朝日新聞の連載小説「また会う日まで」が2020年8月から始まっています。
第12章 戦争の日常
が8月1日から8月31日まで30回の連載で終わった。
戦争の日常10~14で
井上成美(しげよし)さんが出てくる。
井上成美さんの言葉、行動から
・「昭和16年正月、海を越えての食糧輸送は不可能だと言っている」
・「この先、戦艦と戦艦が距離を隔てて対峙し、主砲を撃ち合って戦うということなど
決してあり得ない。代わりに主役となるのが航空機だ」
・「江田島の海軍兵学校の校長になった井上成美は、教育参考館に並んでいた歴代の海軍
大将の肖像写真をぜんぶ片付けさせた、東郷平八郎だけ残して」
・「井上校長は、海軍兵学校の生徒に英和辞典ではなく英英辞典を配ったという」
井上成美さんの名前を角田市郷土館の資料に出ていたことを思い出した。
角田ゆかりの軍人たち、全国的に名の知られた角田ゆかりの軍人が3人いる。
仙台出身ではあるが、母親が藩政時代の角田館主石川家の娘である井上成美。
井上成美
明治22年~昭和50年。
仙台市で旧幕臣の子に生まれた。祖父は角田石川家第13代当主石川義光。
義光の娘が母である。最終階級は海軍大将。海軍大将になった最後の軍人である。
米内光政(海軍大臣)や山本五十六(連合艦隊司令長官)とともに「海軍三羽烏」
と呼ばれた。陸軍の推し進める日・独・伊の三国同盟に抵抗したが、井上は三人の
中で最も強硬であったという。その後も、対米開戦に進む動きを阻止しようとし、
開戦後は早期終結のため尽力した。戦後は一切の公職を断って三浦半島の長井に
隠棲した。近くの子ども達に英語を教えるが月謝は受け取らず、食べ物にも事欠く
その生活は困窮を極めた。そして、一度も公的な場所に出ることなくひっそりと
晩年をおくったという。