気がつけば60代も後半戦

ブログ開設から六年以上が経ちました。「気がつけばアラ還!!」「シニア女子の日々」から名称変更です。

十年間振り返る

2018-06-27 07:31:40 | 日記
十年前、ダブルワークを一旦中止した。勤めていた会社の業績が悪く給与が下がると言われたからである。小さな会社だったが、現在も健在である。

半年、休んで同業の、かなりバックの大きな会社に就職した。当時としては、この歳でこの会社と思えるくらいヒットだった。しかし、女所長のパワハラの鉾先が自分に向けられた。自分には根性なかった。当時、難聴とめまいに苦しんでいた。病んでいた左耳で電話がとれなかった。体調もよくなくて翌年、あっさり、退職してしまった。

仕事、ひとつだけは、お小遣い程度でにしかならなかったが、子どもたちに生活費を、入れて貰っていたので、なんとか食べていくことはできた。
入れてくれた生活費を子どものために貯金しておくなど世間の親のすることはできなかった。子どもたちには、父親が卒業祝に多額のお金をあげているので十分だとは思った。

耳は奇跡的に回復した。治るという根拠のない自信だけはあったが、どこの医者にも見放されても諦めないことが大事である。夫が入っていた保険や、私の会社の共済金などで、半年くらい、少ない仕事でも、のんびり生活できた。

就活をはじめたが、五十代も後半になり厳しかったが、割り切って短期のコールセンターの仕事を繰り返した。若い学生時代とった資格を生かした時短の仕事。国勢調査、選挙の受付、中元、歳暮の時期の裏方仕事など。一度やると、また、声がかかる。コンスタントではないが、子どもたちからもお金を入れて貰っていたのでなんとかなった。

もう、六年くらい前だろうか娘が家をでた。この時期にこのブログは始まる。娘は食費以外にも結構助けてくれていた。精神的にも、つらかった。金銭的には豊かでなかったが単発の仕事は途絶えることがなかった。

思いきって、大きな組織を辞めて、長年貯めた退職金や投信を解約して大学院へ入学した。アラ還院生の誕生。

無謀な投資にも思えたが、おそらく仕事はある。学費分くらいは取り戻せると考えた。生活を支えるアルバイトが会社の事情でなくなってしまったこともあったが、次にすぐ仕事が、決まることを繰り返し卒業。高時給はありがたかった。

資格試験に合格しても、年齢がネックでなかなかメインになる仕事が決まらない。若手のように高収入、好待遇は望めないが仕事はある。非正規というよりフリーランスというのが相応しい。

十年を振り返ると「諦めない」ことが、私を救っている。実は諦めて損をしていることもかなりあることに気がつく。


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いじめを考える

2018-06-18 21:12:47 | 日記
ハラスメントのつもりでなくても、相手がハラスメントと感じたらハラスメントなのである。

本当に面倒な時代だと思う。ハラスメント的行動は、日常茶飯事、行われている。

良い関係と思っていた人が、変わることもある。今年の春の出来事を思い出す。

請負契約での揉めごと。
私だけに突きつけられた理不尽な要求。早朝からかかってくる、しつこい電話。同じことを何度もくり返す。おかしい!同じ仕事を請け負った人も同じようにおかしいと思っていた。

何度も、この仕事はお断りしますと言いたかった。契約書にはMailのやりとりのコピーまでホチキス止めされていた。証拠は残しておくと言いたいようである。

忙しさと失敗したくないあまりに不安だったのか、攻撃的になっている。

相手の思い通りに動かしたい支配欲はいじめに繋がっていく。支配欲の背景にはストレスがある。つまり、いじめはストレスの分配のようなものではないだろうか。

予定を保存しておきたいからメールのコピーをホチキス止めしたというが、関係性の悪さとイライラからであることは後日相手は認めた。

私はシンプルに予定をまとめて作り直し、契約書にクリップ止めで返した。

年度が変わって、仕事が始まると相手は静かになった。

いじわるをされたのは確か。しかし、こちらも負けてはいなかった。
支配されなければいじめは終わる。

力関係は難しい。状況によっては従っていかざるを得ないときもある。いじめ耐性も必要であるが、我慢のし過ぎもよくない。




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これぞ、いじめ!!

