遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
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2023.3月の東京ハイカイ録

2023-03-23 21:48:11 | 記録
3月の東京ハイカイ…というより、今回は漂流に近いかもしれない。
定宿が取れなかったので、横浜に行くかと新横浜の近所のホテルを取ったのが1月末。
シン・ゴジラ、シン・ウルトラマン、シン・仮面ライダーのある時代なんだから、横浜にシンがついていてもおかしくないかと思ったのが、今となっては結果的にラッキー。
ホテルから宿泊確認メールが来て、地図を見てそこで初めて自分が横浜ではなく新横浜の駅近くの宿をとっていたことに気づいた。
あっれーおかしいなー
…こういうセリフ嫌いなんだ。
しかし言ってしまいましたね。
わたしの中で新横浜といえば
・ラーメン博物館に行った記憶(たぶん96年の双十節)
・鎌倉行くのにここで乗り換えたが、窓から見える眺めはやたらと木が多いな、もしや山かね
というくらいしかない。
なので大丈夫かなと思いつつ、雨の朝に家を出た。

雨の朝というと「雨の朝、パリに死す」という映画もあったな。
でもわたしの頭の中ではキャット・スティーブンスの「雨に濡れた朝」Morning has brokenがぐるぐる再生されてるのよな。この歌の歌詞がエレノア・ファージョンによるものだとは知らなかったよ。すごく好きな歌。
それで実は高校の時にラジオから録音したのだけど、編集の都合でこの歌の次になぜかジュリーの「時の過ぎゆくままに」が入っているので、さわやかで敬虔な歌から一挙に退廃的な歌に変わるのが面白くて仕方ないのよね。

というわけで半分以上意識飛びながら新横浜へ向かう。
ついたら予想外のことがあった。
なんやというと、相鉄・東急新横浜線開業日のイベントしていたのよ。
なので混んでたなあ。
わたしも喜んでぱちぱち。

そういえばみなとみらい線と西武が相互直通運転したのは2013年3月16日で、この日もたまたま元町・中華街駅にいたな。
それで「西武球場」行きの掲示板を見てばちっとしたところ、「ついに横浜も西武の二軍になったか」という恐ろしいコメントがきたんよねえ…当時横浜弱かったからなあ。
野球の話よ。

ついでに挙げると、この時は3日間で20近い展示を見てますわ。昔日の面影今やなしのわたくしだが、当時は元気でした。この日のことはは東京ハイカイ録2013.3月の2つめに記してます。

さてさてわたしは宿に荷物を預けて、今度は新横浜からブルーラインで関内へ。16分でつくんやねえ。
それにしても昔と違い新横浜が凄い発展してるのにはびっくりした。
新大阪よりずっと発展が早い。

関内も雨でした。
地上へ出て歩き出すと、やっぱり近代建築の良いのが目に入る。


ほかにもいくつもある。
こうしてみると、近代建築を使い続けているのはこの横浜と大阪の船場が突出していると思う。
大阪にはイケフェスがある。横浜もばらばらでなく、連携した公開をすればいいんだが…

この日はその近代建築の一つ・日本郵船歴史博物館の最後の展覧会と今の建物の最期とを観に来たのだ。

入口入ってすぐの辺りは撮影可能だったのでパチパチ撮ったから、いずれまたまとめる。

思えばここへ初めて来たのは「洋上のインテリア2」からだった。
良い展覧会だったなあ。そして優美な豪華客船たちと、船が無理やりその優美を剥ぎ取られて空母にされて撃沈されたあの悲しい結末・・・
そのことについてもきちんとまとめたいと思う。


元の道を戻り、馬車道十番館へ。

おいしかったです。
ここの建物もいいしね。
さあ動け動け。
というわけで今度は馬車道駅へ。

新横浜線の開業の混乱が飛び火してて、みなとみらい線から東急から色々と時間が狂いまくってた。
実はこの日の朝、まさかの阪急京都線もアウトになってたので、どうやらこの日は電車に恵まれなさそうだった。
結局色々トラブルがあって、その結果として方向転換して中村橋へ向かった。
雨もやっとやんだ。

練馬区立美術館で吉野石膏のコレクションを観た。
まさか中世の写本の凄いのを目の当たりにし、撮影可能やなんてびっくりしましたわ。
さすが、練馬美。

閉館寸前までいてから池袋へ。
ここでもまさかの電車トラブルが起こったので、もう完全にこの日はこんなもんですわな・・・

池袋のタカセのレストランの改装が終わったので喜んで3階へ。

デミグラスとサバランの昼夜。

副都心線から乗り継いで新横浜へ。東急新横浜戦に乗る。紺色の素敵な電車だった。
駅に着いたものの朝と違い夜は方向がわからなくなる。
怪しいカルトらしきのに声かけられてもスルー。やっと道がわかる。

二日目、JRで移動。東神奈川経由で東京へ。
いつものロッカーにキャリー預けて早速府中へ向かう。
丁度11時半になったので、スンガリーでランチに。まだだれもいなかったので、ちょっと手間のかかるあんかけ五目焼きそばをお願いする。
おいしかった。次来るのはGWなのであいてるかどうか尋ねると大丈夫ですよーと明るい声。「またそのころに来ます」といってわたくしは店を出ましたわ。
東府中もう早くも桜がよく咲いている。特に自衛隊のところの角地の桜が満開で、みんなぱちぱち撮っていた。
わたしも撮りましたよ。
ソメイヨシノだけでなく江戸桜系のとか寒桜とかいろいろ。
公園に入ると椿もきれい。


毎年恒例の春の江戸絵画祭り。
ヤマザキの春のパン祭りと並ぶ名物。


お絵描きはしないし塗り絵もしないけど、十分楽しめた。
常設もよかったよ。春を思わせるもの…

ここから市ヶ谷に出て東大前へ。
弥生美術館に。田村セツコ展。
可愛かったわ。
わたしはどうも近年の作品にひかれたよ。
前回の展覧会の時、田村セツコさんご本人が小さい女の子にとてもやさしく接しているのを見て、感銘を受けたものです。
いいなあ、ああいうところが作品にも出ている。

夢二の花にまつわる絵、華宵の抒情画も楽しんで、機嫌よく退館。

根津から二重橋前へ出ると行幸通りの地下ギャラリーで丸の内界隈の素敵なワンシーンを切り取った写真展が開催中。
こういう街角で見るものは楽しいね。

さてわたしは常々京都大原の志野のドレッシングを愛用しているけど、それがたまたま日本橋の高島屋に来ているので、在庫切れ対応と応援を兼ねて高島屋へ。
いつもの大きいサイズのを購入する。大阪の人間が京都のものを東京で買うというのも酔狂かと思うけど、ここで買ったから運送費は相殺されるという利点もあるので、合理的なのよ。
店員さんにまた京都でねとあいさつしてるとき、ふと見たら隣のブースがイノダだった。
そうか、イノダもわたらいをするのね。ははあ…

二月の歌舞伎座の観劇用に買った崎陽軒の松花堂弁当がよかったので買いに行くと完売。
弁当コーナーへ行くと店員さんの勧めで天むすの児雷也のお弁当を購入。生麩とかいろいろ好みでよかった。
ところで児雷也といえば天竺徳兵衛と同じくガマの妖術つがいなんだが、ここの屋号はどうも地雷也みたいだな。
「地雷を踏んだらさようなら」は一ノ瀬泰三だったかな。
キャパは「ちょっとピンボケ」。
沢田教一の評伝タイトルは「ライカでグッドバイ」。
みんなうまいタイトルだけに切ない。

帰宅すると猫どもがなかなか集まらない。心配になるが向こうもわたしが帰らないので心配していたのかもしれない。
二時間ばかりして深夜に猫も集合。日常に帰還。
また次までさらば。

「桜男 笹部新太郎を育てた文化」展をみた

2023-03-12 01:10:42 | 展覧会
白鹿記念酒造博物館へ行った。
今回は三つの展覧会が開催されている。
・桜男 笹部新太郎を育てた文化
・変化する酒蔵建築
・節句の人形 京(みやこ)の五節句
この三つである。
前後期に分かれていて、わたしが行ったのは後期最後の前日で、前期の「めでたい浮世絵」は見なかった。

桜男 笹部新太郎を育てた文化
この展覧会のことから記したい。

笹部新太郎は大阪の堂島の大地主の息子に生まれた。
1887年だから大阪では折口信夫、小出楢重、他地域では小村雪岱、山本有三など錚々たる綺羅星と同い年である。
笹部の生まれた頃の堂島は今よりもっと広範囲の地域と捉えなくてはならない。
つまり現在の北新地の堂島で生まれたそうだ。
確かに堂島と言えば堂島なのだが、今の感覚の堂島とは少し違うのだ。
明治20年代の堂島は米相場で盛り上がりを見せていた。
相場師が大車輪で活躍し、とにかく「相手に負けたらあかん」という気概があったそうで、そうした気質を幼い頃から笹部新太郎は目の当たりにして来たらしい。
大阪弁で言うところの「ええしのぼんぼん」たる笹部新太郎は幼くして母を失い、20代初めには「堂島の丸焼け」で実家が燃えてしまった。
総領の兄が面倒を見ていたのか、その兄も早くに亡くなり、笹部新太郎が家督と大財産を継いだ。

カネはあるに越したことはないが、笹部新太郎は所謂「活きた金遣い」をした。
桜に魅せられたかれは生涯にわたって日本古来の山桜・里桜の保護育成を続け、造幣局の通り抜けの桜も、樹齢約450年の荘川桜の移植も指導し、武田尾に桜の保護地区として「亦楽山荘」を拵えて、そこで多くの桜を育て、守った。そこは今では公開されている。なお白鹿のサイトにも探訪記がある。こちら

自らを「桜男」と称したかれに惹かれた人も数多い。
自伝「桜男行状」が世に出たことから文壇との付き合いも生まれ、小林秀雄、白洲正子、水上勉らと一緒に写した写真もこの展覧会に出ている。

水上勉はその桜男をモデルに「桜守」を書き、これがベストセラーとなった。
また笹部新太郎は大正十年頃に大阪の名士らしく大阪倶楽部に入り、そこでも多くの人と交友した。
写真を見ると、日本画家で「浪速御民」を称した菅楯彦と機嫌よく笑う写真がいくつかあった。
かれらは昭和26年に同時に大阪市民文化賞を受賞したそうな。

この世代のことをわたしは「綺羅星」だと記したが、実際1887年前後に生まれて名を成した者は現代にもその名を残し業績を残し、死後も讃えられているように思う。
時が過ぎてかれらの名を知らぬ人々が現れても、それでも耀きは消えることはない。

さて笹部新太郎の年譜を見ると本当に若いうちから桜好きなのがわかる。
またそれだけでなく、生まれ育った堂島の地に生きる文化を多く吸収している。
笹部新太郎自身が大阪倶楽部での講演会でその辺りのことを詳しく話し、それが文字に書き起こされていて、ここで紹介されているので、今回興味深く読んだ。
それは堂島追想・追懐といった内容である。昭和33年の講演。

・桜橋に福井座という芝居小屋があり、二流の小屋ではあるが嵐佳笑という「いつまでたっても」綺麗な男がいて、多くの女客が押し寄せた。この一座には曾我廼家五郎も参加していた。

・大毎のところに藤井座と言う寄席があり、ここでは講談も聞けた。旭堂南陵が小南陵の時代から出ていた。
(大毎とは大阪毎日新聞の本社のことであり、現在は北館跡に堂島アバンザが、南館はホテルと堂島プラザビルがその跡に建つ。笹部の講演のあった年に南館に毎日ホールと大毎地下劇場が落成した。その二年前には北館に毎日文化ホールが落成。大毎地下劇場は二本立ての名画座。1993年3月末に閉鎖、毎日ホールは芝居、講演会、試写会など開催。その意味では藤井座の後継の地という血脈があるのかもしれない)

