遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

「遊行七恵の日々是遊行」の姉妹編です。
こちらもよろしくお願いします。
ツイッターのまとめもこちらに集めます。

二月の東京ハイカイ録

2021-02-25 23:13:47 | 記録
久しぶりに東京で一泊した。
東京へ行ったのは年末以来だからほぼ二カ月ぶり。あの時は速攻日帰り。
今回はいただいたチケットを使いたいのでなにがなんでも一泊二日。
早朝母親が「行ってらっしゃい」というのでちょっと安心して出かける。
新幹線はのぞみでGO。
富士山はこんな感じ。

白日晴天で東京へつく。
いつものロッカーに荷物を放り込んで丸ノ内線の定期売り場へ向かうと、まさかの2/11を以て閉店。
駅員さんに尋ねるとKITTE内に移動したらしい。
地上へ。
東京駅とKITTEのよく見える位置からパチリ。

これは丸の内南口かな、そこから近いわけです。
地下ではアイヌ文化の紹介とゴールデンカムイの看板等あり。
大好きな作品だが、こちらも終幕へ向かって疾走中なんよねえ。


東京subwayチケット48時間を購入。
ここからすぐの二重橋駅から明治神宮前まで。
…あ、まさかのあの角の千疋屋の隣の店がなくなってるーっっ
コロナ、ほんまにとんでもないな…
気を取り直し、浮世絵太田記念美術館で笠松紫浪展をみる。

感想については後日また詳しく書くけど、91年の回顧展に行き損ねた身としては嬉しすぎる展覧会。図録は一般図書扱いで、ここで買うなら税金分はなし。
清方の弟子からは二人の版画家が出ているが、巴水とはまた違う面白さのある紫浪。
とてもよかった。本は次回だな。

さてそこからわたしは渋谷に出て道玄坂の方の出口へゆく。
ありました。鬼滅の刃の壁面展示。
最愛の縁壱がいたーーーーっ
きゃーっ❣好きすぎてつらい…
ほんと、好きなの。縁壱と目が合ってドキドキしたわ。

地上へ上がると東宝シネマの前で、丁度昼過ぎだからそのまま五右衛門のパスタを食べに行く。しかしあれだ、わたしの食べたかったメニューがなくて、結局明太子と湯葉とシソの入ったのにした。ちょい塩辛いな。
サラダの人参ドレッシングがなかなかよくてこれは、となったよ。

地下鉄で次は乃木坂へ。
サントリー美術館に向かう。
金曜の午後なのでどうかなと思ったらこれがなかなか混んでますがな。
今回の「美を結ぶ、美を開く」展は撮影可能&SNS挙げようという展覧会で、皆さんお気に入りをぱちぱち。わたしもぱちぱち。
Twitterで色々挙げたけど、またブログでまとめよう。
…まとめ待ちめっちゃ多いねんけどね…

さて六本木から霞が関へ向かいます。
日比谷公園。ここはほんと、都会のオアシス、都会の社会人のための公園だなあ。
池をちょっと眺める。
日比谷文化館では真田幸治さんのコレクションによる小村雪岱の作品群を拝見。
膨大な資料をありがたくも撮影バチバチ可能。うをををををををっ
ものすごく嬉しかったです。ありがとう。
雪岱を見るとどうしても今は亡き畏友lapisさんを想う。
泣ける。
こちらもまた後日まとめます。

かなり長居して楽しんでから、丸の内オアゾへ走る。
五階の古奈屋のカレーうどん食べる。食べながらこれはゴマ豆乳でも入ってるのかなと思ったらミルクがベースなのね。なるほどなあ。これは美味しかった。

機嫌よくホテルへ向かう前に家へ電話して、一転地底を這いまわる心地になる。
やっぱり一泊は難しいかなあ、婆さんの妄言が凄かった。
隣家のオジ一家に後を頼む。暗澹たる気持ちになる。

定宿へ向かう。以前は送迎バスが出ていたがコロナのせいで休止。しょぼん。
仕方ない。自力で行くことは可能なのでてくてく。
久しぶりの宿は色々変わってたが、これはこれで仕方ない。
一日目終わり。

朝ちょっとゆっくり目に起きて一階へ降りると以前のようなビュッフェではなく弁当形式の朝食に。
味噌汁やコーヒーの都合上、自室へ持ってゆくのはやめて誰もいないしそこで食べる。

一旦東京へ出て、いつものロッカーにまたもや荷物を放り込んで、銀座線で上野へ。
近年わたしは9番出口から地上へ出てパンダ橋経由で上野公園というパターンの人になったのさ。

