気がつけば60代も後半戦

ブログ開設から六年以上が経ちました。「気がつけばアラ還!!」「シニア女子の日々」から名称変更です。

離婚準備

2022-06-28 20:36:52 | 日記
物理的に離れると心理的にも距離ができる。
相手が何をしているかなど気にならなくなる。家族の再構築は失敗だった。家族という単位があるにもかかわらず、一人勝手なことをやりたがるが、夫の病気を機にまとめることを私は試みたが、あまりにもみんな勝手なので、「いち、やーめた」といった感じである。
不動産守ることと、源家族や友達づきあいに熱心でも、自分で築いた家族には熱心でない夫。
遅い反抗期を母親にしながら自分で築いた家庭が上手く行ってない娘。独身のアラフォー男子の息子。みんな家族を壊すことに熱心で建てようとしないのだ。
社会的入院から介護が必要になった状態の義姉。日用品なのか雑費と思われる請求が年100万程度あるらしい。
だいたい、結婚前、夫と義両親は姉はいないとウソをついていた。戸籍や住民票を調べて姉がいることはわかって、母が近所に聞きにいったが詳しくはわからなかった。
正直、気乗りがしない結婚だったことを思い出す。女手ひとつで育てた母やその周囲を喜ばすための結婚だった。昭和は結婚すればどうにかなるという発想がまかり通っていた。
母子家庭でなければ、結婚急ぐことなどなかった。先に結婚した兄を手放したくない母は兄夫婦を狭い家に同居させた。私には居場所がなかった。家をでたかったが、一人暮らしは許さないという母に対して、円満に家を出るための結婚だったのだ。
あれから四十一年の歳月。先代からの家を守り続ける夫。二十年前、突然、私たち家族と住んでいた家を飛び出した。勝手に家を飛び出し、その四年後には私たち家族にお金が入らなくなった。もう、出せないということなのだが、貸していた土地を買いとるためにお金を払っていた。賃料も払わない人にお金を払い続けて間抜けなのである。パート収入程度で生計を立てなければならない私の生活は大変だった。いつのまにか、新聞もなくなった。勝手に夫がやめていたのだ。あれから、お金を貰ったのは義母の遺影を注文した時の三万円である。彼は、私にお金は渡さなかった。
国民年金は払ってくれていたようで、それだけで満足している。国保は私の収入が上がって、高くなっているので「払うよ」と昨年までは言っても「いいよ」と私に請求して来なかったのだが、今年は細かく一桁まで計算された紙を渡された。おそらく、全額でなくていいから少しでも欲しかったのだと思うが、私は「払うよ。」その代わり息子の家賃を補助してほしいと言った。夫は最初の約束の額より半分援助額を減らしていた。夫が勝手に出ていった家の修繕もせず、もう老朽化して潰すからと追い出したようなものだ。息子も復職して一年余り。再発もあり得る危うい身でもあり、私は約束の額に少しプラスして息子に渡していたが、二年間と決めていた。息子も、仕事が軌道にのり、援助を減らしてもよいだろうが、夫の現状の額では少なすぎる。
ムシャクシャしていたのもあるし、確かに私の払うべきものであることに変わりはないので、直ぐに夫宛振り込んだ。そして、思ったこと。自分の保険料を払うくらいならよいが、固定資産税や姉の入院費用まで払うようになったらどうしよう?と。
夫婦なら助け合うべきだが、この二十年夫婦らしい生活はあまりしていない。同じ家に住むのは俺が死んでからにしてくれという夫と夫婦でいる意味や価値はあるのかと考えている。




                

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老化は劣化なのか

2022-06-27 22:47:31 | 日記
誰もが年をとって老いていく。
老いることは心身の能力の低下であり劣化なのであろうか。劣化と考えると悲しくなるが、年齢を重ねないとできないこともある。人は多くの人や物を見て吸収していくので、経験値が武器になることもある。
最近、自ら活動終了を発表する芸能人も増えてきた。加山雄三、吉田拓郎。加山雄三は喜寿のころはバリバリだったが、ここ数年の病気で衰えたのは確かだ。脳の病気を二回もしてステージにたてるのは奇跡という見方もあると思う。
自分の職業人生の終わりを決めるのは自分である。退くのは衰えが明らかにならないうちだろう。

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やはり酷い

2022-06-24 23:31:43 | 日記
ブログやYouTubeで別れた夫の行動の酷さを綴っているものは多いが、我が家はもっと酷いと思うことが多い。
四年前、倒れた時、憎しみは消えた。しかし、やはり、思い出したくないことばかり。憎いと表現するのも嫌である。息子が、父親は「早く死んで欲しい」と言う気持ちが理解できる。息子は反面教師にして生きて欲しいとは思うのだが、まだ、そこまで成熟していないのだ。
どうしたら良いのか最近わからなくなってきた。仕事で忙しくて家庭の問題から逃げている。仕事をもう少し効率よくやらないとと思いながら、面倒で、減らす予告はしても交渉に至ってはいない。優柔不断さが、また、何かを駄目にするかもしれないのだ。



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プラン75

2022-06-20 23:17:59 | 日記
75歳というのが憎い。映画なのだが、現実にあり得そうなストーリー。特に病んで困っているわけでもないのに、自ら人生を終わらせることができて、行政のサポートがある。高齢人口の増加の近未来を描いている。
住む家もお金もなくなったら死を選ぶ人もいるようにも思う。現実を考えると私はあとどのくらい働けるのか?当面のお金はあってもいつかは尽きる。
何歳まで生きられるのか、健康でいられるかわからないので、大事にお金を使うが残り短いとわかっていれば極端に節約することない。

自分の死の時期を選べるという設定の年齢が75歳というのは差別感が漂う。もっと若くても死を選びたい人もいるだろうし、年齢で一括りできないように思うのだ。決められない、わからない神のみ知る死を操作することは不自然である。まあ、フィクションではあるが。

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これからどうするの?

2022-06-19 08:26:36 | 日記
二週続きの日曜休み。今日は先週よりは少し元気。週六日働いてしまうと疲れがとれないことに気がつく。
これから、久々に友人たちと会う。二十年前に再会してから年に一回は会っていたのだが、コロナで三年ぶりになる。
時は流れていくもの。私はこのままでよいのか?と考える。家族はバラバラ。忙しくて孤独感を感じている暇もないのだが、もともとひとりを好むので苦にもならない。老いてから夫婦は仲良くいくべきと考えたが、夫からの決定的な一言で冷めた。助け合っていく姿勢のない人とはやっていくのは無駄だなと思った。親切は自分の為で人の為ではなかったのだ。離婚のエネルギーも使いたくない。一人でできると思っているのであれば世帯分離がやっとできる。名目夫婦を続けていたがための不利益はある。たとえば住宅手当。
夫婦であり続けほうがメリットはあると思っていたが、日本は世帯単位で考えるので、不便なことも多い。ひとり世帯で働けなくなったら住宅補助を受ければよいのだ。夫と夫婦でいる限り住めなくても家のある人間と見なされる。マンションを買おうかとも考えたが、何歳まで生きるかわからない。老後は設備の整った見守りのある所のほうがよいのではないかとも考える。余裕があれば不動産を財産として残したい気持ちもある。
離婚しなかったのは、夫の生家に多少の蓄えや不動産があったからなのだが、積極的に活用もせず、住んでいた家を老朽化で処分を理由に追い出したうえに、自分の家にも住まわせたくない、私の住む家も建てないでは身勝手すぎると思うのだ。


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