・梅田新道を西に入って見えるのが永楽館。よい寄席で、贅沢な内装だった。
初代春団治も機嫌よく高座に上がっていた。森繁久弥が映画で演じたような気難しい男ではなく、会うとよく喋った。

講演で挙げた三つの小屋の位置特定をした地図があるが、三つ目の永楽館だけははっきりしないらしい。お初天神の方のようだが。

笹部新太郎の残した資料や関わった資料を見ていると、この人は本当に世話好きと言うか、自分から動く人だというのがよくわかる。
造幣局の桜の通り抜けもそうだが、ちょっとした何かの世話役もするが、いずれも名のみではなく実際に行動している。
しかもそれで実績を残しているのだから、とても信頼が出来る。
後世の、何のゆかりもない第三者のわたしのような者でさえそう思うのだから、リアルに接していた人からすれば、頼りがいがあったろうなあ。
ただの夢みるぼんぼんでないところがまたよろしい。
きちんと利が出て、理が通っている。そうでないとあかんのです。

多くの人との交友をみる。
・寄席の年賀状や暑中見舞いが並ぶが、おばけが飛び出る仕掛けものは楽しかった。
・笹部新太郎本人の年賀状は毎年版画制作に励んでいたようで、そのハンコが並んでいた。
干支の動物を描きこむもの。
・大阪倶楽部の人々との記念撮影 
中でも仲良しの菅楯彦との写真がいい感じ。菅楯彦は四天王寺との関係が深く、おうちでは天神祭もしてはるので、神主さんみたいなかっこで写っている。いわゆる「うちの天神様」。
菅楯彦の描いた桜の一部


木谷蓬吟編集の「大近松全集」には多くの日本画家による一枚絵の版画がついている。
今回は七点並んでいた。チラシにはその一部分がいくつか載る。
野田九甫「毛剃」船乗りなので海上にいる。
富田渓仙「文覚」これはほぼ全景だな。滝に打たれて修業していた文覚の熱心さに不動明王と童子たちが現れたところ。

前期に出たらしき北野恒富「梅川」もある。

上村松園さんの雪女もある。
島成園の紫鉢巻の立兵庫は「夕霧」。
この大近松の版画については以前に近松研究所のある園田学園女子大の展覧会の感想で細かく書いている。
こちら

おお、加賀正太郎の「蘭花譜」も並んでいた。大山崎山荘の加賀正太郎。

かれは桜ではなく蘭愛好者で、その為にあの大山崎に山荘を建てて蘭栽培をしたのだ。2007年に大山崎山荘で絵を見ている。
その加賀の大山崎山荘から向こうを見た図絵もある。チラシにも一部出ているので挙げよう。



それにしても、花好きな人は少なくない。
菊好きな人、五月・躑躅に懸命な人、月下美人を待つ人、いろいろ。
そう言えば清岡卓行には「薔薇ぐるい」という作品があったな。
ところで今回初めて知ったのだが、笹部新太郎の接ぎ木する用のお道具は名工・千代鶴是秀の切出刀なのだった。
時代的にそうだわなあ。2015年に竹中大工道具館で展示があったのだが、その時に限って見に行ってないのだ。

チラシの笹部新太郎の肩の辺りに「浪花方言(上方なまり言葉)大番附」なるものがみえる。
これは他に京都編もあって比較するのも面白かった。
だいぶ失われた言葉も多いが、それでも今も活きてる言葉もある。
「ええし」は今も使うが「だいなしや」って大阪弁なのか!
色々と面白かった。これは杉本宇造という人の出したもの。杉本書店。

