遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
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2022.12月の鎌倉横浜東京ハイカイ録

2022-12-27 23:45:57 | 記録
いよいよ年末。
昔人間だからか、年末は落ち着かない。
新造人間なら落ち着くのか、いやちがうだろうとセルフツッコミしているが、そもそも新造人間は「噂に聞こえた凄い奴」なのだ。
キックアタック電光パンチだ。
それでは笛の音で動きが変わるのは誰だ、それは人造人間だ。←良心回路からの切替。
いや、それと年末は関係ない。
そもそも「人造」というと「ジロー」とか「ゼロワン」とか「ハカイダー」がでるのはわたしのような旧人だよな。
「新造」もキャシャーンだとばかり子供の頃は思っていたが、ちょっと大きくなると「新造」を「しんぞ」読みして、ごしんぞさんえ、お富さんえ、いやさお富、久しぶりだなぁ とやらかす程度には歌舞伎にのめった。
まあ振袖新造あたりはここではパス。
…というどうでもいい話から始まる、相変わらずどうでもいいハイカイ録の始まり始まり。


基本的にスケジュールはガチガチに埋めまくるのだが、昨今の疫病流行や己の体調不良もあって、大まかな決め方に変えて、ゆったりと出かけるようになりました。
さて今回はめちゃくちゃ久しぶりに新横浜で下車。
そこから新子安へ。今回は定宿ではなくこちらへ。
そこには色々事情もあるけど、鎌倉と横浜の一日の次はビッグサイトの半日なので、むしろこの方が合理的なの。
新横浜から乗り換えもけっこう気楽で、新子安に着いたのが案外早い時間ではあるが、まさかの巨大陸橋。ああ…これで歩行者は動くのね。
宿は見えてるけど遠い。しかし色々見回して、最短の道を発見。
どこをどう通ったかは秘密だが、公式のアクセスよりかなり早く着いた。荷物を置いて再び横浜経由で今度は鎌倉へ。

久しぶりの鎌倉はもうだいぶ人出が戻ってて、エキナカみっしり。
わたしはそのまま江ノ電へ。ホームに出た途端に電車が来て、すいっと座る。
行く先は由比ガ浜。
勝手に長谷だと思い込んでいたが由比ガ浜で下車したら見覚えのある牛乳屋さん。
それを背にして少し山へ向かうと忽ちに鎌倉文学館の敷地へ。
旧前田侯爵家の鎌倉別邸。
久しぶりよの。
まだ紅葉も残るが山茶花が可愛く垣根に絡む。

内部は完全に撮影禁止なので外観を丁寧に写す。素晴らしい喃。
堪能してから内部へ。

このステンドグラス2件は文学館の栞から。




澁澤龍彦「高丘親王航海記」の展覧会。彼の最後の長編小説。
そしてコミカライズした近藤ようこさんの原画も展示されている。
高丘親王の旅は幻想に満ちたものになったけれど、それは澁澤が子供の頃に読んでいた南洋一郎の著作なども発想の根にあり、夢のアジアを旅した

何年ぶりなのかちょっと思い出せないが、ここで前も澁澤の展覧会を見ている。有島三兄弟の展覧会もよかった。
元々里見弴のファンなので、その随筆から「鎌倉文士」の交友や暮らしぶりを見ていた。
町自体は立原正秋の小説を読んで育ったので、どうしてもそのイメージがある。
十年ほど前からは西岸良平「鎌倉ものがたり」のヴィジュアルが焼き付いている。

最近はどうもブログにまとめる能力が著しく低下中なので、Twitterやこうしたときでないとなかなか展覧会の感想が記せない。
書いてる今も眠気に負けてところどころ何を書いてるかわからなくなっている。

「高丘親王航海記」は澁澤龍彦本人の健康状態とリンクしてゆき、夢の中で真珠を飲み込んだ親王はのどの痛みに苦しむ。
澁澤も病名が判明してすぐに手術を受けて声を失くしてしまう。真珠を取るか痛みを取るか。
そんな究極の選択をパタリヤ・パタタ姫に夢の中で迫られるが、この時の姫の言葉がまことに真珠の粒が連なるように美しく、そして不吉で残酷でもあるが、たいへん魅力が深い。
小説刊行後数年経ったあるとき、なかにし礼が美輪明宏のコンサートへの言葉にそのセリフを引用していた。
そぐう言葉であり、また改めて澁澤の魅力を思い知らされる<事件>でもあった。

