泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

しばらく逗子を離れて暮らします

2011-06-29 15:50:22 | 丹下一の泡盛日記
昨夜、かみさんと娘1と話した結果、しばらく家を離れることにした。
まあ、自分のキャパシティが小さいってことで。
かみさんやまして娘1に問題があるわけではない。
自分の問題で、彼らは被害者だ。
ただ、働いて金を稼ぎ、家に戻って家族とテレビ観て幸せを感じることはできない。
因果な人生だなあ。
ちなみに家族は気にしてないが6月27日はこの家にお互いが引っ越してきて一緒に暮らし始めた日。
ちょうど満9年を迎えたところ。その記念日の夜は駅で野宿してたわけで(-_-;;
その前から実質的には一緒に暮らしていたので、湘南に来てからちょうど10年がたった。

まあ、別に家に戻らないわけではないし滞在先はすぐ近く。
ちょっと旅行に出たようなもんだ。
もっとも昨年来、旅行してもあまり解決にはならなかったんだが。。。
それに旅に出るならもっと南に行きたいもんだ。
「観てね!」とおくられてきたマレーシアでの即興コミュ二ケーションのワークショップの映像をみたが、なんだ「風のエチュード」の延長線上じゃん。
とつぶやいてみても自分が稽古場で試してみなければ本当に口に出しては言えないもんな。
誰かこれ一緒に試してくれないかなあ(実は面白いと思っていてやってみたいのだ)、と思っても今時分の周りだといないんだよな。
香港や台湾なら沢山いるのに。
やってみたいなあ。
天女神楽チームで無理矢理やってみようかな。

家を出る時にわんこたちが「おかしい、いつもと違う」と気がついたようで、豆太郎はうなだれたままケージから出てこなかった。
朝は、仕事部屋で寝ているところにやってきてひたすら自分の顔をなめ、からだをくっつけていた。
アリーシャとまふたんは門のところまで追いかけてきてひたすらしっぽを振っている。
ま、すぐにまた会えるさ。
だって仕事のために戻ってこないといけないんだから。

昼過ぎに移動終了。
車に荷物を積んで1回でおしまい。
ここは別に始めてくる場所ではない。
ただ、この家はワイファイもイーモバイルもつながらないことを発見。
ネットにつながらないのは死活問題だが、ま、いいか。
別にこの家の中にい続けなきゃいけないわけではない。
それよりもこの家の「気」がひどい。
鈴を鳴らし拍手して部屋中をお払いした。
長い間開かれていなかったであろう仏壇も開いてご挨拶。

8月後半から12月までは予定がぎっしり詰まっている。
なので8月が来れば一人なら問題なく生活できる。
今は中途半端に空いている状態。
生活費は必要だけど、今はなぜかアイデアががんがん湧いてくる状態。
ジュニアオペラの中間発表会(8月)なんか最初から最後まで映像が見えてしまっている。
もちろんその通りにならないことが前提なんだけど。
この感覚を中断されるのはつらいのだ。
かといって昔みたいに1日2食はきついだろう。
なんとかバランスを取るようにしないとね。
こういう暮らし方してた先輩たちはみんな早死にしちゃったからモデルがいないんだよね(^^;;;

とりあえず近くの神社に参拝。
食料品を少し購入。
道ばたでパソ開いてネットにつなぐ。
iPhone もしばしば圏外に。ちょっと不便かも。
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大トラの夜

2011-06-28 14:43:47 | 丹下一の泡盛日記
昨日、演劇ではない別の仕事のための履歴を書いていた。
考えてみれば色んなことやってきたよなあ、とちょっと感慨。

情報誌「ぴあ」は一つの時代をリードする存在でもあったと思う。その「ぴあ」が7月で休刊するという。
自分は1978年、大学に入った年に試験を受けて1年間アルバイトとして働いた。
美術館の情報ページを担当。初めての編集の現場で、自分がトリミングした写真や書いた原稿がページになったときはちょっと興奮したし嬉しかった。
編集部も自由なエネルギーに満ちていて、そこに集まる人たちも素敵なエネルギーの持ち主ばかり、もう一つの学校だった。

その後、ルポ記事を書いてお金をもらっていた時期もある。
なんと連載をもらい月産100枚(四百字詰め原稿用紙で)書いていた。
こちらは舞台の初日と締め切りが重なって地獄のような思いをし離れてしまった。
そして毎日新聞社の仕事を紹介されて竹橋の本社ビルで働くようになった。
元々旅が大好きで遠くにいくことばかりを夢見ていた。

