泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

ボートシアターの稽古へ

2022-05-31 12:39:11 | 丹下一の泡盛日記

前夜の「議論」の名残が身の内に残っていて、
昭和を懐かしく思い出す。
「男はつらいよ」を中学生の時に映画館で見た。
ほとんど自分ちの周りで起きていることみたいで興味が持てなかった。
もっと遠いところに興味はあった。
それが、50歳を過ぎて一人暮らしに戻ったある晩、BSで放送されていたのを見て、
知らずに涙が出た。
畳の部屋やエアコンのない夏の夜の扇風機とスイカや、
地方の町かどの公衆電話。
自分も大量の10円玉を用意して、それを投入し続けながら話していた。
その時の足裏の感覚や受話器の匂いが蘇ってくる。
気がつけば随分と遠くまで来ているけれど、どこか変わってはいない。
以前は好きではなかった家族の時間。
だってそれよりも「遠く」に興味があった。
それがとても貴重なものに思えてくる。
もちろん追憶に浸っている場合ではなく、
それらを忘れることなく「今」に向き合わなければならない。

月曜日はボートシアターの稽古で横浜へ。
来週6日(月)に、来年秋に予定されている「小栗判官・照手姫」のごく一部を試演する。
台本を持ち、仮面もつけずに、だけど、そこそこ動き回る。
そして台本を手に持つことの安心感!

そして、さすがボートシアター。
本番までもう稽古はないのだった。
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上大岡で稽古

2022-05-30 11:22:11 | 丹下一の泡盛日記

日曜日は、久しぶりに上大岡で、プレイバッカーズ全員揃ってのリハーサル。
「依存症」をテーマにしたオンラインでの公演が予定されていて、
そのためのパフォーマンスを。
自分の周辺にも「依存症」の人がいたことがあり、その人は自覚がなくて苦しむこともなく。
それは「依存症」だけでなく、別の病気でもあったのだけど、
周辺にいる人間としては大変だった。
なので心療内科の先生の話を聞く機会もたくさんあって、
今ではその体験は深い学びの時間となり、「肥やし」になっている。
また、別件で7月にクローズドでのミニショーが予定されていて、
こちらはミュージシャンで参加。
あっという間の3時間なのだった。
帰宅してシャワー、そしてちょっとだけお昼寝。
短いけど深い睡眠。
夕方は、今度はその「依存症」に向き合っている施設の方から、ブリーフィングを受ける。
とても勉強になる。

着替えて出陣。
カバンには何故か唐十郎の本など忍ばせて。

たくさん飲んでたくさん話して。
かつての観客のレベルの高さ。
こういう人たちに文学やアートは支えられていたし、これからも支えられていくのだろう。

終電で帰宅。

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好きな酒が美味くない

2022-05-28 22:55:16 | 丹下一の泡盛日記


こんな晩御飯を作ったのだけど、酒は飲まなかった。

ひどい雨の後、ものすごく久しぶりの神保町へ。
学生時代、この街でアルバイトをしていた。
朝、学校に出て、午後アルバイト、夜は稽古場、てなことが多かった。
所用を済ませてのランチは、インドカレー。

夜はこんなの用意して日本酒を飲んでみた。
おかしい。
好きな酒なのに、美味くない。
アルコールが入ってくるのはわかるのだけど、
身体に染みてくる感じがしない。
断酒で何かが変わったのかもしれない。
ゆっくりと、だけど着実に「お題」が出されてきている。
「考えろ自分!」とキャパの少ない脳で考えているのだけど、
見えそうで見えない。
キースが言っていた。
音楽は自分から捕まえに行くものではない。
向こうから来るものだ。
その通りだ。
明日は、久しぶりに対面の稽古場へ。
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剣菱で献杯

2022-05-26 10:19:33 | 丹下一の泡盛日記

水曜日、久しぶりにベッドでダラダラと過ごした。
横になっている時間が長いとやっぱり、いいことがある。

午後は池袋で映画「教育と愛国」。
授業で「従軍慰安婦」という言葉を使っていないのに「従軍慰安婦問題」などとツイッターで流す大阪の政治家がいて。
このように、言葉が勝手に「ちょっとずつ」ずらされていくのは、よくあることなのだけど。
意図的にしても、思い込みにしても、対峙するレベルが低すぎる。
ある教科書を使う学校への抗議のハガキが、印刷されたもので、それを送りつけるだけ、というのは、
愛知県の「名簿を手書きして捏造」事件を思い起こさせるし。
「強い国」に向かうのとは逆の行動だと考えざるを得ない。
日本が戦争に負けたのは「弱かったからです」と。
その通りだと思う。
問題は、弱かったのに、なぜ戦争を始めたのか、だと思うのだけど。