更に歳月が流れ、近藤ようこさんがコミカライズされた。
前作の終わり頃にお会いしたときか、そっとそのことを教わり、わくわくした。
そのときわたしは幸福な秘密を持ったと思った。
床屋が「王様の耳はロバの耳」だと喋りたくなる気持ちもわかるが、「王様の耳がロバの耳なのを知るのは」とにんまりと秘密を抱え込むのが愉しい気持ちもこの世にはあるのだ。
わたしはいつからか後者になっていた。

その近藤ようこさんの成果であり精華たる「高丘親王航海記」は澁澤龍彦の生み出した世界を忠実にたどりつつ、作品世界の枠を更に広めた。
これは近藤ようこさんでなくば可能でなかったことだと思う。
わたしは単行本が完結したとき、その感想を書き出していたが、込み入った環境の変化に負けて、未だに書き上げていないまま放置している。
だが、今回のこの展覧会を機に感想をきちんと挙げようと思う。
それは別に世に知らしめたいからではなく、あくまでも自己満足からのことだが、書き上げたときには新たな喜びが得られる気がする。
「高丘親王航海記」には、読み手にそんな気持ちを齎すところがある。

第二展示室に並ぶ近藤ようこさんの原画を眺めながら、昨年の彼女の個展を思い出していた。
中世日本を背景にした作品を世に贈り続けてきた人が、幻想のアジアを旅する物語を描いたのだ。
それまでにも少しばかり南洋の話を描いてらしたが、この作品が禅機となったかもと思うのも楽しい。

常設展示では里見弴をたくさん見出せてそれが嬉しい。
90年代初頭から里見弴の面白さに惹かれた身としては、戦後の彼の楽しい暮らしがこの鎌倉で営まれたことを思うと、お礼を言いたくなる。

楽しい気持ちで庭へ出ると、さすがに冬薔薇は静かだったが、一本の椿の木が大きな花を咲かせていた。
椿が大好きなわたしは喜んで近づいたが、それは里見弴にゆかりの椿だった。
かれには短編「椿」がある。佳品。あの作品を思いながらわたしは鎌倉文学館を去った。


由比ガ浜駅に戻ると、丁度藤沢へ向かう江ノ電が行くところだった。
ここの線路は一つなので、次は鎌倉行きになる。
二分ほど待つと江ノ電が来た。小さい路面電車が好きなので喜んで乗る。
すぐに鎌倉に到着する。出口をちょっと間違えて遠回りになったが、それはそれで楽しい。
鳩サブレの豊島屋さんの「扉」を少しのぞいてから、今回のもう一つの目的地に向かう。
レポーターの迫文代さんの自宅カレー屋さんへ行くのだ。
昔から迫さんがとても感じの良い人だなとファンだったので、今回はスマホに誘導されて歩いた。
ああ、中央市場てか。なんだか外国の市場のような雰囲気がある。

TVを見ていて人柄の良さを感じた迫文代さんだが、実際にお店に行って本当に感じの良い人だなあと思った。
先客の赤ちゃん連れの若い夫婦への親切な声掛けを陰ながら聞いて、嬉しくなったほどだ。
わたしは焼チーズカレー、プリンなどのセットを頼んだ。
その後少しお話をして店を出たが、最後まで良い心持だった。

若宮大路を歩く。可愛い狛犬を見て段葛に上ってカトリック雪ノ下教会を撮影したり、三井住友銀行を撮ったりするうち、急に倒れそうになった。
これは非常にまずい。
そこで急いで清方記念美術館へ入った。



一通り見て回れそうだと思って展示室に入ったが目が回ってきたので、休憩室で休む。
結局ここから浄智寺へ向かうことはあきらめた。
時間がかなり経ってしまっていた。

ああもう…
それで鎌倉から横浜へ出たが、これがいつもと違う出口に出ていた。
ちょっと買い物をしようと思いつき、小雨の中ビブレへ。
もうこの頃には元気になっている。
やっぱり鎌倉がわたしには鬼門なのかもしれない。
おばあちゃんは平家の末裔でわたしの女紋はアゲハ蝶だからかもしれない。

