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ルフェーブル大司教の従順

2007年07月18日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

DICI No 156 に掲載された「ルフェーブル大司教の従順」の記事を紹介します。
(ロラン神父様の記事に少し手を加えてあります。)

 自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム』は、聖ピオ五世のミサ典書が一度も廃止されたことがなかったことを確認したばかりだ。ルフェーブル大司教は、永久のミサ聖祭に忠実であったために、「不従順」であったとレッテルを貼られたことを思い出し、今一度、ルフェーブル大司教の言っていたことを思い出すのが正義に適っている。

「これらの新しい司祭たちが、教会のミサに、聖伝のミサに、永遠のミサに忠実であることを。だからこそ私たちに叙階するな、と圧力をかけるのです。私にはその証拠があります。6回、ここ3週間というもの6回にわたって私たちは、ローマと通常の関係を結ぶようにと求められました。そして、その証拠として新しい典礼様式を受け入れ、私自身これを捧げるようにと言われました。私が新しい典礼様式で共に共同司式をして、私が喜んでこの新しい典礼を受け入れたと言うことを示せ、そして、それさえすれば、ローマと私たちの関係は平らになると言われました。私は、手に新しいミサ典書を手渡され、「ほら、これが、あなたがしなければならないミサです。そして、あなたの全ての修道院で、捧げなければならない新しいミサです。」と言われました。また、今日この6月29日、皆の前で、私たちが新しい典礼様式でミサを捧げれば、ローマと私たちの関係は、何もなかったかのようになる、とも言われました。ですから、ミサの問題でエコンとローマとの間のドラマが展開されていることは、明らかではっきりとしています。
(ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日)

「聖伝のミサは禁止されていないし、禁止され得ないのです。・・・ このことから、もしもある司祭が、聖伝のミサのためにカトリック教会法典の制裁を受けたとしたら、或いは破門されたとしたら、この排斥は絶対的に無効です。・・・ 私たちは、聖伝のミサを全く良心の平安の内に捧げることが出来ますし、カトリック信徒たちも、何らの心配もなく、これこそが信仰を維持するための最善の方法であるという確信の内にこれに与ることが出来ます。(教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ ルフェーブル大司教の公開書簡 その20)


「私たちは今、本当に劇的な状況にいます。私たちは、選ばなければなりません。敢えて言えば見かけ上の不従順か、あるいは私たちの信仰を捨てるかのどちらかです。ところで、教皇様は私たちに信仰を捨てるようにと命じることは出来ません。それは不可能です。ですから私たちは、信仰を捨てないことを選びます。なぜなら、そうすることによって私たちは間違うことがないからです。なぜなら、教会が2000年間教えてきたのです。教会がその間ずっと誤っていたと言うことはありえません。全くありえません。」
(ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日)

「私たちは今、劇的な状況の中を生きているのです。選択をしないと言うことは不可能です。ただしこの選択とは従順と不従順とのどちらかを選ぶというものではありません。人々が私たちに提示していること、はっきりと厳しく私たちをそれに招いていること、そしてそれを私たちにさせるために私たちを迫害しているのは、それは見かけ上の従順を選ぶことです。何故なら、教皇様は私たちをして私たちの信仰を放棄することを要求することが出来ないからです。私たちは信仰を守ることを選びます。私たちが、教会が二〇〇〇年間教え続けてきたことに固執するなら、私たちが間違うことは有り得ないからです。・・・カトリック信者たちをして従順の名によって全聖伝に不従順であるようにし向けることが出来たのは、正に、サタンの強烈な一撃です。」(教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ ルフェーブル大司教の公開書簡 その18)

「私たちは教会から離れたくありません。その全く反対です。私たちは、カトリック教会を続けたいのです! 自分の過去と断絶してしまった教会、それはカトリック教会ではありません。・・・ 将来、真理が再び明らかになることでしょう。私たちはそれを確信しています。それ以外では有り得ないからです。天主様は、ご自分の教会をお見捨てにはならないからです。」
(ジュネーブにおいての説教1978年5月15日)