夜は、高円寺へ。
金子あいさんの「平家物語」、勉強になりました。

その後、落合駅から懐かしの道を歩いてプロトシアターへ。
岸本一郎さんとDA.Mの中島彰宏さんが待っていてくださって。
25日は、大橋宏さんの命日。
なぜかあの日、岸本さんと駆けつけることになったのだけど。
あれから2年。
1985年にこの空間(まだ早稲田「新」劇場アトリエ、だった)で迦樓羅舎の公演を初めてもち。
その後も、1990年前半まで、様々にこの空間に立ってきた。
大橋さんの演出の舞台もたくさん。
21世紀になって参加した中島さんにおっさん二人が昔話をするのだった。
なので、もちろん26日ぶりに日本酒、(早稲田の酒)剣菱で献杯。
のち、加賀鳶。
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逗子へ

2022-05-24 22:40:47 | 丹下一の泡盛日記
火曜日は、所用で久しぶりの逗子へ。
まずは亀岡八幡様にお参り。
所用はすぐに終了。
せっかくなので、駅前でアジフライ定食。
そして、ちょっとだけ海を見る。

コーヒーくらい飲めるかと思ったのだけど、
お天気に誘われて、たくさんの人が並んで待っていた。
元地元民としては、並んでまで入る気にはなれず、都内に戻る。
往復に濃い新緑の中を移動できたのが、とても幸せだった。

「当事者」のことを考えている。
究極の当事者は、ドキュメンタリーならば「本人」となるけれど、
俳優だって自分自身を演じるくらい難しいことはない。
2001年に、いわゆるドメスティックバイオレンス法が施行されて、
それまでは「夫婦喧嘩」で済まされていた暴力沙汰も「犯罪」になることになった。
ところがその段階で、警察官の多数が(確か6割以上だったか)、妻を殴った体験があると回答していて。
その警官たちは、なぜそれが「犯罪」になるのか理解するのが難しかっただろう。

自分はプレイバックシアターに関わっているおかげで、
その時にDV法関連のイベントに出演するために勉強することになり、
長年の疑問も解けた。
まあ、その後、境界線人格障害も代理ミュンヒハウゼン症候群も体験し、学ぶことになるのだけど。
いまだに関係者以外の誰かに説明する気には、なれない。

そして、先日伺った話なのだけど、
シェイクスピアの戯曲「ペリクリーズ」に、近親相姦の関係にある王とその娘(王女)が登場する。
その王をある新人の俳優が演じたとき、演出家が細かく指示を出し、その彼はその通りに演じた。
その舞台を見た人は、彼は本当にその体験があるのかもしれない、と感じたそうだ。
この場合は、「当事者」でない「俳優」だからこそ可能だったのかもしれない、と考えている。

夜は、WS「平家物語」の稽古。
いよいよ今期の山場に入った。
ここからの展開が楽しみだ。
断酒は25日になった。
明日は、飲む、つもり。
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稽古場へ

2022-05-23 22:47:41 | 丹下一の泡盛日記

疲れて帰宅した昨夜、ZOOM会議の前に10分で作った晩御飯。
疲れてる時こそ、食べたいものを食べることが大事。

断酒24日目の朝、相変わらず睡眠不足で重たい体を引きずるように起き出す。
そして、大事なことを忘れて出かけてしまう。
昨夜は、キース・リチャーズのドキュメンタリー映画を最後まで観てしまった。
いい言葉がたくさんある。
真似するべし。

一週間ぶりなんだけど、その間にたくさんのことがありすぎて、
脳がすっかり上書きされてしまったのに加えて、
寝が足りずに呆然としたまま、稽古場に。
それでも身体をほぐしていくと、すっと役の世界に入り込める。
「Hamlets/ハムレッツ」のドキュメンタリーの要素を含んだ世界でも、
ましてやプレイバックシアターでもなく。
きっちりと「役」があり、動きが決まっているのは、久しぶりのことで。
もちろん自分で動きを創り、演出にチェックしてもらうので、まだ途上。
なるべく腰を落とし、身体をきついところに追い込んでいく。
もちろん「頑張りすぎない」ために、時々「抜く」ことも忘れずに。
汗をかいているうちに時間は過ぎていく。


