飲食居抜きソムリエ  山田 茂  飲食を辞める始めるときのブログ                 

飲食店を希望を持って始めたり順調に多店舗化したり、内装設備に費用がかなり掛かります。その投資を回収できます。

3.宅建取引主任士 35

2018-02-09 10:05:35 | 宅建取引主任士

不動産開業は
     定年後が、ぴったりです

        

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          バックナンバー

      3ヵ月で資金が      new
     ステーキ王を生んだ
     苦難と覚悟    連載   5

    全店舗が赤字になる

           一瀬氏は「辞めたい」と言われた
           くないあまり、まったく自分の思
           いを伝えられなくなってしまって
           いた。「お店に行くと『もっとこ
           うしなきゃ、ああしなきゃ』と目
           につくんです。でも、辞められる
           のが怖くて言えないんですよ。つ
           いには不手際が多かった従業員に
           さえ注意できなくなっていきまし
           た」糸が切れた凧、とはまさにこ
           のこと。経営者が「理想のお店と
           は」を失い、店員にこびるばかり
           なら、真面目な店員さえどう動け
           ばいいか分からなくなる。客は鋭
           い。料理が遅い、水が出てこない
           、そんな小さなミスで離れていく
           。ついに、せっかく流行っていた
           お店は多店舗化によって全店が赤
           字になり、一瀬は個人口座のお金
           を資金繰りに当て始めた。そして
           、財務担当者の「あと 3カ月で資
           金が尽きます」という一言が、つ
           いに一瀬氏の頬をひっぱたいた。
           (次回に続く)

 

 

           3ヵ月で資金が      
     ステーキ王を生んだ
     苦難と覚悟    連載   4

      夢が必要だ

          そして一番大きな課題だったのは
           、せっかく募った店員が 2~3カ
          月に 1人「辞めたい」と言ってき
          たことだ。なぜ社員は辞めてしま
          うのか。他の会社には、一生懸命
          働いてくれる人間がいる。彼らは
          なぜ一生懸命なのか?うすうす分
          かっていた。彼らがここで頑張っ
          て何があるのだろう? 社長はも
          う満足している。ということは伸
          びしろはない。とすると――。
          「この時、やっと分かったんです
          。人は、夢がある人間についてい
          くんですよ。今よりいい暮らしが
          したい。尊敬されたい、腕前を磨
          きたい。そんないろんな思いをか
          なえるのが経営者の使命だったん
          です。なのに、自社ビルなんかで
          満足するなんて、僕はなんて小さ
          な人間だったんだろう。結局、自
          分が変わるしかなかったんですよ
          」しかし、頑張って店を増やすと
          、また次の壁があった。一瀬氏は
          、スタッフに何も言えなくなって
          しまったのだ。店を増やしたから
          こそ、人が必要だ。そして、店員
          を育成し、慣れてもらうまでには
          時間がかかる。料理人ならなおさ
          らだ。
          (次回に続く)

 

 

           3ヵ月で資金が      
    ステーキ王を生んだ
    苦難と覚悟    連載   3

         「あと3カ月で資金が尽きます」

          一瀬氏の人生を振り返ると、彼は
            度々、この「失敗」を力に変えて
            いた。その後、「ステーキくに」
            の売り上げは順調に伸び、自社ビ
            ルも建設、周囲は「もうビルを持
            ったのか!」と一瀬氏を褒めそや
            したが、これが落とし穴だったの
            だ。「この時、夢をかなえた、成
            し遂げた、といった錯覚を持って
            しまったんですよ」夜の街の店に
            入り浸ったのもこの頃だった。オ
            ーナーシェフである一瀬氏のタガ
            が緩み始めると、店は思わぬ速さ
            で傾いていった。飲食店は、オー
            ナーシェフが社長になる瞬間が難
            しい。多店舗を目指す、シェフか
            ら経営者に脱皮する、といったと
            きにはどうしてもオーナーシェフ
            以外の人間が店を切り盛りする時
            間が増える。腕がいい、知人が多
            い、思いがあるなど、何かを持っ
            ていて、そんな人間が必死で働け
            ば接客も味もいい。しかし、同じ
            思いを持って働いてくれる仲間が
            いなければ店はこれ以上大きくな
           らないのだ。
    (次回に続く)

 

 