夜、メキシコから帰国したばかりの原大樹くんと会う。
自分がルポ記事を書きながら芝居を続けていた頃の年齢の彼は、もうすでに毎月のように海外で仕事をしているマジシャンだ。
日本でもちょっと知られてきているがメキシコや北米ではそんなものではない。
外で待ち合わせてしまって一瞬心配したが、まあ日本だから大丈夫だろう、と思ったくらい。

土曜日は台湾の、日曜日は香港の友人と会い、大樹くんとは有楽町の台湾料理屋で。
メキシコの土産話が面白く酒が進む。
中華料理が大好きな彼ははじめて食べる料理にも「美味しいです!」を連発。
ここなら大丈夫だと思っていたのだ♪
彼はもう今大邁進中。
彼が創り出したいのは単純なマジックショーではない。もっとスケールの大きなアーティスティックな時間。
その夢を語るエネルギーが自分にぐいぐいと飲ませてくれちゃい、すっかり大トラになってしまった。

で、お約束のように気がついたら京急線乗り越し、初めての駅で降りるが上り方面が終わっている。
タクシー代ももったいないし、なんだか若い頃を思い出して、歩いて帰るか野宿か。
そりゃあ野宿だろうと終電がすぎシャッターが下りた駅の階段でごろりと横になり爆睡してしまった。

色んなことをやってきてたくさんの垢もついているような気持ちだったのかもしれない。
もちろん若い頃に戻ることはできるはずもないし、垢だけではなく素晴らしい体験がてんこ盛りだ。
波瀾万丈だけど、かなり恵まれた面白い人生だとも思う。
それでも時には、稽古の後大酒飲んで、今から思うと赤面ものの議論を声高に繰り返し、(そして金と女性と名誉にはまったくもって縁がなく)その辺でごろんと横になって無頼を気取っていた頃の気持ちを忘れてはいけないと思ったりするのだ。
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香港から来たサフロン

2011-06-27 09:47:30 | 丹下一の泡盛日記
先日、老人に腹を立ててしまったことを深く反省。
その毒にやられてしまい自分まで同じ地平に落ちてしまった。
これではなんの解決にもならない。
彼には彼の理由があるのだろう。
だから彼の平穏を祈ることにした。

昨日、金沢の朝、カフェで演出がらみの事務仕事をしていたらあっという間に12時すぎに。
バスは12:47。
今回は美術館をのぞくこともできずにコンビニでざるそば購入。バス停でかっ込んで空港へ。
バスの中から空を眺めていると自分の無力さに情けなくなる気持ちがわき起こってきたり。
中間発表会のイメージがもりもり湧いてきたり。
この落ち着かなさは一生続くんだとか。
前世でろくなことしなかったんだろうなあ。
それともこんな自分でもなんとかやっているのだから前世で善行を積んでいたのだろうか?

羽田空港から新橋へ。
夕方、香港から遊びにきている友人のサフロンと会う。
サフロンは、行為芸術者/パフォーミング・アーティスト。
先日は油麻地の上海通りのお店のショーウインドウの中で中国の真っ赤な祝儀袋のドレスを着るパフォーマンスをやった。
写真を見せてもらったが、面白かった。

こちらも4月の「徐福」の写真を見せる。
サフロン、服来てるときの写真しかみてなくて、脱いだ写真を観て驚いている。
何驚いてるの。僕たち1月には全裸で肩寄せあって座ってたじゃない。香港の舞台の上だけの話だけど♪
自分はプレイバックシアターの人として香港と出会ってしまっているのと、日常的にはぼんくらな感じがするのか、あまりアヴァンギャルドやってますという印象を与えないらしい。
なので香港で即興のパフォーマンスをみて細かい話をすると意外な印象をもたれることがある。
今回の天女座での舞台の写真も着衣の部分だけでも彼女には「新鮮」だったらしいが、ふんどしだけのはかなり「印象的」だったようだ。

そして波田須アートフェスの話に。
彼女は今年来てくれるサーシャとも共演している。
天女座は波田須と世界をつなぐ「橋」になりたいと思っていると、紫帆さんたちの思いを伝えた。
彼女に香港の友人たちに伝えてくれるように頼む。
「来年、あたしも何かやりたいな」とサフロン。