2018-06-17 19:54:07 | 日記
四つの肩書きを持つ私だが、名刺に一つは外した。新人の採用のし過ぎで、仕事が回ってくる可能性が低いからだ。

金土とひさびさの連休と喜んでいたが、なんとなく、ラインに貼ってあったシフト表を見ると私の名前がある。
確かなかったはず?私のないだろう思い込みか?6月は行かないで済むと、ほとんど退職気分だったが、ここで休みますとは言えない。他に希望者がいても入れてくれたシフトかもしれない。

土曜日の電車はすいていて比較的快適である。5月3日以来の出社。同じ仕事は約2ヶ月ぶりで、なんと半年ぶりの内容の仕事がメインだった。正直いって、以前からあまりわかっていない仕事だった。一緒に組んでいた人は、朝はわかる仕事だけでいいといったのに、昼ごろ豹変。「なんで、やってないの?今まで何やってたの」

挙げ句が、「あなたは、人の話を最後まで聞かない。話の途中で返事をすると」はあ、説教ですか!どうしたことなのか。朝から、他の人の失敗書類を必死で治していたから、気の毒にと思って見ていたが。

年齢が近いから親近感も感じていたが、仕事を離れての会話の時の私の話し方もよくないのだそうだ。確かに、私はテンポが早いから、内容がわかると、少し早めに答えたりしてしまうことはあると、「ご指摘ありがとう」と言った。

しかし、仕事に関しても、退職を示唆することを話しても、こんな浦島では大変だとか、かなりのヒステリックで、お疲れなのだろうと思った。

いろいろな職場で揉まれてきた私には、大きなダメージですはなかったが、これは、感じる人によってはハラスメントととれる。

人間は、精神状態、環境によって誰でもいじめの加害者になり得ることを実感した。若い人には、同じようなことしないとは思うが、したら大変だ。潰される。私には潰すためにやった可能性も否定できない。同年代はいないほうが、自分の雇用は守られることを本能的に感じているのかもしれない。

結局、相性がよくないという一言で終わってしまう。同年代は真面目だし、私のようなテキトー人間は許せないだろう。

でも、「上から目線じゃないのよ。あなたの話し方について言いたかったのよ。わかってね。」と。それは、言わなくていい。じゅうぶん、上から目線。なかなか、言いにくいことよく言ってくれたとは良くも、悪くもである。修正は効かない。私が逆の立場なら言って後悔するだけだから言わないでおく。これも、職場の余裕のなさからきた悲劇である。平常心なら彼女も言わないで済んだだろう。

一夜明けて、職住近接の女中心職場へ。ねえねえと話しかけられ、昨日のことを教訓にしてみた。すると、反応が遅いと、話盛り上がらない。やはり、私は私でいいのだと思った。

昨日の彼女は実権が握りたかったのだ。仕事で上に立たされてしまったがゆえの支配欲もあるのかなと。

まあ、私は人の話を折るほどのことはしないが、テンポには気をつけていかなければならないと、改めて思った。

いじめが増えたとはいうが、いじめと感じる人が増えたのではないか。昨日のできごとも現代ではいじめになるだろう。



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もう働こうよ!

2018-06-06 06:31:15 | 日記
一年以上休職している息子。
「もう、働こうよ」と 
先生が言った。

休職だけはしたくないと、頑張ったが休職勧められて、休職し、3ヶ月経った時点で戻ることを許されず気力がなくなった。

傷病手当金を請求もしてなかった。お金はあるからと。親の私は齷齪と働く。そのうち、請求しはじめた。うつ病なんて息子には縁のない病気だと思っていた。もしかして、違う病気なのかもしれないとさえ思っていた。

しかし、最近は元気である。疾病利得的な生き方。本来の彼らしい。昇進もストップ。それでもいいのだ。

朝から鼻歌が聞こえる。平和な時間。私は朝の支度をして仕事に出かける。誰か人が家にいる安心感。

でも、いつまでも、この生活はいけない。息子が働きに出なければいけないのだ。

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