さてわたしはここでまさかのポプラ社刊行の子供むけ物語絵本「東海道四谷怪談」発見。



さねとうあきらと岡田嘉夫コンビの艶めかしくもおぞましい絵本なりよ。
ヒャッハー!2005年刊行。よく手に入ったものよ。ありがとう。
こういう本が出ていることすら知らなかった。買えてよかった。

ホクホクしながらポルタへ。
おおー凄い行列の崎陽軒食堂。でも今日はここで晩御飯食べたいので並ぶ。
…だいぶ並んで入ったのだけど、ちょっと手違いで好きではないものを頼んでいた。
いや、わるくはないんですよ。ただ口に合わないだけの話。

そこから新子安に戻り、近道して宿に。
ぐったりしつつも結局いつもの意味不明な時間に寝てしまう。ダメダメだ。


二日目。朝食の後は早い目に新橋へ向かう。ロッカーに荷物を放り込み、キャリーを持ってゆりかもめに乗る。
実に久しぶりにイベント。冬コミ前のイベント。
あちこち出かけ挨拶して回り、薄い本をたくさん手に入れるが、とある方のだけ完売でそっと泣く。
こちらも早い時間に撤退。再びゆりかもめで新橋へ戻るが、ここでも選択ミス。
わざわざ有楽町まで歩いてしまった。いや、味を知ってるところだしゆったりできたからよいけどね…

それでまっすぐ東京駅へ行ったらさあここからがえらいこっちゃ。
12時から新幹線は再開未定というとんでもない状況になっていた。
まあ結局これで17時過ぎに一部再開したけど、わたしが乗ったのが動いたのは19時過ぎというか20時前か。
それでも薄い本を買ってたし、おなかいっぱいだったし、まあなんとか普通に待ってたな。
この状態で普通に待っていたのもおかしい話なんだが、普通に待ってたのよ。
隣家の従弟が同じ状態だと知ったのは、叔母に猫の餌を頼んだ時の話から。
あーそうなのか。しかし会うことは出来なかった。ホームにいる者と改札外の者とは割と大きく隔てられていたな。
従弟は直にしゃべる分には楽しい人間なんだが、メールにしろラインにしろこちらはもう本当に投げやりで話が続かない。
なので向こうの方が一本早く出たと知ったのは新幹線が動き出してから。

新大阪でexicカードのはどうするのか尋ねたらカード決算の方で返金しますとのこと。
ただしSuicaがちょっと面倒なことになったので後日これをなんとかしないといかんのだが、一週間後の今もSuicaを使う当てがない。
来年早々話をするしかないか。

終電に乗り帰宅したのがもう一時前か。えらい目に遭うたよ。
猫たちは大歓迎。まあそりゃあね。わたしもなでなで。
結局いつものように三時過ぎに寝て六時過ぎに起きるという…

当分は東京へは行かないよ。
次はたぶん1月末か。またその頃にね。


「よみがえる川崎美術館」をたずねる

2022-12-03 03:10:28 | 展覧会
むかし、川崎正蔵と言う人がいた。
この人は天保8年に薩摩に生まれ、若くして長崎に出て海運業に携わり、やがて大坂で小さな店を開いた。
そして明治になったばかりの頃に土佐沖で遭難して一命を取り留め、それで西洋型船建造に乗り出したそうだ。
数年後築地で造船所を開業し、やがて明治14年に神戸で川崎兵庫造船所を創設した。
この辺りで、わたしなどにも川崎正蔵が川崎重工の創設者だと納得がゆく。
今も生きる企業だからだ。

この川崎正蔵と言う人は明治の実業家として、金儲けだけでないもう一つの偉業を為した。
何かと言うと廃仏毀釈に端を発した日本の古美術の海外流出をとめようと、日本と東洋の優れた美術品を収集したのだ。
そして川崎正蔵の偉いところはそれらを秘蔵せず、美術館を拵えた、そこにある。
大倉喜七郎より先に開いた私立美術館である。
だが、まことに残念なことに大倉集古館と違い、大正末期には美術館は失われ、所蔵品は散逸してしまった。
川崎美術館が開館したのは明治23年(1890)、ただし今日のように大方の市民が気軽に行けるものではなかったが。
川崎正蔵の没後も大正13年(1924)まで美術館は続いたが、金融恐慌や災害などでとうとう終わってしまい、所蔵品は世界中のコレクター、美術館、博物館に渡り、大切にされてきた。