アラン・ロラン神父

 ルフェーブル大司教は、聖伝のミサを捧げ続けたがために、迫害を受け馬鹿にされ忘れられ続けた。しかし、ベネディクト十六世の自発使徒書簡により、聖伝のミサが禁止されていなかった事実・法的には決して廃止されていなかった事実が公に再確認された。この自発使徒書簡以前のカトリック教会における状況は、極めて重大な不当で不正なものだったこと、それに付ける名前がない程のスキャンダルであったことが確認された。

 何故なら、ラテン教会の古代からの典礼様式が、事実上、公式に「禁止」され・追放され・ほぼ「破門」状態におかれていた、ということは、カトリック信仰の正しい秩序に暴力を加えていたことであった。多くの霊魂たちは、教会を離れ・道を迷い・失望した。

 しかしベネディクト十六世の発言はこの状況の転換期を作った。

Art. 1. ... Proinde Missae Sacrificium, iuxta editionem typicam Missalis Romani a B. Ioanne XXIII anno 1962 promulgatam et numquam abrogatam, uti formam extraordinariam Liturgiae Ecclesiae, celebrare licet.

第一条 ・・・ それゆえ、福者ヨハネ二十三世が1962年に公布した且つ決して廃止されていないローマ・ミサ典書の規範版に従ったミサ聖祭の犠牲(いけにえ)を教会の典礼の特別形式として献げることは許されている。

「ミサ典礼の特別な形式としての1962年版典書の使用に関して、私は、この典書が今迄決して法的に廃止されたことはなかったし、従って原則として常に許されていた、という事実に注意を引きたいと思います。」
司教達へ宛てられた書簡 2007年7月7日


As for the use of the 1962 Missal as a Forma extraordinaria of the liturgy of the Mass, I would like to draw attention to the fact that this Missal was never juridically abrogated and, consequently, in principle, was always permitted.

 この断言は、今までの迫害と異常な状況ウソのプロパガンダと真理への圧迫にたいして、大転換である。

 メディナ枢機卿は、1999年7月13日、また1999年10月18日にも、典礼聖省長官として公式文書に、新しいミサ典書こそが「典礼一般法により、ローマ典礼様式のミサ聖祭祭儀の唯一の有効な形式」(≪ l’unique forme en vigueur de la celebration du saint sacrifice selon le rite romain, en vertu du droit general liturgique ≫)であると書いていたことがウソであったことになる。

 パウロ六世自身も、1976年5月24日の枢機卿会議でこう訓話していたことも、ウソであったことになる。

「聖伝の名前により、私は全ての私の子供達とカトリック共同体に、熱心と尊厳をもって新しい典礼の典礼様式を捧げることを求めます。新しいミサを取り入れることは、司祭や平信徒の自由な決定に委ねられているのではありません。・・・ 新しいミサは古いミサの代わりに発布されました。」

≪ C’est au nom de la Tradition elle-meme que Nous demandons a tous Nos fils et a toutes les communautes catholiques de celebrer avec ferveur et dignite les rites de la liturgie renovee. L’adoption du nouvel Ordo Missa n’est certainement pas laissee a la libre decision des pretres ou des fideles. (…) Le nouvel Ordo a ete promulgue pour prendre la place de l’ancien. ≫


 だから、私たちは、2007年7月7日の自発使徒書簡の発布を喜ぶ。しかし、聖伝のミサが全てではない。私たちの求めていることは、十全な全きカトリック信仰です。聖伝のカトリック信仰です。

私たちが反対していること、私たちが同意できないこと、それは第一にミサの問題ではありません。何故ならミサは、プロテスタント主義に近づこうと望むことから、つまり天主への礼拝・秘跡・公教要理を変更させようと望むことの結果の一つに過ぎないからです。根本的な対立は、私たちの主イエズス・キリストの統治に関することです。聖パウロは私たちにこう言います。Oportet Illum regnare 主は統治しなければならない、と。私たちの主イエズス・キリストは統治するためにこの世に来ました。彼らは「違う」と言い、私たちは全ての教皇様たちと共に「そうだ」といいます。」
(ルフェーブル大司教)