42年前、「客入れ」に使ったアルバムの音源をCDで購入し、聴き直している。
帰宅して見る夕景はさまざまな記憶を呼び覚ます。
夜は予定を早めに切り上げて、プレイバッカーズの稽古に参入。
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「ハムレッツ」の「当事者論」

2022-05-22 23:38:35 | 丹下一の泡盛日記
台北駅の地下に人体に鳥の頭部が載っている(被っているのかもしれない)等身大の彫刻があって。
初めて観た時から大好きで、台北駅を使うときは、できるだけその前を通るようにしている。
数日まえFBの「*年前の今日」でその写真をアップしたところ、
台湾で公演を見たことのある旧知の演出家が「これは僕の作品だよ!」と知らせてくれた。
びっくり。
彼の舞台作品も大好きなんだけど、やっぱり底辺に共通するものを感じたのだろうか。

「グリーンブック」を見終わって、「当事者論」を考えている。
この映画では、今よりももっと黒人差別がきつい時代(第2次世界大戦後だけど)のアメリカで、
黒人を後ろに乗せて白人が運転手になって旅をする実話をもとにしたお話。
映画なので当然、黒人の役は黒人の俳優が演じ、白人の役は白人の俳優が演じている。
これを舞台で日本人が演じるとしたら、過去の事例によれば、
黒人の役の俳優は、顔を黒く塗ることが多い。
そして白人の役を演じる日本人は、特に何もしない。
または金髪のカツラを使う。
そして、差別される黒人、のエッセンスは、黒人にしかわからないことなのだろうか、と考える。
本来、俳優はどんな役でも演じることができるはず。
だから、挑戦するべきだと考えている。
映画では、ごく普通に、黒人の役は黒人が、アジア系はアジア系が演じることになる。
ちなみに、「グリーンブック」の白人はイタリア移民(の役)なんだけど、北欧系のアメリカ人が演じている。
(イタリア系の俳優かと思ったら、北欧系で驚いた)。
日本を舞台にしたアメリカのお芝居の写真で、
金髪の白人女優たちがセーラー服を着て女子学生を演じている写真を見たときに、
どうしようもない違和感を感じてしまったことがある。
ただ、これは写真だからで、実際の舞台で彼女たちの演技に触れたら、別の体験になったに違いないと信じている。
最近、当事者の役は当事者が、例えば、
ゲイの役はゲイの俳優(当事者)が演じた方が、いいのではないか、という議論が広まっている。
ちなみに、プレイバックシアターでは、テラーの話を瞬間的に即興で再現するので、
エッセンスが大事。
例えば、一緒に暮らしている犬、を演じるときに四つん這いになってワンワンと吠える必要はない。
(もちろんその方がいい時もある)
テラーがその犬をどう見ているのか、のエッセンスによるからだ。
ただし、パフォーマンスの時間は長くても5分。
だから成立するのかもしれない。
「Hamlets/ハムレッツ」や「ジュリエッツ」などで東北の震災を扱っている自分は、
被災した、または身近な人たちが被災した東北の人たちと作業を続け、10本以上の舞台を創ってきた。
このシリーズは、ドキュメンタリーの要素を孕みつつ、
テキストとして「ハムレット」を使わせてもらっている。(「ジュリエッツ」も)
だからもちろん「ハムレット」の上演を期待されても困る。(タイトルも複数形だし)
若い女優たちが、自分の、または別の東北人が被災したストーリーを読む時、
そこには、複雑な感情が浮かび上がってきて、切実に迫るものがある、と毎回感じる。
「自分のストーリー」の場合、俳優であるからこそ可能なことだと思っている。
もちろん、震災を底辺に置いて、ハムレットとオフィーリアの会話を俳優たちに演じてもらっても同様だ。
その「場」に東京の俳優やアーティストが絡まっていくことで生まれる何か、と提示してきた。
そして、津波も建物が崩壊するような揺れも体験していない
東京や神奈川の俳優たちが(「被災」はしている)、彼らの代わりに立つことはあり得るのだろうか。
(もちろん可能であることを目指したい)
これのみぞ思うこと。(謎)
回答のない永遠の問い、だとは思うんだけど。
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「グリーンブック」を観た

