気がつけば60代も後半戦

ブログ開設から六年以上が経ちました。「気がつけばアラ還!!」「シニア女子の日々」から名称変更です。

自粛ばかばかしい。

2020-11-23 00:04:42 | 日記
コロナに対する考え方二極化している。感染怖くて外に出ない派と不安がないわけではなくても外に出ていく派。仕事している身としては恐れていたら仕事に行けない。仕事だけ行ってプライベートで出かけないのもバカバカしく思えてきた。コロナの報道の仕方も問題あって、必要以上に恐ろしいものに仕立てたのはメディアである。
数が増えるのは気の緩みだって、ふざけてる。検査数も増えているし、風邪の季節だし増えて当然。緊急事態宣言時の自粛の効果も検証されてない。自粛して大きな効果がなくても自粛といっておけば無難である。
友達にダメもとで声かけた。一旦は会う約束したが、前日に、今、会うべきでないと断られた。まあ、家にいられる人が感染のリスクを増やすこともないわけだけど、怖いのはコロナではない。人と会うのも拒む恐怖である。なんとなく、私とは次元違うと思った。怖いのに会っても楽しくないだろうし無理はしないでと言った。感染怖い人に合わせなければならないのだ。


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連休

2020-11-22 23:46:31 | 日記
先週の日曜から六連勤をして、二日間だけどひさびさの連休を作った。休み少なすぎる。休日の振替もない。土曜は市内自分の家四軒とホームセンターを回った。そして、日曜日は遠出。恩師の講演を聞いてから、娘の店へ向かった。実の娘なのに顔を見るのは一年ぶり。予告なしの突然の訪問。娘の態度や変化を見るためで査定である。表情がない。他人行儀。しかし、やはり、まずいと思う気持ちはとこかにあるのか?話をまっすぐ受け止める。社交辞令というものを知らないのか。判定はやはり、親というものが十年はかかる。私の葬式にこなくてもいい。相続は遺留分のみの気持ちも変わらない。
ただ、声がかけにくくなってしまっただろうから、私が訪問することにより、きっかけができるかもしれないとは思った。それを利用するかしないかでも評価は変わる。
家がなくなるということは、彼女の帰る家はなくなるということでもある。まだ、そのような認知をせず、「あんな家」「許せない家族」などと思っているのだろうか。勉強には大きな不自由はなかったが、どうも、変な思考回路で困った娘である。

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年をとると

2020-11-14 21:41:21 | 日記
年をとると友達が減ってくるという。実際、同世代の友達に連絡してもレスポンスが遅いと感じることは多い。時間の流れがゆっくりなのか、LINEのようなチャットの世界でも返信は遅い。もしかして、負担になっているのでは?とも思う。変わらぬ日常、孫でもいなければ話題も減ってくるのが一般的といえるだろう。
三つの職場と三つ四つの家を往復して変化に富み過ぎる私の生活。余生と感じて暮らしている人にはけたたましく話を聞くだけでも疲れてしまうだろう。
そして、職場の人たちに自分の年齢や素性も明かしたくない生活が続いている。生涯現役といえば格好いいが、生涯、働かざるを得ない人であるだけだ。
仕事を失った時、一緒に遊んでくれる人はいるのだろうか?とふと、考える。

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嫌な過去が

2020-11-09 19:45:08 | 日記
夫が救急車で運ばれて病院に着いた時、すべてのことを水に流すことができた。不思議に許せた。二年前、本当に純粋な気持ちだった。
最近、やはり過去が甦る。十三年前の春。最後の給料と手渡された封筒に入っていた十万円。これが渡された最後のお金だった。子供たちはこの年に卒業した。だから、もう、彼にとって養う義務は終わったと思ったのかもしれない。勝手に家を出て実家に帰り五年近い月日が経っていた。
年々渡されるお金が減っていく。なるべく使わないで自分の稼ぎを生活費にしていた。仕事は三つくらい抱えてホームページ作る内職もしていた。寝る暇を惜しんで入力していた。
リーマンショックで仕事も大変だった。もう、給料払えないと仕事を辞めざるを得なかったり、耳が聞こえなくなったり体調も不調だったが、日々の食べていく銭を子供からも徴収したりでなんとかしのいできた。でも、大変だった。
夫は一円も入れてくれなかった。光熱水道費は払っているからと他の生活費は渡せなかったのだろう。僅かな稼ぎで生活していた。
今回の家問題。本当に夫は家を建てる気があるのだろうか。家を潰すことが目的で、借家に住めということなのだろうか。約束を自分の都合で変える可能性は十分ある。私は家賃の類を九万くらい負担しなければならない。今しか働けないから貯めたい。なんだか、いつも犠牲になっているように思えてしまう。

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卒婚、卒母

2020-11-07 09:25:08 | 日記
気がつけば、世でいう卒婚、卒親状態だ。
現実生活はおひとり様。しかし、住民票上の住所地や自分の物が置いてある家にもしばしば戻らなくてはならなくて、まったく自由なわけではない。
ひとりが快適なのは孤独な状態ではないからだとは思う。娘が家を出ていった時が一番寂しかった。その寂しさは現在の関係の暗示かもしれない。
息子が海外に一年行っていた時もひとり生活だったが、院生で忙しく寂しいとは思う余裕はなかった。
今はマンションを借りられて貯蓄もできる金銭的な余裕がある。卒婚も卒親も経済的な基盤がないと難しい。
一生働けるわけでもないし、この生活は永遠のものではない。

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