遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う

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田渕由美子展に行く

2021-06-22 12:45:17 | 展覧会
弥生美術館で70年代後半から80年代初頭にかけて大人気の「おとめちっく」の立役者の一人・田渕由美子展が開催されている。
日本の少女雑誌の歴史の中で「なかよし」「りぼん」は派閥が分かれていて、たまにどちらも好きと言う少女もいるが(わたしとかな)、大抵はどちらかに寄る。
その「りぼん」で短編マンガ、イラスト、付録に大活躍した田渕由美子の原画が展示されているわけだが、あの当時から田渕由美子ファンのわたしは行ける日を数えて待ち、とうとう朝からおとめちっくな世界に浸ることが出来た。


彼女は長期連載を持たない人ではあるが、読者の心に深い印象を残す作家である。
代表作と呼ばれる「フランス窓便り」の昔から、たいへん丁寧で繊細な絵柄と、こだわりのある植物描写、素敵な小物が心に活きている。

彼女は兵庫県に生まれ、豊中市で育ったとある。これはもうたいへんよくわかる。
わたしは豊中生まれの豊中育ち、先祖代々の土着民だが、兵庫の阪神間と昔で言う南摂あたりの地には非常に親しさを感じている。これはわたし一人の感性ではないだろう。
手塚治虫は豊中生まれだが、宝塚育ちである。同じだと言っていい。
北摂の人間を「阪急王国」の住民と言う巧い表現をした人がいるが阪急王国は兵庫県の東部分にも及ぶのである。
そして彼女の2000年代の自伝的な風味のある作品「大阪マウンテンブルース」を読むと、色々と思い当たることもある。また早稲田大学へ入学したことにもいくつかの予想がわく。

さて本題に戻り、作品の展示からうけたわたしのときめきを記してゆく。
改めて言うが、これはわたしの感想なので、展覧会レポではないのである。
展覧会レポはわたしなどではなく、もっと知性と理性のある方々が書いてくださるものなのだ。

・初期作品から
「雪やこんこん」 既にもう物語の展開も表現も後の田渕さんを彷彿とさせる。
こんな初期からずっとあのしなやかで魅力的な感性が活きていたのだ。
可愛くて、綺麗で、センスのいい、あの世界。

田渕さんの特徴として、大学生活を舞台にした作品が多いことが挙げられる。
今回の展示でのご本人の言葉などから、マンガ家デビューが早かったことから大学進学を考えなかったと知った。しかし周囲、就中編集者さんからの言葉で早稲田へ進んだそうで、結局それが本当によかったのだ。
また、進学を考えないといった北摂の女子高校生が現役で早大合格と言うだけで、どれほど田渕さんが「勉強のできる人」なのかがわかる話でもある。
ちょっと飛ぶが、日本橋ヨヲコさんの「少女ファイト」でもマンガ家志望の少年に対し、編集者さんが進学を良い言葉で勧めていて、これもとても印象に残っている。

「ライム・ラブ・ストーリー」 これも読んで印象に残っている。片思いの男性の気を惹くためにと、友人にごり押しされて、スケスケのシースルーを着たものの、やはり恥ずかしくて天気がいいのにレインコートを着て出向いたヒロイン。
当時シースルーは知っていたが、下着だという認識を持っていたのでびっくりした。
小学生のわたしはこの作品を読んで、シースルーはちょっと…と思うようになった。
今この原画を見て、展示に該当シーンはなくても印象深いシーンだったので、脳裏に展開されていった。
作中、陸奥A子さんへの私信が壁ポスターとして貼られていた。昭和の頃はこうしたちょっとしたおまけのようなものがわりと少女マンガにはあった。
ファンには嬉しいおまけなのである。

田渕さんの作品にはやさしい男しかいない。
1990年代の女性誌での連載以外には皆無である。
わたしは基本的にラブコメは受け入れられない体質である。
恋愛の成就が目的である作品には本当に関心がないが、田渕さんの作品だけは別で、繰り返し読み続けるのは、出てくる男性にやさしさがあり、女性をバカにしない性質が見えるからだと思う。
暴力もなく、女性にきちんと向き合う男性がいるという点でも、田渕さんの作品は輝く。

「クロッカス咲いたら」 この頃からはっきりと作画の中の植物の魅力が大きくなったように思う。いわゆる「花を背負った」キャラが描かれているのではなく、葉っぱや木花が背景に活きているのだ。その植物の描写に深く惹かれた。
今見ても本当に初々しい。葉っぱがやさしくて、風を感じる作画なのである。

「やさしい香りのする秋に」 素敵。着ているカーディガンも綺麗。日常を丁寧に生きている感じがある。

「フランス窓便り」 三人の娘のオムニバスもの。葉っぱもフランス窓のある建物も、なにもかもが素敵。この背景だけでときめく。
他人と勘違いされる杏、美大生でスモーカーの茜、大人っぽい詮子(みちこ)。それぞれの恋愛譚。
田渕さんによると、全然フランス窓とは無縁だったそうで、和も和だったとやら。
今でこそ和の建物、民家への目も優しくなったが、この時代は和に対してはあまり…

