辻村寿三郎師が亡くなったという。2/5のことだった。
訃報は2/13に入った。89才だったという。
少し前に「二代目辻村寿三郎」なる人が襲名して世にあることを知った時から、覚悟はしていた。
だが、だからといって割り切れるものでも受け入れやすいわけでもない。
唯一無二の人が亡くなった。
そのことを悲しむことを止められない。
大方の人がそうであるように、わたしもまたNHK人形劇「新八犬伝」から辻村ジュサブローを知った。
当時はカナ表記で長くその名義だった。
辻村寿三郎となったのちも発音と気持ちとは多分皆さん「ジュサブロー」だったろう。
世に他に知らない名。
探せば無論いるに違いない。
だが「辻村寿三郎」または「辻村ジュサブロー」なる人は世に一人しかいない。
たとえ二代目さんがいるにしても、わたしの中では昭和八年満州の置屋で生まれ、後に比類なき人形作家となる辻村ジュサブローは唯一の人だ。
昭和も随分遠のいたが、今も燦然と輝くもののうちNHK人形劇「新八犬伝」と「真田十勇士」は中でも決して輝きを失わない星だ。
わたしは「新八犬伝」の終盤からのファンだ。
丁度犬山道節が長年の敵・鰐崎悪四郎猛虎の行方を突き止めて、刀を背負って下帯一つで敵の本陣に侵入したところ、向こうが一枚上手で道節はあっけなく罠に落ち、文字通りプールに落ちてアップアップするところから見始めたのだ。
道節の人形は片眉を挙げ、片眉を下げて口をグーっと挙げた個性的な面構えである。
後に知ったが、この人形の原型はジュサブローの前作の「桜姫東文章」での釣鐘権助だったようだ。
作者にも気に入られた造形、ファンも彼のアクの強さを面白がった。
その道節に対し、憎々しいカタキの鰐崎夫婦は「鼻たれ小僧」云々と弄る。
結局はそこまでで道節は親の仇打ちを為すのだが、こういうところから見始めると、ドラマの主人公・犬塚信乃の影は薄まる。
なにしろこの当時の信乃はまさかの琉球からの帰途にあったのだ。
そう「新八犬伝」は「南総里見八犬伝」だけでなく同じ曲亭馬琴の「椿説弓張月」もその「世界」に組み込んでいる。後年三島由紀夫の戯曲を元にした歌舞伎を見たときに、やっとその全容を理解した。
(わたしが観たのは三世市川猿之助が為朝、玉三郎が白縫、後の十七世勘三郎がまだ五世勘九郎時代で阿公を演じた2002年歌舞伎座12月公演である。その前の公演はTV放送で見た)
話を元に戻し、そこから「新八犬伝」に熱狂した幼いわたしは犬飼現八のファンとなった。
かれは丸顔ではあるがどこかいなせな処と同時に熱血なところがあり、彼の活躍を楽しみにした。
人形たちはいずれも皆個性的で、モブでも原型のパターンはあっても少しずつ違う個性が与えられ、生き生きと画面の向こうで活きていた。
これは操演の伊東万里子さんらの力演に依るものだ。
動けるように設えられた人形は、動かなければ休眠状態になる。動いてなんぼの存在でもある。
放送当時1973から1975年などは録画機能もほぼなく、世に残るのはほんの数話という状態だと後年知ることになるが、この頃はそんなことも知らず、ただ一心不乱に生放送の人形劇を見つめていた。
この「新八犬伝」はOPに太棹がベンベンベンと鳴り出すところから始まる。
今でもわたしが太棹にシビレるのは「新八犬伝」あったればこそだ。
当時小学校低学年のわたしは既に時代劇ファンでもあったから、すんなり沁みて行ったのだと思う。
八犬士だけでなく、大人気のキャラがいた。
その名のりは「我こそは玉梓が怨霊」である。
そう、これは「関西電気保安協会」をリズムをつけないと決して発音できない関西人と同レベルのもので、何があっても絶対に
「わーれーこそはー玉梓がぁ怨霊―っ」
なのである。
