遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

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2023.5月の二度目の東京ハイカイ録

2023-06-15 23:59:57 | 日記
基本的に同月に二回東京へ行くことはしないようにしているが、今回は多忙の為期間短縮したので急遽日帰り東京を組んだ。
朝が早いのはいつもニガテだし、前日の夜はドキドキしすぎて眠れないしで、まぁそういう状況で新幹線に乗ったわけですね。

朝の富士山


今回はまた品川で下車して大井町へというパターンではあるけど、宿泊しないのでそのまま大井町から東急に乗り換えるのよ。改札へ向かう通路から何気に外を見たら阪急がよく見えた。
そうよなあ、そこだよな。2000年代はこの大井町のアワーズイン阪急にいつも泊まってたのよね。
で、2009年からは浜町河岸へ移動。浮いた浮いたと浜町河岸に・・・←古すぎるな、さすがにこの歌は知らんでしょう。
ご存じの方がおられるならツイッターに書いてみてください。

二子玉川へ向かう。だいぶ前の冬の日、手前までは晴れ晴れ、トンネル出たら雪景色で、とんだ川端康成だったことがある。いやいやほんまに。びっくりしたよ。
今回は緑濃いまま。
しかし駅もだいぶ変わった。いい方へ変わったように思う。
二子玉川ライズではラグビーのイベントがあるようで、時間があれば見たかったな。
バスは玉30に乗った。玉31の前の便。
いつか民家園にも行こうと思ってたけど、結局行かないままになりそうとかなんとか思いながら久しぶりに静嘉堂文庫到着。

なんでも「饒舌館長」さんの八十誕祝に八日間だけの展覧会をするというので遠路はるばるやってきたのだよ。
もう滅多にこちらで展覧会が開かれることもないだろうから、大いに楽しませてもらいました。
そういえば三井文庫だってあのままだものなあ…

四条河原町遊楽図、曜変天目茶碗、応挙の江口の君、乾山の月次皿…よいものをたくさん楽しませてもらいました。
丸の内は行きやすいけれど、やっぱりこの世田谷の空間は捨てがたい。
それから庭園へまわろうとして、左足がアウトなのに気が付いた。痛すぎてダメだ。
山から谷へという構造のこの庭園で、足が動かなくなるのは迷惑千万。
諦めて撤退。
バス道へ向かう下り坂ですら足が痛い。二子玉川の高島屋で下車して平地を歩くも痛たたたたた。
ようよう駅に入り、もうこれはと渋そばでちくわ天うどん。
ここのうどんツユは微妙に甘辛いのよ。
大阪のとは全く別物だと思ったらええねん。

走る走る…半蔵門に到着。
駅のタイルが素敵だ。




高齢の御客向けに作られたエスカレーターのおかげで助かります。
紫陽花見ながら国立演芸場へ。深水の寝そべり美人など。

国立劇場の情報文化館だったか、あっちは怪談芝居のための色々が集まってた。
やっぱり怪談最高だぜ。
これはもう喜んで撮影可能なのはぱちぱち撮り倒しましたわ。
なんというか、怪談芝居がかかると必ず見に行きたくなるのよ。
わくわくした。
四谷怪談のセットもある。江戸博のとはべつものだけど、これもよく出来てはりますわ。さすが。

児雷也のガマ


この後本当はちひろ美術館で初山滋展を観たかったが、足の具合が悪すぎて諦める。
たばこと塩の博物館の太田南畝もサラバよ。無念よなあ。

でも半蔵門には無料のミュージアムがいくつもあるのだけど、そのうちの一つ・半蔵門ミュージアムがこれまた好ましい展覧会をしてました。

役行者の絵巻。わたしなぞは役行者と言えば「新八犬伝」からのおなじみでしてな。
かなり面白い展示だった。
そして同時併催がまさかの細江英公展で三島由紀夫の「薔薇刑」がいくつか出ていて、をををだったわ。


ここから大手町に出て、丸善で出たばかりの里見弴「君と私」購入。

これについてはいつか詳しく書きたい。

メトロのシートに浮かぶヨット


時間はなかったが、なんだかんだとやっぱり充実したなあ。
以前のようにはいかないが、またたくさん歩き倒したいものです。
帰りの富士山

西から東へと橋本関雪展を見て回る

2023-06-01 00:22:33 | 日記
コロナ以降外出しても以前のように早朝から深夜までということはやめてしまった。
それで出かけるにしても二つくらいしか用を果たさずに帰るというのが増えて、かつてとは本当に変わってしまった。そうこうするうちこちらの体調に不具合が生じたりで、本当に出かけなくなってしまった。しかも推し活が忙しくなり、そちらに励むとひきこもることが増えるので、本当にどうなったのだといいたくなる。

でもやはり患者は依然として減ってはいないが、遊びに出る人の数が急増しているのは確かで、それに合わせたわけではないが、出かけるべき先がいくつも出てきた。
しかも初夏である。
暑くなりつつあるけれど、そこまでつらくないのと、日の暮れが遅いということで、わたしのような季節性鬱傾向の強い、暑さに多少強い人間は、お出かけせずにはいられなくなるのであった。