ところで他の作品、後の「桃子について」でもそうだが、けっこうスモーカーの女性が多いな。
当時は何も思わなかったが、田渕さんのキャラのタバコはどんな意味を持つのだろう。
…案外ご本人がタバコ好きなのかもしれないし、背伸びを意味するのかもしれないし、と考えることはいくらでも出てくる。
尤も、同時代のりぼん掲載の一条ゆかり作品「ハスキーボイスでささやいて」にはヘビースモーカーのマニッシュなミュージシャンが登場する。ボーイッシュではない、マニッシュなのである。そしてこの作品の彼女のそのスタイルが実は騒動の種となるのだが。

「あなたに」 ああ、これは今のわたしからすれば「こらっ」だな。だけど、それでも作画と感性に惹かれるのだ。

「ブルー・グリーン・メロディ」 1979.1月号 この作品が欧米物の最後だという。ああ、これは好きな作品で「林檎ものがたり」に収録されているが、大体同時期に読んだ弓月光「ラクラクBF獲得法」でも同じような指南書のせいでトラブルと誤解が生まれる話があり、子供心に「こういう文書は処分しないとヤバいな」と強く思ったものだ。
マンガでいろんなことを学んできたが、料理以外のノウハウ本に無関心なのはこの時からだ。
なお「ラクラク」は同時期に刊行された「ぶーけ」誌の冒頭の目玉たる再録で読んだのだ。
そして「ブルー…」での指南書とは正確にはノウハウ本ではなく、探偵社の所長が拵えた余計な文書なのである。
箱入りのお嬢さんが一人暮らしを始め自立しようとする。その父親が心配し、彼女の監視・保護を探偵社に頼んだことから話が動き始めるのだ。

カット絵がある。それだけでもムードがある。描かれた人の背景や性格はわからないのに、何か惹かれる。

今わたしは学生時代以来の長髪なのだが、根底には田渕さんの描く素敵な長髪への憧れがあると思う。そしてわたしはこの髪で今なら田渕さんの描く素敵な世界の住人になれるような錯覚を懐いている。
この妄想は手放せない。ヘア・ドネーションのための既定の長さにカットする日までは。

「りぼん」表紙絵のいくつかが並んでいた。
77.12月号 クリスマスプレゼントを期待して、ちょっと欲深くとても大きな靴下を手にする少女と、その背後の窓から中の様子を見ているサンタさん。
この号の掲載作品は
陸奥A子「そりの音さえ聞こえそう」、千明初美「涙が出ちゃう」、佐伯かよの「思い聖夜」。
他に連載陣の一条ゆかり「砂の城」、坂東江利子「ちょいまちミータン」、みを・まこと「キノコ💛キノコ」…懐かしくて涙出そう。
千明さん、どうされているのだろう…

78年10月号 太刀掛秀子「花ぶらんこゆれて」、一条ゆかり「砂の城」金子節子「オッス美里ちゃん」、陸奥A子「歌い忘れた1小節」
この頃は「ミリちゃん」ものでしたか。今思っても「歌い忘れた1小節」はいいタイトルだなあ。「おとめちっく」を体現しているよ。

79年4月号 これにポスターにもなった「菜の花キャベツがささやいて」が掲載されているが、この号はわたしもよく覚えている。
清原なつの「桜の森の満開の下」、太刀掛秀子「花ぶらんこゆれて」、金子節子「オッス! Gパン先生」、佐伯かよの「ハローマリアン」、一条ゆかり「砂の城」…
清原さんの「桜の森の…」はタイトルはそれだが別に安吾の作品とは無縁だ。わたしはこちらを先に知った。この作品は後に初期作品集のメインタイトルにもなった。
清原さんは「飛鳥昔がたり」がいちばん好きだが、どの作品にもふんわりしたものとせつなさとがあった。ああ「花岡ちゃんの夏休み」もよかったなあ。

79年10月号 太刀掛秀子「花ぶらんこゆれて」、金子節子「オッス! Gパン先生」、佐伯かよの「ハローマリアン」、一条ゆかり「砂の城」

80年5月号 一条ゆかり「ときめきのシルバースター」、太刀掛秀子「まりの、君の声が」、久保田律子「たんぽぽ空へ」
この頃はもうあの「砂の城」「花ぶらんこ」も連載終了し、お二方の次の連載はそんなに重いものではなくなっていた。
「まりの」では今は懐かしきカセットテープに吹き込まれた声が次の下宿者にエールを送っていたのだったかな。
…わたしもこの頃までだったなあ、「りぼん」「なかよし」を読んでいたのは。
この頃のわたしは「少年ジャンプ」で「リングにかけろ」に熱狂し、「花とゆめ」で「はみだしっ子」にハラハラしていたのだ。