この一際大きな人形は辻村ジュサブロー本人の操演だと聞いた。
玉梓の扇を持つ手と爪。扇は綺麗だし頭に付けた吹輪も綺麗だが、やっぱり玉梓が怨霊は怖い・・・
彼女の怨みの大きさが諸悪の根源で、それはそれでまた因果があるのだが、だからこそ主題歌が
「廻る廻る廻る因果は糸車 廻る廻る廻る世の中めぐり合い」
で始まるのだ。
この玉梓が怨霊の怨みをついに昇華させるのが最終回で、原因の一人である「丶大法師(ちゅだいほうし)」が、八犬士が生まれながらに持っていた珠・仁義礼智忠信孝悌をつないだものを玉梓が怨霊に懸ける、すると文字が「如是畜生発菩提心」に変わり、玉梓が怨霊は晴天の中、消えてゆく。
それを見届けて丶大法師こと金碗大助が還俗と同時に切腹する。
更に八犬士の姿が消え、八匹の犬たちがそれぞれ珠に乗って宇宙の彼方へ消えてゆく…
彼らの恋人たちは取り残されながらも「きっとまた会える、必ず帰ってくる」と呟く。
「必ず帰ってくる」と言われたキャラたちは誰一人帰ってこないことを半世紀近く経って、ようようわたしは納得されられたが、ジャイアントロボにしても八犬士にしても、帰ってこないのはただただ淋しい…
大人気の「新八犬伝」終了後すぐに毎日新聞で瀬戸内晴美の新聞小説の連載が始まった。
「まどう」である。
当時彼女はまだ寂聴ではなかったと思う。
「まどう」の挿絵は他ならぬ辻村ジュサブローだった。
般若心経の一文字一文字を顔の分からぬ裸体男性というより人間が絡むという官能的とも仏教的ともいえる挿絵を毎日世に贈った。
当時まだ小学生ではあるが、わたしはこの小説を読んでいた。
瀬戸内晴美は色々と誹謗されていた時期で、本来ならば小学生が読んでいいものではなかった。
なにしろ犬の八房に性的にときめいたことを女が告白するところから始まるのだ。
読み乍らわたしは「とんでもないことを書くひとだなあ」と思っていた。
作品は般若心経を構成する文字数と同じ回数で終了したと思う。
絵は墨絵で、わたしが墨絵を身近に観たのはこの時が始めだった。
祖母の家の掛け軸の竜が怖かったが、あれは墨絵ではない。
やがて「真田十勇士」がはじまった。
原作はシバレンこと柴田錬三郎である。
ドラマの最中に亡くなり、年の暮れの新聞のその年の出来事イロハ「ね」で「眠りに落ちた狂四郎」とあったのを忘れない。
シバレンは「眠狂四郎」作者として現代でも人気である。
「御家人斬九郎」もドラマ化されたことで本が再版されて、これまた人気だ。
シバレンは真田十勇士も何種類も書いている。これは一応ジュブナイル。
シバレンは実は偕成社版の「ポンペイ最後の日」などジュブナイル作品も多い。
昔の文士は子供たちの為によい作品を書いているのだ。
わたしは父にたのんでシバレンのこの人形劇の原作の方の「真田十勇士」五巻本を買ってもらった。
この人形は金髪の造形が多かった。
皮膚が縮緬なのは「新八犬伝」と変わらない。
顔立ちはやはり少し変えているが、モブキャラは似たキャラが多く、もしかすると共通していたのかもしれない。
ここではわりと切れ長のキャラが多かった。
「真田十勇士」は前作と違いマジメな方向で物語が進んでいたが、それが視聴率の低下を招き、途中で方向転換をしたらしい。
「らしい」と書くのは、わたしにはあまりわからなかったからだ。
それに真田十勇士はどうしてもというより、なにがあっても、確実に絶対に何人かは死ぬのだし、彼らの主君の真田幸村も戦死するし、にっくき家康は元和二年まで生き延びやがるのだ。
ここで「生き延びやがる」と書いてしまうのは、このドラマに熱狂するあまり、今に至るまでわたしは家康が大嫌いになったのだ。
