気がつけば60代も後半戦

ブログ開設から六年以上が経ちました。「気がつけばアラ還!!」「シニア女子の日々」から名称変更です。

引っ越し先

2023-01-28 18:27:49 | 日記
まだ、引っ越していないが鍵を引き取って新しいアパートの部屋を開けた。マンションと表示されているけど、アパートだ。壁に背中をドンとしたら部屋が揺れた。分譲型とは違う。大家さんとも顔を合わせることがありそうだし、誰ともつきあわないより、いいのかな?と思ったりする。ローソン100もスーパーも近いし生活便は悪くないが駅から遠くなるなあ。暮らせるのだろうかと。やはり、自分のお家が建てたい。お金貯めてるが、引っ越しやゴミ屋敷掃除にもお金かかるしと考えている私はお金のことはかり言っていると言われた。
恵まれていないから頑張るしかないのだけど、結構、上級志向なところもある自分に気がつく。
有給をとって片づけないと時間も身体ももたないが、今のマンションの完全退去は三月の中旬にした。二月分は既に払ってるし、半額なら少し上乗せで損した気分が薄くなる。
荷物の運搬にお金がかかりウンザリしている。
また、お金女と言われてしまいそうだが。



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Suicaがない!

2023-01-25 19:56:22 | 日記
タッチして改札を通ったのに、降りるとき、定期券にSuicaがない。鞄の中を探してみてもないのだ。診察券やポイントカードなど何枚も重ねた上で、何を入れていたのかも記憶にない。降りる駅で乗車駅に電話してもらい、落としていることが確認できて、乗車駅に戻った。
恥ずかしいことに、カードはSuica含めて五、六枚落としていた。
運良く、身分証明になるものを持っていたので、すぐ返還されたが、持っていなかったらどうなったのだろう!?
買ったお弁当を電車に忘れてきたばかりなのに、また、やってしまった。
それにしても、まとめて落としたのに気がついていないとは恥ずかしい。定期入れごと落として駅でアナウンスされたこともある。
恥の多い人生!だ。
代償は滅多に乗らないタクシーに乗ってしまったこと。会議には間に合ったが500円の出費。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れ物

2023-01-21 13:31:37 | 日記
週の六日目は夜勤だった。日中は賃貸の契約や以前の住まいの雨漏りの始末などをしていた。夜、大きな仕事はなく、留守番のような身であっても、普通に寝ることはできない。八時になると交代の人がきて晴れて自由な身となる。
カフェでモーニングを食べてすいている土曜日の電車に乗るのだが、疲れているしお昼のお弁当を買うのだが、電車に知っている人に似ている人を見ているうちに、袋に入ったお弁当から手が離れていた。
帰宅後、「やってしまった」と忘れてきたことに気がつく。疲れている。もともと、忘れっぽい性格ゆえ、仕方ない。大事な書類や財布を置いてきたのではなく良かった。廃棄されてしまうのかなと思いつつ、荷物は一つにまとめないとと反省する。
現代で話題になっている発達障害に該当する自覚はある。工夫していけばある程度乗り越えられるものでもあるとは考えているが、お弁当が食べられないのさ残念である。
限界の働き人はそろそろ卒業しなければ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せにしたいという気持ち

2023-01-17 18:25:25 | 日記
夫を責める気持ちがないわけではないと感じる。
倒れて病院に運ばれた日に憎しみが消えたはずなのだけれど、子どもが小さい頃「自分のために生きる」と断言した日にこの人は家庭生活に向いていなかったと思った。
私は自分自身が器用でなかったし、二人の子どもたちを、育てていく自信は経済的になかった。
家庭を顧みず、他人の家の運転手をしたり、いいように利用されているようなところにも気がつかない人だった。他人に尽くしてちやほやされるのが気持ち良かったのだろう。家庭なんか、家族なんかどうでもいいと思っていた人は今も変わらないと思った時、私の心はぷつっと切れた。
それでも、求めてはいけない。私も夫も自立して生活できていることに感謝したい。
引っ越すと少し遠くなるので、夫の元へ行く機会は減るだろう。自然な成り行きである。
人を幸せにしようとすることを考えたことはあるのだろうか。自分が快適なら、家族など、どうでもいいのだろうか。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

振り返り 生い立ち

2023-01-14 23:36:58 | 日記
親のための結婚。
家を円満に出るための結婚にすぎなかった。
娘を病気で失った家族のもとにいったのだが、その家にもうひとり娘がいることは知ってはいたが知らされていなかった。新居で姑が夫と醤油やソースを棚にしまっていた。不思議な光景だった。本当は私が揃えたかったとは思ったが静かにしていた。
もうひとりの娘は精神的に病んでいた。当時の近所の人から聴いて知った。
昭和の後期、あまり近所つきあいはしないほうがいいと感じた。舅は何年も町会長をつとめていた。「嫁です」と着物を着て挨拶まわりをした。町会の結婚祝いの会があり欠席者なしだった。当時の人はだいぶ亡くなってしまったが、存命でときどき挨拶をしてくれる人もいる。
嫁という響きがもっとも嫌いな私が嫁になった四十数年前のこと。
私の母方の祖父は明治16年生まれ。私は末子の末孫。話があわなくて、結構、ぶつかった。それでも、早い時期に受洗したキリスト教徒で新しい考えの家の人だったようだ。仏教徒いや仏壇のある家がほとんどであっても、みんなと同じでなくてよいと考える家風であった。仏壇のない家に育ち、お線香をあげることもなく、焼香のしかたもよく知らないままに成人した。
父方の祖父は四歳のときに亡くなり、母方の祖父は高校生のときに亡くなった。ともにお経のないお葬式だった。母方の祖父のときは聖職者になった甥、姪が何人も葬儀に来ていた。特殊な文化のなかで育っていて、受けた影響も大きいのではないかと思う。
嫁いだ家はごく普通の日本の家だったが異文化を感じた。私は合わせて生きていきてきたのだろうか。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする