気がつけば60代も後半戦

ブログ開設から六年以上が経ちました。「気がつけばアラ還!!」「シニア女子の日々」から名称変更です。

危ないソーシャルディスタンス

2020-06-30 17:49:20 | 日記
コロナ感染対策で小学生でも、すぐに言葉に出てくるソーシャルディスタンス。
最近、この言葉に危険なものを感じる。物理的に距離をあければ心理的にも距離ができるのである。
体裁よく新しい生活スタイルだのなんだの言っているが、コロナで精神疾患が増えることは確かだと思う。年中くっついていなければいいわけで、コミュニケーション不足が必ず起こる。誤解、人間不信、ここまで人間を追い込むのはウイルスではない。同じ人間だ。
感染の機会は平等かどうかもわからない。誰でも感染する。過度に恐れている人、気にしていない人のどちらにも感染の可能性はあるだろう。
こころがコロナになっている人が多い。これは政府の責任でもあり、メディアの責任でもある。気をつけていても病気になるときはなる。極端に騒がないでほしい。
おそらく第2波などなく、一定の患者が出続けて、冬はインフルエンザも並行して流行しパニック状態なのではないかと思う。インフルかと思ったらコロナだったとか、両方かかる人もいるだろうなあと。

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夜の街

2020-06-27 23:06:27 | 日記
買物へ行くといったら、俺も行くと。たまに気が向くとついてくることがある息子である。
パンツやカットソー、ウォーキングシューズを買って、レストランかと思ったら、飲み屋街へ。結構な人出だが、まだ少ないのだそうだ。マスク率が下がる。ソーシャルディスタンスどころか過密。
潰れてなくてよかったお店。愛好家が支える町なのだ。
コロナに対する考え方は難しいと思う。よくわからないことも多いので何が正しいのかは不明。すべて中途半端。息子はマスクはしないで通している。それが正しいのか、誤っているのかもわからない。しないよりはいいだろう程度のマスクに意味はない。
コロナの二次被害のほうが大きいと私は考えている。経済に与える影響。こころに与える影響。
内輪の暑気払いの話が出た時、怖い言ってきた人、自分が病気になったら迷惑かけるからと断ってくる人がいた。
今、出るべきではないという考えの人は、よくいえば慎重、悪くいえば臆病という見方もできるが、私は物事を総合的に見られない人であると考える。
自分が感染したくないは、感染したら迷惑がかかるという考えにすり変わる。自分より他の人に悪いと日本人によくある考え方。
夜の町に行く人は感染に対して意識が低いのだろうか。ステイホームの呼びかけで外に出ることが悪になってしまったのだろうか。夜の町で仕事をしている人たちにも生活があるのだ。
五月、人の少なくなったオフィスに「助けてください!」とお弁当を売りにきた飲食業の人達がいたという。
助け合うということを考えた時、マスクをしていない人を睨む人が、自分のことしか考えていないように思える。

今日はキャバクラの客引きにあわなくてよかったよと息子が言っていたのが印象的だった。

ほどよい感染対策は難しい。完全は無理であるし、精神的健康を考慮すると神経質になりすぎてもよくない。

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期末手当

2020-06-27 07:16:25 | 日記
木金はブログを書かない。
黙禁曜日。
はじめたばかりの仕事もあり、五時起きで出発したりハードで毎週辞めたくなる。
事務長から渡された給与明細。実質働いていない五月分に加えて期末手当の明細が!
今年から出るかもしれないと噂はされていたが、「出た!」
税金一割引かれているものの、給付金に匹敵する。四月に入職で数えられるほどしか行ってないのに上できである。
辞めたい気持ちがまた薄れた。それでも、体力的に続くかである。
ほとんど、弁当を買って帰るが、食欲なくなりほとんど残しお菓子だけ食べて、いつのまにか寝てしまった。眠りも浅いしいつか病気になるのではないかと思ったりする。
今年は私にとっては泡銭と感じる収入が多い。変に金運がよい。

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同居しない夫婦

2020-06-24 09:03:29 | 日記
民法は夫婦同居を唄っている。
単身赴任ありの世の中ではあるけれど、相互に助け合うべきという考えである。
夫とは別居生活である。いつからだったか忘れているくらい長い。おそらく17年前だと思う。店舗と実母のいる実家から帰ってこなくなった。蟻が大量に発生した。テレビのうつりが悪いといった理由からだったように記憶している。長年、出ていかないかと望んでいたふしもあり違和感を持たなかった。
思いだすと夫との生活はDVあり決して平坦ではなく苦労が多かった。どうせ子供は裏切るのだからと家族より知人のつきあいを大事にしていた。知人のなかでヨイショされて自分を保っていたのだろうと思う。気まぐれに家族を求める時期もあったが、ホントに気まぐれでアテにできる人ではなかった。ちょっとした言動で腹立てたりくらいならいいが、若い頃、いや五十前後まではかなり荒れて物を破壊することもあった。正直なところ、良い夫でもよい父親でもなかったが、多少の醜い部分は見せていないのでわからないが、良い息子ではあったのだと思う。
私の姑にあたる実母の死を知らせず直葬で終えたショッキングな事実。しかし、子供たちは、なぜか同情的だった。うつだったのではないかと。
私の常識では考えられないことであったが、娘の昨年の行動も似たりよったりで血は争えないのか、変な背中を見て育ってしまったのかどちらかであろう。
婚姻費用を請求しようなんて思っていた矢先に救急車で運ばれた夫。
あの日、なぜかすべてがリセットされた。なぜか、憎しみが消えたのだ。不思議だった。
もし、普通に夫婦生活を続けていたら、院進学は反対されてかなわなかっただろう。新しい自分の発見を見出すことはできなかった。自分の可能性を見いだせたのは自由があった。醜態を見せたくなかったのか、親の介護をする事はなかった。彼なりの美学があったのだと思う。
老後の生活。夫婦関係をあらたに構築していく時期でもある。離れていたので無理しないことと思ってはいる。民法に反してはいるが、今、働いて収入を得られることは何年も続けられることではない。今は少し稼ごうと思う。


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受診で思ったこと

2020-06-22 20:13:37 | 日記
病院はすいている。コロナの影響なのだろう。
四ヶ月ぶりに血液検査のため受診。服薬してないのでさぼる。二ヶ月おきは短すぎるといつも思う年けっきょく四、五回くらい。薬は数年先に必要になるだろうと思う。怪物女で良くもならなければ悪くもならない。
潰れても困るけどちょっと心配にはなる。
仕事をしていると、つまらないこと考えないでいいしおやつもほどほどですむし、健康にいいように思う。
緊急事態宣言が出て休みの時はよく娘のことを考えた。ボタンの掛け違えなのだろう。最後に会った時、母の手を払いのけたり、ちょっと??で心配にもなるが、親なしで生きていけるならそれでよしとしようと思う。
死ぬまで娘と一緒に過ごせる時間は一週間もなさそうだ。まったくないと思ったほうが良いかもしれない。
社会のために、他者のために生きていこう。

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