遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
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2020年最初の東京ハイカイ録。

2020-01-27 17:18:23 | 記録
2020年最初の東京ハイカイ録。
ハイカイと言えぬほどこの二日間の行動範囲は狭い。
理由は色々あるがまあやっぱり最初に公共交通機関にそっぽ向かれたことだな。
当分の間、三月までは都バスに乗らんぞ。まだ腹が立つ。
そしてMOTにも行かねえぞ。MOTって何ですかと言われたらあれだけど、以前はMOTと呼んでほしいとそこがいうていたが、佐藤栄作の昔から自称したものは地味に定着しないという決まりがある。
まあそれは別にどうでもいい。

今回はいつもの定宿ではなく、セカンド定宿。そこへ行くのに地下鉄で向かったが、これがまた色々とやらかしてしまう。
足が痛いのにわたしは一体何をしているのか。
目が回ってきたよ。

とりあえずたどり着いて荷物だけおいて仕切り直し。
それで人形町へ向かったのだが、途中の甘酒横丁で謎なビルを発見。
みたことがあるだけでなく名前が「美術館ビル」…
これ、今は茨城県か栃木県かに行ってもた栗田美術館の跡地のビルやないかな。
行ったのは1996年2月。早いなあ、もう随分前だよな。
その時いった展覧会はこれだけ。

リカちゃんとバービー フジタTOY
版画 太田記念浮世絵美術館
浮世絵 DO!FAMILY美術館
オルセー美術館 東京都美術館
華宵・未公開挿し絵 弥生美術館
常設 深川江戸資料館
女性に寄する展覧会・女性を捉えた美人画・小物 弥生美術館
線の芸 鏑木清方 目黒雅叙園
八島太郎 いわさきちひろ美術館
ちひろの赤ちゃん いわさきちひろ美術館
伊万里焼と色鍋島 栗田美術館

ちょっと泣く。今も存続・繁栄しているところはよいけれどなくなったところが…

甘酒横丁、おばちゃんむけの服が安くてたくさんあるなあ。みんなにぎやかで何より。
わたしが買うにはまだちょい早いか。
まっすぐ行ったら玉ひでの出口についた。
そうそう、昔ここに初めて行ったとき、まさかの現物が…飛んで逃げたがな。
ひーーー
あっ今半がある。そうか、ここか。あとまつむらでカレーパン買う。
派手なパンはないが総菜パンが多い。ピーナツバターとアンのツインのも買う。
さてわたしはとりあえず地下鉄で上野に出ました。
最近はパンダ橋から公園入りするのがストレスフリーなのだ。

西洋美術館からと思ったがめっちゃ並んではるし。
先に東博へ。
都美のハマスホイ、12年前の展覧会に溺れた人々からは不評とまではいわんがあれだったな…まぁさよならだ。

東博に入りました。冬枯れの庭園もわるくない。たまにこういうわびしい風景をみるのもいい。わびさび。冬の楽しみかな。
ほんで戻ってテラスでまつむらのパンをランチにする。
長らくこういう「手作りパン」を食べないので、こんなもんかなあと思ったり。
どうもわたしはもうちょっと派手なパンが食べたくなってきたぞ。
派手なパンてなんやと言われたら困るが、今わたしのアタマに浮かぶのは神戸のイスズパンなのだった。
尤もそうそう派手というわけでもないが。
そうか、要するに関西の味付けのパンでないと淋しいのだな、わたしは。

東洋館で長居。やっぱり事前情報仕入れてたのはよかった。
卞相壁の猫絵な。これだよこれ。



こんなん見たり企画展みたり本館楽しんだりで時間が無くなり、来月に出雲展持ち越し。
そのまま西洋美術館に参りますとこれまた行列が。
でもハプスブルク展に行くのはこの日しかない。

遺伝学というのはヴィクトリア女王の血友病のことしか考えてなかったけど、マリア・テレジアのところの遺伝子ってすごいな。
パパそっくりの娘ちゃんとかいろいろな…
絵かと思ったら石などで出来たのがなかなかよく、工芸品のよいのが来ていたのは楽しかった。

この後久しぶりに池袋に出た。
タカセでサバランをいただく。初めて9階へ上がり、アールグレイとサバラン。
ほかにプチタルトやブランデーケーキを購入。昭和の味わいが素敵なタカセ。

