物理的に離れると心理的にも距離ができる。
相手が何をしているかなど気にならなくなる。家族の再構築は失敗だった。家族という単位があるにもかかわらず、一人勝手なことをやりたがるが、夫の病気を機にまとめることを私は試みたが、あまりにもみんな勝手なので、「いち、やーめた」といった感じである。
不動産守ることと、源家族や友達づきあいに熱心でも、自分で築いた家族には熱心でない夫。
遅い反抗期を母親にしながら自分で築いた家庭が上手く行ってない娘。独身のアラフォー男子の息子。みんな家族を壊すことに熱心で建てようとしないのだ。
社会的入院から介護が必要になった状態の義姉。日用品なのか雑費と思われる請求が年100万程度あるらしい。
だいたい、結婚前、夫と義両親は姉はいないとウソをついていた。戸籍や住民票を調べて姉がいることはわかって、母が近所に聞きにいったが詳しくはわからなかった。
正直、気乗りがしない結婚だったことを思い出す。女手ひとつで育てた母やその周囲を喜ばすための結婚だった。昭和は結婚すればどうにかなるという発想がまかり通っていた。
母子家庭でなければ、結婚急ぐことなどなかった。先に結婚した兄を手放したくない母は兄夫婦を狭い家に同居させた。私には居場所がなかった。家をでたかったが、一人暮らしは許さないという母に対して、円満に家を出るための結婚だったのだ。
あれから四十一年の歳月。先代からの家を守り続ける夫。二十年前、突然、私たち家族と住んでいた家を飛び出した。勝手に家を飛び出し、その四年後には私たち家族にお金が入らなくなった。もう、出せないということなのだが、貸していた土地を買いとるためにお金を払っていた。賃料も払わない人にお金を払い続けて間抜けなのである。パート収入程度で生計を立てなければならない私の生活は大変だった。いつのまにか、新聞もなくなった。勝手に夫がやめていたのだ。あれから、お金を貰ったのは義母の遺影を注文した時の三万円である。彼は、私にお金は渡さなかった。
国民年金は払ってくれていたようで、それだけで満足している。国保は私の収入が上がって、高くなっているので「払うよ」と昨年までは言っても「いいよ」と私に請求して来なかったのだが、今年は細かく一桁まで計算された紙を渡された。おそらく、全額でなくていいから少しでも欲しかったのだと思うが、私は「払うよ。」その代わり息子の家賃を補助してほしいと言った。夫は最初の約束の額より半分援助額を減らしていた。夫が勝手に出ていった家の修繕もせず、もう老朽化して潰すからと追い出したようなものだ。息子も復職して一年余り。再発もあり得る危うい身でもあり、私は約束の額に少しプラスして息子に渡していたが、二年間と決めていた。息子も、仕事が軌道にのり、援助を減らしてもよいだろうが、夫の現状の額では少なすぎる。
ムシャクシャしていたのもあるし、確かに私の払うべきものであることに変わりはないので、直ぐに夫宛振り込んだ。そして、思ったこと。自分の保険料を払うくらいならよいが、固定資産税や姉の入院費用まで払うようになったらどうしよう?と。
夫婦なら助け合うべきだが、この二十年夫婦らしい生活はあまりしていない。同じ家に住むのは俺が死んでからにしてくれという夫と夫婦でいる意味や価値はあるのかと考えている。