今年2022年、98年ぶりに行方の分かる川崎美術館旧蔵品が神戸市立博物館に集合した。
広告を見るといくつか「ああ、あれか」という作品もあり、他の美術館や博物館や展覧会でみている。
しかしこの規模でこうした集まり方をするのは本当に凄いことだと言っていい。
これまで誰もこんな企画を立てなかった・・・立てたかもしれないが実現しなかったのだ。
その待望の展覧会が川崎とゆかりの深い神戸で開催されることは本当に喜ばしい。
なにしろ美術館のあったのは布引だったそうな。
布引、熊内は今も高級住宅街で、そこに私邸を構えた富豪が美術館を拵えるというのは、まことに結構なことではある。
今だと竹中大工道具館があり、熊内には池長孟の南蛮美術館を転用した神戸市文書館がある。
こちらは往時の川崎美術館の外観。
「長春閣」と名付けていたそうだ。


さて前置きはここまでで三階からの展示会場へ向かう。

第一章 ─実業家・川崎正蔵と神戸
この辺りは造船業の繁栄という面白みがあった。
わたしは日本郵船歴史博物館でわくわくするクチだから、当然ながらこうした造船も楽しい。

川崎正蔵翁像 グイード・モリナーリ 1面 明治33年(1900) 川崎重工業株式会社  立派な風貌。わたしはこのモリナーリを知らないが、それにしてもなんとなく見たような…と思ったら、昭憲皇太后肖像の人か。松方正義も描いている。
明治の上流階級の人々の肖像画家。

株式会社川崎造船所創業総会決議録 1点 明治29年(1896)10月1日 川崎重工業株式会社  この中に同郷の松方幸次郎もいる。

川崎造船所広告(「神戸新聞」附録) 1枚 明治36年(1903)4月10日 神戸市立博物館  日露戦争前か。船がいっぱい載っている。

神戸市立博物館所蔵の古写真や古絵葉書から関連のものがでているが、こうしたものを見るのは本当に楽しい。

絵葉書では
・神戸川崎造船所カントリークレーンKawasaki Dock-yard, Kobe (k893) 1枚 大正時代・20世紀 神戸市立博物館
・株式会社神戸川崎銀行本店(「写真絵葉書等貼込帳 オールド KOBE」のうち) 1冊のうち1枚 大正時代~昭和時代初期・20世紀 神戸市立博物館
これらが近代の神戸の歴史を映し出す鏡ともなっていた。

企業が立ち上がる時、自前で銀行を拵えるところもある。
川崎正蔵も自前の銀行を拵えた。資本金は明治38年で百万円。今だといくらになるのか。
(令和での換算ではあまり実感もこもらなさそう…)

神戸川崎銀行正面写真 1枚 明治41年(1908)頃 神戸市立博物館
神戸川崎銀行牡丹会紀念絵葉書 絵葉書2 枚、袋1枚 明治時代後期~大正時代・
神戸川崎銀行牡丹会紀念絵葉書 1枚 明治44 年(1911) 個人蔵
神戸川崎銀行牡丹会紀念絵葉書 1枚 大正4 年(1915) 個人蔵
こうした記念の写真絵葉書は貴重だ。
なにしろ現物はもうどこにも存在しないので、こうした写真絵葉書で想像し、憧れるほかはない。

絵葉書 神戸川崎邸 牡丹 2 枚 大正時代~昭和時代初期  こちらはカラー版である。
「長春」閣と名付けるだけに春の花が華やかである。
ここの牡丹園は有名だったようだ。絵葉書から想像する。

絵葉書 BARON KAWASAKI'S GARDEN, KOBE. 1枚 大正9年(1920)~昭和時代  ああ男爵になっていたのか。なるほど。大倉喜七郎もそうだ。鴻池家も住友家もそうだ。
「国家ニ勲功アル者」これだ。