まずは都美で吉田博をみる。
こないだ京都高島屋で見たけど、やはり良いよねえ。
図録は京都で見たのと同じのがあった。それは買ってる。
一番欲しいのは名古屋ボストン美術館から出ていた6千円の図録。あれが一番すごかった。
今回は若い頃の水彩画も出ていた。
油彩もあり、「三四郎」に登場した旅する絵描き兄妹の姿がここにあるのだわ。
後日また詳しく挙げるけど、個人的にはインド辺りの作品が物凄く好きだな。

お昼は新しくなったJR上野駅の外の二階、森半プロデュースの店でうどん食べたよ。
味自体は京都風なので助かる。
意外とおなか一杯になったが、わざわざほうじ茶はたのまずともいいよ。

日本橋高島屋へ。
日本橋界隈の建物の装飾についての展示。とても面白かった。青幻社から刊行されてるみたい。

最後は三井記念美術館で清水三年坂美術館の小村雪岱の作品群+所蔵の工芸品をみる。
これに関しては以前かなり詳しく書いた感想があるので、それと同じかな。
ただ、この展示では三井所蔵の春信の浮世絵なども出ていて、「昭和の春信」を味わうことが出来た。

ここでタイムアップ。そのまま東京駅へ向かう。
わ゛っっまさかの駅弁ほぼ完売。まだ四時前やで!びっくりしたわ。
新幹線ではぐにゃぐにゃとしていた。

七時前に帰宅して隣家にゆくと母親がいたが正常ではなかった。
楽しいツアーもこういうオチが最後に来るようになったなあ。
でも来月もまた東京へ行く予定。

大和文華館「大人の嗜み 立花・鉄砲・古画鑑賞」展をみた 2

2021-02-24 00:57:45 | 展覧会
続き。
狩野探幽は古画縮図の多いヒトで、わたしなどは「縮図」と言うと必ず探幽が一番に思い出される。徳田秋声「縮図」ではないのよ。
かつては多くの日本画家がかれに倣い縮図を拵えた。
中で面白かったのは上村松園さん。描かれるものは端正な婦人像が多いけれど、縮図はわりと奔放で、その落差が面白かった。そうしたところも取り込んでいてなお端正なものを描くという姿勢がいいのだね。

さて大和文華館所蔵の探幽縮図は花鳥、人物など多岐にわたるものが三点ばかり出ていた。
切り貼りした巻物は本当に「絵を描くのが好きなんだなあ」と同時に「絵の仕事は大変だ」と思うものばかりだった。
柳に燕、雪舟の写し、鷲がサルをキャッチする、猫だっこ唐子、子トロで遊ぶ子らなどなど。


上は1に挙げた「宗清立花伝書」、下は探幽の描く唐子たち。

いい動き。

狩野安信の唐絵手鑑もいい。ここでは大和文華館誉れの李廸「雪中帰牧図」の写しもある。
キジなどの獲物がはっきりわかり、牛たちの表情も明るい。
どうも日本人はいつからか古びのついたもの、侘び寂びを好むようになってから、妙に薄暗い絵をありがたがる感性が身についてしまった。
この写しが本来のものならば、存外「たらったらったらった」な感じがするのである。

光琳による雪舟の山水画の写しもある。それが小舟がイルカ風で、家がなにやら猫が目隠しをしているような形に見えた。
光琳はこうした古画を学び吸収することで銹絵にも妙手をみせる。
弟乾山の拵える焼き物の絵付けにその学習の成果が見える。
兄弟コラボは存外渋い作風のものが多い。

「忠直卿行状記」で有名な松平忠直が福井の大名時代に作らせたという伝・岩佐又兵衛の源氏物語図屏風をみる。
若紫、蓬生、澪標、明石、若菜上あたりの名シーンがぽんぽんと。
豪奢な屏風でした。
この後に大分の府内に行くんだったかな…

さて今回は稲富流の鉄砲伝書がずらーーーーっと開かれている。
これについてはサイトに
「大和文華館所蔵の「稲富流鉄砲伝書」の内容は、稲富流砲術師が越前の松平忠直 に伝授した慶長17年(1612)の奥書がある19帖(以下慶長17年本と表記する)と、 年紀のない未完成の1帖、そして忠直自らが縁者に伝授した元和5年(1619)奥書の1 帖の、あわせて21帖の伝書からなる。」
とある。