同時代の「なかよし」の紹介もあった。
「キャンディキャンディ」「おはようスパンク」「わんころべえ」がある。
みんな面白かったなあ。諸事情により二度と「キャンディキャンディ」が世に出ないのは非常に残念だ。近年になりわたしは家から偶然「キャンディ」全巻を発掘し、ちょっと言葉もなくなった。

田渕さんの一枚絵の良さは表紙絵だけでなく付録にも生かされている。
色んな付録がずらりと並ぶ。陸奥A子さんの「スペースファイル」79年6月号 は今も手元にある。
付録、もろに「おとめちっく」と書いてあるねえ。

トランプ、レターパット、ノート…
へんなたとえかもしれないが、歌手で言えば「りぼん」はユーミン、「なかよし」は中島みゆきのようなものだと思っている。

「林檎ものがたり」の紹介がある。これもオムニバス。
田渕さんの言葉によると、物語としては三話目がいちばんよいようだが、それぞれ面白く読んだものです。
第一話表紙 セピアとチェック柄と赤の配置がとても素敵。
そうそう、三話目のヒロインの名字が「納所さん」で、この作品からこの名字を知ったのだった。あと野草を食べるということも。
単行本表紙絵 胸のリンゴがとても存在感がある。

この作品集には前述「ブルー・グリーン・メロディ」も入る。
そして「菜の花キャベツがささやいて」で〆なのだが、今回の展示で初めてこの作品が「風色通りまがりかど」の続編だと知った。
「菜の花キャベツ」では学生結婚した周さんと林子の間の色々あることが描かれていたが、二人の住まうビンボーくさいアパートは田渕さんの最初の下宿がモデルだと知り、にやりとなった。
この作品を知ってから数年後にわたしは今東光「春泥尼抄」を読み、そこで阿倍野のアパートの様子が「菜の花キャベツ」のそれと同じだと思ったものだ。
つまりある一定年代までは東京も大阪もこういう形態のアパートが少なくなかったということなのだ。

単行本裏表紙には林子のイラストが載る。


「夏からの手紙」 ああ、ゆで卵をおでこで割る二人。そう、同じことをする二人の話で、男子の方がテスト用に鉛筆を削りコロコロと…それを彼女にそっと渡して転校してゆくのだよな。この作品を読んでからわたしも鉛筆の下に〇Xとか入れたなあ。←青春というより思春期。

「あの頃の風景」は81年2月号の付録だそう。今この原画を見て「ををを」になった。
この作品は未読なんだけど、小6の調理実習メニューが懐かしくて…
目玉焼き、ほうれん草のバター炒め、粉ふき芋。
これ、わたしも小学校の時拵えましたよ。豊中市の小学生の定番なのかな。

「つかの間の午後」83年4月号  これはまた大人っぽい物語だなあ。大学教員と再婚する若い女…年の差が大きいのとか色々考えるね。
ちょっと違うけど「みいら採り猟奇譚」を思い出すわたしはもう「おとめちっく」から遠く離れたなあ。

ポーリー・ポエットそばかすななつ  「赤毛のアン」を好きだったというのを知り、それを踏まえてこの作品を見ると、ファブリックや建物の佇まい、町の在り方にも納得する。
そしてこの話自体は「ブルー・グリーン・メロディ」の別バージョンだという感想をどこかで見て、なるほどとも思う。
布の質感、レンガの表面、そんなものが感じられる絵。

やがて子育てで一線を退き、表紙絵だけを世に贈るようになる田渕さん。
80年代のカラー絵は水彩画ではない。カラーインクを使用する。
時代に沿った画風に変ってゆく…
コバルト文庫の仕事もされていたのか。おお、「赤毛のアン」の挿絵も。
今から思うと80年代の絵は、なかじ有紀さんの「学生の領分」とも共通するものがあるなあ。特に髪型がね。

そして95年「チュー坊がふたり」エッセイマンガを連載された。
これは掲載誌は読んでないが、単行本が98年に刊行されてから読んで、非常に嬉しかった。
「子育てが一段落して復活されたんだ」
この嬉しさと言うのはちょっと言葉に出来ない。
YOUNG YOUなどで陸奥さんが復活されたときもそうだった。
「りぼん」の少女たちが真っ当な成長を遂げた姿がここにある、と思った。
これについては以前弥生美術館で開催された陸奥A子展でも書いている。当時の感想はこちら
陸奥A子+ふろく展

「桃子について」が世に出たとき、とても嬉しかった。
わたしの手元にあるのは新装版である。おしゃれしている桃子。

彼女と付き合う相手の青年がやっぱり田渕由美子世界のヒトで、これもすごくうれしかった。桃子自身は翻訳の下請け作業をして、とても多忙で、しかしあまり収入は良くない。最初に好きになった相手は、自分の妹と結婚する。その痛手を隠して桃子は妹一家に誠実に向き合う。
やがて自分より年下のまだ学生の山男の青年とようやく付き合い始めて、そこから諸々の揺れがあり、生活苦もなんとかなり、未来が開けてくる。
ほっとした。
作中でテート・ギャラリー展に行くのがまたリアルで。
そうそう、わたしも見に行った見に行った、と嬉しく思いもした。
こちらは裏表紙