ちょっと調べたら「浪花風俗図絵」正続本とか色々出してはるね。
それでなまりシリーズがある。
浪花、紀州、大和、兵庫、京、岡山と言う順で刊行している。
昭和32年から。
こういうのを調べ出すと時間がいくらでも必要になるのでここらへんで止めよう。
そうそう、チラシ左上の「紅葉を訪ねて」はよく見るとふざけた内容でなかなか楽しい。

これやもん。

ところで菅楯彦との交友の他にその菅の女弟子の生田花朝とも交友があった。
こちらは花朝の父の生田南水からのつきあいでもある。
花朝の手紙が紹介されていた。おお、サインは「生田花朝女」だ。わたしはこちらのサインを先に見知っていたので、ずーっと「生田花朝女」というのが正確な雅名だと思っているのだが、「大阪の日本画」展では「花朝」と表記しているので最近はそれに倣っていたが、やっぱり本人がサインに入れてるから「女」をつけるべきか。
それともこれは加賀の千代女と同じものなのか。

生田南水も粋(すい)な人で、俳画を以前に大阪歴博で見ているが、ここでも色んな芸人の様子を描いた絵巻などがある。よう考えたら5年ぶりか、見るの。
当時の感想はこちら「ほのぼの俳画、生田南水」と大坂画壇の絵など。
因みにわたしが最初に生田南水の絵を見たのは2013年が最初らしい。
くらしの今昔館の「なにわユーモア画譜」展の感想に記していた。


大阪にはやはりこうした豊かな文化的土壌を享受して育った才人が多い。
今の大阪ではなく、昭和までの話だが。
最後の粋人は肥田晧三さんだが、近年亡くなられたなあ…
INAXギャラリーでええ展覧会があったのはまことによかった。

本当によい展示を見せてもらえました。

さて二つ目に見たのは丸平の節句人形を中心とした展示。

こちらだけでなく、阪神間では旧山邑邸にもあるし、奈良の寧楽美術館では曲水の宴を人形で再現していた。
東京の三井記念美術館では三井各家の歴代の大木平蔵の人形があった。
このチラシの五節句官女は七世大木平蔵の制作で、今回の展覧会のために京都の丸平文庫から出てこられたそうな。
絵の方は上村松園、中島来章、植中直斎、猪飼嘯谷らの節句絵が並ぶ。
直斎の「秀吉の瓢」は2015年にこちらの「関西の彩り 近代日本画を中心として 」展で見ていた
その時にも大近松の版画を見ている。
松園さん以外はもう殆ど忘れ去られた画家たちなのが淋しい。
復活してほしいものだが…

平田陽光の昭和初期の人形の周囲に現代作家・崎山智水のうさぎたちを配するのはいいと思った。
平田陽光は平田郷陽の弟。
以前、郷陽のいちまさんと崎山のうさぎの共演が三井記念美術館であった。

なお三つ目の「変化する酒蔵建築」展は別稿で挙げる。
いずれも既に終了。

逃げ去る三月を追走・追討・追想する

2023-03-08 12:46:39 | 日記
三月は時間が圧縮されている気がする。
弊社は毎年二月末に大々的な棚卸をするのだが、去年の秋に吸収合併されてからまさかの3/3お雛祭りの日に棚卸というちょっと外道なことを決めよったわけです。
泣きながら出社の日々に更にこれかというわけで、とにかくいろいろ動くことに決めた。

1日 毎月1と15の日はダイエーでペットフードが10%offなので、帰宅後に出向く。
ダイエーの近くには市民会館があり、それが白とピンクのライトアップ中。ああお雛様やなあとわかるわけだよ。
とりあえず猫四匹のために生きているようなもので、そのお猫様たちのために仕事帰りのごロータイに鞭打って重い買い物を果たしましたわ。