なので滝田栄が家康をしても気分が悪いし、津川雅彦の家康はやっぱりピッタリだと思いながらも見ることもなかったし、今の「どうする家康」に至ってはこの「ババ垂れめが」と思うだけだ。
まあ要するにそれだけ入れ込める作品であり、それを促したのはドラマを演じる人形たちなのだ。
猿飛佐助が武田勝頼の遺児だという設定は、シバレンの真田物の共通設定である。
それを戸沢白雲斎が救い出し、出生のことを隠して忍者として育てる。
ところがこの佐助は人が良すぎて優しすぎて忍者には向かない。
向かないのに技能は高い。それで色々と苦しむ。
佐助は主人公であり、彼はついに最後まで生き延び、それだけでなく物語の初めに出会った少女・小笹と長い間の恋をついに実らせる。
この物語で唯一の普通の幸せを掴む男でもある。
そしてもう一人の主人公は真田幸村である。
脚本家・三谷幸喜が「真田丸」で大評判をとった時、彼もまた「真田十勇士」ファンだということを強く認識した。
真田パパに往年の美青年・草刈正雄を配したのも、やはり少年の日に見た草刈さんの美貌にときめいた証拠だとも思う。
世に二人といないほどの美青年だった草刈さん。様々なハーフの美青年を見てきたが、彼以上の美貌は知らない。
なので三谷幸喜は草刈さん孝行をしたと思っている。
昨年の「鎌倉殿の13人」もそうだ。「草燃える」を見ていたからこそ、自分が大家になった時に自分の手であの話を書いたのだ。
話を戻して人形劇「真田十勇士」。
シバレンの想像力の広さが霧隠才蔵をイギリス人の海賊船長の息子に設定した。
かれは大鷲のマンダラに乗って空を駆け巡る。
このマンダラは可哀想に死んでしまうのだが、その後に弟の大鷲ゴンドラが現れ、才蔵と苦楽を共にする。
才蔵はエゲレス人なので日本人の優柔不断、曖昧さを理解しない。かれは敵に情けをかけることはしない。
殺す奴は簡単に殺す。なので佐助としばしばぶつかるが、佐助は別にそれで才蔵を憎むこともないし、才蔵も腹を立てることもない。
エゲレス人の才蔵はどういうわけか殆どターザンのような格好でいた。下睫毛が長いなかなかの男前人形である。
読み本にはなく、ドラマだけのオリキャラに英国人の女海賊がいる。ふわふわの金髪で帽子をかぶり、綺麗な顔立ちの人形だった。
今とっさに名前が出ないが、彼女と才蔵はぶつかりあいながらも恋をするが、彼女は死んでゆく。
ドライな才蔵もマンダラの死後以降初めて泣く。
いまわたしは自分の記憶に頼って書いているので、何か知る人があればTwitterで伝えてほしい。
十勇士になる人々のうち、尤も美男は三好清海だった。
金髪のストレートヘアの美麗な青年の人形で、彼は大凧に乗ってその風で敵を蹴散らしたり、偵察したり、美貌を使って女装して仕事にでることもある。
元和二年、清海は美貌の侍女の一人として江戸城に入り込み、ついににっくき家康の毒殺に成功する。
家康の死を確認した彼は正体を現し、笑いながら主君幸村の仇打ちがなったと言い、堂々とその場で討たれる。
清海の美貌が心にあるので、ある時わたしは他の人の書いた真田十勇士を読んでひっくり返った。
美青年として登場させたのはシバレンただ一人の工夫で、後はどれを見ても雲着くばかりの大男の破戒僧なのだった。
幸村は知略の人だが、十勇士にもただ一人智謀の人がいる。
穴山小助である。かれは賢すぎることから真田にも豊臣にも勝利の芽がないことを最初から分かっている。
しかし色々と考えた末、自分の生を無駄にしてもいいかとばかりに幸村のもとへ入る。
これは同じ十勇士の那智山で修行する一族の「高野小天狗」の影響もある。
というのは高野一族は五十歳を一期に滝に打たれて生を絶つのだが、それまでの家訓として
「滅びゆくものに栄光を与えよ」
これを実行している。