        3ヵ月で資金が     
    ステーキ王を生んだ
    苦難と覚悟    連載   2

    へこたれない

    1 年後、再びステーキに挑戦した
    。今度は和牛を使い、ステーキソ
    ースもオリジナル。価格は高くな
    ったが「自分が食べたいステーキ
    」だった。これが、またしても失
    敗に終わった。だが、事業の神様
    は、多分、努力をする者に優しい
    。ある日、ふらっと来た旦那が、
    最高級の和牛ひれステーキに舌鼓
    を打った。気に入ってくれたらし
    く、次第に何人前もテイクアウト
    してくれるようになった。聞けば
    、当時大人気だったボーリングの
    仕事をしているらしい。一瀬氏は
    「そうか、自信を持っていいのか
    」と店舗の前に「ステーキくに」
    と大書した幟を立てた。出前のオ
    ートバイにも同じ旗を立てた。こ
    れが、のちの「ステーキ王」誕生
    のきっかけだった。彼がこの時の
    成功を振り返って、大変にシンプ
    ルな言葉を口にする。「そもそも
    人生なんて失敗の連続なんです。
    だから、へこたれちゃダメ! い
    つも笑顔!」シンプルすぎる。し
    かし、もしへこたれていたら今の
    「ステーキ王」はいなかったに違
    いない。
    (次回に続く)

 

 

 

    3ヵ月で資金が      
    ステーキ王を生んだ
    苦難と覚悟   新連載   1

            ペッパーフードサービスの一瀬邦
            夫社長が最初の店を持ったのは1
            970年のこと。レストランやホテ
            ルのコックとして修業していたが
            、母にハッパをかけられ、次の1
            歩を踏み出したのだ。資金は退職
            金と借金。勤め先の社長が高齢で
            店を閉めたため、一瀬氏は冷蔵庫
            や椅子を譲ってもらい、自分の手
            で椅子にペンキを塗って、冷蔵庫
            を磨き上げた。場所は東京下町・
            向島。カウンター4席、小さなテ
            ーブルが2卓、計12席の小さな店
            で、メニューはカツや洋食、名は
            「キッチンくに」とした。店は流
            行ったが、やはり失敗もあった。
            ステーキを出したのだが、「下町
            だからこの価格で……」と安さを
            優先した肉を選んだため人気が出
            なかったのだ。ただし、一瀬氏に
            はちょっとした特徴がある。「僕
            は事業に関してはしつこいんです
            。失敗なんて、当たり前! やり
            ながら考える! これしかないん
            ですよ」
                                  夏目 ITmedia 
            (今回新連載です)

 

 

 

 

          山村を消滅から救う   new
     「小水力発電」とは 最終回 6

      人を育てる機能がある

    よくいわれる山林保全機能のほか
           、山村には都会にはない「人を育
           てる」という機能があります。見
           過ごされがちですが、「山村の知
           恵」といったものがこれからの日
           本にとってかけがえのない宝にな
           ります。単に農山村にとどまらず
           、強靭な日本をつくるためにも小
           水力発電が必要だと思うのです。
           小水力発電導入の可能性のある地
           域の人々、地方創生の関係者、自
           治体関係者、参入を考えている企
           業の方はぜひ一度真剣に導入の可
           能性を考えていただきたいもので
           す。また、温暖化対策の面で日本
           は世界に遅れを取りつつあるよう
           ですが、温暖化対策・エネルギー
           問題の面からも、古くて新しい再
           生可能エネルギーである小水力発
           電のポテンシャルに目を向けてい
           ただきたいと思っております。
           (今回最終回有り難うございま)

 

 

            山村を消滅から救う   
     「小水力発電」とは  連載 5

    山村を維持することが
    日本を強くする

    また土地改良区では、農家の高齢
    化と農家数減少により、年々維持
    管理費負担が重くなってきていま
    す。小水力発電事業で収入を得る
    ことができれば、この負担を軽減
    し、地域農業の持続性を高めるこ
    とができます。いずれにしても地
    元主導で進め、利益を地元還元で
    きることが重要であると私は考え
    ております。このことが、山村な
    ど地域を維持することにつながり
    ます。人口減少時代のなか、山村
    は維持できなくても仕方ないので
    はないかといった意見もあるよう
    です。でも私は、山村を失うこと
    は日本全体にとって取り返しのつ
    かない大きな損失であると考えて
    います。
    (次回最終回お楽しみに)

 

 

 