「今では、三つの根本的な誤謬があります。これらはフリーメーソンを起源とし、教会を占領している近代主義者達によって公に宣言されています。
(1)天主の十戒を人権によって置き換えようとすること。人権と言うことこそ、道徳のライトモチーフ(主題)になりました。実際上、人権が天主の十戒の場所を占めるようになってしまいました。人権の主要な条項は、特に信教の自由であり、これはフリーメーソンによって特に望まれたものでした。それまでは、カトリック宗教が真の宗教(LA religion)でありその他の諸宗教は間違いでした。フリーメーソンはその排他性を望みませんでした。これを廃止させるために信教の自由を発布したのです。
(2)諸宗教の平等を事実上確立させる偽りのエキュメニズム。それは教皇(ヨハネ・パウロ二世)が具体的なやり方で様々な機会に見せていることです。教皇様自身が、エキュメニズムが自分の教皇職の主要な目標の一つだと言っていました。教皇様はこうして使徒信経の第一条に反し、教会の第一の掟に反して行動しています。これは例外的な重大性を帯びています。
(3)現在よくある第三の行為は、国家の政教分離(laicisation)による私たちの主イエズス・キリストの社会統治の否定です。教皇(ヨハネ・パウロ二世)は、社会を非宗教化する(laiciser)ことを望みそれに実際上成功しました。つまり、諸国における私たちの主イエズス・キリストの統治を廃止したのです。

 この三つの根本的な変化を合わせると、実のところこの三つは同じことなのですが、私たちの主イエズス・キリストの宗教の唯一性の否定であり、従って、その統治の否定です。何故そのようなことが起こったのでしょうか? いったい何のために? おそらく、全ての諸宗教を一致させようと目ざすある種の混宗主義的な、世界中の宗教的感情のためでしょう。
 状況は極めて重大です。何故なら、フリーメーソンの理想の実現がローマによって、教皇様と枢機卿たちによって、達成されているからです。フリーメーソンたちはこのことを常に望んでいました。そして彼らは自分たちでではなく、教会の聖職者達によってそれに到達したのです。
 高位聖職者、あるいはその側近によって書かれた記事を幾つか読んでみるだけで、第二バチカン公会議以後なされた抜本的な変化、教会の変容にどれ程満足しているかを見るのに十分です。このことは、彼ら自身では、考えつくことも難しかったことです。

ルフェーブル大司教の言葉、1987年1-2月号 Fideliter 誌に掲載された

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1 コメント

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聖ホセ・ピニャテリとルフェーブル大司教 (M.C.)
2007-07-21 01:26:10
最近『聖ホセ・ピニャテリ イエズス会の解散と再興』という本を読んだが、現代のイエズス会がどのような姿かはともかくとして、1773年~1814年の41年間を迫害や追放など困難の中で耐え忍び、ついに再興に至ったイエズス会の歴史は、何かしら現在の聖ピオ十世会とも重なる部分がないではない気がする。1942年に教皇ピオ12世によって列聖されたホセ・ピニャテリは「イエズス会復興の聖人」と呼ばれてはいるが、実際には再興を見る前に世を去っている。しかし、混乱の時代に聖伝を守り抜いたルフェーブル大司教の功績は、教会全体に対する影響力と責任という点ではある意味聖ホセ・ピニャテリを凌ぐものがある。1814年ローマではイエズス会復興の式典が行われたが、ごく近い将来のローマにおいて、1988年「破門」とされた6人の司教様方の名誉回復ならびにルフェーブル大司教の列福調査開始を宣言する式典が厳かに挙行されることを、願ってそして信じてやみません。
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