いよいよ年末。
昔人間だからか、年末は落ち着かない。
新造人間なら落ち着くのか、いやちがうだろうとセルフツッコミしているが、そもそも新造人間は「噂に聞こえた凄い奴」なのだ。
キックアタック電光パンチだ。
それでは笛の音で動きが変わるのは誰だ、それは人造人間だ。←良心回路からの切替。
いや、それと年末は関係ない。
そもそも「人造」というと「ジロー」とか「ゼロワン」とか「ハカイダー」がでるのはわたしのような旧人だよな。
「新造」もキャシャーンだとばかり子供の頃は思っていたが、ちょっと大きくなると「新造」を「しんぞ」読みして、ごしんぞさんえ、お富さんえ、いやさお富、久しぶりだなぁ とやらかす程度には歌舞伎にのめった。
まあ振袖新造あたりはここではパス。
…というどうでもいい話から始まる、相変わらずどうでもいいハイカイ録の始まり始まり。
基本的にスケジュールはガチガチに埋めまくるのだが、昨今の疫病流行や己の体調不良もあって、大まかな決め方に変えて、ゆったりと出かけるようになりました。
さて今回はめちゃくちゃ久しぶりに新横浜で下車。
そこから新子安へ。今回は定宿ではなくこちらへ。
そこには色々事情もあるけど、鎌倉と横浜の一日の次はビッグサイトの半日なので、むしろこの方が合理的なの。
新横浜から乗り換えもけっこう気楽で、新子安に着いたのが案外早い時間ではあるが、まさかの巨大陸橋。ああ…これで歩行者は動くのね。
宿は見えてるけど遠い。しかし色々見回して、最短の道を発見。
どこをどう通ったかは秘密だが、公式のアクセスよりかなり早く着いた。荷物を置いて再び横浜経由で今度は鎌倉へ。
久しぶりの鎌倉はもうだいぶ人出が戻ってて、エキナカみっしり。
わたしはそのまま江ノ電へ。ホームに出た途端に電車が来て、すいっと座る。
行く先は由比ガ浜。
勝手に長谷だと思い込んでいたが由比ガ浜で下車したら見覚えのある牛乳屋さん。
それを背にして少し山へ向かうと忽ちに鎌倉文学館の敷地へ。
旧前田侯爵家の鎌倉別邸。
久しぶりよの。
まだ紅葉も残るが山茶花が可愛く垣根に絡む。
内部は完全に撮影禁止なので外観を丁寧に写す。素晴らしい喃。
堪能してから内部へ。
このステンドグラス2件は文学館の栞から。
澁澤龍彦「高丘親王航海記」の展覧会。彼の最後の長編小説。
そしてコミカライズした近藤ようこさんの原画も展示されている。
高丘親王の旅は幻想に満ちたものになったけれど、それは澁澤が子供の頃に読んでいた南洋一郎の著作なども発想の根にあり、夢のアジアを旅した
何年ぶりなのかちょっと思い出せないが、ここで前も澁澤の展覧会を見ている。有島三兄弟の展覧会もよかった。
元々里見弴のファンなので、その随筆から「鎌倉文士」の交友や暮らしぶりを見ていた。
町自体は立原正秋の小説を読んで育ったので、どうしてもそのイメージがある。
十年ほど前からは西岸良平「鎌倉ものがたり」のヴィジュアルが焼き付いている。
最近はどうもブログにまとめる能力が著しく低下中なので、Twitterやこうしたときでないとなかなか展覧会の感想が記せない。
書いてる今も眠気に負けてところどころ何を書いてるかわからなくなっている。
「高丘親王航海記」は澁澤龍彦本人の健康状態とリンクしてゆき、夢の中で真珠を飲み込んだ親王はのどの痛みに苦しむ。
澁澤も病名が判明してすぐに手術を受けて声を失くしてしまう。真珠を取るか痛みを取るか。
そんな究極の選択をパタリヤ・パタタ姫に夢の中で迫られるが、この時の姫の言葉がまことに真珠の粒が連なるように美しく、そして不吉で残酷でもあるが、たいへん魅力が深い。
小説刊行後数年経ったあるとき、なかにし礼が美輪明宏のコンサートへの言葉にそのセリフを引用していた。
そぐう言葉であり、また改めて澁澤の魅力を思い知らされる<事件>でもあった。
更に歳月が流れ、近藤ようこさんがコミカライズされた。
前作の終わり頃にお会いしたときか、そっとそのことを教わり、わくわくした。
そのときわたしは幸福な秘密を持ったと思った。