最初から勝ち目がないことをわかりきっているのは小助と小天狗の二人で、しかしかれらはだからこそ幸村の股肱之臣となるのだ。
因みに「股肱之臣」や「山川草木敵味方」「栄枯盛衰」などという文言は全てこの「真田十勇士」から知ったことだ。
ありがとう、シバレン。
小天狗は緑とも青とも言えぬ色の肌をしていて、鼻ビアスをつけている。
人形の造形としてもなかなか奇抜なファッションだが、それだけに妙な納得もある。
そして小助は小顔の男前で、彼だけは少しばかり「新八犬伝」のキャラを引きずっているような顔立ちだともいえた。
今思っても男前な人形だった。
かれは輪郭も似ている幸村の影武者として、わざと斬られて死ぬ。そうすることで主君が動きやすくなるので、あの智謀の男は笑って死んでゆく。
その死を看取るのが時代の違う柳生十兵衛なのはやっぱりシバレンのサービスだ。
家康だけでなく憎いのは柳生但馬守である。
こいつがもう本当に憎らしい。服部半蔵も憎たらしいが、実は彼は途中で耄碌爺さんになってしまう。
そしてその彼の介護をするのが狐の化けたお紺なのだが、お紺の人形は多分新八犬伝からスライドしていると思う。
彼女はドラマオリキャラだが、穴山小助から思いを寄せられていた。
細面と丸顔で分かれるキャラ達。
青海同様細面の男前キャラといえば由利鎌之助がいる。
彼は元は宇喜多秀家の遺臣で、息女鶴姫と秘かに心を通わせている。
この設定はシバレンだけではないらしく、笹沢佐保の真田ものでもそうだった。
村上知義「忍びの者」、司馬遼太郎「風神の門」では少し違う。
かれは後に薩摩に落ち延びる秀頼の影武者となるのだが、その修行を高野小天狗に習う。
鶴姫とは悲恋で終わるが、実は鶴姫もシバレンの小説では父の流された八丈島に暮らしている。
劇中では真田に敵対する忍者で後に吸血鬼になった男に襲われかけたりした後、色々あって死んでしまう。
鶴姫は「新八犬伝」の少女キャラと顔立ちが似ていたので、もしかするとスライド登場かもしれない。
女性キャラは綺麗な娘より可愛い娘の方が多かった。
佐助の恋人・小笹もそうだが、彼女は出雲阿国と名古屋山三郎の間の娘で、父に付き従って流浪するという設定だった。
というのは山三郎は実は家康の落胤で、父を怨んで暗殺をもくろむ男なのだ。
小笹は後に佐助の生母で尼僧となった恵林尼と同居し、正体を息子に語らぬ彼女を最後に看取る。
ここで恵林尼という名が出たが、彼女を救ったのは例の「火もまた涼し」の恵林寺の和尚というもりもり設定だった。
細面の美人キャラといえばこれは石田三成の遺児で忍者として育てられた夢影がいる。
彼女を育てたのは木曽の影大将だが、これが真田と敵対して後に吸血鬼になってのキャラで、いまちょっと詳しいことを思い出せない。(最初は地獄百鬼だ)
夢影は佐助を慕うが、彼には小笹がいる。そして彼女を愛するのは清海である。
この辺りの一方通行ラブはみていて切なかった。誰も嫌な人はいないので、よけいに可哀想なのだ。
更に言うと、原作の最後の最後、夢影は生き残った真田大助を木曽に案内する。
大助は第二の影大将になるかもしれないという一文で小説は終わる。
ドラマでは夢影は千姫の影武者として茶臼山につれられるが、そこで致命傷を負い、救いに来た清海の腕の中で死ぬ。
わたしは原作の夢影生存話を推したい。
人形で他に個性が強かったのは山田長政、後藤又兵衛などか。
山田長政はごく最初の頃に現れるだけで後は出てこない。
三人の女の誰を嫁に選ぶかと幸村は問われ、かれは候補の三人に笑って見せろと言う。
結局笑えず泣いた娘と結婚するのだが、中に高慢に笑う姫がいた。
その彼女に山田長政を負かしたいからと持ち掛けて、全裸で騎乗させ、それに誘惑された山田長政を捕らえる。
