体が停まってる感じがするのよな。
攀嶽全景図 鉄斎 1889 大きいなあ。富士山図。大きいわ。
富士講の人だけでなく一般の人が富士を上るようになったのはいつからかな。
いや富士講も一般人か。
東遊雑記 古川古松軒 1789成立 写本 主に羽黒山ツアーを記している。
とはいえそれは「奥の細道」のような情緒のあるものではなく、比較検討してたり色々とリアリスティックな内容。
近藤重蔵がこの本を持って蝦夷地へ出かけたそう。他方松浦武四郎は彼の描いた内容を批判してもいる。
現物をきちんと読んだこともないので、わたしにはわからない。
なお弘前大学図書館は写本の一つで綺麗な挿絵入りのを所蔵してデジタル公開している。
京畿遊歴画冊 吉野山を中心にしたツアー 江戸後期、誰かがこうした絵を描いてくれたのが残っているのです。こういうの、本当に大事。
書き込みをみる。
翰墨随身帖 田能村竹田 今回はカニたちと奇岩の二点。2018年のこの展覧会以来かな。
生命の彩 ―花と生きものの美術ー
最後に讃岐の源内焼、緑釉日本地図文角鉢 方位盤まで描き込みされてましたわ。そういうちょっと科学的な感じが「源内」焼ぽくて楽しいよ。
8/22まで