新聞にもその当時の造船の写真が出ていた。


第二章 ─収集家・川崎正蔵とコレクション
「川崎美術館」の収蔵品の本(図録というにはあまりに立派すぎる本)などが出ている。

長春閣鑑賞 川崎芳太郎編 6冊 大正3年(1914) 川崎重工業株式会社  その所蔵品の豪華本。鑑賞の鑑の字が金偏ではなく、「鍳」で記されていた。書体は隷書体に似ている。
「鑑」の異体字だから読み方も意味も同じ。
モノクロ印刷だが、上等な感じがある。
応挙の水飲み虎がいた。可愛い喃。

そろそろかつての愛蔵品にご面会である。





最勝曼荼羅 1幅 文安元年(1444) 奈良国立博物館  おお、あの…。これは雨乞いのための曼荼羅。そう認識されている。
奈良博のサイトに画像があるのでこちらへでどうぞ。
なかなか大きいので本当に実用だったらしい。

春日宮曼荼羅 1幅 南北朝時代・14世紀 MOA美術館 カラフル。改修したのかな。
上空に仏。下方には春日大社。小さく鹿もいる。ところがこれはMOAのコレクションで調べたら出てくれなかった。あちゃー

芙蓉に鶉図 土佐光起筆 1幅 江戸時代・17世紀後期 個人蔵  これもいかにも土佐派の絵で、木の下に一羽、それを見返る一羽と多分カップル。

源義経・周茂叔・陶淵明図 土佐光起筆 3幅 元禄2年(1689) 個人蔵  どういう取り合わせなのかと思うが、名前の順に中・右・左の並びで、視線はそれぞれ向かって→・←・→。
光起73歳の作。義経は高松での姿らしい。

雪月花図 勝川春章筆 3幅 天明3~7年(1783~87)頃 公益財団法人 摘水軒記念文化振興財団  雪はもう定番の香炉峰、月は石山寺の月、花は「いにしへの奈良の都は八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」伊勢大輔。
画像はこちら

鳥窠白楽天問答・黄龍呂洞賓問答図 伝祥啓筆 2幅 室町時代・16世紀 個人蔵  この双幅は前述の長春閣本にも載っている。
それぞれ相手と対話中の図。前者はこれはもしTwitterなら炎上するよな、それぞれの見る先が違いすぎて。それにしても白楽天は杭州の長官という地位にあったからか、色々と厄介な相手と問答するシーンが描かれているなあ。なぜか日本に来てコテンパンにやられるという話まであるし。

達磨図 曾我派筆 一休宗純賛 1幅 室町時代・15世紀後期 個人蔵  えらいまた丸顔ですな。

室町時代の藝愛の花鳥画が並ぶ。
梔に双雀図 藝愛筆 1幅 室町時代・16世紀前期~中期 京都国立博物館 チュンチュンしてて可愛い。白い花もいいなあ。
桜に山鳩図 藝愛筆 1幅 室町時代 個人蔵  おや、この鳩は白い胸だね。
桃に山鳩図 藝愛筆 1幅 室町時代 個人蔵  白い花が綺麗。
芦に蟹鯉図 藝愛筆 1幅 室町時代 個人蔵  鯉の両目がロンパリだ。黒いカニも可愛い。
芥子に小禽図 藝愛筆 1幅 室町時代 個人蔵  こちらは赤い花。

中世の花鳥画や仏画のいいのが多くて元々の出どころのことも考える。
相当な処から出たのだろうなあ。
続いて近世。

芙蓉図 狩野山楽筆 1幅 桃山時代~江戸時代初期・16~17世紀 個人蔵  これもきれいな花。以前に山楽展を見たときのことを思い出す。

陳汝福筆観音童子図 狩野探幽筆 1幅 江戸時代・17世紀 個人蔵  白衣観音と善財童子。白衣はくっきりと描かれている。坊やは左下にいる。

さてここから応挙が並ぶ。

呂洞賓図 円山応挙筆 1幅 天明7年(1787) 個人蔵  これはなかなか気品のある人で剣を背負い長い竿先に酒入りの瓢を引っかけてはいるが、流浪者には見えない。そのあたりがやはり応挙だからかもしれない。