金銀泥下絵墨書の豪華絢爛な鉄砲のノウハウ虎の巻は絵柄も凝っていた。
留守文様、源氏絵、須磨の嵐、月夜の浜松、柴舟、夕顔、銀杏、木賊、蘇鉄などなど。








庭園の梅も綺麗に咲いていた。
今度3月にも行くがその頃にはまた違う様相になっているだろう。



大和文華館「大人の嗜み 立花・鉄砲・古画鑑賞」展をみた 1

2021-02-15 17:19:54 | 展覧会
大和文華館で早春の時期に開催される展覧会をみた。
この時期は花に関する展示が多い。
今回は「大人の嗜み 立花・鉄砲・古画鑑賞」として花がそこに描かれた作品を眺めた。
なお展示は既に終了したので、この感想はいつもの「例によって終了した展覧会の感想」なのである。


チラシからして華やかである。
中央の花車は真如堂所蔵の花車図屏風の左隻、秋の花を集めた車。
その左右には池坊所蔵の立花図屏風、下には稲富流鉄砲伝書の一部がある。

本館へ向かうまでに既に山茶花や梅が出迎えてくれる。


中へ入るといつものように三つのガラスケースがある。
中にはそれぞれ景徳鎮窯で生まれた魅力的な皿などがある。
左から緑地黄色彩活花文平鉢、五彩美人文大皿、柿地五彩活花文皿
全く趣の異なる絵柄の皿が並ぶ。共通するのは「そこに花がある」こと。
緑地は八弁と見込みにハスの活けられた花瓶を描き、リボンで枠組みをする。
五彩美人は清朝のなよなよと細い身体の卵型の顔の美人がよく咲いた木花の下で卓に置いた盆花へ向かうところ。縁周りにはユルい獅子絵もある。
柿地には台上の花瓶三つにそれぞれ竹・蓮・松が活けられている。蓮には蝶が寄る。

それを眺めてから一の壁へ向かうと、鉄斎の絵が二点。
軸物は歳朝図。87歳になる年の正月に描いためでたいもの。白瓶には白梅、籠の内外には瑞果。文章もめでたいことを綴る。
ただし鉄斎せんせーは徹底して自分ハッピーなことばかり。

絵巻は百老図巻  16世紀の黄克晦(ちょっと調べたら中国語で来歴が記されていた)の写し。
元の絵は知らないが、爺さんたちがのんびりしてる図。
ああさよか、くらいしか思わないなあ。
時代が違うから仕方ないけど、なんとなく鉄斎せんせーの理想と言うもの(=高士)には反感を持つだけよ。
今風に言えばわたし「弁えない女」なもので。

翰墨随身帖 田能村竹田  わたしの好きな淡彩で青磁の瓶に活けられた山茶花を描いたのが出ていた。この薄さもいいのだよ。

それで実際にこの大和文華館の庭にはこのとおり薄いピンクの山茶花も咲いてます。


宗清立花伝書 享禄2年1529年奥書  池坊の弟子筋の宗清という人が立花のスタイル17選を残している。絵と文があるが、実際にはタイトルメインで詳しいことやコツはナシ。
解説に面白いことが書いてあった。
「芸道伝達は対面・口伝」でないといけないと。実際これは芸道ものではよく見るものですわね。
しかしコロナ禍の今、こうしたことはちょっと難しいかもしれない。
花瓶、盤、籠、寄せ、色々あるなあ。
だいぶ前に京都文化博物館あたりの展覧会でもこれとはまた別な立花伝書をいくつか見ているが、料理本でもそうだけど、やはり「詳しくはどうせ伝わらんけど、描き残してはおかねば」という感じのが色々ある。
その道の深みに落ちたものにはわかるだろうし、わからんものにはただの絵で終わる。

花車図屏風 真如堂 狩野派の絵師によるものではないか、とある。確かにそんな雰囲気。
豪奢な金屏風に華やかな車に春秋の花があふれる花車。
右隻は春。車輪の縁には龍の文様が刻まれている。白牡丹と白藤がこぼれるなか、青牡丹の大輪も一つ。花菖蒲だけの小さい車もある。
左隻は秋らしく菊三種、丸いのや花火のようなものにマーガレット風のもの。いずれも白。そして萩。
菊と萩と言う取り合わせをみて「丹羽の萩丸・菊丸」を思い出すわたし。
「笛吹童子」の兄弟ですね。