ところで田渕さんは水彩画を好む理由についても語っている。
そこでは「たよりなさのある水彩」と表現している。
ああ、なんだかわかるなあ。田渕さんの繊細な絵にはやはり水彩絵の具がいいもの…

20世紀末から21世紀初頭にかけて田渕さんは連載作品を何本も出す。嬉しい。
短編もよかった。
「NO.ブランド」 素敵な表紙絵。


収録の「外は白い雪」は男の都合のよさにちょっと腹が立つのだが、ここに出てくる古い洋館がとても素敵で、わたしが近代洋風建築が好きな要因には田渕さんの作品も関わっているかもしれない、と今になって考えたりしている。
そしてこの作品集ではりぼん時代から一歩進んでラブシーンがあるが、その中でもタイトルの「NO.ブランド」のそれはかなり笑えるのだった。理由は読んだらわかるので書きません。ぜひご一読を。わははははは。

「オトメの悩み」 少女小説家・黒田笑さんの年下の編集者青年とのモダモダした話。
いやもう連載当時わたしも気になって気になって…なんだか知人を応援する心持だった。
丁度同世代だったのだ、この頃の田渕さんの作品のヒロインの大半は。
なのでわたしにもなにかこう…えへんえへん、もうかなり前なんだな。

そうだ思い出した。今回展示には出ていなかったが、京都・嵯峨野へ青年を案内する話を昔読んだがあのタイトルは何だったかな。着物を着て案内する娘さん。
それで下宿に来た青年の名が「日野」か「壬生」だったので、日野菜とか壬生菜とか呼ばれていたな。こういうところに大阪の人間の明るい感性を感じるのよ。

ラストに「大阪マウンテンブルース」の紹介が来た。

帰宅後、再読し直す。やっぱりせつないのと「ううう」となるのがある。
冒頭、ものすごく良くわかる。
そう、豊中辺りでは夕日は六甲山に沈むのよ。わたしの見る夕日も六甲山へ沈む。
ああ田渕さん、1970年も2021年の今も、その辺りは変わってないですよ。

裏表紙 いい男だなあ


休筆されてからもだいぶ経つ。もう描かれないそうだ。でも、描いてほしいと思う。
思うのはわたしの、わたしたちファンの勝手な気持ち。
今回の展覧会で改めて田渕さんの世界に浸ることが出来て本当に良かった。
やっぱり好きです。

6/27まで開催中。


2021.6月の東京ハイカイ録

2021-06-14 23:45:28 | 展覧会
今回はなにがなんでも東京へ行く気でいた。
行かねばならないのだ。
理由と目的は二つ。
弥生美術館で田渕由美子展をみることと、歌舞伎座で「桜姫東文章」を観る、これに尽きた。

田渕由美子は70年代後半のりぼんの看板作家、「おとめちっく」三本柱の一人で、たいへん人気が高かった。
子育てと仕事の両立をやめて子育てに力を入れた人なのでマンガの空白期間があるが、イラストの仕事は活きていた。
わたしも今回の展示で自分がいかに田渕由美子作品に惹かれていたかがよくわかった。
いや、もともと好きなのは確かだった。
なので90年代末というか00年代初頭にレディスコミックで作品を発表しているのが嬉しくてならず、出るたびに購入していた。
その人の原画と作品の記憶を語る言葉のついた展示があるのだから、予約を取るのにも力が入った。
展覧会の感想はまた別項に詳しく記すが、本当に嬉しかった。
いいものを見せてもらい、ありがとう。

さて10時半から13時過ぎまで展示を見ていたので歌舞伎座へ行くのにちょっと焦った。
東大前から飯田橋経由で銀座一丁目というルートを考えていたのでとりあえず歩かねばならない。
すると東大の壁面から紫陽花があふれ出していた。
可愛いなあ。

銀座一丁目の何番出口か、地上へ上がると某チェーン店が見え、そこでランチにした。
まことに珍しいことをした。
それから東銀座へむかって歩くと、やっぱり何年もこっちへ来ていないからか、随分と変わったなと思った。ううむ、ううむ。あ、まだ改造社の本屋さんがある。

…歌舞伎座である。
今回は友人の伝手でチケットを取ってもらった。なにしろ前売り券は即日完売である。
「ナウシカ」は泣いて諦めたが、37年ぶりのこの二人の「桜姫」は何があろうと諦めきれるものか。

二階の前から五列目、一等席とはいえ花道が見えないのは残念だったが、よくぞ取ってくださった。
ありがたや。

37年前の記憶は鮮やかだ。
というより、繰り返し思い出しているので常に思い出は新鮮なのだ。
当時の批評家の言葉まで思い出せる。

わたしとしてはやはりさすが大南北!と大満足だったが、友人にはちょっと合わなかったようだ。
申し訳ない。わたしはな、映画やTVではコロシも濡れ場も無関心だが、芝居ではエグいのが好きなんよ。