そしてなぜアートに関わってしまうのか、という話になる。
彼女にも深い理由がある。もちろん自分にも。
話に夢中になり気がついたら終電だった。
お互いにこのことを話すことが必要だったのだろう。
次回は稽古場だな♪
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金沢から――楽しい時間が次々に続く

2011-06-26 10:08:38 | 丹下一の泡盛日記
昨日、早朝、玄関のドアが開く音で目が覚める。
疲れた足音がのそのそと二階に上がり。。。娘1、朝帰り。
先日から仕事のストレスを訴えて、金曜日の夜飲みに行こうと誘われていた。
自分を誘っているのか自分のお財布を誘っているのかわからないけど。
ま、いいんでないの。
一緒に暮らし始めた時中学生で、当時自分が台本からMCまで担当させてもらっていたラジオ番組で「現役中学生*ちゃんが選ぶ今週の」一曲というコーナーをやったりしていた。
それが今、もう25歳になろうとしている。

入れ替わりに起きだしてご飯を炊き、自分のためのお弁当を作る。
同時進行で洗濯も。
朝ごはんは残ったおかずで激辛麻婆豆腐。
四川省の冬の朝ごはんみたいだ。
だいたいお弁当のおかずに空心菜炒め入れる日本人も珍しいだろうな、と思いつつ。

いつもは青い飛行機に乗るのだが今日は赤い飛行機。
(羽田に行ったら「緑の飛行機」もいて驚いた)
なのでいつもとは違うゲートに。
懐かしい。
14年前、金沢に通っていたときはマイルのことなど考えもせず時間優先。
なので3社(当時は3社あった)それぞれに。
このゲートからもよく乗った。
その時のプロデューサーがいたから今の企画がある。
今は鬼籍の彼のことを思い出す。

小松空港は雨。市内へ向かうバスの中でお弁当食べる。
バス停から劇場(リハーサル室で稽古してるのだ)に向かう途中のめぼしいご飯屋さんは全部チェックした。
実は金沢のご飯はお肉系が多い。(と感じている)
なので自分が入る店は次第に限られてきている。
お弁当にした理由。

そしてバスの中で電話が鳴り、稽古20分前に打ち合わせが入る。
別件の連絡も入り公衆電話からカードで電話。公衆電話とテレフォンカード、久しぶりだぞ♪
なんだろう急にあわただしい。

稽古はがっちり。
8月の中間発表会のパンフレット用の写真撮影も。
終了後、再び20分の中であわただしく打ち合わせ。
そして、犀せいに移動して財団立ち会いのもと舞台監督の黒柳さん率いるスタッフチームとミーティング。
終了後、さすがに空腹。
ふらふらと夜の街へ。
なんか普通の定食みたいなものが食べたいのだが、この付近、一番の繁華街で。
しかたなく小さな中華料理屋へ。
満足できずにおでん屋で一杯。(「すみません、その材料と台所貸して下さい」って言いたいなあ)
なんと町は寒くて熱燗。ジャケット持ってくりゃよかった。

犀せいに戻り寒雲さんと会う。久しぶりだ。
震災の時、東京は大塚の地下のスタジオでレコーディング中。
余震の中スタッフと崩れそうになる音響機材を支えた話など。
その時レコーディングした曲が「いのち」。今CD発売中。
彼女も選ばれてしまった人生。
9月の彼女のツアーに参加します。あのフランキーが台湾からバンド全員引き連れてくる。再会が楽しみだ♪

ホテルに戻りシャワー浴びてパソ立ちあげる。ふらっと眠ってしまったが15分後、24時ちょうどに目が覚める。
自分を大いに褒めながらスカイプで神奈川のプレイバッカーズメンバーとサンフランシスコとで会議が始まる。
本当に便利。だってただなんだもん。
10月に南京の会議に参加します。
詳細はサイトでご覧ください。

今朝、シャワーを浴びていつものカフェでこれを書いています。
店に流れる音楽を聴いていると一瞬、山のような旅先の朝のカフェでの思い出が押し寄せてきて、自分がどこにいるのか迷うような不思議な浮遊感にとらわれるときがある。
アメリカも東南アジアも西ヨーロッパも同じような曲ばかりだもの。
あの旅の時代を懐かしんでいる自分がいる。
そしてもちろん仕事でてんこ盛りのこの旅も体中の細胞から力が湧いてくるような充実感がある。
そして夕方、東京に戻ったら都内で香港から来ているSと会うのだ。
彼女とは1月に香港のブラックボックスシアターで一緒に舞台に立った。
楽しい時間が次々に続くね♪