     山村を消滅から救う   
     「小水力発電」とは  連載 4

    地元が主導権を握る

    小水力発電事業を進めるにあたっ
    て、技術や資金面で外部から協力
    を受けることも必要になりますが
    、地域活性化のためにはいかに地
    元が主導権を握るかが重要であり
    、地元を含めた主体形成がカギと
    なります。先述の石徹白地区では
    、発電事業のために住民が農業協
    同組合を結成しましたが、それ以
    外にも、地元土建会社が小水力発
    電事業を立ちあげる例や、村が事
    業主体となる例、土地改良区が農
    業用水を使った例、リタイア移住
    した事業家がリーダーとなってい
    る例……などさまざまなケースが
    あります。山村の土建会社は、地
    元インフラ維持のためにも欠かせ
    ない存在なのですが、厳しい事業
    環境下にあります。今後生き残り
    を図るためにも、小水力発電事業
    で安定した収益源を得ることが効
    果的な経営戦略となります。そも
    そも、発電所の建設工事や災害を
    受けたときの復旧工事など、小水
    力発電では地場の土建会社の出番
    が多いのです。
    (次回に続く)

 

 

       山村を消滅から救う   
    「小水力発電」とは  連載 3

            山間地、電力で自立できる

             小水力発電は、全国の数千カ所で
             事業化の可能性があります。しか
             も今は、FIT(固定価格買取制度)
             がありますから安定的な売電収入
             が見込めます。前述のように小水
             力発電は出力1000kW以下の規模
             ですが、全国で合計すれば毎年 1
             500億円以上の売電収入が見込め}
             ると試算しています。これは、日
             本全体の電力消費量からすれば微
             々たるものにすぎません。でも、
             これだけの電力があれば、小水力
             発電を行っている足元の山間地の
             需要は満たすことができます。山
             間地は電力の面で自立できるわけ} 
             で、地域にとっては十分に大きな
             電力だといえるのです。
             (次回に続く)

 

 

             山村を消滅から救う   
    「小水力発電」とは  連載 2

            小水力発電とはどのようなものか

            小水力発電といっても、皆様には
            イメージがつかみにくいかもしれ
            ませんので、少しご説明しましょ
            う。水力発電というと、黒部ダム
            のような大型ダムで貯水池に水を
            貯め、巨大導水菅から落とした水
            で大型タービンを回し発電する大
            がかりな構造を思い浮かべるかも
            しれません。でも、小水力発電で
            一般的なのは、川をせき止めて水
            を貯め、パイプ菅で水を下部に落
            としてタービンを回して発電する
            ものです。その後、水は元の川の
            下流部に戻します。地域で取り組
            む規模の小水力発電は、出力100
            0 kW  以下程度が想定されます。
            タービンなど発電施設も、ちょっ
            とした小屋程度の大きさの建屋に
            おさまります。小水力発電の形式
            としては、河川に発電用の新たな
            取水堰を構築するほか、農業用水
            路や棚田などを利用したり、既存
            の砂防ダムを活かすこともできま
            す。地域特性や経済性にあわせた
            方法を考えれば良いのです。
            (次回に続く)

 

 

          山村を消滅から救う  
   「小水力発電」とは 新連載 1

         私は長年、全国各地の再生可能エ
         ネルギーのサポート、コンサルテ
         ィングを行ってきました。その経
         験を通し、再生可能エネルギーの
         中でもとくに「小水力発電」が、
         山村(山間地)を救う起爆剤にな
         ると考えております。皆さんもご
         存じのように、日本の山村の多く
         は消失の危機にありますが、地域
         で小水力発電事業を起こせば、自
         前の安定収入を得て経済循環を生
         みだすことができます。『小水力
         発電が地域を救う』でも紹介した
         岐阜県石徹白(いとしろ)地区の
         ように、若者の Iターン移住を呼
         び込み、地域の小学校を廃校の危
         機から救うことも不可能ではない
         のです。
          中島大 全国小水利用推進
        協議会事務局長
   (今回新連載です)

 

 

        CDプレイーが売れている  new
     その戦略が面白い    最終回 10

       隙間は必ずある

   土肥: 質問に答えた人は「あれ
   も、それも、これも、あったほう
   がいい」と言ったわけですが、実
   際に使うかどうは全く別だったわ
   けですね。
   横町: はい。こうした失敗を繰
   り返したことで、「消費者が絶対
   に必要と感じているモノだけ提供
   していこう」という考え方に変わ
   りました。CDプレーヤーの場合、
   あったらいいねの商品だったのか
   、なければいけない商品だったの
   か。販売してみて「なければいけ
   ない商品」であることが分かって
   きました。世の中には、たくさん
   の商品が溢れています。家電量販
   店に行くと、さまざまな商品が並
   んでいますが、“隙間”は必ずある
   んですよね。私たちのような新興
   メーカーでも入っていける隙間が
   必ずあるので、今後もそれを見つ
   けて、必要としている人に商品を
   届けなければいけません。
   (今回最終回有り難うございま)

 

 

    CDプレイーが売れている 
    その戦略が面白い     連載 9

   “隙間”を見つけて
   いかなければいけない

   土肥: CDプレーヤーはとりあえ
   ずつくってみて、売れたわけです
   よね。成功事例のひとつだと思う
   のですが、逆につくってみたもの
   の失敗したケースもあるのではな
   いでしょうか?
   横町: あります。例えば、加熱
   調理ができたり、真空調理ができ
   たり、1台で6役をこなすクッキン
   グミキサーを販売しました。たく
   さんのメディアで取り上げていた
   だいたのですが、思ったより売れ
   ませんでした。なぜ、売れなかっ
   たのか。このミキサーを使えば、
   豚の角煮をつくることができるの
   ですが、ミキサーを使って豚の角
   煮をつくろうと思う人はどのくら
   いいたのか。実際、購入した人か
   ら「使い方がよく分からない」と
   いう声がたくさんありました。
   土肥: クッキングミキサーを開
   発する際も、市場調査は行わなか
   ったのでしょうか?
   横町: 実は、たくさんの人に声
   を聞きました。どんなミキサーが
   ほしいですか? と聞いたところ
   「こんな機能がほしい」「あんな
   機能がほしい」といった意見がた
   くさんありました。考えてみると
   、いろいろな機能が付いているほ
   うがいいですよね。ないよりはあ
   ったほうがいいわけですから。で
   、さまざまな機能を搭載したので
   すが、売れませんでした。
   (次回最終回お楽しみに)

 

 

   CDプレイーが売れている 
   その戦略が面白い     連載 8

     教材のCDを聞くために

      土肥: それはなぜ?
      横町: 「CDが売れなくなった
  」「音楽はCDで聴かない」とい
  う人が増えている、といったデー
  タがありますが、高齢者は  CDを
  購入しています。新聞通販を運営
  している会社に演歌の  CDと当社
  の  CDプレーヤーをセットで販売
  していただいているのですが、も
  のすごく売れています。高齢者が
  CD を聴いていることはなんとな
  くイメージできたかもしれません
  が、なぜ若い人たちがCDプレー
  ヤーを購入しているのか。勉強の
  ために使っているケースが多いん
  です。例えば、英語のテキストに
  CD が付いていた場合、それを聴
  くのにどうすればいいのか。かつ
  ては「PC で……」という人が多
  かったかもしれませんが、いまの
  ノートPCでCDドライブ付きのモ
  ノって少なくなりましたよね。そ
  うした背景があって、勉強するた
  めに CDプレーヤーを購入する人
  が多いことが分かってきました。
  (次回に続く)

 

 

    CDプレイーが売れている 
  その戦略が面白い     連載 7

    どんな人が購入しているのか
    
    土肥: 発売当初、どのような反
    響があったのでしょうか。
    横町: 先ほど「最小限の数をつ
    くって、まずは市場の反応を見る
     」と申し上げましたが、CDプレ
     ーヤーの場合、 5000 台をつく
    りました。発売したところ、すぐ
    に完売したので「需要はあったん
    だ」「困っている人がいたんだ」
    ということが分かったので、継続
    して販売することに。

     土肥: どんな人が購入しているので
     しょうか?
     横町: CDプレーヤーが登場した当時
     、どのような人たちが購入していたの
     か。いまでいうと、iPhone XやAIスピ
     ーカーなど新しいガジェットが好きな人
     だったと思うんです。そうした人たちは
     、iPodが登場したときには、すぐにiPo
     dを購入していたのではないでしょうか
     。その一方で、CDプレーヤーは売れな
     くなっていき、「オワコンでしょ」とま
     で言われるようになりました。でも、実
     は違う。購入している層は変化している
     んですよね。いま、CDプレーヤーを使
     っているのは、高齢者と若年層が多いん
     です。
     (次回に続く)