小説はその全裸の女が誰かを特定しなかったが、劇ではその姫だと設定し、更に彼女は仕事を終えた後に自害する。
幸村はそこで初めて己の短慮に気づき申し訳ないと謝る。
これが契機となって幸村はいよいよ智謀の人となるという設定だったか。
(小説を読み直すと佐助の提言だったようだが、劇中では幸村だったように思う。そのあたり曖昧である)
大坂冬の陣、夏の陣。
佐助は主君の命により秀頼公を薩摩に落とすことになる。
才蔵の大鷲ゴンドラに乗せて逃がすか何かだった。
ところが折角薩摩に受け入れてもらえたとはいえ秀頼は馴染めない。
ついに彼は死んでしまう。
木村長門守も後藤又兵衛もむろん真田幸村もみんな無駄死にになる。
なるがしかしどうしようもない。
元和偃武になった世に佐助は隠れて生きることくらいは出来ると考え、ついに小笹のもとへ帰る。
深い感動があったのもシバレンの原作とジュサブロー人形の魅力と演出、操演などが一体化していたからだと思っている。
さてその翌年は一年もので「笛吹童子」になり、これはまた別な人形作家の作品になって、辻村ジュサブローの作品と離れることになり、とても寂しく思った。
翌翌年は「紅孔雀」。ここでわたしは北村壽夫の原作に惹かれて「新諸国物語」に向かうことになるのだが、これはまた別の話。
わたしが次にジュサブロー作品に再会するのは三年後くらいか、「うしろの百太郎」「恐怖新聞」で名高いつのだじろうのコレクションを雑誌が紹介しているのをみたからだ。そこにジュサブロー人形がいた。
他にも坂東玉三郎丈もコレクターだったと思う。
そして新八犬伝の舞台たる房州安房の博物館に八犬士の人形が収められたことを知り、いつか会いに行こうと思った。
大阪北摂からそこまでどれくらいの距離があるか、物理的にも心理的にも金銭的にもわからないまま、ずっとそこは憧れの土地となった。
次にジュサブローと再会したのは高2の時だった。
新聞に「南地の大和屋でジュサブローの操演」と紹介があった。
南地の大和屋がどういう店かは昭和の高校生なので弁えてはいた。
が、それで止まることはない。
母の従兄にしょっちゅう大和屋で遊ぶおじさんがいた。
わたしはおじさんに直談判した。あの当時代金は五万円だったから高校生には目眩む高さなのだが、それでも何とかなる算段が付いていた。
が、おじさんはアカンと言った。
「素人の娘をそんなところにつれて行くんは本人の為にもならん」
いやいや、本人の喜びのためやし、ええねんけど。
というわけでダメになった。
わたしは今でもその当時の新聞の広告記事をもっている。
大学に入学すると少しばかり状況が好転した。
それまでわたしは少女マンガ少年マンガ富野監督はじめサンライズのアニメに夢中になっていたが、大学で再びジュサブローの話題に触れることが出来た。
仲良くなった友人が人形劇と特撮に非常に強い人で、彼女のおかげで歴代の人形劇の主題歌などを録音してもらえたのだ。
ありがとう、本当に今も嬉しい。
そしてわたしは小さい同人誌で新八犬伝のことなどを書いていたが、今のような時代ではないので、情報はなかなか入らないままだった。
1986年、なんばの高島屋でジュサブローの展覧会が開催された。
開店と同時に入り、三時間少し経った後にようよう高島屋ホールを出た。
もう本当に嬉しかった。ジュサブローの人形たちに囲まれた空間、振り返ればそこにも人形がいる。
視線を感じて肩越しに目を向ければ炎を背にした人形がこちらじぃっとみつめている。
このときに買った図録、絵葉書などは今もとても大事に保管している。
サインもしてもらえたが、銀色のペンで名前を書いた後、ジュサブロー師はふぅっと息をそこへ吹いて乾かしてくれたのだった。