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小学校の授業でプレイバック

2011-06-24 22:15:08 | 丹下一の泡盛日記
昨日、夕方シャワーを浴びて仕込んでおいた酸梅湯を飲む。



香港や台湾ではこういう煎じる飲み物キットが何種類も売られている。
これは以前台湾で購入したもの(らしい。覚えてない)
今年の1月(ああ、なんて遠い昔になってしまったんだろう)、香港があまりに寒くて風邪気味に。
それを聞いてAが家で煎じたものを持ってきてくれた。
身体が喜ぶ味♪
それに自分で煮出したものだから「新鮮」で余計な薬も入っていない。
北京で暮らしていた弟に言わせると、この手のものをあっという間に缶やペットボトルに入れて売り出して、それを普通に買う日本人はやっぱり金持ちなんだよ、とか。

仕事部屋からの夕暮れ空が、旅心を誘う。


夜、娘1と2が帰宅。
もう寝ようかと思ってたんだぞ。
娘1のリクエストでカレーライス仕込んでおいた。
「辛くなくってインドみたいじゃないやつ。本格的じゃなくてぜんぜんいいのっ。でね何でもいいからお肉入れてほしいの!」がお望みとか。
すまん。もしかするとそういうライスカレー、今は好みじゃないかも。。。蕎麦屋のカレーライスは好きなんだけど。。。
ご飯に溶けるチーズをまぶし半熟の目玉焼きのせてがっちり仕込んだ野菜カレーかける。
姫、ご満足♪ ふふふ肉入ってないんだもんね。ルーにも一切お肉使ってないんだよん。
娘2はそっと立って唐辛子かけてる(^o^)
だよね。自分が先に食べた時にはインドのルーと韓国唐辛子をどばっとまぶしたのだ。
今夜は久しぶりに2人のガールズが揃った。
デザートはビワ。それに紅茶と大分でBennieさんがくれた貴重品のケーキ。そして酸梅湯も♪

今日は、スクール卒業生のヨシのアレンジで善行の小学校の授業でプレイバックシアターのパフォーマンス。
娘2人分のお弁当をつくり、朝ご飯仕込んで出かける。
自分は昨年に続き2度目。
午前中の授業時間で。
子どもたちははじめてだけど、自分たちが初めてではない会場はやはり違う。
大分でがっちり身体も使っていて準備充分。
ぐんぐんと集中が深まって行く感じが自分でも気持ちいい。
無事終了。

終了後校長先生、某所からの見学の方たちとお茶。
すてきな校長先生なんだよね。
その後、近くの市場内の寿司屋でランチ。
旨い♪

藤沢から新宿へ、電車の中で打ち合わせしながら移動。
iPhone、便利。車内からアメリカとメールでやり取りしながら、なんだもの。
さすがに疲れて帰宅。
誰もいない。
犬もいないので実に静か。
明日は金沢だ。今日こそは早く寝るぞ。
といいながらも中3日の休肝日後の焼酎飲みつつ大分のビデオをチェックしています。
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Tama+ project

2011-06-23 13:27:29 | 丹下一の泡盛日記
相変わらず仕事はぽつぽつしかない。
秋はぎっしりなんだけど、それまで持つかしらん(-_-;;;
かみさんはくみちゃんつれて「森の家」に。
娘1は仕事で終電帰宅が続いている。大変だねえ。
なので本を読み、たくさんの「妄想」をしている。
9月の波田須アートフェスティバル(HAF)にいくつかのユニットで参加するのだが構成表のたたき台が2本もできちまった。
こんなことばかりさくさく進んでもなあ。。。

嬬恋で使い始めた「Tama+ project(たま ぷらす ぷろじぇくと)」という名前を波田須でも使うことにする。
最近は、ほとんどの人が自分のことを「たま」と呼ぶ。迦樓羅舎(かるらしゃ)ももう自分一人になって久しいものねえ。
自分一人では何もできないので誰かに加わってもらわないといけない。だからいつでもこのプロジェクトは「+」の相手を求めているのだ。
HAFでは「Tama project + 天女座」というユニット名でエントリーした。
石川裕人大兄とかプレイバッカーズの代表の佳代さんなどがグループを維持するためにものすごいエネルギーを注ぎ込んでいるのを知っている。
自分はその器ではないなあ、とも思う。
まず「自分が立ちたい」という思いがあるからだろう。
その昔、さんざん無意味な製作事務をやらされてきたせいか舞台上でやりたいことがたくさんあるのだ。
あの頃、別の場所でやっておけばよかったと思うことがたくさんある。
たられば、はくだらないが、もしそうだとしたらここまで続けていなかったかも知れない。

そして「安定」からはほど遠い人生だ。
大学院を受験したときの「一生食べて行けませんけど、いいですね?」という恩師のことばに「はい! 家族を持つこともないでしょうし大丈夫です」と勢いよく応えた。
自分が生きて行く分にはきわめて安上がりなのだが、芝居を続けて行くとなるとけっこう大変なことになる。
ある人によると自分は100歳近くまで生きるらしい。

今日、6月23日は沖縄戦「慰霊の日」。
本土の人間は琉球に対しては加害者でもあったことを忘れてはならない。
合掌





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嬬恋 森のアート・プロジェクト始動

2011-06-22 09:31:22 | 丹下一の泡盛日記
嬬恋と出会ってはや半年。
地元のカントリーハウス、ラ・ヴェルドゥーラさんと一緒に「森のアート・プロジェクト」をはじめた。
「森」から発信するアート。
もちろん演劇だけでなく「食」も含めて様々なイベントを遊んでいきたい。
第1回は、TSCの朗読チームを招いて「真夏の夜の夢」。
64こと八木知美さんが素敵なチラシを作って下さった。
http://www.yui-international.com/topics/2011/project.jpg
完全予約、限定30名様。お早めの予約をお願い致します。

「時節柄」などということばが一人歩きし、また「あそぶ/遊」ということばの根源的な意味さえ忘れられている現在。
戦争中ってこんな空気だったんだ、とも思い、また原発の土壌を地下で被う「地下ダム」は「時間に余裕があるからゆっくり設置でよい」という大馬鹿な回答書を用意している東電と政府の関係をみていると「こりゃあ戦争に負けるわけだ」とも思う。
後で何か起こったら、これも「想定外」でしたと平気で応えるんだろうな。
まさか「初心に帰って」などとごく最近作られた嘘くさい日本語を使うつもりじゃないだろうなあ。
「”初心”に帰っちゃったんで事故原因とかも全部忘れてしまいました」というのが初心だ。
なので政治家や役人もよくこの言葉を使う。
だって「仕事のことは全部忘れちゃってただの新人に戻ったんです。だから何もわかりません」という意味だもの。
今までのことを全部引き受けて作業に従事していただきたいものだ。

80歳を超える老人に仕方なく電話をかけた。
応えもわかっているし憂鬱な気持ちになることもわかっていた。
彼はとにかく「来客中」を繰り返して電話を途中でがちゃんと切る。
このときも最初は話を聞いていたが話が核心に触れたとたんに「来客中なんだ」と叫び電話を切る。
かけ直し「では、お客様にお詫びしたいので代わってほしい」と頼むと、歩く音が聞こえ、しばらくたってから「自分が謝るから代わらない」といって切る。
すぐにかけ直すと今度は電話の向こうでぶつぶつと一人で金額などつぶやいて会話しているふりをしている。こちらが黙っていると電話を切る。
次にかけると出ないで電話線を引っこ抜く(呼び出し音が変化するのでわかるのだ)。
彼は何十年もこの件から逃げてきた。
そしてすべてを人に押し付けて死ぬまで知らんぷりをしたいのだろう。
できれば自分もそうさせてあげたい。
「来客中」という叫びが、自分自身へ「本当にそうなんだ」と言い聞かせているような「一人芝居」。
話している最中も自分の鎧を絶対に脱がない。彼の「鎧」は徹底的に他人を見下す態度を取り続けること。
そのエネルギーのあまりの下品さに辟易する。
つかこうへいがしばしば使う「げす」という言葉が浮かぶ。
ま、台本のモデルとしては面白いかもね。

学校で「君が代」を歌うときは起立すべし、と裁判所が判断。
今までこころから「君が代」を敬愛して立つのが当然と思っていた人たちも、これからは「法律で決められているから立つ」ということになる。
そんな人たちに対しても無礼な判決なんじゃないのかなあ。