 

 

    CDプレイーが売れている 
  その戦略が面白い     連載 6

   売れるものがいい

     ほとんどの会社はそのような形で
     商売をされていると思うのですが
     、当社の場合は違う。市場調査を
     行わず、とりあえずつくってみる
     。最小限の数をつくって、まずは
     市場の反応を見る。できるだけ不
     要な在庫を抱えずにスタートして
     、売れるか売れないか、その結果
     を見て、次を考えるといった流れ
     なんです。
     土肥: 繰り返しになりますが、
     CD プレーヤーは売れなくなって
     いますよね。縮小している市場を
     調査せずに、とりあえず参入って
     ……大胆というか、なんというか。
     横町: そもそもニッチな市場な
     ので、調査をしてもよく分からな
     いんですよね。CD プレーヤーっ
     ていりますか? と聞いても、「
     うーん、どうかな」「いらない」
     と答える人が多いのではないでし
     ょうか。じゃあ、CDプレーヤー
     を使っている人は、これからも使
     いたいと思っているのか。よく分
     からないんですよね。使っている
     人が少ないので、そうした人に調
     査することが難しい。というわけ
     で、CD プレーヤーがなくて困っ
     ている人がいれば、じゃあ、当社
     でつくってみようといったスタン
     スなんです。でも、困っている人
     がそれほどいなければ、商品は売
     れません。そうした場合は、撤退
     します。先ほども言いましたが、
     「いいモノが売れるのではなく、
     売れるモノがいい」という考え方
     でやっています。
     (次回に続く)

 

 

  CDプレイーが売れている 
 その戦略が面白い     連載 5

  市場調査を行わないワケ

  土肥: CDプレーヤーを開発す
  るのに、高い技術力はいらない。
  だから参入障壁が低いという考
  え方もできるのですが、市場は
  縮小していますよね。ピーク時
  に比べて、4分の1以下になって
  いるのにもかかわらず、なぜつ
  くろうと思ったのでしょうか?
  横町: 参入することにためら
  いはありました。ただ、商品が
  売れなくなっているとは言って
  も、市場の数パーセントでも手
  にすることができれば、当社の
  ような新興メーカーであれば十
  分にやっていけます。
  土肥: 商品開発をする前に、
  市場調査は行ったのでしょうか
  ?
  横町: いえ、していません。
  当社は基本的に、市場調査は行
  いません。なぜなら、「いいモ
  ノが売れるのではなく、売れる
  モノがいい」といった考え方を
  しているから。大手家電メーカ
  ーの場合、性能にものすごくこ
  だわりますよね。1 %の性能を
  アップさせるために、1 年をか
  けて……といった感じで。そう
  すると、これだけの経費がかか
  ったので、これだけ売れないと
  採算がとれない、といった考え
  方にならざるを得ません。
  (次回に続く)

 

 

   CDプレイーが売れている 
 その戦略が面白い     連載 4

 ジェネリック家電

 土肥: 家電量販店やディスカウ
 ントストアなどで、聞き慣れない
 メーカーの製品が並んでいますよ
 ね。冷蔵庫、トースター、電子レ
 ンジなど。大手メーカーが過去に
 開発した技術や部品があって、そ
 れらの特許を侵害しない形でつく
 っている「ジェネリック家電」が
 ありますよね。この CDプレーヤ
 ーもジェネリック家電になるわけ
 ですか?
 横町: はい。
 土肥: 開発はどのような形で進
 んだのでしょうか?
 横町: 最大手だったソニーの商
 品はどのようなプレーヤーだっ
 たのか、どのようなスペックを搭
 載していたのか。そのスペックに
 合わせて、設計していきました。
 次に、付属品をどうすればいいの
 かという問題があったのですが、
 バイヤーさんの声を聞いて、必要
 なモノ、不要なモノを決めていき
 ました。開発にあたって、苦労し
 たことはデザイン。技術的なこと
 はほぼ完成しているので、新製品
 だからといって大幅に変更するこ
 とは難しい。他社のCDプレーヤ
 ーを見ていただければ分かるので
 すが、性能はだいたい同じ。じゃ
 あ、何が違うのか。当社はデザイ
 ンを自社で設計するので、その部
 分にはこだわりました。どういっ
 た形がいいのか、どういった色が
 いいのか。成熟している製品だか
 らこそ、消費者に何が求められて
 いるのかを考えながら、つくって
 いきました。
 (次回に続く)

 

 CDプレイーが売れている 
 その戦略が面白い     連載 3

 なぜCDプレーヤーを
 開発することに?