2日 出勤電車に乗ってしばらくするとまさかの事故による停止。いろいろ考えた末、やっと動き出したのに乗ってとりあえず十三まで戻り、宝塚線で梅田に出てそこからJRに乗り換える。
えらいこっちゃである。通常よりきっちり1時間遅れた。
いよいよ明日なので今日中に全部やれることをやっておく。社畜の誉れみたいな働き方をしている。
先にバラ寿司を拵えようと予定していたのだが、予想以上に疲れていて、結局酢飯だけは拵えたものの具材は出来合いのものを使用。
3日のお弁当にバラ寿司を食べる算段をつければいいやと動く。


3日 これまたまさか阪急の事故である。これはもう十三手前で分かったので、早々とJRに向かう。結局いつものバスに乗るが、ものすごい混雑に参る。 
お弁当に昨日のバラ寿司を持参。さらにイチゴ、バナナ、リンゴ、ハッサクの水果もある。お雛様には既にお供え済み。
予想通り18時までかかる。1時間残業なので、おカネは入るのだ。
帰宅する直前に叔母からメールが入る。バラ寿司をこしらえたからどうぞとのこと。ありがとう、ありがとう。

キティもミッフィーもいいものです。

夜中、ついに「進撃の巨人」ファイナル最終回前篇放送。
あまりにキ過ぎて眠れなくなった。

4日 昨日シャカリキに働いたので出社しなくて済んだ。助かるなあ。とはいえグダグダである。
二日続けて阪急電車が止まるというのが本当になんというか…
とりあえず大々的に洗濯してからちょっと心配していた心臓を調べに心臓血管科に行くが、ここがまさかのよく通過していた場所にあって、ちょっと驚いた。
心電図や色々調べた結果、2月に転んだ時の筋肉痛の余波だと判明…ドトールでいろいろ考える。
さあそれから整形外科でマッサージ受け、次に耳鼻科へ向かうとまさかの四時間待ち。えええええ。
逃げた。地元のスーパーを数件渡り歩く。いろいろと買いましたわ。
それで気が済んだか、昼過ぎから阪神西宮へ向かう。西宮北口で乗り換え今津まで。
これが一番安価で楽。今津から阪神西宮はこれがベスト。

43号線沿いに良い建物を発見。今は閉められている。リブート求む。
白鹿酒造記念美術館に到着。いい展覧会を三つもみたし、建物も外観ながらも大いに楽しむ。
行こうかと思っていたアンリ・シャルパンティエはもう閉店していた。早いなあ。
白鷹のほうでも丸平のひな人形などを楽しむ。

5日 天六まで出てから二丁目に向かう。まずはあれだ、天満の天神様に。これがまた素晴らしい梅の名所だけに枝垂梅色々。

星合池のほうへむかい、久しぶりに茶店で「すべらんうどん」
大阪の練り物の入ったうどん。

ここから6丁目までゆくのに古書店が四軒ばかりあり、いちいち捕まってしまい、結局くらしの今昔館に行けなかっただけでなく、五丁目の閉店セールの店で半額フェアで買った2冊が、帰宅したら紙袋には一冊しかなくて泣いた。
レジ周りにはないと言われたのでもうあきらめる。あーあ。。。

6日 本来違う仕事をする筈が、担当者が無責任に休んだので代わりにその業務をしてぐたぐた。
この日は帰宅してからも仕事があった。確定申告。医療控除を考えて一生懸命こしらえたが、果て途がない。
一旦寝落ちして、一時から起きてそこからが本番。ついに完成したのが朝6時。をいをい。

7日 その6時から今度は青色申告の支度して、やっと終わったのが8時半。もう一旦寝るとかなしになった。
シャワー浴びる。すると指先が真っ白というか、蝋のようになる。異常に冷たい。あーこれはまずい反応。
指が正常に戻るのに40分ほどかかった。
豊能税務署へ。予約してるがそれでも30分近く待たされた。
色々やって最後はスマホ申告。ああ…来年からはそれで行こうという話。
面白かったのは、即日納税しようとしてクレジット払いにしようとしたら止められた。
曰く「カード会社が喜ぶだけです」気に入ったねえ、その言い草。
それでご推奨された郵便局で支払。
疲れ果てたのでサーモンの専門店へ。


