寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3646話) クラス会

2024年03月21日 | 活動

 “昨年1月に逝った夫と私は定時制高校の同級生でした。夫は卒業式の直後、私も含めた皆の前で「自分が永久幹事をやるから、クラス会をやろう」と宣言しました。明るく、目立つ存在だった夫は会社員となり、その年の11月に最初のクラス会を開きました。私たちは卒業して1年半後に結婚し、3人の子どもに恵まれました。夫は自分の仕事がどんなに忙しいときもクラス会を2年ごとに開き続けました。2019年のクラス会を最後に、新型コロナウイルスの影響で開催がままならないまま夫は病気で亡くなりました。コロナ禍での葬儀ゆえ、級友と盛大に夫を送ることはできませんでした。
 級友4人が今年1月、わが家を訪ね、仏壇の前で手を合わせ卒業60周年を記念した最後のクラス会を5月に開くことを報告していました。天国にいる夫はきっと喜んでいるはずです。”(2月26日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の加藤さん(女・79)の投稿文です。加藤さんのご主人は「自分が永久幹事をやるから、クラス会をやろう」と自ら宣言、それも卒業式直後である。そして続けてこられた。それも2年ごとに、立派なものである。それだけクラスに対する思いが深く、人望もあった。多くのクラスでクラス会は開かれていると思う、これだけの人はまずないだろう。
 実はボクもズッとクラス会、同窓会を開いてきた。ほとんどの人は小学校から中学校へ持ち上がっていくので、中学校を開けばほとんどの人が参加できる。調べてみると中学の同窓会は昭和58年2月が最初で、それまでは時折、平成11年からは毎年となり昨年までで25回を数えている。そして、中学校を替わっていった人もあるので、小学校は平成6年から隔年、令和2年まで開いていて、12回している。そして、令和2年で終わっているので、区切りとして来月4月に最後の小学校の同窓会を計画して、今参加連絡を待っているところである。ボクは宣言はしていないが、自然そのような形なって卒業以来、会長を引き受けている。ここでクラス会とは、同学年のクラス単位、同窓会とは同学年全員の会を指しています。小学校は1学年1クラスだったので、同窓会と呼んでいたし、中学校も1学年100人程度でしたので、全員の同窓会を開いてきました。田舎の小さな学校でした。


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