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「古事記」再び/稽古開始

2011-06-21 08:59:19 | 丹下一の泡盛日記
昨年5月に表参道の銕仙会能楽研修所の能舞台での「古事記」に出演させていただいた。
そのごく一部を「声の力・言葉の力」というイベントで上演することになった。
2年前にはじめてこのイベントをみたがあまりの面白さに4週連続で通ってしまった。
まさか自分が出演することになるとは思いもよらずに。

久しぶりにチームが集合。この場面に出演していない俳優2名がいないのが寂しいがこの流れで全編の再演にもっていきたいところだ。
稽古場は、渋谷の某日本舞踊家Hさんの自宅兼稽古場。
小さな舞台がマンションの一室に。
壁に天皇の印判が押された勲章授与の賞状を中心に数々の賞状が掲げられている。
自分でさえ名前を知っているHさんもすみにちんまりと座り自分たちの稽古をみつめている。
この頃、ずぶとくて、こういうことが平気になってきた。鈍感なだけか。。。

稽古終了後、隣のお部屋に小机を並べて、演出の笠井賢一さんが熊本で入手という(お互い週末は九州にいたのだ)馬刺しとキビナゴで飲む。
その準備の間、Hさんと仏壇を前に話す。
お兄様の形見というか遺言が十句観音経とのこと。それを見せていただく。
自筆の観音経の横に、毎朝これを唱えるように、とある。そして、どんなときも,どんな人にも腰を低く、その人の話をきちんと聞くように。と書かれていた。
今の自分にも強く響く言葉だ。
天は自分に必要な言葉をちゃんと用意して出会わせてくれる。
「十句観音経は自分も読みます」と言ったら、喜ばれたのか「国鉄民営化の立役者のSさんが自分の兄で」との話。「!」知らなんだ。
そして226事件の話まで。
なんせ御年80歳。
「稽古場は小さいけれど全部檜造りで」の話から、なぜか「踏み」の稽古をつけていただいた。
そして「今日のあなたたちのお稽古、こういうところが勉強になりました」と。
もちろん誉められたわけではない。

そして焼酎で乾杯♪
キビナゴの刺身がうれしか~~。
子どもの頃長崎で2年暮らしたことがあり、しょっちゅうキビナゴ食べていた。

その後、笠井さんとHさんと飲み屋に。
Hさんは晩ご飯。
ああ、いかん。また飲み続けている。
しばらく抜くべし。
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大分公演無事終了

2011-06-20 12:30:36 | 丹下一の泡盛日記
昨夜、大分市から無事帰宅。
怒濤の日々でフェイスブックに写真をアップするのが精一杯で。

金曜日、羽田のラウンジで焼酎のロックをぐいっと2杯放り込んでアートモードの気分に。
座長の佳代さん(宗像佳代)と機内で落ち合い大分へ。
市内に入っても心が追いついていない状態。
お腹がすいている佳代さんとこじゃれた居酒屋に。
魚と酒が旨い。
ここまで来るのに二転三転。それでも丁寧に対応して行く事務担当の佳代さんとえりちゃんにメンバーは深く心を動かされている。

ホテルで爆睡。
気合い充分で大分市平和記念公園の能楽堂へ。
大学を卒業した後、表参道の能楽研修所で週末のアルバイトをしていたことがある。
能の公演があるたびに客席に座布団を敷き、そのまま客席に残って舞台を見ることができた。
もちろんこれは事務局のはからいで、勉強させてもらっていたのだ。
おかげで能楽堂は親しみのある空間となった。

そして昨年の「古事記」で念願かなって能舞台に立つことができた。
今回、プレイバックシアターで能舞台に立つことになったのも神様のギフトだ。
(主催者は場所がなくて仕方なくここを押さえたのだそうだ)

能舞台に立つと身体が反応する。
ここに立つことはできない、とかこんな動きはできない、とか。
そして否定されるばかりではなく「はまった」時にはものすごいエネルギーをもらうことができる。
すごい空間だ。
プレイバックシアターは「もたざる演劇」の系譜から出てきた。
また「ジャック」の動きは能からヒントを得たアメリカ人によって考案されている。
自分がプレイバックシアターの俳優の一人としてここに立つことになったのも「縁」を感じる。
プレイバッカーズと一緒に立つことができて感謝。