立花図屏風 池坊  これがなかなか面白くて見てて飽きなかった。
全体はこんな感じ。





床の間ということで、掛け軸とその前の生け花と言う取り合わせ。
騙し絵風なのもあるし、一つずつじっくりその違いを楽しむ。
チラシの縁から一つずつ挙げてゆく。


龍の下には梅が。その梅はひこばえが伸び、龍の乗る雲からの霹靂のようにも見えた。


絵の鳩が前の松に止っているように見せるというのが楽しい。


山水、ロバに乗ってゆく旅人。盤には松、牡丹、熊笹、岩躑躅かな。


掛け軸には瓜ねずみ。
これをちょっと大きくしてみる。

意外に可愛い。


蔦に丸顔モンキー。花は菊がメイン。

なかなか活発。


山家に梅。盤には松と菊。


月下に寒山拾得。松に白梅。



こちらの龍は口を開けている。思えばチラシの位置関係から行くと、最初に挙げた龍が口をつぐんでいるので、その対角にあるこの龍とで阿吽になるようにデザインされているのかもしれない。松に岩に椿。

ほかにも親子の馬、塔と回廊、高士と侍童などの絵と花の取り合わせがある。

画像を入れ過ぎたので一旦分ける。

湯田中温泉よろづや 松籟荘の思い出

2021-02-12 23:16:28 | 近代建築
2021年2月11日、まさかのニュースを見た。
湯田中温泉のよろづやさんが火事で全焼だというのだ。
しかも出火元はあの有形文化財の松籟荘の厨房。
眩暈がした。

わたしは学生の頃から歌舞伎、文楽にかなりのめり込んでいて、特に90年代は非常によく観に行った。
そして昔の歌舞伎俳優の芸談や評伝を読むのも好んだし、昔のブロマイドや芝居写真を見るのも楽しみにした。
その中で天下の美男・15世市村羽左衛門にも非常に惹かれた。
彼は満天下の人気者で様々な伝説も生まれていた。
その伝説を採りあげたのが里見弴「羽左衛門傳説」で、これはかれが昭和20年に疎開先の湯田中温泉よろづやで亡くなる辺りまでを記している。
わたしは泉鏡花を長く偏愛していて、そこから里見弴を知り、読み始めるとこれがまた非常に面白くてのめり込んでしまった。
里見弴はよろづやに向かい、羽左衛門と実際に交流した当時まだ二十歳前後だった宿のお嬢さん(後の女将さん)からその最期を詳しく聞き取っている。

里見弴、15世羽左衛門好きなわたしとしてはたとえ遠かろうとも折あらばなんとか信州へ、と長く願っていたところ94年に行くことが出来た。
そして女将さんに実は、と打ちあけたところ3時間にわたってお話をして下さり、羽左衛門ゆかりの松籟荘の部屋や碑(当時折れていた)を案内してくださったりした。(橘文様の裏地をつけたファンの女性のお話なども興味深かった)
たいへん嬉しかった。帰阪後にお礼の手紙も送ったくらいだった。

やがて再訪できたのは2002年でその時には松籟荘にも宿泊出来た。
こたつが出ていてそこへ厨房から作りたての食べ物が順序ごとに届けられるのだった。



そのときも94年もぱちぱちと撮影したのだが、今、その94年の写真が何故かこの遠望と、ベランダに来た猿の写真くらいしか見当たらず、みつけだせないままになっている。
そしてこちらの02年の写真もこれだけではないはずなのにどうしてか見つからない。
いずれ時間をとって探し出したいし、その時には今ここでは書いていない話なども記したいと思う。

今わたしの手元にある松籟荘などの写真を挙げてゆこうと思う。
当時の日記も出せたら詳しく記せるだろうが、今回はそれよりも今手元にあるものを挙げたい・挙げねばならない、という思いが先走る。
なお写真は全て日付入のフィルム写真である。


室内は花頭窓のような刳りがされたところもある。


天井も大変凝っている。


欄間は撫子だと思う。


富士山を描いたものだが、これはちょっとよくわからない。


竹の絵は寺崎廣業のもの。落款から推してだが。
ここの桃山風呂の扁額もかれの手に依った。


木々に囲まれていたなあ…


これは本館の方だと思うが、今ちょっと思い出せない。

こちらは絵はがき。
ほかにもまだあるはずだが、いまちょっと見つけられない。


泣きたいが、わたし以上によろづやさんがまずなによりいちばんつらいだろう…
どうか再現が為されますように、と願いを込めてこの記事を挙げる。

昔見たドラマのことなど

2021-02-07 18:43:53 | 記録
むかし、佐藤佑介という美少年俳優がいた。
わたしが見たのは昼ドラの「冬の旅」、単発ドラマ「鉄鎖殺人事件」、時代劇「大岡越前」、CM「カンコー学生服」などだった。
昭和50年代の話で、小学生のわたしは毎日昼ドラの「冬の旅」を見たかったが水、金は五時間目があって見ることが出来なかった。
当時はまだビデオは普及せず、その日は帰宅するやいなや隣家のおばちゃんの所へ行ってその日のドラマの展開を聞くのが楽しみで仕方なかった。
現在のわたしはほぼTVドラマも見ないのでえらい違いだが、その頃のくせでか、ネタバレは完全に平気になった。
物語は以前にもブログで書いたが、立原正秋の小説のドラマ化で、非常に人気が高かった。
わたしはこの作品から少年院なるものを知ったが、後に立原作品「恋人たち」「いそしぎ」でも少年院を聖堂として表現することが多く、観念的な憧れがそこに生じるくらいだった。