まだこの頃は学生で、展覧会に行くことも殆どなく、ましてや芝居を自ら観に行くなどは不可能だった。
なのでそのときそこで見た「王女メディア」人形をはじめ「蜷川マクベス」の衣装などに強烈に惹かれても、実際に観に行ける日は遥か遠いいつかなのだった。
その年の暮れに「貧民倶楽部」が蜷川により演出された。これは鏡花の同題小説に「黒百合」「照葉狂言」を加えたもので、後日TV放送で見ることがて来たが、明治が舞台の物語とは言えジュサブローのデザインした着物はやはりジュサブローのきものであった。
また平幹二郎主演の「オイディプス王」は録画できたのはたいへん嬉しかった。
これは築地本願寺を舞台に使い、太陽や月を象徴的に寺院の上空に掲げるところから始まっていた。
このときの装束もジュサブローである。
その後蜷川は演出法を変えて再演というより完全新作という体で「オイディプス王」を野村萬斎にすえ、麻実れいを王妃に上演した。
演技者としての平幹二郎の偉大さ、ジュサブローの一目見ると決して忘れられない衣装から離れたこちらの作品は、それはそれでとてもよかった。
完全に違う演出なので、どちらが優れているということはない。嗜好の問題。
1989年、わたしは友人たちとだけで東京へ行った。
それまでは家族とともに行っていたのだ。
この時のわたしは弥生美術館と建物としての東京大学などを見学するのが目的だった。
そして人形町にあるというジュサブローのアトリエに行ったのだが、あいにくなことにその日は定休日だった。
いつか再訪をと思いながら「いつかお訪ねしたいです。天神様の氏子より」と書いたメモをそっと残した。
ジュサブローが天神様を信仰していると知り、それで自分がたまたま地元の天神様の氏子であることを嬉しく思って書いたのだ。
若いというより幼いわたしの行動である。
あまりに東京が面白く、大阪にも京都にもない刺激にシビレ、以後今日に至るまでわたしは東京へ通う暮らしを始めた。
そしてその中で下町風俗資料館を知った。
その年の11月、わたしは出来たばかりの「江戸風俗人形」をみた。
吉原の立派な遊郭を再現したもので、人形はジュサブロー、建物は三浦宏、小物類は服部一郎という三者のコラボ。
これについては2020年に再会したときに細部にわたって撮影したおし、ここで三度にわたってあげている。
その1
その2
その3
1989年秋、満足した気持ちで帰阪する。
丁度その翌年からが本格的な展覧会への旅と歌舞伎への熱狂が始まりだす時期で、歌舞伎だけでなく商業演劇も実にたくさん見に行った。
90年代半ばまで毎月何本も観劇するために色んな劇場へ出かけた。
歌舞伎、文楽の他に主に観たのは蜷川幸雄の演出した芝居で、特に「王女メディア」には熱狂した。
元々好きな話ではある。
蜷川の芝居は詩人・高橋睦郎の修辞による言葉の応酬があるが、全ての固有名詞が取り上げられ、普通名詞のみが言葉となる。
これは小沢書店から刊行され、わたしは1988年の二版を所持している。
メディアの衣装は大変な重量を持つ。蜷川の演出プランはそよそよしたものだったそうだが、ジュサブローは現行のあの重厚な装束で押し通した。
結果として、異常に強い衝撃を観客の脳に刻み付ける力となった。
舞台俳優としての平幹二郎は同時代の誰よりも抜きんでた演技力を身に着けていた。
そのひとがあの重量物を身に着けて駆け回り、嘆き、子殺しを敢行し、敵を屠った報に狂喜し、そして竜車に乗って快く哄笑しながら裏切者の夫を残し飛び去るのである。
装束は途中で脱ぎ去られ、それからはごくシンプルなドレス姿になる。しかし目の下にはビーズの飾りが重く垂れさがり、メディアの血の涙は依然として乾く間もないことが示唆されている。