ハネてから友人としゃべりもって歩く。
おお、ええ時間になりましたな。同じ新幹線ながら席は別です。
ああ、今日は本当に大満足の一日でしたわー。

やっぱり月1回は東京へ出かけられる身の上でなくてはなあ。

花ひらく町衆文化 ―近世京都のすがた

2021-06-08 23:00:18 | 展覧会
「京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完了記念
花ひらく町衆文化 ―近世京都のすがた」
タイトルが長いのだけど、まさにそれ。

京都文化博物館で6/4から始まった展覧会、その二日目に出向いた。
道筋としては久しぶりに大丸京都店の地下を通って錦の出口に出るのだけど、百貨店が開いてて、賑わっている、と言う状況が嬉しくて嬉しくて。(対コロナ的にはあかんけど)
なんしかごの御時勢だからなあ。
それでふと見れば売り場が変更されてて、矢印に従って歩くと鳴海餅も阿闍梨餅も場所が変わってた。
阿闍梨餅はカフェIORIの方になってましてな。
それでわたしは箱ではなくばらで購入する。またね、というのがいいよね。

こういう看板にそそらるわけだから、いかにわたしがにぎやかな街の様子が好きかがわかるというものだ。

中世末期から現れ始めた裕福な商工業者が自治を尊び、横のつながりを強くし、儲けることを身上に、文化の隆盛も担い、「町衆」として大きく踏み出した。
別に生粋の京雀でなくとも京都の地で繫栄し、京都に富と文化とを齎した連中は少なくない。ついうっかりするが、利休なども堺の商人なのだし、それが京都で文化の中心に鎮座ましまして、ついに四百年すぎた。
その間に色々あり(過ぎるほどあって)、150年ほど前には天皇も東京へ行ってしまったが、それも「遷都」とは決して言わない。「奠都」という言葉がそこに現れる。
なるほどなあ、と「浪花のことは夢のまた夢」のぜーろくからすれば実は他人事なのだが、今回この展覧会で「天皇東行」という言葉を見て、ヒャーッになった。
「東京行幸」ではない。
そういえば歴代の天皇で東へ行ったのは…いてはらへんのではないか。
天皇の子息は行ってるよ、古代に。倭建命は東征して焼津であっちっちっになっている。
まあ帝のおわした時代の文物を眺める展覧会なのだから、話を京都へ戻しましょう。

「花ひらく町衆文化 近世京都のすがた」
それも「誓願寺門前図屏風修理完成記念」なのである。

というわけで早速京都文化博物館の四階へ参りました。
するといきなり18世紀の「鴨川納涼図屏風」の部分拡大が現れて、おいでおいでをするわけですね。
ほんま言うとわたしなぞもこの中に入って「ああ、おもろいな」と言いたいところですがさすがに三次元キャラなので二次元には入れない。
その替りというのも語弊があるが、これらの屏風や当時の町衆の書いた手紙などを展示してあるのを見て回るのです。

前書きが長いのは常なので、あまり気にしてはいけない。
久しぶりの好きなタイプの展覧会なので喜んでいるのです。
さて、本当に感想を始めます。

京都地図屏風 19世紀  北を右に配置した地図。碁盤の目の町中は縦ではなく横広がりに表現。琵琶湖は中央下になる。その手前に山並みがもこもこ。
本圀寺、西本願寺がやたらと大きい。実際にそうだったのか、そう描きたかったのかは知らない。
西はこれは北野天満宮だろうか。「小野」にみえるが「北野」と思った方が妥当か。すぐそばに地蔵院もあるし。←椿の地蔵院。それから紫野もある。
そういえばこの地図は2015年以来の再会。
「左端には東寺、右端が鷹が峰」と当時のわたしは記している。


いよいよ岩佐又兵衛が描いたと伝わる誓願寺門前図屏風をみる。
これは修復前のを見ているが、わたしのような者にはどの辺りがよくなったのかあまりわからないので、こうして濃やかな解説があるのは嬉しい。
なお前回の展示の感想はこちら。2015年だったのだね。
京を描く 洛中洛外図の世界 2


桃山時代の作品なのは確かだそうである。修復していてもちょっと暗い。
五年ばかり調査と修理をした結果、いっとき襖絵に使われていたことがわかったそう。
賑やかな様子が描かれている。
修復の様子も紹介されている。



思えば天正19年に今の新京極に移転したわけだから、又兵衛が何歳くらいの頃に描いたかは知らんけど、完全に同時代の様子なのだよな。落慶法要は慶長二年だそうだし。
それから四百年以上経ったが今もあるものなあ。小さくなったけれど。
こちらは当時の様子

そして場所柄人の行き来するのが多いのは昔も今も変わらず。
コロナ下でえらい目に遭う日々だが、この展覧会観た後に通ったら、やっぱり人出が多かった。

桃山から江戸初期の食器の欠片をみる。
三条通の町家の並んでた辺りから出土。龍池町か。これはここの所蔵。
志野焼が結構多いな。ほかに瀬戸もの、美濃、織部。
今出川大宮の京都市考古資料館にもたくさん出土品があるが、そこでも志野、織部、唐津などをみている。
菊をモチーフにした皿、千鳥柄もあり、復元したものも並んでいるのでわかりやすい。