四季富士図 円山応挙筆 4幅 安永8年(1779) 個人蔵  淡彩で四幅富士の四季を描く。

猛虎渓走図 円山応挙筆 1幅 天明7年(1787) 個人蔵  渓を駆け巡って崖に着く虎。カッコよさと可愛さが同居する。

石譜図巻 円山応挙筆 村瀬栲亭跋 1巻 江戸時代・18世紀後期 個人蔵  淡彩というより薄墨で様々な石を描く。
三井家からの寄贈だそうな。

闇夜漁舟図 与謝蕪村筆 1幅 江戸時代・18世紀後期 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館  この絵はよく逸翁美術館でみかけ、見るたびますます好きになる一枚。夜の漁で働く父子。遠くの蘆の透き間には小さい家の灯りがまるで光の渦の様にあふれかえっている。

雪景山水図 与謝蕪村筆 1幅 江戸時代・18世紀後期 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館  やっぱり蕪村の良さというものはしっくりくる。
この山では遭難などしないだろう。


三十六歌仙偃息図巻 呉春筆 1巻 江戸時代・18世紀後期~19世紀初期 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館  この絵も川崎美術館のだったか。たいへん楽しい絵で、河川たちがたわいもないゲームに興じている。平和でいい。戯画と言ってもイケズなものも風刺もない。

牡丹図 伝徽宗筆 1幅 元時代・13~14世紀 個人蔵  出ました風流士。芸術の才能はあったけど、激動する時代に生まれたのが気の毒なりよ。
赤、白、紫のほかに二色。たいへん綺麗な牡丹。

観音図 伝白良玉筆 1幅 元時代・13~14世紀 個人蔵  下に白衣で頭の周囲に光輪のみえる観音さん、その上を行くのが韋駄天。面白い構図。

雪中花鳥図 伝王李本筆 1幅 南宋時代~元時代・13世紀 東京国立博物館  寒くとも川の中にいるのも。

阿弥陀三尊像 1幅 南宋時代・13世紀 九州国立博物館  これは光がドロップ型ですな。

広目天眷属像 康円作 1躯 文永4 年(1267) 静嘉堂文庫美術館  赤いフィギュアですよ。力強そう。
正直な話海洋堂などのフィギュアの造形師さんたちって現代の名工だと思うのよ。
かれらはこうした神仏像も拵えることができるからね。

沃懸地高蒔絵桐竹文硯箱 1合 桃山時代・16世紀 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館  おお、これも川崎美術館のだったのか。チラシに出ているよ。

龍図堆朱食籠 2合 清時代・18世紀 林原美術館  いやもういかにも。大きくてね、龍まみれ。

色絵群馬文変形皿 鍋島焼(有田 岩谷川内窯) 10枚 江戸時代・1650年代頃 佐賀県立九州陶磁文化館(白雨コレクション)、 佐賀県立九州陶磁文化館  二か所の所蔵先が判明している。
十枚とも馬のポーズがみんな少しずつ違う。
今回のメインビジュアルが馬の屏風だったが、けっこう馬の絵柄のが好きだったのかな。
上はその屏風の一部、下はこのお皿。


青花楼閣騎馬人物図壺 景徳鎮窯 1口 明時代中期・15世紀 香雪美術館  描写が結構リアルである。

第三章 ─よみがえる川崎美術館
往時どのような展覧会を開いたかという資料などがある。
よい絵はがきもずらり。

絵葉書 神戸 布引 久形橋 Hisakata-bridge, Nunobiki, KOBE. 1枚 大正時代~昭和時代初期
938 HARBOR OF KOBE 布引から神戸市街を望む(「日本名所風俗写真帳 2」のうち) 1冊のうち1枚 明治時代中期・19世紀 神戸市立博物館
絵葉書 神戸川崎邸 美術館 1枚 明治時代後期~大正時代・20世紀 名古屋市博物館
なぜか名古屋市博物館にもここの邸宅の写真絵葉書がある。

資料色々
川崎美術館第四回展観招待状及び縦覧券(池長通宛)招待状1枚、縦覧券2 枚、封筒1通 明治26年(1893)5月25日 神戸市立博物館(池長孟コレクション)  池長孟の養父。大富豪である。