少しばかり買い物をしたが、まさかのもしかの探し物が見つかり喜ぶ。
やはり探さないとだめだな。

送迎バスで宿へ帰る。ナウシカ歌舞伎の裏側密着番組見て怨毒に焼かれる。←継国兄弟にハマりすぎ。
ここまで。

翌日わたしは竹橋に行くのにこれまたいろいろとトラブる。
なんだろうな、二日続けて東京駅でしょーむないトラブルがあるとはなあ。

とりあえず先に工芸館へ。もう最後なので外観も内装も撮れるだけ撮る。
またまとめなくては。

展示品もぱちぱち。なんかタグ付けしたらトートバッグくれるそうでぱちぱち。
もともと挙げるつもりだったからうれしいよ。
金沢は遠いんだけどなあ。

さてわたくしは始まったばかりの公文書館の「江戸の初物尽くし」をみる。
ここでいろいろと面白い知識を得たり資料を楽しんだり。
今までなかなかここに入らなかったのがもったいないくらいよ。
ここでもタグ付けで…絵葉書もらいました。ありがとう。

ようよう近代美術館。窓展。まさかの撮影可能。えー知らんかった。
ぱちぱち。あれだ、茂田井武がわりとあったのがうれしい。

本当はさらに別なところへ行く予定だったが、むつかしくなりやめる。
それでリクシルへ。京橋だから新幹線も近い。
北陸の方の仕口いろいろとみる。
勉強になる。なるがわたしの場合それはただの「知る」だけで使えるわけではないのだ。

予定よりかなり早い新幹線で帰阪。
ホームからまさかの3分で阪急バスに乗り込む。
我ながら素早い。走ってもいないがあそこからここまで3分は早い。
えらいぞ、わたし。

また来月までさらば。



振り返る、アジアのイメージ 日本美術の「東洋憧憬」

2020-01-21 17:16:45 | 展覧会
アジアのイメージ 日本美術の「東洋憧憬」
魅惑的なタイトルの展覧会だった。
例によって終わった展覧会を回顧するわけだが、この展覧会はあるところまでは「懐古」であり、ある位置からは現在から未来へ向かっている。



鎖国を解いた日本が欧米に目を開かれたあと、今度はアジアへ視線を向けた。
政治と軍事との関係でアジアに臨んだのは悪行だとしか言えなかったが、アジアの文化に心を揺すぶられた人が多かったというのも事実なのだ。

明治の末から昭和戦前にかけて特に関西の文化人は中国の書画骨董に強い愛着を抱いた。
関西の名だたる古美術系美術館にはその当時収集した古代からその当時までの中国の美術品が多く所蔵されている。
以前、それらをリレー式で展示し続ける企画があり、多くの人がそのコレクションを楽しんだ。
関西中国書画コレクション展である。京博をはじめ大阪市立美術館、私立の泉屋博古館、黒川古文化研究所、観峰館などが参加した。
当時の感想はこちらに挙げている。

この以前も以後も多くの展覧会が開催されたが、このリレー展ほど関西の中国書画骨董への偏愛の強さを知らしめた企画はなく、今後はもう不可能かもしれない。
それから十年ほどたって、「東洋憧憬」として東京都庭園美術館で開催されたこの展覧会は、中国だけにとどまらず、「東洋」としての東アジア全域からその美を招び集められていた。

1920年代のモダンさを詰め込んだ東京都庭園美術館でこの展示が行われたということ自体が、魅力を深くする。
洋風の邸宅に東洋のものを設置することで生まれるアンマッチの美。
わたしはその美を愛でる。
この感性は山岸涼子作品から知り、自分でも学び続け、味わい続け、長い年月を経て、今では芳醇な歓びを齎すものになっている。

山岸涼子「ドリーム」に描かれた洋館と東洋の古美術の粋。
それは昭和の末近くのある頃、地方のある一族の物語だった。
明治の洋館に住まう家族に君臨する美しいひと。そのひとの夢を実現化した建物空間、庭園、家具、生活のなにもかも…
まだ中学にもいかない年の頃にわたしはこの物語を読み、その美意識に圧倒された。

モダンなアールデコの美を形にしたこの旧朝香宮邸は前述の明治の洋館ではなく、もう二つくらい先の様式の美意識をまとった建物である。
ここでは以前から「ここでないと味わえない」展覧会がいくつも開催されてきた。
豪奢な宝飾品が展示されたときは邸宅自体も煌めき、この大邸宅にふさわしい絵画が飾られたときはお呼ばれをした心持になって、作品とそれがある空間とを共に楽しんだ。
今回の展示もまた同じくこころよいものだった。

香水塔のある小部屋を横目に大広間へ入れば、そこには昭和の日本画家二人が描いた優美にして壮大な仏画があった。仏画といっても実際には風景画なのでもある。
大同石窟や雲崗窟に刻まれたり描かれたりしていた仏たちの肖像を描いているので、肖像画でもある。