 土肥: ポータブルタイプの CD
 プレーヤーが売れているそうです
 ね。2014年10月に商品を発売し
 たわけですが、なぜこのタイミン
 グだったのでしょうか?
 横町: CDプレーヤーの1号機は
 ソニーが発売したわけですが、そ
 のソニーが撤退したことが大きい
 ですね。他社も CDプレーヤーを
 販売していたのですが、市場が縮
 小していたので、次々に撤退して
 いました。そうした状況のなかで
 、家電量販店のバイヤーさんなど
 から「 CDプレーヤーをつくる会
 社が少なくなっていまして。どう
 したらいいのか」といった声があ
 りました。そこで、当社は「じゃ
 あ、ウチが」と手を挙げてつくる
 ことに。
 土肥: エスキュービズムは液晶
 テレビや冷蔵庫などをつくってい
 るわけですが、CD  プレーヤーっ
 て「じゃあ、とりあえず」といっ
 たノリでつくることができるので
 しょうか?
 横町: 当社はファブレス(工場
 を持たない)なので、商品の金型
 からつくったわけではありません
 。中国で開かれていた家電の金型
 見本市で、CD プレーヤーの金型
 があったので、商品化が実現でき
 るかなあと思いました。CD プレ
 ーヤーは1982年に発売され、そ
 の後技術が大きく  変わったわけ
 ではありません。それほど難しく
 ないので、私たちのような新興メ
 ーカーでも参入できたと思います。
 (次回に続く)

 

 

 CDプレイーが売れている 
 その戦略が面白い     連載 2

  iPodの登場で急減

 国内の出荷台数(ポータブルタイ
 プのみ)は98年に225万台を超え
 、2001年には259万台に達した。
 しかし、その年をピークに急減す
 る。何があったのか。当時のアッ
 プルコンピュータ   (現在:アッ
 プル)がiPodを投入したのだ。
 「最高1000曲をポケットに入れ
 て持ち運べる」ことがウケにウケ
 、大ヒット。05年にiPod miniが
 誕生したときには、 CDプレーヤ
 ーは 80万台まで落ち込んでいた
 のだ。その後、14年には60万台
  (据え置き型を含む)まで低迷し
 たタイミングで、エスキュービズ
 ムが市場に参入するのである。大
 手が撤退していくなかで、なぜ同
 社は  CDプレーヤーをつくること
 になったのか。「音楽はAIスピー
 カーで聴くようになったよ」とい
 った人が増えているなかで、どう
 いった人が購入しているのか。エ
 スキュービズムの横町亮介さんに
 話を聞いた。聞き手は、ITmedia
   ビジネスオンラインの土肥義則。
 (次回に続く)

 

 CDプレイーが売れている 
 その戦略が面白い    新連載 1

    ポータブルタイプの CDプレーヤ
    ー市場がちょっと面白いことにな
    っている。「えっ、 CDプレーヤ
    ー? いまさらなに言ってるの。
    オワコンでしょ」と思われたかも
    しれないが、家電製品を製造・販
    売しているエスキュービズムのC
    Dプレーヤー( 4980円、   税別)
    が売れているのだ。2014 年に販
    売したところ、5000台が2カ月で
    完売。翌15年には7000台、  16
    年は3万台、17年も3万台を超え
    る勢いで売れているのだ。CDプ
    レーヤーの1号機(16万8000円)
    が登場したのは1982年のこと。
    500円  硬貨が発行された年にソ
    ニーが発売したところ、たちまち
    話題に。その後、多くの家電メ
    ーカーが相次いで参入したことも
    あって、あっという間に飽和状態
    に陥る。オーディオ不況も重なっ
    てなかなか大ヒットにはつながら
    なかったが、2年後の84年にポー
    タブルタイプのCDプレーヤーを
    投入。持ち運びができるプレー
    ヤーは売れに売れ、市場はどん
    どん膨らんでいく。
                  土肥義則 ITmedia
    (今回新連載です)

 

 