広島からBennieさんも駆けつけてくれた。
精一杯のパフォーマンスを終えて、会場移動。
コンパルホールで仕込む。
その後打ち上げ。べろべろになってホテルに。

日曜日、今度は10:30からコンパルホールで公演。
前日のアンケートを読んで対応を考える。
佳代さん、本番60分前に自分をアクターからミュージシャンにスイッチ。
ちょっと驚いたがなんの問題もない。
以前自分の周りには、直前の大きな変更を嫌がる人が多かった。
「事前にきちんと準備してないとちゃんとできない」という。
プレイバッカーズではその場にあわせての臨機応変が一番要求される。
自分もこのノリが大好きなのだ。
ピアノも5分しか触れなかったが、YAMAHAでいつものタッチだったので大丈夫。

佳代さん、すごかった。
前日のマイナス点をすべて払拭するような執念のコンダクティングだった。
そしてプレイバックシアターの価値観をきちんと伝えることができたと思う。
大分では新鮮な価値観だったのではないか。

午後はワークショップ。45分でパフォーマンスに持って行く。
これもすごかった。無駄なことばが一つもない。
ファシリテーターとしてどれほどすごいかを一番実感していたのはプレイバッカーズのメンバーたちだろう。
そして参加者がそれを意識しないようにアレンジして行くのもすごかった。
宗像佳代という人の力量、思いの深さに凄まじさ、のようなものさえ感じた。

ホテルに戻りシャワーを浴びる。
(佳代さんが一部屋取っておいてくれた。シャワーを浴びることの重要さを知っている佳代さんのアレンジ)
そしてメンバーだけで居酒屋へ。
酒がしみる。魚がしみる。関あじのさしみ、関サバのごま和え、ふくの唐揚げ、美味しかったです。
団子汁、丸い団子かと思ったらホウトウのような太い幅広の麺。つかれた身体に染み渡る旨さだった。
自分は今回のプロジェクトは終了だが、他のメンバーたちは半年通うことになる。
ストーリーてんこ盛りの2日間だったが、素晴らしい第一歩になったと思う。





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ぽんちゃんの「道」

2011-06-17 13:18:26 | 丹下一の泡盛日記
昨日、大崎まででかけてぽんちゃんこと水木菜花さんと会う。
HAF(波田須アートフェスティバル)の打ち合わせ。
もちろん焼酎オンザロック♪ ぽんちゃんはお茶。

彼女の新作も見せてもらう。
書道家としてもぐんぐん成長している彼女と向かい合うために自分も密かに書道の勉強をはじめた。もっとも見る方ばかりだが。
魯山人の本を読み「なるほど!」と腑に落ちることが多かった。
台北の故宮博物館でも香港の香港美術館でも書に対面してきて疑問に思っていたことが氷解した思いだ。
ぽんちゃんの新作の「道」が好きだ。
熊野古道をなんども訪れているだけあってこの「道」には歴史を感じさせるものがある。
つまり「ち」を感じる。「みち」は「御ち」でみち。
つながってゆくエネルギーのイメージがある。

HAFでは再び「書法行為美術/書道パフォーマンス」を上演する。
4月の振り返りも含めて話はつきない。
そして新しい提案も。
長い間妄想していたがイメージがあまり固まってこなかった。
この頃はいくらでも湧いてくる。なんだろうねえ、これは。

雨の中を東逗子からの坂道をゆっくりと歩く。
出かける前に気圧が下がり、湿気もひどくて嫌な感じだったのがすっかり気が晴れた。
雨もいいもんだ。
出かける前にフェイスブックで「雨で気が重い」と書いたら香港のHからメッセージが。
「広い可能性を」という名前の彼女は広東語ネイティブで北京語と英語はもちろん仏語とポーランド語もOK.
イギリスの美大を卒業した後、ポーランドに1年留学していたことがあり、この春に気功と太極拳のワークショップでポーランドのフェスティバルに招かれている。
彼女が振付けした舞台を昨年香港で観た。誰にでもできる動きが組み合わさって美しい時間を構築していた。
メッセージも彼女の知性と詩心を感じる素敵な文面だった。
いつかご一緒したいアーティストの一人だ。

今日は夜の便で大分に。
明日は大分市の能楽堂でプレイバッカーズ公演。
日曜日は会場をコンパルホールに移して公演とワークショップ。
久しぶりの九州だ。
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