床屋が「王様の耳はロバの耳」だと喋りたくなる気持ちもわかるが、「王様の耳がロバの耳なのを知るのは」とにんまりと秘密を抱え込むのが愉しい気持ちもこの世にはあるのだ。
わたしはいつからか後者になっていた。
その近藤ようこさんの成果であり精華たる「高丘親王航海記」は澁澤龍彦の生み出した世界を忠実にたどりつつ、作品世界の枠を更に広めた。
これは近藤ようこさんでなくば可能でなかったことだと思う。
わたしは単行本が完結したとき、その感想を書き出していたが、込み入った環境の変化に負けて、未だに書き上げていないまま放置している。
だが、今回のこの展覧会を機に感想をきちんと挙げようと思う。
それは別に世に知らしめたいからではなく、あくまでも自己満足からのことだが、書き上げたときには新たな喜びが得られる気がする。
「高丘親王航海記」には、読み手にそんな気持ちを齎すところがある。
第二展示室に並ぶ近藤ようこさんの原画を眺めながら、昨年の彼女の個展を思い出していた。
中世日本を背景にした作品を世に贈り続けてきた人が、幻想のアジアを旅する物語を描いたのだ。
それまでにも少しばかり南洋の話を描いてらしたが、この作品が禅機となったかもと思うのも楽しい。
常設展示では里見弴をたくさん見出せてそれが嬉しい。
90年代初頭から里見弴の面白さに惹かれた身としては、戦後の彼の楽しい暮らしがこの鎌倉で営まれたことを思うと、お礼を言いたくなる。
楽しい気持ちで庭へ出ると、さすがに冬薔薇は静かだったが、一本の椿の木が大きな花を咲かせていた。
椿が大好きなわたしは喜んで近づいたが、それは里見弴にゆかりの椿だった。
かれには短編「椿」がある。佳品。あの作品を思いながらわたしは鎌倉文学館を去った。
由比ガ浜駅に戻ると、丁度藤沢へ向かう江ノ電が行くところだった。
ここの線路は一つなので、次は鎌倉行きになる。
二分ほど待つと江ノ電が来た。小さい路面電車が好きなので喜んで乗る。
すぐに鎌倉に到着する。出口をちょっと間違えて遠回りになったが、それはそれで楽しい。
鳩サブレの豊島屋さんの「扉」を少しのぞいてから、今回のもう一つの目的地に向かう。
レポーターの迫文代さんの自宅カレー屋さんへ行くのだ。
昔から迫さんがとても感じの良い人だなとファンだったので、今回はスマホに誘導されて歩いた。
ああ、中央市場てか。なんだか外国の市場のような雰囲気がある。
TVを見ていて人柄の良さを感じた迫文代さんだが、実際にお店に行って本当に感じの良い人だなあと思った。
先客の赤ちゃん連れの若い夫婦への親切な声掛けを陰ながら聞いて、嬉しくなったほどだ。
わたしは焼チーズカレー、プリンなどのセットを頼んだ。
その後少しお話をして店を出たが、最後まで良い心持だった。
若宮大路を歩く。可愛い狛犬を見て段葛に上ってカトリック雪ノ下教会を撮影したり、三井住友銀行を撮ったりするうち、急に倒れそうになった。
これは非常にまずい。
そこで急いで清方記念美術館へ入った。
一通り見て回れそうだと思って展示室に入ったが目が回ってきたので、休憩室で休む。
結局ここから浄智寺へ向かうことはあきらめた。
時間がかなり経ってしまっていた。
ああもう…
それで鎌倉から横浜へ出たが、これがいつもと違う出口に出ていた。
ちょっと買い物をしようと思いつき、小雨の中ビブレへ。
もうこの頃には元気になっている。
やっぱり鎌倉がわたしには鬼門なのかもしれない。
おばあちゃんは平家の末裔でわたしの女紋はアゲハ蝶だからかもしれない。
さてわたしはここでまさかのポプラ社刊行の子供むけ物語絵本「東海道四谷怪談」発見。
さねとうあきらと岡田嘉夫コンビの艶めかしくもおぞましい絵本なりよ。
ヒャッハー!2005年刊行。よく手に入ったものよ。ありがとう。
こういう本が出ていることすら知らなかった。買えてよかった。
ホクホクしながらポルタへ。
おおー凄い行列の崎陽軒食堂。でも今日はここで晩御飯食べたいので並ぶ。
…だいぶ並んで入ったのだけど、ちょっと手違いで好きではないものを頼んでいた。
いや、わるくはないんですよ。ただ口に合わないだけの話。
