気がつけば60代も後半戦

ブログ開設から六年以上が経ちました。「気がつけばアラ還!!」「シニア女子の日々」から名称変更です。

頼るべき物はお金

2019-08-26 23:09:05 | 日記
今日の感想。
頼るべきはお金しかない。
疲れた体をふるい起こして仕事場へ向かう。六時間勤務週三日の職場である。通勤は30分程度。歩く時間のほうが長くラッシュに揉まれることもない。定年がない。70代が活躍している。専門職としては高くない時給だが、フツーにみたら高いだろう。押さえておきたい仕事である。
この他の仕事のほうが稼げるのだから、今の私は年齢考えたら恵まれている。
家族はあてにならないような気がしてきた。長男は病気を自覚している。いつ、また働けなくなるかわからない。夫もいつ歩けなくなるかわからない。ぷっつん娘も戻ってくる可能性がなくもない。私こそ生産年齢終了時期である。
定年65歳見ると、ドキっとする。もう、働いてはいけないと言われているような気持ちになるのだ。
マンション借りてしまった分、貯金が減ってしまう。「次回の更新どうしますか?」と一年以上行ってない会社から連絡。やりますと返事。本当にやってしまいそうだ。一年以上いかなくても更新してくれる会社があるのだ。あらたに捜すより労力いらない。
お金を増やさないと。最後の労働はあと何年続くのか。




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の整理

2019-08-24 09:36:30 | 日記
七月は娘のことがストレスで、相当心身にダメージがあったが、少しづつ平常心になりつつある。
娘が一連の暴言や、式に呼ばないことなどを後々、後悔することまで心配する必要はないのだ。

本人は暴言だと思っていない。むしろ受け答えた私の言葉が酷いと思っている。よく、ありがちな被害者意識だ。

けっきょく、もう娘はいないと思うことなのだと思う。自分の言動が今後に与える影響を考えまずいと思う日があったとして謝ってきたとしても、式を挙げてしまったら心は戻らないかもしれない。誰が聴いても大きな過ちである一連のできごと。人間は間違える動物であると、痛感。




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストレス

2019-08-19 23:33:32 | 日記
夜通しゲームをやっている息子。冷房が壊れているので、いつもと違うところに寝床を作り休むがうるさいのだ。
結局、よく寝られないままに朝さへになったが、息子も定時に起きあがり出勤した。三十代後半だから、自立すべきだが、春に復職したばかりで、見守りが必要と考えている。
今日はマイルームで休もう。ストレス溜まりすぎだ。事務所兼用ならもう少し広い部屋が欲しいものだ。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏休み

2019-08-16 15:31:26 | 日記
今週は四日間連休の夏休みである。来週は研修もあるし、ちょっと厳しいなあと思っている。
このブログに何度も綴っている娘のこと。やはり、大きなストレスにはなっている。
周囲が気を使ってくれるかのように会おうよと言ってくれる。癒しになることも多くて助かっている。同年代のほかに、学校や職場の自分の子とほぼ同世代の人たちとも、横の関係で安心できる時間をともにしている。
「いいわね。たくさん話を聴いてくれる人がいて」と捨てゼリフに近い娘の言葉。友達いれば娘を頼らないでというつもりで言ったはずだろうが嫉妬もて、少し心配にはなる。30代の子ども世代に言わせると、私の予言というか予想はよく当たるのだそうだ。蓄積されたデータに持ち前のカンの良さから来るのだろうか。
娘の今後の予想だけは外れて欲しいが。
ストレスが決して少なくはないので、現役であまり長くいられないようにも思う。



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019-08-15 18:29:20 | 日記
母親が来ると気分悪くなるから結婚式には来ないで!
面と向かって、そんなこという娘がいる。
いろいろ思いだしたり、考えたが、他の人の意見もきいた。毒親ブームで、娘に好意的な風潮はあるが、私は世間一般的に虐待したわけでない、何事も協力的に行ってきたふつうの親であると自覚した。

それでも、親子関係はなにかしらあり、いいことあり、悪いことありで相殺できるものであるが、彼女は悪いことに焦点をあて不機嫌になっている。

確かに反抗期がなかったから心配はしてきたが、結婚式に親を呼ばないことが、どれだけ今後に関わる重大なことかはわかっていない。縁を切るつもりではないと思っているらしいが、自分たちだけ出席で彼の両親が恐縮したのも理解できていない。一般的に式に呼ばないことは親との決別を意味することとも理解していない。

社会通念、常識より自分の気持ちを大事にしたいらしいが、私には理解できない。
挙げ句が、彼の両親に自分の気持ちを正直に話してみようかなどと私に言い出す。
「やめなさい。性格悪い変な人と思われるだけ」とさすがに怒った。

三十代も半ばなのに、恥ずかしいかぎり。親友にも本当のことは話せない。話は聴きたいけどプライバシーの侵害にならないかしらと気を使ってくれる。

私から言うべきことは言ったが、親からお金が貰えたので出てきて逃げなかっただけらしいのもわかるし。なんとも。

アホ父親は事情をよく把握してないからか景気よく祝い金を渡した。私は困っているときに金銭援助してくれたお礼というか小遣い用に返金として渡した。予定額の半分。祝って欲しくない我がまま娘に金渡す愚かな親だが手切れ金だ。

父親は先に帰り、残されてお説教とは不愉快くらいとしか思っていない。結婚式のことを誰か友達に相談したかと聞いたら誰にもしてないと。
なるほど、いつも私に相談していたから相談する人がいないということらしい。
誰でもいいから、第三者に話してみて、賛同得られればよい。おおかたは気持ちはわかるが、やり過ぎという答ではないだろうか。

私は母子の境界線がわからないほど密着していたことが多かったのが原因だとは思っている。結婚は親と離れる儀式と捉えているのだろう。もう物理的には十分離れている。何をしても許されるという甘えが見えたりもする。親子の問題というより自分自身の問題なのである。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする