彦四郎の中国生活

中国滞在記

山国の初夏—これからササユリが咲き、蛍(ほたる)が見られる丹波山地の山里

2022-06-02 07:48:53 | 滞在記

 この5月28日(土)、京都・周山街道沿いの町、京都府京北町(京都市右京区京北町)にある妻の実家に泊まりに行った。2年ぶりだろうか、3年ぶりだろうか…。コロナ禍下のため、行くことはよくあっても、泊まりまではこのコロナ禍下ですることはなくなっていた。妻の兄夫婦がこの実家に暮らしているが、5月下旬に夫婦で9日間の関東地方への旅行に出かけて家が留守となり、妻の母(97歳)が実家で一人となるため、この間、近くに暮らす妻の姉が母親の食事の世話などをしていた。妻もまた母の25日には世話のため実家に行き、泊まったりもしていた。

 5月28日の夕方に妻の実家(京北町山国地区)に着いた。京都市内の金閣寺や龍安寺近くの立命館大学からは、周山街道(国道162号線)をバスで1時間ほど、車では45分ほどの時間で妻の実家に着ける。京北町は田植えをされた水田が水をたたえ、初夏の光景が広がっていた。

 この日の夕方、妻の実家のある山国地区から低い峠を越えて6分ほどの弓削地区にある、妻の姉の家に夕食を食べに行った。この日は、妻の姉の孫娘(4歳)が泊りにきていた。久しぶりに妻の姉の夫である文雄さんとも、乾杯をしながらいろいろな話をすることができた。家には、山法師(ヤマボウシ)の白い花も咲いていた。

 丹波山地にある京都府美山町は、茅葺(かやぶき)屋根の多い地区(茅葺の里)として全国的有名だが、美山町に隣接するここ京北町や日吉町も茅葺の家(又は茅葺屋根型の家)がかなり多い。

 翌朝の29日、早朝に2時間ほど京北町町内を車で巡ってみた。朝日がのぼり、町内を流れる大堰川(保津川・桂川上流)からたちのぼる朝霧が町に流れていた。このあたりは北山杉の山地でもあるので、水が張られた水田に北山杉の木立が映ってもいた。「ささゆり・やまゆり特別保護」の白い看板が置かれた山の斜面。このあたりは「ササユリ(ヤマユリとも呼ばれる)」が自生しているところのようだ。(※私の娘の「百合子」という名前は、妻の好きな「ササユリ」から命名された。)

 ササユリは30年ほど前までは、京都府の山間地や里山でもよく見られたが、20年ほど前から激減している。激減の大きな理由は、里山に下りてくるようになった鹿やイノシシが、根こそぎ食べてしまうからだ。(鹿はササユリの茎や葉や蕾や花を、イノシシは土を掘って球根を食べてしまう。)このため、近年では、このササユリの保護活動が全国的に行われてきている。ササユリの和名漢字は「笹百合(ささゆり)」(葉が笹に似ているため)、地方によっては「山百合」とも呼ばれている。日本特産(固有種)で、日本のユリを代表し、本州中部以西、四国、九州に自生している。ササユリは香りがあり、その清楚な少し甘い香りは高貴かっ上品だ。花期は、近畿地方では6月上旬から6月中旬すぎ頃までが開花の時期となる。

 「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花」と言われるが、日本の百合を代表するササユリの花言葉は「上品」。「稀少(きしょう)」という花言葉もある。地上に発芽して花が咲くまでに7〜8年余りもかかるからでもある。野山の斜面の日当たりの良いところに自生する。つまり、人の手でその斜面の草木をある程度刈り取るなどの手入れがある里山の斜面に自生する。鹿やイノシシがその里山に下りてくるようになった20年ほど前からササユリを見かけることも少なくなってしまっている。

 この春に、ここ京北町の山国地区に大きなイチゴ栽培ハウスとレストランが開業した。行ってみると、巨大なイチゴ栽培ハウス。「(八百一の)京北農場"郷"ECOいちごファーム」と看板が立てられていた。そして、「京都八百一郷蔵前」と書かれた大きなレストランは中庭も広い。

 レストランの背後には桜並木の小川があり、明治維新での戊辰戦争(1868年)に参加し、関東・東北まで新政府軍として参戦した山国郷の「山国隊」(数十名)の隊士たちの行軍レリーフが橋に描かれている。ここに「山国護国神社」があり、戦死した隊士たちが祀られている。妻も子供の頃はこの神社は遊び場だったようだ。小学校の校名も「山国(やまぐに)小学校」だった。(※10月に開催される京都時代祭りの先頭は、この山国隊の笛や太鼓の軍楽隊。中世から皇室の御領地だった山国地区は、尊王の伝統がある地だった。このため、戊辰戦争に「山国隊」として参加している。)

 妻の姉の家のある弓削地区からは、戦国時代末期に明智光秀によって築かれた「周山城」の山容(城山)がよく見える。たくさんの石垣群が残るこの巨大山城に登ると、周山地区・弓削地区・山国地区が眼下一望によく見えもする。城山の麓の周山地区に「亀屋廣清」という菓子屋があり、"周山城址石垣クッキー"や"饅頭城山"などが売られている。山麓の「慈眼寺」には黒く塗られた光秀の木座像があり、通称「黒みつ像」と呼ばれている。充血した目が迫力のある木座像だ。また、このあたりには「明智の埋蔵金伝説」も残る。

 山国地区には「中江城」と呼ばれる山城もある。この山城は石垣のない、曲輪と切岸と堀切が施された典型的な戦国期山城の見本のような城で、「戦国期山城」として教科書に掲載したくなるような山城だ。道路横の杉林越しに大堰川が見える。

 「黒田地区」に、「黒田の百年桜」の木を見に行った。この桜は突然変異によってできた桜の一種で、毎年、美しい桜花を咲かせる。この桜の木の横にあるバス停になっている木造の家に、犬が一匹立っている。近づくと、とてもリアルな犬のつくりものだった。(柴犬) 可愛らしい。 黒田地区に立派な茅葺屋根型の寺があった。

 妻の実家の家からは三つの山城のある山が望める。周山城・中江城、そして、すぐそばにある小高い丘に築かれた塔城だ。

 この日の午前10時ころに、京都吉田山山麓に暮らす娘夫婦が孫たち三人とともに妻の実家にやってきた。暑い暑い真夏日となったこの日、午後には大堰川に行って水遊びもするようだ。娘の百合子にとって祖母にあたる妻の母とは久しぶりの再会。おばあちゃんに会いたかったようだ。今年97歳となる妻の母に、妻は、「も~う、97やでえ、100歳までもうすぐやでえ、100歳になったらあ、黒田の100年桜の前でぇ、記念写真をみんなで撮らんといかんねえ‥」と話しかけていた。妻の姉の孫娘もやってきた。小さい子どもたちがいると家が賑(にぎ)やかしい。子どもたちは未来だ‥。

 妻はこの日も実家に泊まるので、私は午前11時5分周山発の「JRバス」に一人乗って京都市内方面に向かった。1時間ほどで立命館大学前に到着。中国からの留学生で、1か月ほど前に来日した林瀟銘さんのアパートに行き、近況について話を聞いた。この1か月間でだいぶ、部屋には生活に必要な机や調理器具などもリサイクルショップで買って、そろえたようだった。

 京北町の道の駅に、「ささゆり開花祭」のチラシが置かれていた。日時・場所は6月11日(土)・12日(日)、佐々江あたご山野草苑。「一年に一度のささゆりの開花!咲き誇る可憐な立ち姿をお楽しみください。楽しいイベントももりだくさん!」と書かれている。ササユリと山紫陽花(あじさい)、初夏の山野草などが見られるようだ。この佐々江地区は、京都府南丹市日吉町の地区だが、妻の実家のある山国地区からは、車で15分ほどのとこになる。地元佐々江在住の6人の人が、京都府立高校の元教員らの協力も得て、ササユリ復活のためのプロジェクトをたちあげ、今日に至っている。

 5月29日(日)、京都の自宅に戻ったら、関東地方に旅行中の妻の兄から、「水戸天狗党納豆」が送られてきた。さっそくお礼の電話をすると、「水戸天狗党のことや、特に幕末の水戸騒乱で亡くなった人たちの墓のことを調べに行っていたんや。これから甲州街道(水戸や江戸から甲府に至る道)に行くわ‥」とのこと。義兄も歴史が昔から好きで、特に幕末の山国隊、水戸藩などの動向に関する在野の研究者でもある。(元京都府営林課の職員)

  日吉町や京北町、そして美山町の三つの丹波山地の町は、6月に入り蛍(ほたる)がたくさん見られる町でもある。先日、娘の自宅近くの京都市内でも、「哲学の道の疎水で蛍が見えたよ」と娘の百合子が言っていた。アジサイ、ササユリ、蛍の季節が始まった。そして、よく孫の寛太と散歩に行く真如堂や金戒光明寺の境内では、菩提樹の花が開花し、また、沙羅双樹(夏椿)も開花する6月の梅雨入りの季節、日本の初夏。

               笹百合に 会っておきたし この初夏に