“「冬には死ねん」。ここ数年来、母親の口癖だった。年末になると一段と健康に気を付け、一冬過ぎて春になれば、早く迎えに来てほしい、早く参らせてほしい、というわけである。母親から若い頃の苦労話をよく聞いていたが、後半は孫に囲まれ幸せな日々を送り、晩年は家族にも感謝の言葉しかなかった。最後は家から送り出してほしいというのが希望のようだった。滋賀といっても北部のこのあたりは、時に北陸・東北並みの大雪となる地域であり、負担をかける周囲に気遣い、せめて気候の良い時期にと思っていたのである。
その母親が冬の真っただ中、1月13日に96歳で息を引き取った。最後の望みは叶わなかったかと思いきや、この冬は暖冬で全く雪はなく、翌日の葬儀の日は快晴で、真冬に一日だけ春をプレゼントされたような暖かい日に恵まれた。
これは一生懸命生きて、感謝の日々を送ってきた母親への阿弥陀様からのご褒美だったのかもしれません。朝夕、手を合わせていた仏壇の前で葬儀を行い、住み慣れた家から送り出してやることができた。葬式には相応しくないかもしれないが、家族一同、悲しみより安堵感に包まれた一日だった。10日後の長浜市は大雪で、全国放送のトップニュースになった。”(2月14日付け中日新聞)
滋賀県長浜市の山内さん(男・70)の投稿文です。人間、死をどのように迎えるのか、いくら考えようとも、達観しようとも難しい問題です。そして誰にも訪れます。死に対して、残された人にできるだけ迷惑を掛けないように死にたい、これは誰もが持つ気持ちでしょう。山内さんのお母さんは「冬には死ねん」が思いだった。でも叶えられなく、真冬の1月半ばの死となった。しかし、葬儀の日は、暖かい全くの快晴であった。これを山内さんは、母の希望が叶えられた、と思われた。そして、これを阿弥陀様からのご褒美だった、と受け止められた。まずは良しである。
ボクにはここでなぜ阿弥陀様が出てきたのか、この文だけでは理解できない。お母さんは、仏教に深く帰依されていたのだろうか。いや、山内さんかもしれない。これがボクのビックリし取り上げた理由である。というのは、ボクは近年、お釈迦様や親鸞聖人についていろいろ学んでいるからである。いくら聞いても読んでもなかなか難しい。何気なく唱える言葉一つ一つに大きな意味が含まれている。今、ボクはもっと学びたいと思っている。
この言葉を聞きながら私は育ったような気がします。
祖母も母もこの阿弥陀如来さんに守られて生きて来たような気が今でもします。
もちろん親鸞聖人や蓮如聖人の話も聞かせてくれましたが、阿弥陀如来さんの言葉が多かったような気がします。
もちろん今でも阿弥陀如来さんの詳しいことはわかりませんが、母が亡くなる数日前に
もうすぐ阿弥陀さんのところに行けると言い、見舞いに来てくれる親戚や知人にいままでのお礼を言ってお互いに泣いていた事を思い出します。
母の言葉から阿弥陀如来さんは西方浄土にいらっしゃると言う意味だったのかと思っていました。
母の亡くなったのは大晦日の午後12時42分、年の終わりの日に86歳の与えられた命を全うしました。
翌日の元旦からは記録的な大雪。親戚総出で雪かきをしてくださいました。
親戚の皆さんからはAさんは果報者。誰からも忘れられない日に命を終え
、告別式の日は大雪でいつまでもみんな思い出してくれると言ってくれました。
波乱万丈の日々を乗り越え生きて来た、これもまた母にふさわしい最後だったと思っています。
母の晩年は最高に幸せだったと思っています。
孫やその婚約者にまでそばにいてもらったのだから。
今でも私は夫や母や祖母は、西方浄土にいらっしゃる阿弥陀如来さんに守られて極楽浄土の世界にいると信じています。