そこから新子安に戻り、近道して宿に。
ぐったりしつつも結局いつもの意味不明な時間に寝てしまう。ダメダメだ。
二日目。朝食の後は早い目に新橋へ向かう。ロッカーに荷物を放り込み、キャリーを持ってゆりかもめに乗る。
実に久しぶりにイベント。冬コミ前のイベント。
あちこち出かけ挨拶して回り、薄い本をたくさん手に入れるが、とある方のだけ完売でそっと泣く。
こちらも早い時間に撤退。再びゆりかもめで新橋へ戻るが、ここでも選択ミス。
わざわざ有楽町まで歩いてしまった。いや、味を知ってるところだしゆったりできたからよいけどね…
それでまっすぐ東京駅へ行ったらさあここからがえらいこっちゃ。
12時から新幹線は再開未定というとんでもない状況になっていた。
まあ結局これで17時過ぎに一部再開したけど、わたしが乗ったのが動いたのは19時過ぎというか20時前か。
それでも薄い本を買ってたし、おなかいっぱいだったし、まあなんとか普通に待ってたな。
この状態で普通に待っていたのもおかしい話なんだが、普通に待ってたのよ。
隣家の従弟が同じ状態だと知ったのは、叔母に猫の餌を頼んだ時の話から。
あーそうなのか。しかし会うことは出来なかった。ホームにいる者と改札外の者とは割と大きく隔てられていたな。
従弟は直にしゃべる分には楽しい人間なんだが、メールにしろラインにしろこちらはもう本当に投げやりで話が続かない。
なので向こうの方が一本早く出たと知ったのは新幹線が動き出してから。
新大阪でexicカードのはどうするのか尋ねたらカード決算の方で返金しますとのこと。
ただしSuicaがちょっと面倒なことになったので後日これをなんとかしないといかんのだが、一週間後の今もSuicaを使う当てがない。
来年早々話をするしかないか。
終電に乗り帰宅したのがもう一時前か。えらい目に遭うたよ。
猫たちは大歓迎。まあそりゃあね。わたしもなでなで。
結局いつものように三時過ぎに寝て六時過ぎに起きるという…
当分は東京へは行かないよ。
次はたぶん1月末か。またその頃にね。
昔人間だからか、年末は落ち着かない。
新造人間なら落ち着くのか、いやちがうだろうとセルフツッコミしているが、そもそも新造人間は「噂に聞こえた凄い奴」なのだ。
キックアタック電光パンチだ。
それでは笛の音で動きが変わるのは誰だ、それは人造人間だ。←良心回路からの切替。
いや、それと年末は関係ない。
そもそも「人造」というと「ジロー」とか「ゼロワン」とか「ハカイダー」がでるのはわたしのような旧人だよな。
「新造」もキャシャーンだとばかり子供の頃は思っていたが、ちょっと大きくなると「新造」を「しんぞ」読みして、ごしんぞさんえ、お富さんえ、いやさお富、久しぶりだなぁ とやらかす程度には歌舞伎にのめった。
まあ振袖新造あたりはここではパス。
…というどうでもいい話から始まる、相変わらずどうでもいいハイカイ録の始まり始まり。
基本的にスケジュールはガチガチに埋めまくるのだが、昨今の疫病流行や己の体調不良もあって、大まかな決め方に変えて、ゆったりと出かけるようになりました。
さて今回はめちゃくちゃ久しぶりに新横浜で下車。
そこから新子安へ。今回は定宿ではなくこちらへ。
そこには色々事情もあるけど、鎌倉と横浜の一日の次はビッグサイトの半日なので、むしろこの方が合理的なの。
新横浜から乗り換えもけっこう気楽で、新子安に着いたのが案外早い時間ではあるが、まさかの巨大陸橋。ああ…これで歩行者は動くのね。
宿は見えてるけど遠い。しかし色々見回して、最短の道を発見。
どこをどう通ったかは秘密だが、公式のアクセスよりかなり早く着いた。荷物を置いて再び横浜経由で今度は鎌倉へ。
久しぶりの鎌倉はもうだいぶ人出が戻ってて、エキナカみっしり。
わたしはそのまま江ノ電へ。ホームに出た途端に電車が来て、すいっと座る。
行く先は由比ガ浜。
勝手に長谷だと思い込んでいたが由比ガ浜で下車したら見覚えのある牛乳屋さん。
それを背にして少し山へ向かうと忽ちに鎌倉文学館の敷地へ。
旧前田侯爵家の鎌倉別邸。
久しぶりよの。