2022-05-21 22:55:10 | 丹下一の泡盛日記

板橋にはこんな「盆栽通り」がある。
謎だ。
今日のホールのお仕事は、3本回し。
第1回目は、11時から。
断酒は3週間を達成したので、もう飲んでもいいとは思っているのだけど。
それよりも睡眠が欲しくて、断酒続行。
それでもネトフリのおかげで、冷麺のドキュメンタリーに続いて、
映画「グリーンブック」を観た。
アメリカの黒人差別の根深さを再認識。
そして、あのアメリカ・インディアン(「ネイティブ・アメリカン」は使わない)の亡命者が、語った
「日本人は自分の足元を見てほしい。明治政府は、アイヌの弾圧方法をアメリカ政府から学んだ。」
という言葉を思い出す。
それにしても、ピアニストはいいなあ。
やっぱり、嫉妬する。
(「人の苦労も知らんとよくいうわ!」と言われちゃうと思う)
そして、カーネギーホールの思い入れのある自分は、初めてニューヨークに行った時、
極寒の中をカーネギーホールの入り口まで行って、その週は音楽会がないのをとても残念に思った。
いつか中に入って見たいものだ。

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イスタンブール誕生のドラマに感動

2022-05-19 07:04:17 | 丹下一の泡盛日記

水曜日もホールのお仕事へ。
今週は早朝に出かけて夜遅くに帰宅、という日程が続いている。
連れ合いが風呂を沸かして待っていてくれるのが、ありがたい。

オスマントルコのドキュメンタリーにはまって全10話を最後まで観た。
未知のことが多くて非常に興味深かった。
コンスタンティノープルの陥落がテーマで、
再現ドラマを中心に、交互に専門家たちが解説してくれる。
その解説が素晴らしい。
淀みなく、短く深く、そして何よりも熱を持って語る。
英語で聞いても、基本的にわかりやすい、シンプルで明快な説明。
見習いたい。
そして「再現ドラマ」が、日本でのそれとはかなり趣向が違っていて。
昔の大河ドラマ同様に
セットや衣装小道具がきちんと再現されている(ように見える)し、
明らかにフィクションの部分も入っているのだけど、役者のレベルが非常に高い。
歴史を身近に感じることができて、見入ってしまった。
もちろん英語話者の俳優がイスラム圏の人を演じているので、一部では人種的な違和感がないわけではないのだけど。
(陥落後に改名された)イスタンブールには、行ったことがあり、
最後にスルタンが入場し「天国にいるようだ」と語ったとされるアヤソフィアも行ったので、
そんな親近感も蘇ってきた。

そして、意味不明だった30年以上前に買ったフランスのCDのタイトルが、
オスマン軍が最初に前線に投入する(=生き残る可能性が非常に低い)ならずものの部隊の名前だと知った。
長い間の謎が、また一つ解けたのだった。
同時に、日本とヨーロッパのイスラム圏との距離の違いを思う。
ドラマでは、セルビア出身の王女が重要な枠割を果たし、
バチカンはもちろん(コンスタンティノープルは東ローマ帝国の首都)、ハンガリーやギリシャとの関係も。
また、最後の東ローマ皇帝コンスタンティンが、街と住人を愛し、
(彼らにとっての事実を伝えさせるために)側近を落ち延びさせた後、
自身は剣をとり、城壁内になだれ込んだオスマン軍に立ち向かい
結果、行方不明=戦死した、という事実に彼のプライドを感じて感動。
部下を無意味な地獄の死に追いやり、自身は当然のように生き残り、
畳の上で平和に死んでいった旧日本軍の幹部には、
見栄はあっても、このようなプライドはなかったのだろう。
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滞っている

2022-05-18 07:23:03 | 丹下一の泡盛日記
断酒が18日を過ぎた。
身体もだいぶ変化してきているのだけど、
意外にも「滞っている」。
仕事ばかりで稽古をしていないのが一番の原因だと思う。
何かが流れていない。

北海道以北のアイヌ世界を舞台にしたアニメ、3シーズン全部を見終えた。
ヒデさんから教わったことが次々に登場するし、
明治時代の話なので、知らないことがたくさん。
そして、明治20年ごろのウラジオストクあたりにも興味がある身としては、
とても勉強になった。
他の文化に興味を持つと、その人々が話す言語に興味を持ってしまう。
ヒデさんにシントコサンケを教わったり、「剣の舞」をご一緒したりしていた頃、
ちょっとずつアイヌ語を拾い、覚えていた。
(自分の時代の小学校の教科書に話が載っていたのを思い出す)。
それほど時間は経っていないのに、ほとんど忘れてしまい「この酒は美味いなあ!」だけが記憶に留まっている。。。
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