前書きが長いのもいつものことか。
というわけで日曜に嵐山から東山へ向かったのでした。

阪急京都線準特急で西院に出る。そこから嵐電の西院へ向かう。
面白いのは阪急ではさいいん、嵐電ではさいと読むのだ。
理由は知らない。

場所に差違はほとんどない。特に北改札口は近年つながった。
ここからは嵐山行きまっすぐだが、帷子ノ辻で北野白梅町の線に乗り換えになる。
この日は旧邸御室の一般公開とプラスの嵐電1日券を嵐山のインフォメーションで購入。大宮から乗るヒトはそっちで購入も可能。


嵐山は本当に長らく無縁だったが、福田美術館が開館し、嵯峨嵐山文華館とリンクしてからは、よく行くようになった。行き出すと嵐山の山の美、川の美にも惹かれるし、楽しみも増してゆく。


さて奥にある嵯峨嵐山の方から行こう。
嵐山には他にもたくさん見るべき所、行くべき場所もあるが、今日は忙しいのでまたいつか。
橋本関雪生誕140年記念で嵐山の二館と銀閣寺道の白沙村荘が同時に展覧会を開き、撮影可能という状況なのよ。

橋本関雪は父が明石潘の儒官という関係から中国古典文学に造詣が深く、作品にも中国の故事から採ったものが多く、それがかえって今日では作品をわからないものにしている。
文芸好きなものには楽しいだけに、とても残念だ。
他方どうぶつ好きで、かなりの数のどうぶつ画もあるが、これがまたどのどうぶつも実に賢そうなのが特色である。
絵の方は今の前期展示終了後にまとめて挙げるつもりだが、いずこもよい作品を集めていて、見歩くのが実に楽しかった。
嵯峨嵐山と福田セット券が2300円、嵯峨嵐山のチケットで白沙村荘は100円割引の1400円となる。

色々と楽しく見て回り、ぱちぱち写した後、今度は嵐電の駅へ戻り、そこの二階へ上がる。
ここで気軽なランチを取る。肉うどんにした。まあまあよろしい。外の喧騒を窓ガラス越しに見ながら電車の発車時間を見計らい、混んできたのもあってサラバ。

帷子ノ辻で乗り換えて北野白梅町行きに乗る。

御室で降りる。いつも改札出ると仁和寺に行くだけなのだが、今日は振り向いて住宅街へてくてく。

この御室、常盤、鳴滝界隈は戦時中は志村喬、小沢栄太郎、殿山泰司らが住んでいたのだ。
映画関係者。撮影所が近かったからなあ。

御室にはオムロンの社長もおられた。そこから社名を採ったのだ。
サントリーは鳥居三兄弟、ブリヂストンは石橋さん、カシオは樫尾さん、オムロンは地名。
キャノンは観音からだったっけ。

良いおうちが並びますなあ。


ああ、ここか。
個人邸宅のいいのを見学・撮影するのはちょっと前の地元の某邸以来かな。

お庭の新緑が座敷に入り込んで床緑がすがすがしい。
花梨製の巨大な机にも映る。いいなあ。ここもいずれきちんとまとめたい。
お茶をいただいた。グリーンティーとおやつ。


再び御室から嵐電に乗り今度は北野白梅町に出たが目の前を乗りたかった203系統バスが行き過ぎてしまい、仕方なく待つが、これがなかなか来ない。
こういうものだと割り切るにはこの日は暑すぎた。アタマにきたのである。
しかし人に当たることはなく物にも当たらず、おとなしく待ってようやっとついたバスに乗ると、心を鎮めるためにそのまま目的地まで寝た。
途中千本通までは起きていたので優秀である。
千本通の辺りもたいへん変わってしまって、今やここはどこ状態である。
烏丸まで起きてたが、また寝てしまった。

銀閣寺道にて下車するが、203バスはぐるっと回るので今出川通ではなく白川通りへ入っていった。
バスから降りて白沙村荘へ向かう。
あっ昭和の頃人気のあったアイスキャンデー屋さんが平成末期に閉店してたことを今になって知る。
そうよなあ、わたしがこの界隈をよく歩いたのは昭和から平成初期だものなあ。
ノアノアなども繁盛していてなにより。


白沙村荘

改めてここの庭園の大きさに感心する。いくつもの池があり、その周囲を往く。
池泉回遊式。7400平方mかぁ…平地でこれほどに興趣があるのは、やはり東山三十六峰が借景となっていることもあるか。
都内の根津美術館、静嘉堂文庫、五島美術館の庭園は全て「一旦下る」ようになっている。
これは関西では大和文華館がある。
わたしは地理学はよくわからんが、元の地形を生かすとこうなる、ということだろうとは思う。

夏になると蓮や睡蓮で埋まるだろうな…


重要な作品を三館でたくさん見た。
ご厚意でぱちぱち撮らせていただいた。
まことにありがたい。
いずれまとめたいと思う。

美術館本館のベランダから東山を見ると、大文字がみえた。如意ガ岳

そういえば北野白梅町からは左大文字が見えた。

東西を移動する忙しい一日でした。