まだ紅葉も残るが山茶花が可愛く垣根に絡む。
内部は完全に撮影禁止なので外観を丁寧に写す。素晴らしい喃。
堪能してから内部へ。
このステンドグラス2件は文学館の栞から。
澁澤龍彦「高丘親王航海記」の展覧会。彼の最後の長編小説。
そしてコミカライズした近藤ようこさんの原画も展示されている。
高丘親王の旅は幻想に満ちたものになったけれど、それは澁澤が子供の頃に読んでいた南洋一郎の著作なども発想の根にあり、夢のアジアを旅した
何年ぶりなのかちょっと思い出せないが、ここで前も澁澤の展覧会を見ている。有島三兄弟の展覧会もよかった。
元々里見弴のファンなので、その随筆から「鎌倉文士」の交友や暮らしぶりを見ていた。
町自体は立原正秋の小説を読んで育ったので、どうしてもそのイメージがある。
十年ほど前からは西岸良平「鎌倉ものがたり」のヴィジュアルが焼き付いている。
最近はどうもブログにまとめる能力が著しく低下中なので、Twitterやこうしたときでないとなかなか展覧会の感想が記せない。
書いてる今も眠気に負けてところどころ何を書いてるかわからなくなっている。
「高丘親王航海記」は澁澤龍彦本人の健康状態とリンクしてゆき、夢の中で真珠を飲み込んだ親王はのどの痛みに苦しむ。
澁澤も病名が判明してすぐに手術を受けて声を失くしてしまう。真珠を取るか痛みを取るか。
そんな究極の選択をパタリヤ・パタタ姫に夢の中で迫られるが、この時の姫の言葉がまことに真珠の粒が連なるように美しく、そして不吉で残酷でもあるが、たいへん魅力が深い。
小説刊行後数年経ったあるとき、なかにし礼が美輪明宏のコンサートへの言葉にそのセリフを引用していた。
そぐう言葉であり、また改めて澁澤の魅力を思い知らされる<事件>でもあった。
更に歳月が流れ、近藤ようこさんがコミカライズされた。
前作の終わり頃にお会いしたときか、そっとそのことを教わり、わくわくした。
そのときわたしは幸福な秘密を持ったと思った。
床屋が「王様の耳はロバの耳」だと喋りたくなる気持ちもわかるが、「王様の耳がロバの耳なのを知るのは」とにんまりと秘密を抱え込むのが愉しい気持ちもこの世にはあるのだ。
わたしはいつからか後者になっていた。
その近藤ようこさんの成果であり精華たる「高丘親王航海記」は澁澤龍彦の生み出した世界を忠実にたどりつつ、作品世界の枠を更に広めた。
これは近藤ようこさんでなくば可能でなかったことだと思う。
わたしは単行本が完結したとき、その感想を書き出していたが、込み入った環境の変化に負けて、未だに書き上げていないまま放置している。
だが、今回のこの展覧会を機に感想をきちんと挙げようと思う。
それは別に世に知らしめたいからではなく、あくまでも自己満足からのことだが、書き上げたときには新たな喜びが得られる気がする。
「高丘親王航海記」には、読み手にそんな気持ちを齎すところがある。
第二展示室に並ぶ近藤ようこさんの原画を眺めながら、昨年の彼女の個展を思い出していた。
中世日本を背景にした作品を世に贈り続けてきた人が、幻想のアジアを旅する物語を描いたのだ。
それまでにも少しばかり南洋の話を描いてらしたが、この作品が禅機となったかもと思うのも楽しい。
常設展示では里見弴をたくさん見出せてそれが嬉しい。
90年代初頭から里見弴の面白さに惹かれた身としては、戦後の彼の楽しい暮らしがこの鎌倉で営まれたことを思うと、お礼を言いたくなる。
楽しい気持ちで庭へ出ると、さすがに冬薔薇は静かだったが、一本の椿の木が大きな花を咲かせていた。
椿が大好きなわたしは喜んで近づいたが、それは里見弴にゆかりの椿だった。
かれには短編「椿」がある。佳品。あの作品を思いながらわたしは鎌倉文学館を去った。
由比ガ浜駅に戻ると、丁度藤沢へ向かう江ノ電が行くところだった。
ここの線路は一つなので、次は鎌倉行きになる。
二分ほど待つと江ノ電が来た。小さい路面電車が好きなので喜んで乗る。
すぐに鎌倉に到着する。出口をちょっと間違えて遠回りになったが、それはそれで楽しい。