ところでわたしは平幹二郎の病気療養によって嵐徳三郎がメディアを演じた時代も観ている。
二人のメディアの違いを堪能できたのだ。
装束は全く同じものではなかったように思う。何しろ体格が違う。
演技の方法も異なるので、両者を楽しめたことは非常に嬉しい記憶となっている。
たとえばメディアが自分を裏切って土地の領主の娘婿になろうとする夫イアソンを糾弾するシーン。
「なんと白々しいことを!人非人中の人非人、極悪人中の極悪人」
これを平幹二郎はあの大声量で高々と叫び、嵐徳三郎はネチネチと罵るのだ。
縦と横広がりの違い。
ジュサブローの展覧会は高島屋で数年おきに開催され、そのたびに長時間人形に見惚れ続けた。
手に入る写真集は手を尽くして探し求めた。
丁度大阪の古書店の雄たる天牛書店とつながりが出来た頃で、絶版物をここで見つけ出しては歓喜した。
また美術出版社から刊行された「満漢全飾」「万華鏡花」は今も大事にしている。
「新八犬伝」の読み本は高校の頃に既に手に入れていたが、写真集を手に入れたのはそんなころだった。
これまでの人生で、本気で、本当に心の底の底から願った本は必ず手に入った。何年かかろうとも関係ない。
いつか必ずわたしの手元に本は来てくれる。
「真田十勇士」の写真集も手に入ったのは2021年の四月だった。
久しぶりに天牛書店へ走り、何か呼ばれた気がして振り向くとそこに「真田十勇士」があった。
半世紀近い歳月がかかっているが、それでもわたしのところへ来てくれたのだ。
本当に願えば必ず来てくれるのだ、本は。
ある時わたしはここまで「新八犬伝」が知れ渡っているということは文芸の資料にもジュサブローの作品が引用されているのではないかと考えた。
そこで元々の原作の八犬伝関連の資料を探すとほんの少しずつだがやはりジュサブローの人形がいて、心の底から嬉しく思った。
そしてジュサブローが作品化している鏡花の小説のキャラの背景を知るためにも積極的に鏡花を読み始めた。
元々祖父の本棚に「霊象」などの入った作品集があり、「琵琶傳」なども知っていた。
鏡花研究者・村松定孝の「わたしは幽霊を見た」で鏡花の「白鷺」の紹介もあったので、親しい気持ちがある。
本格的に鏡花ファンになるのは1991年以降なのだが、これは前哨戦だったともいえる。
ジュサブローは前述通り蜷川の芝居の衣裳を担当していたが、その中に「恐怖時代」があった。
わたしは「恐怖時代」は小学生の時に横溝正史「蔵の中」で紹介されているので知り、長く憧れたままでまだ当時は未読だった。
谷崎はなまじ中公文庫などでかなりの数が出ていたので、そちらを読んでしまっていたから、文庫化されていない作品を取りこぼしていた。
後に谷崎全集を読み、そこでやっと長年の憧れ「恐怖時代」の全景を知ることになるが、これはまた別の話。
就職したある日、午後から何故か家にいた。
偶然つけたTVでジュサブローのオリジナルビデオの一部が流れていた。
衝撃を受けたわたしはそのビデオソフトをとりよせた。
2本あった。
opで新内の岡本宮ふじが「明烏」を歌っている。
ああ 二度と惚れまい 他国の人には 末は烏の鳴き別れ
その一節に合わせてジュサブローが人形を舞わせているが、ロングになるにつれ、そこが何処かの廃墟だと知れる。
そして音楽が変わりピーター・ガブリエルのShock the Monkeyになり、激しいカラーミラーの中でジュサブローが人形と共に舞い狂う。
過去の作品群が挿入される。蜷川との仕事である。
その中に「恐怖時代」があり「にごりえ」もあり、「マクベス」「王女メディア」がいる。
そして「元禄港歌」のあのシーンが出た。
