“閉じたままのシャッターの前でピアノの音は変わらず軽やかに響く。先月閉店した名鉄百貨店一宮店前に置かれたピアノ。数日後には看板が消え、お客さんの出入りもなくなったが、ピアノの周りには自然と人だかりができる。子どもから高齢者まで多くの人が楽しそうに弾き、演奏に耳を澄ます。
約2年前に設置されたピアノを盛り上げたのが、プロ奏者3人組のユニット「ステキナトリオ」。もともと一宮に縁はなかったが、ストリートライブを毎月繰り返し、地域住民の心をつかんだ。最終日にも店先でライブを開いて観客を魅了。大きな手拍子や合唱で、会場は一つになった。ピアノを担当する松ケ下宏之さん(50)は「過去一番の盛り上がり。やっぱり楽しいね」とほほ笑んだ。
ピアノの管理は市観光協会が引き継ぐが、今後もライブができるかは未定。「一宮は僕らの第二の故郷。また、ここで演奏したい」と松ケ下さん。再び会えるその日まで、このピアノを地域で大切に守り続けなければ。”(2月29日付け中日新聞)
「モーニング」という記事欄からです。時代が変われば状況も変わる。近頃のその変化は凄まじい。百貨店も良いもの並べれば売れる時代ではない。名鉄百貨店一宮店も閉じた。百貨店前に数年前に置かれたピアノの話である。電車やバスに乗るときにはこのピアノをいつも見た。弾いている人を見たこともある。でも、プロ奏者3人組のユニット「ステキナトリオ」は知らない。こんな人もあったのだ。弾く人、いつも聴いている人には大きな魅力の場所であったのだ。興味のあるところに人はドンドン集まる。
こうしたピアノの設置を好ましく思ってきた。各地に置かれ、一宮にも置かれたことを嬉しく思っていた。いろいろなこと、身近にあることが重要である。時に高齢化社会である。いくら立派なものでも遠いところでは意味がない。ピアノは引き継がれるようだ。