8月上旬頃の朝日新聞を見ていたら、「旧北陸本線隧道群 廃線跡を歩く 10月9日(日) 1日限定日帰りツアー企画 旅行代金7980円/明治時代の近代化遺産 赤レンガ造りの6つの隧道(トンネル) / 旧北陸本線の敦賀から今庄間には当初12の隧道(トンネル)がありました。昭和37年、北陸トンネルが開通し廃線となった現在、10の隧道群が残されており、ツアーではその隧道のうち6つを巡ります。/個人では行きづらい旧北陸本線廃線跡をウオーキング。」という旅行会社の宣伝記事が掲載されていた。
この旧北陸本線跡地は、私の故郷「南越前町」と敦賀市にかけての場所に存在している。何十年来と いつも、故郷の家への往復路に近くを車で通っている。一度 この廃線跡に行ってみたいと思い続けていたが、車で行けるとは思ってもいなかったので、一度も行ったことがなかった。車で 残っている10のトンネル群と廃線跡地をたどることができると知ったのは、つい最近のことだった。
遠い昔の6才のころ、この旧北陸本線(今庄—敦賀間)の列車(D51型機関車)に乗った記憶が おぼろげながらにある。33才で母が早世し、49日の法要を終えて 本山の「滋賀県大津市坂本にある西教寺」に母の遺骨を納めるために 家族とともに武生から 列車というものに初めて乗った時の記憶である。「いくつかのレンガトンネルを通過して、『杉津(すいず)』という名の駅から見た 美しい日本海の景色」を おぼろげながらに いまだ記憶している。だから、一度 とても行きたいと思い続けていた廃線跡地であった。
8月13日、お盆を故郷で過ごすために 妻と共に京都の自宅を午前9時ころに車で出発した。翌日の14日には 息子と彼の婚約者が 故郷の家に来ることになっていた。13日の夕方には、故郷の村の「円光寺」というお寺に行き、お参りをして 先祖の霊を 実家の仏壇に迎え入れなければならなかったが、「今回のお盆帰省の時には、この廃線跡地を探して ここを通過して 故郷の実家に戻ろうか。」と相談していた。
盆の時期なので、高速道路(京滋バイパスや名神)は大渋滞。間道と高速道路を交互に利用しながら、敦賀インターから一般道の国道476号線に入る。この国道は敦賀から今庄に行くことができる道の一つだ。しばらく走ると、道の左に①「樫曲隧道」(86m)が見えたので、見学した。この隧道は 国道476号線を通るたびに 何十回と見たことがあったが、旧北陸本線のトンネル跡地だということは はっきり知らなかった。トンネルについての案内板が作られたのは つい最近のようだ。いわゆる日本各地の「近代化遺産」の何か所かが世界遺産登録がされたことが きっかけなのかもしれない。
さて、問題は 「樫曲隧道」が12のトンネルの1つだとはわかったが、残りの11の隧道を含む廃線跡地に行くには どういったらいいのかが わからなかった。戻って探したほうがいいのか、今庄方面に進んだほうが いいのか。とりあえず、今庄方面に476号線を木の芽峠トンネルに向かって登って行くことにした。しばらく車で登って行くと、国道から分岐している 水田の側にある やや細い道 との三叉路に「近代化遺産周遊ルート」という真新しい看板を 国道の左手に見つけた。「この やや細い道を行ったら 廃線跡地に通じるかもしれない!」と思い、車を進める。(※この看板は、今庄方面から敦賀に向かう場合には 下りカーブしている場所でもあるので 文字を見つけることが ほぼ難しい。)
この道を通って行くと、レンガ造りのトンネルがようやく見えて来た。②「葉原隧道(974m)」とあった。トンネルの入り口に信号があり、「待ち時間5分」の交互通行となっていた。長い待ち時間が終わってトンネルの中を走る。1kmあまりの 狭くて長い長いトンネル。夜に走るのは さぞかし 不気味で怖いだろうな。昼でも一人では怖いだろうな。なにか 幽霊などが出そうな 本当に怖いトンネルだ。
長いトンネルを抜けると、廃線跡地に作られた道路となっていた。対向車がやってきた。「佐川急便」のトラックだった。「この道路は、生活道路としても 使われているんだ。向こうの集落から来たようだから、この道は 今庄方面の方に 行くことができるんだ!」とようやく判断できて安心した。
日本海や敦賀半島が見え、この道と並行して「北陸高速道路の上り線」に車が走っていた。「杉津(すいず)」のシンボルとなっている小さな半島のような「杉津崎」が見えた。ここの近くには、現在「北陸高速道路・杉津PA(パーキングエリア)」があるはずだ。このPAは、北陸高速道路の中で、最も風光明美であると思う。
さらに車で走ると③「鮒ケ谷隧道64m」が、そして④「曽路地谷隧道399m」があった。 ※次号に続く