酸により盲目となった平幹二郎演ずる信助が愛する女で瞽女の初音と実母の糸栄の手を求める。
二人の女が駆け寄り嘆く中で、平幹二郎の朗々たる声が響く。
「嘆くことは何にもあらへん。永久の彼方へ・・・わしにはお前がよぅお見えてきたよ」
この1シーンでわたしは撃たれ、後に二度ばかり「元禄港歌」を観に行き、その度感動の涙を流すことになった。
秋元松代の原作戯曲も手に入れることが叶い、本当に嬉しかった。
鏡花「化鳥」が現れる。生まれる前のおっかさん。その概念にときめく。
この作品は不思議な作品で、言語一致体の読みやすい文章だが、不思議な展開があり、そこに人は惹かれる。
最後の一文なども謎は解けぬままだ。
だがジュサブローはそこのところではなく、未生の母との霊的なつながりを描く。
そしてラストシーン。
笠と蓑姿のジュサブローが隅田川で小舟を出そうとする。
小舟には彼の生みだした人形達が一斉に集まっている。
隅田川から東京湾へ、そして外海へ、最終的には常世の海へ向かう舟だということがわかる。
舟が進み続く姿をどんどんロングで撮り、やがて見えなくなるまで・・・
もう一本の映像ではジュサブローは人形の「ぎょう」の字について語る。
「ぎょう」は「行」でもあり「業」でもあるという。
それを見ながらジュサブローが生前の三島由紀夫にいきなり言われた「38歳とは不思議な年齢だ」その言葉を思い出した。
こちらでは額に第三の眼をつけた人形が現れる。
その眼の運命について考える。
人形の様々な変転の末の水中へ眼を放つ姿に強くときめいた。
やがて平成に入っても「平成アールデコ」という人形美人シリーズを出したり、明治初期の女の連作をあげたり、戦国の女たちを世に贈ってきた。
それらを高島屋で観るたび、「新八犬伝」を想いつつも、わたしは歓喜した。
あるときついに人形町のアトリエを訪ねることが叶った。
嬉しすぎて何を見たかわからなくなった。
99年の10月だとデータにある。
髙島屋での展覧会が暫く途切れた後、目黒雅叙園の百段階段で「辻村寿三郎」の展覧会があると知った。
しかも今回は平家物語だという。
平家物語は子どもの頃からたいへん好きな作品で、これは嬉しいと向かった。
美術館が無くなって以降、あまり足を運ばなくなくっていたが、あの百段階段での展示と言うのは嬉しかった。
「平家物語」をどのように表現されるのかとわくわくしながら行くと、予想以上のトキメキがそこにあった。
前哨戦ともいえる保元平治の話から人形が活きており、崇徳院の血の涙を流す人形もあり、おののいた。
更には憐れな常盤御前母子の流浪、かと思えば後白河法皇がその取り巻きと乱痴気騒ぎを起こす様子もあり、見ごたえ満載だった。
辻村寿三郎の生地は満州だが、彼の養母は広島の三次市で、そこで彼は育った。
その御縁で三次市に辻村寿三郎人形館が作られたという。
ちょうど同じ市内に三次もののけミュージアム、湯本豪一記念 日本妖怪博物館がオーブンしたというので、回ることが出来るなと思った。
ところがコロナのせいで動けなくなった。
そしてとうとうかれの訃報が入った。
自分の人生の最初期に「新八犬伝」に出会えたのは僥倖だと言っていい。
辻村ジュサブロー、辻村寿三郎の人形により自分の人生が豊かになったことは間違いない。
本当に長い間いい夢を見せて貰えた。
ありがとう、ありがとう。
これからも想い続けて生きていきたい。
「新八犬伝」の最後、浜路の言ったように「いつかきっと会える」日までわたしは生きてゆく。
さようならは言わない。
ご冥福をとも言いたくない。
唯一無二の人よ。
またいつかあなたの人形たちに会いにゆきます。
あなたという主を失くした人形たちに元気を出してしばらく生きてほしいと言おう。
ありがとう、辻村寿三郎師。