この表紙は現行のもの。
わたしの所蔵する本は抽象的なものだった。
この表紙絵は作中のカモメたちへの想いを取り上げたもの

主人公の行助の最期についてはもうここで繰り返さない。
数多の小説の中でもそれは特に感銘を受けたが、ドラマではただただ可哀想だった。
その哀れさを感じるのはやはり佐藤佑介が美少年だったからだと思う。

次に昭和56年に浜尾四郎「鉄鎖殺人事件」をモチーフにした単発ドラマがあった。
これは『昭和7年の血縁殺人鬼・呪われた流氷』という副題のついたもので、藤枝探偵を片岡孝夫が演じていたが、このときがわたしの孝夫初見で、完全な一目惚れをしてしまった。
それ以前は草刈正雄、三國連太郎がわたしの中ではトキメキの対象だったが、そこに片岡孝夫が加わったのだ。
今も仁左衛門となったかれを応援し続けているが、本当にこの頃は関西で歌舞伎が廃れていたため、かれはドラマに良く出ていたのだ。

思い出せる限りこのドラマについて記す。
冒頭、網走監獄から脱獄したと思しき鎖を引きずったままの中年男と、その妻らしき女とが官憲が迫る中、流氷の海へ自分たちの身体を鎖でぐるぐるに巻いてそのまま飛び込む。

昭和七年小樽。小樽は北のウォール街と呼ばれる繁栄を見せる土地。
そこでとある資産家の女(松尾佳代)がパーティで自分の養女が歌うのを満足げに眺める。歌は「慌て床屋」。
彼女は東京の音大に行きたいと思うが養母の溺愛から逃れることが出来ない。

そんなある日、彼女はルバシカを着た美青年(佐藤佑介)が屋外で油彩を描くを見る。仲良くなる二人。
かれは啄木の詩を朗読する。
「こころよく我に働く仕事あれ それを成し遂げ死なんと思ふ」
何かしら強い意思の力がかれにきらめく。

やがて資産家の松尾佳代が誰かと姦通していることが会話からわかる。彼女はその秘密を逆に強みにしている。
ところがそれから数日後彼女は鉄鎖でぐるぐる巻きにされた死体となる。
そこで名探偵藤枝(片岡孝夫)と助手(岡本信人)登場。

養女と青年の恋は捗らない。彼女は養母の死の後始末に追われ、探偵ともいろいろ話し合う。
そして二人めの犠牲者が出るが、こちらも鉄鎖ぐるぐる巻き。
探偵の調査からあの脱獄囚とのかかわりがわかる。脱獄囚は夫婦で心中したが、二人には一人の子があることが判明。
その子供による何らかの復讐ではないかと探偵は考察する。

ついに過去の惨劇が明らかにされる。
資産家の女は今の養女の前に一人の女児を養女にしていた。
ある日その市松人形のような子供が着物姿のまま必死で階段を駆け下りる。
それを鬼のような形相で捕まえる。
「何よこれ!」
その子どもの着物の裾をまくりあげて怒鳴りつける。
子どもの世話をしていた女中の婆さんが小さくなる。
女児に見せかけた男児だったのだ。
婆さんは貧しい夫婦から買ったこの愛らしい子どもをここへ送り込んだのだが、女児しかいらない女主人が遂にそれを知ったのだ。
激昂した女主人は剃刀をそこへふるう。

回想していたルバシカの美青年はよろめく。
子どもの受けた非情な禍を知ったものの両親に為す術はなかった。
そして心中した両親と自身の恨みを晴らすため、関係者たちを鉄鎖で縛って殺していたのだった。
逮捕された青年に養女があなたを待つという。
謎が解けても誰も幸せにはならないが、養女の優しい気持ちだけがそこに残る。

細部はさすがに忘れたが、過去に二度だけこのドラマを見て覚えていることを記した。
わたしはこのドラマで
・佐藤佑介との再会
・片岡孝夫に一目惚れ
・昭和初期の小樽の街並みの素晴らしさをしる
・昭和初期の歌曲の良さをしる
・女装男児の受けた惨劇
などなど、今に至る嗜好の道がついたのだった。