自宅は荒れ放題。いかなければ益々荒れる。マンションには洗濯機を置いていないので帰る。帰る用事を作っているようなものだ。
今度、自宅にガス器具点検がきたら、古い湯沸かし器は使えなくなるだろう。風呂釜も何万かかけて点検しなければならないのだ。家から家具から電化製品すべてが朽ちている。今にも壊れそうで、何か一つ壊れると生活することは難しい。
そんな壊れかけたトイレにマスクを流してしまった。なんだかマスクに似ていると思ったが習慣でレバーを回してしまった。あっ!と気がついた時は遅かった。流れていくかもしれないが、汚物が逆流するのはイヤなので息子に連絡した。詰まっているかもしれないと。トイレ補修は仕事休みの明後日にしてシェルターになっているマンションに来させて快適な暮らしを経験させたいと考えが飛躍したのだが、気持ちは通じず。彼には荒れた我が家は最高の居場所なのである。
「ポケットから脱落、マスク流したかもしれない」と入れたメッセージの意味がわからないと怒ってきた。確かにトイレという文字は抜けている。しかし、ポケットから落ちる。マスクがなくなって困ることはない。流すことが困るといったら水洗トイレといった想像にはならないものか。日本語は省略が多い。家族だとわかってくれるだろうという期待があるからなおさらである。
ポケットにお金をじゃらじゃら入れる息子ゆえ、多分硬貨は流しているだろう。少しなら平気でも、積み重なるから流れなくなるのである。
何も言わないで出ていくよりは親切かと思って自宅をでてきた。本当は荒れた自宅には帰りたくなかったが、晴れると賭をして洗濯物を干していったのでとりこみにきたのである。雨が降っても洗濯物など気にしない息子だからである。母親のことを発達障害扱いしてきた。グレーかもしれないが、生きづらさは感じてはいない。息子のこだわりの強さのほうが問題である。嫌われる。
彼は持論展開で妥協しないし、好きなことしかしないし、私は子育て失敗なのか?いや、特性を否定しないできたことに、少しは感謝して欲しいものだ。
いろいろ言いたいことはあったが、言ったところで無駄。トイレは夫に頼みこむかなあ。どこかで詰まる可能性はあるので処理しないと。足の踏み場もないからせめて、歩けるようにはしておかないと。
歩くことも難しい獣道のような我が家で「次の場所に何があるかよくアセスメントして歩け」とか真顔で言うので笑ってしまう。何度も転びそうになって危ないから片づけてもらわなければ困るとは言われたくないらしい。
疲れた。宅急便を理由にマンションに戻ったが、時間指定はあっていたものの、日時は今日ではなかった。今日の日付にしたはず?
仕事は減らしたほうがよいのだろうか。