川崎美術館開館式列品目録 1冊 明治23年(1890)9月6日 願成寺
川崎美術館第八回陳列品目録 1冊 明治32年(1899) 兵庫県立図書館
川崎美術館第九回陳列品目録 1冊 明治34 年(1901)以降 島根大学附属図書館(桑原文庫)
川崎美術館第拾弐回陳列品目録 為徳光院殿豁堂恵然大居士追福開館 1冊 大正2年(1913) 阪急文化財団
こうした資料からどのような作品が並んでいたか、どういった形で並んでいたかを想像するのだ。


襖の再現コーナーへ。

月夜浮舟図・江頭月夜図襖 円山応挙筆 8面 天明7年(1787) 東京国立博物館  引手が花モチーフで綺麗。

五時半になった。わたしは知らなかったのだが、土曜日はこの時間からこの屏風のみ撮影可能なのだった。
海辺老松図襖 円山応挙筆 12面 天明7年(1787) 東京国立博物館

ツイートでは5時と書いてるが、間違い。
とても静かな波のうち返し・・・

江岸楊柳図襖 円山応挙筆 8面 天明7年(1787) 東京国立博物館
雪景山水図 円山応挙筆 1幅 天明7年(1787) 東京国立博物館
矛盾なく連なる世界。左端に七つの建物が列ぶ。

麝香猫図 宣宗筆 1幅 明時代・宣徳元年(1426) 個人蔵  こいつに会いたかったのだ。
グッズも色々あった。けっこうなことだ。


武陵桃源・李白観瀑図 岳翁蔵丘筆 2幅 室町時代・16世紀 出光美術館  強い滝。この桃源図を見ていると諸星大二郎の作品を思い出す。せつない桃源の物語。全ては幻・・・


第四章 ─美術とともに
良い工芸品が並ぶ。清朝のそれに範をとったような感じの七宝焼。強いトルコブルーを下地にみっちりみしみしの文様のもの。それを再現と言うか、日本でも作れるのをみせたのかな。
梶佐太郎というひとの作品。


牡丹唐草文鐶付七宝花瓶 梶佐太郎作 1口 明治時代後期~大正時代・19~20世紀初期 名古屋市博物館
このようなパターンで香炉や花瓶がある。いずれも名古屋市博物館所蔵。名古屋も七宝焼の盛んな土地であった。

白地龍鳳凰文七宝花瓶 梶佐太郎作 1合 明治時代後期~大正時代・19~20世紀初期 名古屋市博物館
これはまた更紗を思わせるような綺麗な・・・


菊唐草文七宝香炉 梶佐太郎作 1合 明治時代後期~大正時代・19~20世紀初期 宮内庁三の丸尚蔵館
やはり優れた作品なのでここにも収められている。

二枚の桐鳳凰図屏風がある。
伝狩野孝信筆8曲1双桃山時代~江戸時代・16世紀後期~17世紀初期林原美術館
狩野探幽筆6曲1双江戸時代・17世紀サントリー美術館
表現はそれぞれ違う。鳥がニガテなわたしはちょっと逃げたくなった。なんか攻撃的な面構えの鳳凰なのである。

牧馬図屏風 狩野孝信筆 8曲1双桃山時代~江戸時代・16世紀後期~17世紀初期個人蔵  この屏風今回のメインビジュアルである。馬たちの生き生きとした様子がいい。






海外のコレクターに大切に守られてきたのが今回初めての里帰りだそう。

第五章 ─ 川崎正蔵が蒔いた種─コレクター、コレクション、美術館
遂に終焉の時を迎え、売り立てが行われる。

神戸川崎男爵家蔵品落札高値表1枚昭和3年(1928)神戸市立博物館  この当時で12万円と言う高値がついているのは牧谿の作品。

川崎男爵家蔵品絵葉書  仁清の叭叭鳥、乾山の秋草文の器などがある。

最後の最後にもう一つの見たかったものが来た。
伝銭舜挙「宮女図(伝桓野王(かんやおう)図)」元時代・13 世紀~14 世紀 個人蔵

前にも見ているが、やはりいい。この細かな動作がリアル。
男装の宮女の仕草。

ああ、良いものを見た。
12/4まで。