時代が下がり鍋島焼もある。大名間の贈答品ではあるが、豪商も鍋島焼を手に入れる状況があったのだな。染付で宝尽くしらしき文様が見える。柳に鷺の図の皿が参考に出ていた。
七宝繋ぎらしき文もみえる。

洛外名所図屏風 北川本 17世紀  西京あたりの名所図。
どうでもいいことだが、友人に高野の住人がいて、彼女も洛外人になる。
1金閣での茶会らしき様子がある。3下に北野天満宮、その門前で牛の大きな絵馬を運ぶ人がいる。
5相撲を楽しむ連中。6大堰川の様子。



大井川春遊図屏風 17世紀  これは静岡のではなく嵐山に流れる大堰川なのだった。川遊び、筏師、花火もある。

洛中洛外図屏風 狩野益信 18世紀  清水から始まる。その下には方広寺。大きな大仏殿。4,5に四条、芝居小屋も。左は愛宕山?川がやたらと多い。秘して全体的に山水画風な味わいがある。

書状も色々。
片桐且元、前田利光のは大仏づくりの件で、これを見ると「ああ、徳川にやられやがって」という気分になるのよな。
17世紀初頭頃には町衆の中でも後藤家の力が大きかったようで、彼らとの交流を示すものがいろいろ出ていた。
加藤清正からは「虎の皮と大皿くれてありがとう」…清正が・虎の皮を・もらった のだ。
小堀遠州との関係は深いようだ。仲良しさん。伊庭山の松茸、海老のお礼などがある。
遠州が書いた手紙への返事、それへの返事を一枚の書状で綴る。こういうスタイルを勘返状というそう。
メールでも元メールを載せたままの所へ新しい返事が来てて、それでまた…と言うのと同じですな。

後藤庄三郎邸址の出土品がいい。今の新風館のところに当たる。鳴海織部、美濃の鉄釉、長石釉、白っぽくなった黄瀬戸、唐津の大皿、肥前のウサギ柄のものも参考に出ているが、陶磁片から見るともとはこれらしい。

慶長大判・小玉銀  銀が黒くなった。金と言えば高島屋のCMを思い出すね。

柄のついた鏡が世に出るのは随分と遅かった。室町の末頃からだという。8種のサイズの規格が定まったそう。
ずらりと並んだのは実際に使われたもの。背面の文様の豊かさは平安の頃と変わらない。
桜、梅、鶴、松、蓬莱、「源氏」の文字のみ、なかなか面白い。

この鏡の鋳造の工房の遺物も出てきた。鋳型が比較的楽になるような工夫がある。
模様をつけやすくするためにつけられた工夫も面白い。

十二ヶ月図屏風 狩野永敬 元禄七年以前  大方は定家のそれを絵にするのだが、これは珍しく畠山作匠亭の歌を絵にしている。だからちょっと違う感じもある。
それで畠山匠作亭とは誰か、何か、ということを後で調べたところ、研究者の方がこう記していた。
「能登畠山家二代の畠山阿波守義忠の自邸で催された歌会の「畠山匠作亭詩歌」を絵画化。
和歌は一条冬経ら12名の寄合書き」
などとある。上に和歌、下に絵がある屏風。
またさらに調べると、内容の画面が公開されていた。


町衆の力は大きく、陶片を見てもその豪華なラインナップから様々な情報を得られる。
華南三彩、李朝の白磁、伊万里焼などなど贅沢なものが出土している。

幕末の騒乱の前の四条河原納涼図が二点並ぶ。
呉春の弟子・紀広成と横山華溪の嘉永五年のもの。
四条も五条も賑やか。
華溪のは左上に月も出て、祇園の赤い提灯も並ぶ。
紀はシンプルにシルエットな人物ながら、よく見ると色々と描き分けられている。

リアルな町衆の暮らしの一端も書状などから伺える。
引っ越しの理由や商売をするにあたっての取り決めなどの保証書などがある。
今も昔も「汚すな・他人に迷惑をかけるな・騒ぐな」ということである。
場所が今の東華菜館辺りで髪結い床の新規開店、この近くの三条高倉上るで生簀の料理屋などなど。

幕末のどんどん焼けの瓦版もある。そりゃまあこの時代はまた京都がやたらと舞台になりましたよな。
真面目なニュースとしての瓦版が展示されていて、天龍寺、二尊院の焼失が記されている。
元治元年のとんでもない話。
なんしか洛中がほんまに焼けてしまったからなあ。
昔の太郎焼亡次郎焼亡との比較は出来ないが、どちらにしろこれはひどかった。

蛤御門の変に使われたマスケット銃の弾もある。ははあこれがか。400m南の民家からみつかったそうな。
そういえば鳥羽伏見の戦いのとき、対岸の島本町立歴史文化資料館の界隈に流れ弾が飛んできて被害があったそう。六年ほど前に行ったとき、現物を見た。


