“半世紀以上、胸に刻んできた言葉がある。中学校一年生になって最初の日、担任の先生が教室に入ってきて何も言わずに黒板に「一人はみんなのために みんなは一人のために」と書いた。それを四十人ぐらいはいた生徒全員で声をそろえて読み上げた。三つの小学校から集まり期待と不安が交錯する私たちに仲良くしなさいと言いたかったのだろう。
私たち夫婦はこの十五年ほど、ホームステイする外国人を受け入れている。中学校の先生の言葉を借りれば「日本は他の国々のために」と言えなくもない。わが家に来たイタリアやベトナムなど十数カ国の留学生の中にはその後結婚して子を連れて日本を再訪する人もいる。それが私たちの活力になっている。”(5月18日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・堀田さん(65)の投稿文です。中学1年の時の先生の言葉を心に刻んできたとは、余程心に響いたのであろう。そしてお互い、こんな嬉しいことはない。これも出合いである。ボクも3小学校が集まって1中学校となった。そんな最初にこの言葉を皆で斉唱した。記憶に残るわけである。先生もこんな話を聞くと先生冥利に尽きるだろう。
「一人はみんなのために みんなは一人のために」、含蓄のある言葉である。そして、今の時代こそ必要な言葉ではなかろうか。われが我がと言う時代である。「自分は自分の為に、みんなは自分の為に」、そんな言葉に言い換えてもいい時代である。自分は皆のために何ができるか、本当に困っている人には皆で何ができるか、これが成熟した社会であろう。堀田さんが留学生のホームスティを受け入れられているのも素晴らしい。外国語の苦手なボクの家庭には無縁であった。娘はホームスティをしたことがある。その後がチャンスであったかも知れないが、そのまま終わった。それだけに素晴らしさを感じると共に羨ましく思う。それができたら堀田さんのようにもっと交流範囲が広がったであろう。
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