そのまま逸翁美術館で「絵画で女子会」を堪能。
久しぶりの絵もあれば初見もあり、仲良しさんもいる。
こういうのは楽しいなあ。

8日 これを書こうと思い立つ。

9日 ただただ寝落ちの夜中起きの夜明け寝。

10日 奈良大学へ行こうとして起き損ねる。高の原に初めて行ったのでハードルは高かった。
途中で引き返し、学園前へ。大和文華館の梅を堪能する。

山水画とこの華やかな梅林との取り合わせの妙味を楽しむ。

心斎橋まで戻り、大成閣で春巻きを食べる。やはりここの春巻きは美味しい。客が混んできたので「あと10分で食べ終わるから待ってもらって」と言う。
別に私が一人帰っただけでうまくいくわけもないのだが、気は心というやつだな。どっちにしろ早く動かないと遅刻する。
レジでごめんなさいねと言われたので「いやいや、こういう時間帯やし。また来ますわ」
そこから夙川へ飛んで行った。

夙川教会は駅から近いのでまあ困ることもないし、久しぶりに仲良しさんにも会えてよかった。
4月の歌舞伎座に行くそうで、仁左衛門さんと玉様だというのがうらやましい。
夙川教会が大変すばらしいのでじっくり眺める。そこから大手前大学の方へ移ったのをツイートしたら、林与一さんから子供のころに引っ越しましたとリプが来て、近くとも引っ越しするといろいろと大変だったろうなあと思う。しかも戦時中だったというお話。
駅に戻り、菓一條でお茶をする。同好の士とはいえ初対面の人々によくこれだけしゃべるぜというくらいのマシンガントークやってしまうが、二人とも大笑いしてくれてよかった。

一旦帰宅。猫にご飯をあげてから再び外出。奈良へ戻る。
一日で奈良往復するのはこれが初めて。
バスで東大寺、春日大社方面へ。暗い中とぼとぼと二月堂へ向かう。
20分前に到着したが、意外にすいている。
以前ほどの漆黒の夜ではなく、安全のためか街灯がついていた。
お水取り。修二会。お松明。素晴らしい…

池のほとりをゆき、近鉄奈良駅へ。
サイゼリヤで晩御飯して満足して帰阪。


11日 京都へ出る。バスが来たので乗るが5系統ではなく46系統。ロームシアター京都の前で降りててくてく。
近代美術館へ入ると、レストランが待ち人いなかったので入る。いつも行列だからなあ。
それでどなたかのおススメだったか忘れたが、カルボナーラを注文。これがやはりおいしかったわ。
よござんした。

甲斐荘楠音の展覧会を見る。
前回の97年も見たが、そうかこんなにも歳月が過ぎていたか。
いずれ感想をあげるが、今回は映画関係資料がたくさん発掘されたこともあり、そちらの良さがクローズアップされていた。
あとやはり時代だな、甲斐荘の性的志向もあらわにされていた。

大変満足してから星野画廊があいにくお休みだと気づき、惜しいことをした。
あとはあの京都一細い「もっこ橋」を渡り、三条まで出てから京都文化博物館へ向かう。
向かうが先にイノダ本店へ入る。
思えば学生の頃からイノダ大好きだが、コーヒーも随分と値上がりしたな。
今回は久しぶりに奥の素敵な離れへ。

いい気分で文化博物館に入り、時間間違えてたが、友の会会員なので再訪を思いながら特別展を見る。
東洋文庫ね。それから原派、ひな人形、戦後の京都を撮った進駐軍のコダクロームのフルカラー写真に驚く。
いや実にすばらしい・・・

12日 大阪歴博へ。印版手のやきものを見る。面白いものが多かった。
常設展共々見るべきものが多いよ。

13日 この日は趣味のお仲間とご一緒に映画に行き、推しキャラ概念を思わせるプロントで楽しくおしゃべり。


と言う風な日々を過ごしたのでした。
ほんまに忙しいなあ。