「女のいない七月」高啓。
生活を共にしている女が不在の日々を詩っている。その女がいないということによって、作者には通常の生活ではない日々が訪れている。ひとりで出かけたスーパーではノースリーブの腕に見つけた見知らぬ女性の種痘あとに発情したり、女の父が残した飯が饐えてい
るのを見つけて、人の死の順番についてクダをまいたりしている。
感情も感覚もむき出しで、荒々しい。その生理的な部分を容れた作者の肉体がそのまま迫ってくるようで、圧倒され、それゆえに魅了される。巧みなのは、迫ってくるものが肉体そのものであるように見せていて、やはりどこまでも感情であるところだ。
マルコメ頭の女がいない日曜日
ポンコツの洗濯機を騙し騙し洗濯をして
ロートルの掃除機を煽てながら掃除する
昼下がりにはフィットネスクラブで少し身体をいじめて
いつものようにスーパーに寄り
にこやかでもなく項垂れてもいない婦たちの傍で
ノースリーブの種痘のあとに発情する
その形骸を生きる
(最終連)
「女とはそんなつながりだったんだ」と気づいたりもして、女が不在であることによってはじめて見えた事柄が、すざまじい存在感を放っている。当然のことながら書かれている内容はどこまでもフィクションであるわけだが、書き表したものにここまで生の感情を載せることができることに、感嘆する。
生活を共にしている女が不在の日々を詩っている。その女がいないということによって、作者には通常の生活ではない日々が訪れている。ひとりで出かけたスーパーではノースリーブの腕に見つけた見知らぬ女性の種痘あとに発情したり、女の父が残した飯が饐えてい
るのを見つけて、人の死の順番についてクダをまいたりしている。
感情も感覚もむき出しで、荒々しい。その生理的な部分を容れた作者の肉体がそのまま迫ってくるようで、圧倒され、それゆえに魅了される。巧みなのは、迫ってくるものが肉体そのものであるように見せていて、やはりどこまでも感情であるところだ。
マルコメ頭の女がいない日曜日
ポンコツの洗濯機を騙し騙し洗濯をして
ロートルの掃除機を煽てながら掃除する
昼下がりにはフィットネスクラブで少し身体をいじめて
いつものようにスーパーに寄り
にこやかでもなく項垂れてもいない婦たちの傍で
ノースリーブの種痘のあとに発情する
その形骸を生きる
(最終連)
「女とはそんなつながりだったんだ」と気づいたりもして、女が不在であることによってはじめて見えた事柄が、すざまじい存在感を放っている。当然のことながら書かれている内容はどこまでもフィクションであるわけだが、書き表したものにここまで生の感情を載せることができることに、感嘆する。
言いたい放題の一方的な感懐にも読める
「労り」の感じられない作品