川端龍子の大同石窟は1938年の作。ここにも少し物語がある。
立派な仏の横顔を通して、龍子やその仲間のよい話が付される。

杉山寧は1942年と1986年と40年の歳月を隔てて雲崗の菩薩たちを描いた。
大きく画風を変えた人だが、どちらの時代のものも色鉛筆で彩色されてやさしい色を見せている。
戦時中の作画は仏と向き合うことで何かを得たりしたのだろうか。
昭和の末頃の晩年の作画は再会の喜びを得たのだろうか。
そんなことをも考える。

大客室には色のはっきりした油彩画があった。
劉生の果物や藤島武二、安井曾太郎の花、バーナード・リーチの皿などで構成されている。
「静物画の中のアジア」と章題のついたこの空間には日本の洋画家が描いた油彩画と英国人陶芸家の日本でバラ、アザミがねっとりと息づいている。
脂の浮いた歓びがある。

大食堂にゆく。
いつ見てもここの照明は素晴らしく、壁面装飾も何もかもが楽しい。
そこにはチャイナドレスの婦人を描いた絵がある。
まるでそこで食事をした後のひとのように。
藤島武二 匂い  鼻煙壺を静かに愉しむ女
安井曾太郎 金蓉  何か国語も話せるインテリ婦人
岡田謙三 満人の家族  庶民の様子 立ち去ろうとするようにも見える。

二階へ上がる。
北宋から元までの白と黒で構成されたやきものと、白と黒を追求した石黒宗麿のやきもの、殷周の昔の青銅器、香取秀真、津田信夫らの鋳造した動物たち、色彩の華やぎは薄いかもしれないが、確かな存在感がある。東洋の古代と近現代が近いことを思いもする。

五彩の美もある。魯山人、富本憲吉らの優美な色調と東博から来た金や明のやきものの取り合わせが楽しい。

螺鈿や彫金や竹工芸の楽しみもあった。
松田権六の箱、飯塚琅玕齋の竹籠がいい。
そして大坂を中心に流行した煎茶の楽しみに竹工芸は喜ばれた。
南京玉の入ったものや色を塗ったものなどがある。
これらを見ると西宮の頴川美術館の所蔵品を思い出す。
大坂の煎茶文化、文人たちの交流などは頴川での展覧会から学んだのだ。
綱島から桜ノ宮あたりという、今の藤田美術館のある界隈で「青湾茶会」が開催されたそうだ。大阪での煎茶ブームは1862年から1925年、幕末から大正までだったようだが。

朝鮮の美を楽しむ。主に李朝の白磁。これは浅川兄弟の尽力があったればこそ、当時の日本人が知ることになったのだ。柳宗悦の蒔いた民藝の種は多くの場所で豊かに実った。
河井寛次郎のよいやきものをみたところで本館の展示は終わり。


新館では現代の作家の仕事を見たが、申し訳ないがイメージが茫洋としてしまい、よくわからない。

1932年の北原千鹿の双魚衝立の可愛さに惹かれた。リズムの異なる格子を鍛金、真鍮、石などで装飾する。

わたしはやはり20世紀までの「東洋憧憬」に焦がれているのだった。

「夢二の手しごと」後期を楽しむ その2

2020-01-20 16:11:23 | 展覧会
既に終了した展覧会を顧みる楽しさよ。

前回の続き。

夢二は少女向けの絵や物語にも才を発揮した。
わたしなどは童画、抒情画のほうが美人画より好ましく思える。
「少女世界」表紙原画 1926

うさぎさんがぴょーんと飛ぶ、その向こうには海が開き、魚が泳ぎ、鳥も舞う。


主に夢二の創作した物語から。

レイちゃんの目覚め  赤んぼレイちゃんはパパッ子。

こうした設定を見ると、夢二が三人の子供の父であり、離婚後も次男だけは常に傍らに置いていたことを思い起こさせる。


電車の中

学校をやめて働きに出た少女が、通学中の同級生と社内で鉢合わせ。目を合わせることがどうにも出来ない少女。
勝気な目をして、精一杯に立つ。
座席に座る同級生のほうがせつないかもしれない。


ヴァイオリン  家の外から聞こえる素敵なヴァイオリンの音色。そっと確かめてみれば…

行き場のない老人が演奏していました。


バルコニー これは絵を見ただけではただの仲良しの少女たちの様子にしか見えない。

実は…田舎に引っ越してガーデニングや農作業を楽しむA子の前に、都会時代の友人B子が訪ねてきたのでバルコニーに誘って出来たものを自慢しようとするが、無神経で自分のことしか興味のないB子はそんなことにも気づかずズカズカ歩き、葉をけり、好きな相手の話はかりする。
…ああ、どちらも古い友人とは縁を切ったほうがいいよ…