さてその被害の現物がここにも展示。
曇華院前町にあった頃の曇華院の焼け焦げた瓦類。丁度この文化博物館のほん近くというか、物凄くご近所さん。…ここなのか? 知らんけど。
水の上の龍、ひまわりみたいなの、巴文などの瓦がよく焦げつつも残っている。
このお寺もそのせいで嵯峨野へ移転。

そして焼け焦げたり割れたりの陶磁器がまたまた現れる。
下京区東錺屋町辺りからの出土品。
景徳鎮の青花、欧州の染付、三田焼のオリーブグリーンの青磁、古九谷、柿右衛門…
贅沢な器である。…もったいない。

森寛斎 京新名所四季図屏風 1873  明治になっての絵。新時代をイメージしてるのだ。
春…円山公園、吉水温泉、今のお宿吉水
夏…三条大橋の鉄橋化。人出が多い。
秋…集書院(図書館)紅葉が可愛い。
冬…京都府中学 勉学の場所

明倫小学校の明治の頃の様子を写した模型もある。京都の番組小学校の1。
京都の中学、女紅場などで使われた古い教科書も。



そして谷口香嶠 出町柳農婦 明治の初期の庶民はまだ江戸時代と同じような暮らしぶりの人も少なくなかった。

出口付近には吉田初三郎の京都市街の鳥瞰図のパネルもあった。

最後にちらしにもなった鴨川納涼図 ちょっとばかり。
描かれてる人々が本当に可愛くてね。夏だから瓜をよく食べてるようで、まさに「瓜売りが瓜売り帰る」

色んなお店や楽しそうな人々。
夏の楽しさがここに集約されている。

7/25まで。


廣誠院の思い出について

2021-06-06 23:54:20 | 近代建築
先般、京都文化博物館で戦前の前衛画家たちの展覧会を見た。
その中でシュールレアリスム画家の北脇昇が廣誠院で育ち、終の棲家としたことを初めて知った。
彼は伊庭貞剛の甥だったとは本当に知らなかった。
そしてこの建物が伊集院から伊庭・広瀬家の持ち物となり、かれは終生をここで過ごしたのだ。

わたしが廣誠院に行ったのは2005年の祇園祭の宵宵…山、7/14だった。
詳細は省くがヴォーリズ関連の建物をいくつも見学してから、この日限りの公開をしていた廣誠院へ向かったのだ。そのあたりについてはこちらのブログに記してある。
京都のヴォーリズあれこれをみる

それで北脇について今までにない関心が湧いたので、以前fc2で挙げた内容のものに当時の写真などを加えて再構成したものを挙げることにした。文章も色々と変更している。


「本日限りの登録文化財の和風邸宅を見学に行く。河原町から木屋町に入る辺りの、御池より少し上がる場所にあるお寺廣誠院。ぎりぎり飛び込み、中へ。
ここは山県有朋と縁故のあった伊集院兼常の邸宅跡。現在は臨済宗のお寺。お庭は例によって植治。沓脱ぎ石が巨大な真黒石。橋は長い石。床の間の襖絵は元禄頃の風俗画らしいが、もう少し時代が上がるように思う。
室内遊楽図。庭で蹴鞠をしているが、歯磨きをするものや柱巻きする者もいて、実に楽しい絵である。
一方、地袋は辻が花を貼り付けている。すごいなーと思っていたら、床の間の縁は春慶塗。竹の使い方も見事で、数奇屋建築の粋を凝縮したようだ。説明によると、この後に對龍山荘が造営されたようで、植治も伊集院の薫陶を受けて、いっそうの名庭師になったそうだが、そうすると・・・・・・」

庭園と外観を挙げる。
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またここの所有する可愛い動物絵皿も他でみている。
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当時の展覧会の感想はこちら
幻の京焼 京都瓢池園

「大きな美術と小さな美術」どちらも尊いねえ

2021-06-05 23:13:26 | 展覧会
白鶴美術館は春秋それぞれ三カ月ずつ開館する。
春は三月に始まり六月で閉め、秋は九月に始まり十二月で終わる。
気候のいいときの開館になる。

白鶴美術館は阪急御影駅から徒歩15分ばかり。平地ではなく上ってゆかねばならない。
途中にいかにも御影の地らしい大豪邸が点在するのを見ながら歩くのが楽しい。
そして息が上がり始めてようよう旧乾邸の塀が見える。
あともう少し、と思いながら上ったところに白鶴美術館の入り口があり、中に入れば先ほどまでの疲れを癒すような心地よい空気が待っている。

山の中腹より上くらいの位置だからか、天然の風の快さがあり、暑かったのが嘘のように消える。それだけでこの昭和初期に建てられた立派な建物に居続けたくなる。
わたしはいつもここに来るたびにその居心地の良さに陶然となるのだ。