 てんぽたんの
 不動産開業顛末記
  「出会い」

        ★今回、最終回です 
      

 8.人生観変わる―最終章ー

    94.新しい出会いを求めて new

  とうとうこの日が来た。予定が 3
  つある。11時の経理・契約書等の
  保管の為の宅配便依頼、14時の当
  事務所の明渡し、16時の最後に契
  約した新橋の物件引渡の立会い。
  いつもより少し遅めの電車は、ゆ
  ったりしているように見える。相
  変わらずスマホを翳している人が
  多く、時々色あせた単行本を読ん
  でいる人を発見すると、心が安ら
  ぐのは、私だけだろうか。電車の
  スピードが遅く感じられ窓の見慣
  れた景色がはっきり見える気がす
  る。平日の秋葉原の午前中は、ま
  だ眠っている。事務所の近くに来
  て当事務所のベランダに掲げた看
  板の店舗専門の文字が胸に刺さる
  。思わず、さようならと、囁いた
  3つの仕事も無事、結構事務的
  に終了した。その後の予定は、た
  てなかった。新橋から神田まで歩
  きたかった。飲食居抜き仲介の発
  見した聖地としての神田で終わり
  たかった。銀座・京橋・日本橋そ
  して神田へと。神田の夕刻は、忙
  しそうに歩く人で混んでいる。こ
  うして 25年の幕が閉じた。これ
  からは、恩返しをしようと、改め
  て決意をして銀座線で帰路に就い
  た。
   今回最終回です、長きに渡り
   お付き合いいただき、有り難
   とうございました。思いのほ
   か、好評だったので、後日、
   加筆修正して再掲載を予定し
   て、おります。その節は、宜
   しくお願いいたします。
           山田 茂 

 

    93.最後の思い出      

      明日が、当事務所の明渡しなので
      本日が事実上の最後の入居日とな
      る。階段を1階からゆっくりと、
      昇り 25年の足跡が見えるような
      気がした。途中の階の物販の社長
      の顔が、ひょっと浮かんでは消え、
      懐かしさに一瞬ひたった。5階の
      事務所のカギを、開けるのと、夏
      なのにひんやりした空気が迎えて
      くれた。今日は、電話・パソコン
     ・複写機等の通信関係機器の回収
      の作業ですべてが終わる。電話も
      半年間の留守案内のみになる。静
      寂の中、電話の音がけたたましく
      鳴った。コインパーキング会社の
      物件探しであった。ここ数年本当
      あらゆるコインパーキング会社か
      切れ間なく問い合わせが入った。
      場所取りの最終戦争に入っている
      みたいだ。通信機器等の回収は、
      夕方なので、珈琲を飲みに出かけ
      た。見慣れた風景だがどれも意味
      があるように思えてならない。メ
      イドカフェの社長が駐車場から店
      舗に消えていく後姿があった。5
      件程、紹介して現在8店舗経営し
      ている若手の新興勢力の一番だ。
      そろそろ、大きく飛躍するか、頭
      打ち化の瀬戸際の時期だ。ワンマ
      ン社長だが、任せる器量を持って
      いる。それも思い出の一コマにな
      る。ラーメン食べたり、ソフトク
      リームを食べたり、のんびり散策
      しているうちに事務所に帰る時間
      になった。電気街という特殊な空
      間に25年置き、いよいよお別れ
      である。
      (次回最終回となります)

 

 

    92.次世代キーワード   

   飲食居抜き売買の仲介を職務とす
  る、不動産の発見から始まり、広
  告手段は、主に新聞から始まり、
  雑誌、インターネット、会員メー
  ルと変換し、そしてサブリースへ
  と発展して今日に至っている。イ
  ンターネットの普及で集客方法の
  差別化が難しくなり不動産の基本
  である物件確保が、至上命題とな
  り、結果的に原則に戻ったことに
  なる。飲食居抜き関連の業務が拡
  大しそれなりの起業も現れて活性
  化されてきた。ただ、ここで忘れ
  てならないのは、開店希望者の開
  店から閉店に至る期間が短い人が
  多いという事実である。この指摘
  は、業界の発展のためにぜひとも
  関係者に配慮していくこと不可欠
  と思われる。その方向でも、貢献
  したいと思う。成熟期から抜け出
  して、今後どのようなキーワード
  がメインに発展するのだろうか。
  誰もが知りたいことである。もう
  深部では、始まっていると思われ
  る展望、これからも機会を創って
  発信できたらいいなと思う。
  (次回に続く)