芽生え  姉弟が植えた朝顔にはっばが一つ咲きました。




中山晋平の作曲した作品群のうち、民謡ばかり集めたものがある。その作品集から。
原画と印刷物と。色のメリハリが違うな。印刷を考えての配色。
1930年 

不壊の白珠




唐人お吉の唄


望んだわけでもないのに情夫とも裂かれてらしゃめんになり…


波浮の港



人気が高く全曲集、民謡集と二種あったが、どちらも原画は同じものを使用。


舞鶴小唄 1929  芸妓の帯が鶴柄。

ちょっと調べたところ、国立国会図書館にこのレコードが「歴史的音源」として収集されているらしい。


西尾小唄 1929  こちらは愛知の西尾か。この歌は去年の西尾市の盆踊りでもまだ現役だそう。

モダンでハイカラな着物と帯。柄は昔からのものでもモダンに見えるところがいい。


スキー節 1929  スキー人気も高まっていた時代。

越後高田で作られた歌。歌詞は高田日報社に相馬御風が補作。


出船の港 1927  黒いシルエットだけしたのが素晴らしい。こうしたデザインセンスが夢二のすごさ。

ここにはないが「矛を収めて」の絵もよかったのを思い出す。


次はセノオ楽譜
ヴェニスの舟歌 1924 初版

ゴンドラの上空に花火が。素敵だ。

こちらはセノオ楽譜の原画
扉 1924

モノクロのカッコよさ。真ん中には鍵穴まである。


風景 1926  窓の外には未確認飛行物体が…楕円形なのだね。しかもこの山はヒマラヤ山脈かもしれない。

実はこの「風景」とはフォスターの歌の「故郷」らしいが…


表紙原画「民謡詩人」1929  これはお蔵入りのものらしいが、「現代詩人自選号」とある。セノオ楽譜なのか否かはわたしにはわからない。

富士山、ヨット(!)、倉の並び、門付けの女。新内か何かはわからない。小正月なら鳥追いかもしれないが、どうなのだろう。

今回もたいへん楽しく見て回れた。
今年はよいラインナップの企画展が続くので、なんとか訪ねてみようと思う。

「夢二の手しごと」後期を楽しむ その1

2020-01-16 12:35:56 | 展覧会
嵯峨嵐山文華館で1/13まで夢二の作品が展示されていた。
Twitterなどでいろいろと紹介してきたが、後期は最終日に行ったのでツイートできず、こちらでまとめることにした。

春の野 1911

千鳥柄の着物の娘が三味線を抱いて一休みしている。
おそらく旅芸人だと思う。昔はそんな人が少なくなかった。



左 室之津回顧 1916
右 阿蘭陀屋敷春宵 1914

室津は古い昔から遊女もたくさんいて、中世都市の中では特に華やかだった。

手前の女は遊女、向こうの男は客ではないらしい。
同時代の谷崎潤一郎にも室津を舞台にした「乱菊物語」があり、劇作家秋元松代「元禄港歌」も名作だ。


大きなポットや提灯などがそこはかとなくその場所がどういったところかをわからせる。
古い歌にも「阿蘭陀屋敷に雨が降る 濡れて泣いてるじゃがたらおはる」と歌われもする。



ぬれつばめ 1912
もとからこんな形の被り物なのか衣服なのかはわからない。
ただなんとなく歌が聞こえてきそうな情景でもある。


童画もある。

洗濯  小さい女の子が洗濯するお母さんの後ろにいる。遠くには工場の煙、電柱など20世紀初頭の<新しく伸び行くもの>がみえる。


次は1921年の連作「女十題」から。
北方の冬

御高祖頭巾の女。これは髪型で身分がわかる江戸時代に開発されたもの。明治大正も和装の時にはよく使われていた。


朝の光へ

髪飾りが素敵。なにか良いことが起こるかもしれない予感。
洋画ではこうした主題の婦人を描いた絵がいくつかあるが、その主題を採るところがいい。


産着

「母親」という存在に対し、夢二は優しい目を向けていた。


紅梅

誰の目も気にすることなく自分だけで喜ぶ。ムフフ。梅、いいなあという感じ。


黒猫

夢二は黒猫と女のモチーフが多い。結核除けという迷信もあるが、この女はなかなか元気そう。


ネルの感触

ネルといえば寝巻によく使われていた。洒落ではない。今はあまり聞かないが。
リアルな実感のある女だと思う。


逢状

ラブレター


舞姫

京の舞妓さん。夢二の舞妓絵はいい。


三味線堀

三味線堀というのは鏡花の小説にもあるが、今でいえば新御徒町のあたりだそうな。
無論埋め立てられて跡など偲びようもない。「怪談三味線堀」という映画もあった。
忍川に面した蔵の立ち並ぶ背景。


木場の娘

黄八丈の初々しい娘。なにやら嬉しそうにみえる。白い肌に鮭紅色の半襟が映える。

つづく。