今回は「大きな美術 小さな美術」というタイトルで所蔵品からサイズのはっきりしたもの、サイズ的に面白いものなどが集められていた。


新館も「大きな絨毯 小さな絨毯」が集められている。
本館では主に中国の青銅器から磁器、日本の書と画帖と屏風などである。

六羽のアヒルさんのついた六鳳蟠龍文盤、可愛い犠首のついた蟠螭文大鑑、、ゾウさんの名が付きながらもゾウさんが見えない尊、この辺りがいちばん古いものか。

唐の華やかな簪、チラシに現れる鍍金龍池鴛鴦双魚文銀洗、見込みに大きな目をむいたマカラ魚のいる鍍金龍魚文大銀盤、好きだなあ。

近年になりよく現れるようになった北斉時代の白大理石で出来た白石蓮台。
これがホント、大好き。獣と神と何かと。
今回はクイズにも出ていた。

武平元年の北斉時代。白大理石の像がたくさんあるけれど、この可愛いのが21.3キロ。
同時代には蘭陵王がいたことを思うと、滾るなあ。

ちなみに今回刊行された冊子表紙にも。


青銅博山炉 後漢  この時代は羽人への信仰と言うか憧れが多いな。頂点に小さい孔雀、山を支える羽人、その座す台には獣たち。

その博山炉を見上げる配置にいるのが鍍金亀形盒子 六朝時代。重さは45g。小さいがしっかりしているのが亀だからか。

フルカラーの魚と藻の楽しそうな水中を描いた大壺が展開図を見せてくれていた。
ああ、こんなにたくさん魚がいたのか。8匹。そして意外に順序だてて描かれていることを知る。
青花では東洋陶磁美術館に同じものがいて、このように五彩だと福岡、MOA、あと出光にもいたと思う。
わたしもこの壺は楽しいから好きよ。



イヤリングを見る。
金製獣面文耳飾 隋  小さい。獅子ぽい顔がついていた。角度によって顔が変わる。
これをつけて歩いたとしたら、間近で見た人には「牙をむく獅子」にも見えて、魔除けになったろうなあ。

獣脚香炉が二つ。青銅鍍金と鍍金透彫と。唐代の工芸技術の高さにいつも感心する。
緑に金が残るところが今見ると綺麗で。

銀貼海獣唐草文八稜鏡 唐代  これがまた踊る八頭の狻猊または獅子がいる。
19cmに1.6キロの重さ。
龍は五爪、獅子には睫毛。
この美術館の中のヒトが記した本を思い出す。

「鼎の軽重を問う」という故事成語に合わせてか、本物の鼎の重さを当てるクイズがあった。
うーん…わからねえなあ。でも書いて応募した。

ハマグリ型の盒子がある。こちらは小さいほうの代表。可愛いな。蝶番もよく出来てるみたい。こういう銀製品の繊細なのを唐代の職人は拵えてたのだよなあ。
表面が実に繊細な文様で満たされている。


大聖武があった。今回はその書写したお経の内容を紹介していた。それを読みながら文字を追うと、なんとなく理解が進む。阿涙吒の話が記されていた。

簪の端に亀がついている。「亀は万年」でめでたいけど、これはまあ吉祥ですかな。
日本では猫好きな薄雲太夫が特製の猫つき簪をつけてたなあ。浮世絵にある。

鍍金龍池鴛鴦双魚文銀洗 改めて細かいのを観ましょう。


白掻落花文水注 磁州窯 北宋時代  これも以前から好きな白もの。

飛青磁香炉 龍泉窯 元代  これは小さいな。230g 8.3cm 可愛いな。もしかすると初見かもしれない。小さい面に飛び飛びに文様がある。

ここで最大のが景徳鎮窯の明代の染付の壺。動物の絵が六面それぞれに描かれている。
爵禄封侯図とかね。重さは23.4kg 虎とカササギもある。虎とカササギはむしろ朝鮮に多いように思う。
立派な瓶で毘沙門亀甲、七宝繋、四方襷紋などで装飾されているが、絵の具で彩られたそれは重さには関わりないか。

日本物もある。
緑色の勾玉。これがまあまあ大きめので60g
あつめて首飾りにしたものもあるが、金鎖でつないでいたのだな。

裂帖をみると、紫地亀甲繋花文錦があって、これは継国巌勝の着物だと思った。
手の込んだ着物だよねえ。

住吉如慶の源氏画帖もシックなよさがあった。胡蝶の子ども8人が可愛い。

石清水臨時祭・年中行事騎射図屏風 冷泉為恭  元は旧い時代のを写したものらしいが、やはりどう見ても為恭の絵になっているところが好ましい。どちらの絵も騎射、乗馬の絵がある。それを見る人々が生き生きとしている。
柵で逆上がりする子供などもいる。桜も綺麗。

新館では絨毯。こちらも大小のサイズの違いがすごいな。
ペーズリー柄のものが多かった。
それからわたしの好きな木の両側に鳥などがいる図のもの。
イソップの狼と鶴の話を思い起こさせる図柄もある。


次は秋から冬。楽しみにしている。