  91.飲食居抜きと秋葉原       

       25年間で総額仲介料が3000万円
       を超えた取引先が2社あった。飲
       食居抜き仲介を専門としているが
       、2社とも業態は、物販である。
       意外な結果であるが、秋葉原とい
       う特殊な立地にあったので予想し
       なかった契約が生じた。しかも、1
       件当たりの仲介料が高い。それと
       秋葉原が業種の転換期にあった事
       も幸いしている。その証として最
       近は、情報が分散して競争も厳し
       くなっている。改めて、飲食居抜
       き仲介の黎明期と秋葉原の業種転
       換期が重なるグッドタイミングの
       時期に開業できたことを感じる。
       開業時の事務所探しをしている時
       、意外と不動産業の開店事務所を
       探すので苦労した。御徒町・神田
       開店していたら恐らく苦戦してい
       たと思われる。エレ付きの今の事
       務所より賃料の安い事務所があっ
       たが、どうしても、馴染まなかっ
       た。馴染むという感覚が特に強か
       ったのでそれが幸いした。ちなみ
       に今の事務所は、階段の5階で坪
       @2万円である。開業時としては、
       安くない賃料である。馴染んだお
       陰で25年間階段で過ぎてしまっ
       た。経験少ない不動産で独立して
       運よく今日を迎えられることに感
       謝、感謝である。この貴重な経験
       を役立てられれば、この上ない。
      (次回に続く)

 

  90.茨木のラーメン店主     

        ランチしませんかと、茨木でラー
        メン店を経営して15年の社長から
        連絡があり同行した。10年前秋葉
        原に2号店目を出店、そして翌年、
        秋葉原に3号店目を出店。順調に
        思えたが、急に方向転換し秋葉原
        の2店を造作譲渡し、撤退。中々
        人の問題で苦労したみたいなのだ。
        茨木で長年家庭用サウナを製造販
        して、 15 年前地元でラーメンを
        始めると行列ができ売れに売れて、
        秋葉原への出店となった。やはり、
        茨木からの秋葉原店の管理は遠い
        ので無理と判断し、速、決断した。
        そのスピードには感心した。厚い
        いステーキを口に入れながら、お
        陰で秋葉原も損をしないで撤退で
        き感謝していますと、ゴルフ焼け
        した顔にしわを寄せて、満足そう
        な表情であった。サウナを全国各
        地に売り歩き、その資金でラーメ
        地元に開店し、今でも行列ができ
        ているらしい。そして1年前東京
        にソシアルビルを購入して、現在
        借り入れはなく、ラーメンの管理
        は、店長に任せ、ビルは管理会社
        任せ、今は、ゴルフと自分で食べ
        る程度の野菜を栽培しているとい
        う。社長、幸せですねというと、
        いやーいっぱい働いたからねーと
、     新たに注がれた珈琲を口に含み
        チラリと窓の外に目向けた。暑い
        夏を予感させる日差しがあった。
        帰り際に300年10代に渡って住
        める自宅を建築中と笑顔で言った
        。個人的には、最高の立場で晩年
        を迎えられ、凄い人と思った。
       (次回に続く)

 

    89.10年周期       

   5年前、契約したお客様との再契
   約の期間を、調べてみたことがあ
   った。勿論毎年契約する場合もあ
   れば、1回限りの場合もある。今
   回終了にあたって、改めて当社の
   全契約を対象に計算し直した。結
   果的に5年前と一緒の10年周期
   だった。当社でいえば、ニーズの
   高いお客さんを常に500人抱えて
   いれば、経営が成り立つ事になる
   。実際は、競争があるので1000
   人程キープできれば、安定してく
   ると思われる。他社のHPを見る
   と登録数4万人とか2万人とか書
   いてある。その中には相当ライト
   な層も含まれていると予想できる
   。10年に一回というと、長い気が
   するが、25年経営して2~3回契
   約することになるので結構記憶に
   残る仕事となる。秋葉原付近を歩
   くと過去に開店した飲食店を見る
   たびに契約に至るまでのドラマを
   いつも思い出しながら、店の前を
   通ると、思い出のシーンだ。10年
   周期が、当社の経営のすべてであ
   り、そこに経営の本質が含まれて
   いると思われる。考え方・能力・
   時代的な限界・業態等がはっきり
   現れていると思う。25年は、長い
   ようで、あっという間であった。
   小さいながら、とても素敵な時間
   を、縁があった人に支えられて過
   ごさせてもらった。ただ、感謝の
   みである。
   (次回に続く)

 

 

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