鳩サブレの豊島屋さんの「扉」を少しのぞいてから、今回のもう一つの目的地に向かう。
レポーターの迫文代さんの自宅カレー屋さんへ行くのだ。
昔から迫さんがとても感じの良い人だなとファンだったので、今回はスマホに誘導されて歩いた。
ああ、中央市場てか。なんだか外国の市場のような雰囲気がある。
TVを見ていて人柄の良さを感じた迫文代さんだが、実際にお店に行って本当に感じの良い人だなあと思った。
先客の赤ちゃん連れの若い夫婦への親切な声掛けを陰ながら聞いて、嬉しくなったほどだ。
わたしは焼チーズカレー、プリンなどのセットを頼んだ。
その後少しお話をして店を出たが、最後まで良い心持だった。
若宮大路を歩く。可愛い狛犬を見て段葛に上ってカトリック雪ノ下教会を撮影したり、三井住友銀行を撮ったりするうち、急に倒れそうになった。
これは非常にまずい。
そこで急いで清方記念美術館へ入った。
一通り見て回れそうだと思って展示室に入ったが目が回ってきたので、休憩室で休む。
結局ここから浄智寺へ向かうことはあきらめた。
時間がかなり経ってしまっていた。
ああもう…
それで鎌倉から横浜へ出たが、これがいつもと違う出口に出ていた。
ちょっと買い物をしようと思いつき、小雨の中ビブレへ。
もうこの頃には元気になっている。
やっぱり鎌倉がわたしには鬼門なのかもしれない。
おばあちゃんは平家の末裔でわたしの女紋はアゲハ蝶だからかもしれない。
さてわたしはここでまさかのポプラ社刊行の子供むけ物語絵本「東海道四谷怪談」発見。
さねとうあきらと岡田嘉夫コンビの艶めかしくもおぞましい絵本なりよ。
ヒャッハー!2005年刊行。よく手に入ったものよ。ありがとう。
こういう本が出ていることすら知らなかった。買えてよかった。
ホクホクしながらポルタへ。
おおー凄い行列の崎陽軒食堂。でも今日はここで晩御飯食べたいので並ぶ。
…だいぶ並んで入ったのだけど、ちょっと手違いで好きではないものを頼んでいた。
いや、わるくはないんですよ。ただ口に合わないだけの話。
そこから新子安に戻り、近道して宿に。
ぐったりしつつも結局いつもの意味不明な時間に寝てしまう。ダメダメだ。
二日目。朝食の後は早い目に新橋へ向かう。ロッカーに荷物を放り込み、キャリーを持ってゆりかもめに乗る。
実に久しぶりにイベント。冬コミ前のイベント。
あちこち出かけ挨拶して回り、薄い本をたくさん手に入れるが、とある方のだけ完売でそっと泣く。
こちらも早い時間に撤退。再びゆりかもめで新橋へ戻るが、ここでも選択ミス。
わざわざ有楽町まで歩いてしまった。いや、味を知ってるところだしゆったりできたからよいけどね…
それでまっすぐ東京駅へ行ったらさあここからがえらいこっちゃ。
12時から新幹線は再開未定というとんでもない状況になっていた。
まあ結局これで17時過ぎに一部再開したけど、わたしが乗ったのが動いたのは19時過ぎというか20時前か。
それでも薄い本を買ってたし、おなかいっぱいだったし、まあなんとか普通に待ってたな。
この状態で普通に待っていたのもおかしい話なんだが、普通に待ってたのよ。
隣家の従弟が同じ状態だと知ったのは、叔母に猫の餌を頼んだ時の話から。
あーそうなのか。しかし会うことは出来なかった。ホームにいる者と改札外の者とは割と大きく隔てられていたな。
従弟は直にしゃべる分には楽しい人間なんだが、メールにしろラインにしろこちらはもう本当に投げやりで話が続かない。
なので向こうの方が一本早く出たと知ったのは新幹線が動き出してから。
新大阪でexicカードのはどうするのか尋ねたらカード決算の方で返金しますとのこと。
ただしSuicaがちょっと面倒なことになったので後日これをなんとかしないといかんのだが、一週間後の今もSuicaを使う当てがない。
来年早々話をするしかないか。
終電に乗り帰宅したのがもう一時前か。えらい目に遭うたよ。
猫たちは大歓迎。まあそりゃあね。わたしもなでなで。
結局いつものように三時過ぎに寝て六時過ぎに起きるという…
当分は東京へは行かないよ。
次はたぶん1月末か。またその頃にね。